第十三話 息抜き提案
襲撃から早くも一週間が経った。
敵に動きはなく、東凪家にも弛緩した空気が漂い始めていた。しかし、俺と雅人は共通認識としてそろそろだろうなと見ていた。
油断したところを狙うのは奇襲の基本だ。それにあれから魔術師は攫われていない。
この場合、被害がなかったと見るよりは攫う必要がなかったと見るべきだ。つまり敵は天災級の魔物を復活させる手だてをすでに手に入れているということだ。
そして明乃が攫われていない以上、敵の手に落ちた魔術師もほぼ絞り込めていた。
「というわけで、今日、明日中には動くと思うぞ」
下校してくる明乃を待ちながら、俺は携帯でとある人物と連絡を取っていた。
『そう……ですか。こちらとしても準備は出来ていますわ。ですが……被害を出るのを止められませんでしたわね……』
「まだ確定じゃないけどな。敵が単純に手をこまねいているだけかもしれない。けど、東凪雅人いわく、南雲柚葉の捜査能力は四名家一。その柚葉がこれだけの時間、何の成果もあげないのはおかしいらしい。だから雅人は柚葉が敵に取り込まれたと見ているし、それには俺も賛成だ」
『わたくしがもう少しうまく立ち回っていれば……柚葉さんも救えたかもしれませんわね』
「エリスが責任を感じる必要はないだろ。やれることはやった。もしも柚葉の身に何かあったとして、責任を負うのは日本政府や四名家。そしてわかっていながら見捨てた俺だ」
俺は柚葉が取り込まれる可能性に思い至っていた。
だが、明乃を優先して俺は柚葉を見捨てた。あのとき、俺が明乃と柚葉を同時に護衛するという行動に出ていれば結果は変わっていただろう。まぁもっと最悪な状況になっていた可能性もあるが。
『トウマ様の責任を問う人はいませんわ。あなたは明乃さんを守る最後の砦。明乃さんを何より優先しなければいけない立場にあります。判断は間違っていませんわ』
「そういうことならエリスも責任を感じるな。俺に責任がないならお前にだってありはしない」
『ふふ、お優しいですわね。そうですね。責任を感じ、落ち込んでいても誰も救えませんわ。これから救える人のことを考えることにしましょう。それが被害者の方へのせめてもの罪滅ぼしです』
「まぁ柚葉も明乃を守るために動いていたしな。せめて明乃だけは守らないとな」
これで明乃まで敵の手に落ちては柚葉の気持ちを裏切ることになってしまう。
それだけは避けなければいけない。
「だから明乃は高尾に送る。その後のことは任せていいか?」
『はい。わたくしもそちらに向かうので保護はお任せくださいな』
「エリスも来る? お前なぁ……自分も狙われる立場だってわかってるのか?」
『はい。わたくしが行けば敵の目はわたくしに向きます。その間に多くの人が助かるなら行く価値がありますでしょ?』
「そうかもな。それで王族座上艦に乗ってくるのか?」
エリスは俺の言葉に返答をしない。沈黙しているのはどうせ、どうやって言い訳しようか考えているんだろうな。
王族座上艦というのはアルクス聖王国が保有する特殊な飛空艦だ。飛空艦とはその名のとおり空を飛ぶ艦艇で、魔法を利用して稼働するケルディア独自の乗り物だ。
そんな飛空艦の中で、王族座上艦がどうして特別かというと、王族が乗り込むことで発動するとある機能を有しているからだ。そして俺の師匠はその機能をひどく嫌っていた。もちろん俺もそれに同意している。
だからエリスは言い訳を考えているのだ。
『……ごめんなさい、トウマ様』
結局、うまい言い訳が思いつかなかったのかエリスは素直に謝ってきた。
言い訳するなら怒ることもできるが、素直に謝れると対応に困る。
しばらく黙ったあと、俺はため息を吐いた。
「そこまでして救いたいのか? 日本の国民を? お前の国民じゃないんだぞ?」
