第百二十八話 明乃
「明、乃……?」
影から出てきた少女は明乃だった。巫女装束に似た衣装に身を包んでいるが、それは間違いなく明乃だった。ただし表情はない。まるで酒呑童子の瞳術に取り込まれたときの柚葉のようだ。
その一瞬を見逃さずに俊也が俺に詰めよってきた。
「ちっ!」
「どうした? 動揺を隠せないようだな?」
「影で似せた人形で動揺を誘うとはせこい手だな?」
「本当に人形かな?」
俊也と鍔迫り合いになっている俺を狙って明乃が動く。
明乃ならここで魔術を放ってくるはずだ。それだけの技量がある。
「炎風の剣は空天に響き、大地に轟く」
「っ!?」
聞き覚えのある詠唱に俺は目を見開く。
その瞬間、俊也は影の中に逃れた。これで明乃は全力で魔術を使える。
「破邪の炎、鎮静の風。風焔の理をもって我が眼敵を討ち滅ぼせ。 ―焔嵐剣―!!」
放たれたのは巨大な炎の剣。風を纏い、こちらに高速で向かってくる。
その魔術を