『トウマ様は知らないかもしれませんが、二つの世界が繋がって多くの混乱がありましたわ。政府同士の行き違い。人々の生活や常識の違い。我が国と日本はそうはなりませんでしたが、小競り合いにまで発展した場所もあります。そうならないようにわたくしたちは言葉を尽くしてきましたわ。もちろん日本の方々も。最も近く、最も遠い隣国。ゆえにわたくしたちは誠意をもって接しなければいけなかった。その甲斐あって両国は同盟を結ぶことができました。それが薄氷の上にあるものでも……この同盟はたしかなモノなのです。そして聖王家にとって同盟国の国民は自国民に等しいのです』
だから助けるか。
たとえその行動の果てにリターンがなくても。
こんなこと言われたら怒るわけにはいかない。
「はぁ……最近、自分が嫌なやつなんじゃないかと思いそうになるよ」
『どうしてですか? トウマ様はとてもお優しいですわよ?』
「俺は損得で動く。誰かを助けても、そこにはリターンを期待する心がある。けど、お前や明乃はそういうのを期待しない。リーシャみたいにな。だから自分が嫌な奴に思えるんだよ」
『ふふ、明乃さんとは仲良くなれたみたいですわね。一度お会いしたときに確信しましたわ。トウマ様はきっと明乃さんを気に入ると』
楽し気な声が携帯から聞こえてくる。
さきほどまでの真面目な様子はどこへやら。今は俺の様子を楽しむ気しかないようだ。
昔からそうだ。エリスはいつも余裕を忘れない。
「言っておくけど気に入ってないぞ?」
『でも守ってやってもいいくらいには思っているのでしょう?』
それに反論はできない。実際、そう思っているからだ。
仕事だからと返すことは簡単だが、それはあまりにみっともないだろう。
「……まぁな」
『では気に入っていますわね。あなたは気に入った人しか守らない主義でしょう?』
「そんな主義を掲げた覚えはない」
『ふふ、そういうことにしておきますわ。できれば……鞘から抜いてもいいと思うほど気に入っていてくれるといいのですが』
それには答えない。
なにせ俺が鞘から抜くということは、二年もの間、貯め続けた魔力を使うということだ。
実際、天災級の魔物と戦うとすればその覚悟は必要になる。しかし、俺は抜けるだろうか?
俺は魔王を斬ったあの時から一度も鞘から抜いていない。
『あれから一度も抜いていないのは、大切なモノがなかったから。そういう約束ですものね』
「……ああ」
『明乃さんがあなたにとって大切であることを願っていますわね。では、わたくしはそろそろ失礼しますわ』
「……気をつけてな。王族座上艦に乗っていても聖騎士は連れてこないんだろ?」
『平気ですわ。そちらにはあなたがいますもの』
そう言ってエリスは通話を切った。
重い重いプレッシャーが肩に圧し掛かる。狙っているのか、わざとなのか。ずいぶんと精神的に追い詰められた気がする。
まぁなかなか良い情報も手に入った。エリスが王族座上艦でこちらに来るならおそらく高尾空港にずっといるはずだ。つまり、空港まで明乃を逃がせばこちらの勝ちということになる。
さすがに東京に敵が侵攻してくれば日本政府も全力で対処するだろうし、それでどうにもならないなら聖王国に応援を求めるだろう。
被害は出るだろうが、最悪の展開は免れるはずだ。エリスもそこらへんは承知でゲートの向こうにアーヴィンドあたりを待機させているだろうし。
「問題があるとすればあのゲート野郎か」
空間移動魔法を使える魔法師が向こうにはいる。
雅人の話では今回、復活が予想される魔物は〝酒呑童子〟。封印は京都近郊。管轄はもちろん西宮家だ。
攻め込まれるとしたら関西方面からだが、空間移動魔法を使われれば明乃を狙うのも容易だ。
そうなった場合、俺はそいつらの足止めに回ることになるだろう。その間に明乃を高尾に向かわせるしかない。
「まぁそうなったら、あいつらに任せるとするか」
学校から距離を取ったところに数名の人間がいる。
光助の部下たちだ。おそらく光助も出張ってきているだろう。
結局、自衛隊は明乃を影ながら護衛することに決めたようだ。正直、護衛の質としては不満しかないが、まぁいないよりはマシだ。
東凪家の魔術師の中で、腕利きの者は雅人の指示であちこちに散っているから借りるわけにもいかない。やはり戦力不足は否めないがやるしかないだろう。
「もしかしたら本当に抜かなきゃいけないかもな……」
刀の塚を触りながらつぶやく。
言うのは簡単だが、いざそのときになったとき果たして俺は抜けるのかどうか。
そんなことを考えていると車の窓が叩かれた。
窓を開けるとそこには明乃と見知らぬ女学生がいた。
「あの……斗真さん……」
「どうした?」
「この人が明乃ちゃんの護衛の人? 全男子が憧れる明乃ちゃんの護衛にしては普通の人だね?」
失礼な子だ。
そんな第一印象を俺はその子に持った。
ややウェーブのかかった薄茶色の髪に濃い茶色の瞳。ふんわりとした雰囲気の子で、笑顔がよく似合う。快活そうでやや悪戯好きそうなのが玉に瑕だが、容姿も整っているし男受けは悪くないだろう。明乃が傍にいなければの話だが。
「し、栞ちゃん……!」
へぇ。
ちゃん付けで呼べる友達がいたのか。
学校には友達がいるって本人が言っていたのは嘘じゃなかったのか。
意外だ。
「な、なんですか?」
「友達いたんだな。学校でも浮いているのかと思ってた」
「……馬鹿にしてます?」
一瞬、明乃の顔から表情が失せた。
冷たい眼差しに晒された俺は肩を竦めつつ、栞とよばれた明乃の友達に視線を移す。
「それで? 明乃の友達が何か用か?」
「はい! 明乃ちゃんと遊びに行きたいんですけど、いいですか?」
「はぁ……」
思わず深くため息を吐いた。
この状況で遊びとは暢気なもんだ。
明乃は無理ですよね? と視線で問いかけてくる。普通は無理だ。なにせ明乃の安全次第で国の行く末が左右されている状況だし。
「状況や立場がわかっているのか?」
「はい……すみません……」
ショボーンという表現がぴったりな感じで明乃が肩を落とす。
たぶん明乃としては遊びたかったんだろう。ここ最近、自分の身の安全次第で国がどうこうなるという話を聞かされたりしているし、ストレスがたまっていても不思議じゃない。息抜きをと思うのは自然か。
そういえば昔、エリスを護衛していたときも遊びにいきたいとか言われたな。普通に師匠はいいねとかいって遊びに連れていったが。
師匠いわく護衛対象に窮屈な思いをさせるのは二流の護衛。信頼され、のびのびとできる護衛が一番なのだそうだ。今も昔もまったく同意できない理論だ。
百歩譲ってそうだったとしても、遊びにいくってのはどうなんだろうか?
「明乃ちゃん、最近元気ないから遊びに連れていってあげたいんです!」
栞は熱意をもって俺に言葉をぶつける。
正直、その程度で考えは変わらないが。
ぶっちゃけ、どこにいようと変わらないといえば変わらない。
東凪の屋敷は古くからの結界が張ってあるし安全だが、敵が来るばどうぜ高尾に逃げる。結界というアドバンテージのせいで油断が生じる可能性を考慮すれば外にいたほうがいいかもしれない。 どうせ逃がすなら大勢の人に紛れて逃がしたほうが楽だ。一般市民にも被害が出るかもしれないが、それは東凪の屋敷の近くで戦ったって一緒だ。
問題は明乃の友達である栞が一番危険な立場ということだ。
「栞といったか? 今、明乃はその身をテロリストに狙われている。俺は明乃しか守らない。それでもいいか?」
「はい。平気です」
即答。
瞳にまったく迷いがない。大した子だ。肝が据わっている。
明乃のほうが動揺しているくらいだ。
たぶん、この子なりに明乃のために何かしたいと強く思って遊びに誘っているんだろう。その決意を無駄にするのはさすがに野暮か。
「はぁ……俺の指示には従うこと。これが絶対条件だ」
「本当にいいんですか……?」
「はい! わかりました!」
驚く明乃とは対照的に栞は飛び跳ねている。
信じられないといった様子の明乃に俺は視線を向ける。
「息抜きしたくないのか?」
「……したいです」
「よろしい。なら行くぞ。安心しろ、二人ともちゃんと守ってやるから」
ただし、襲撃の際には一緒に高尾にいくことになるが、まぁそっちのほうが安全といえば安全か。
俺もいるし、自衛隊の特殊部隊もついているわけだし。
あとはどうやって光助に説明するかだが……。
「まぁ勝手についてくるし、説明はいいか」
俺はそう面倒事を放棄して、車に乗り込む二人の護衛に集中することにした。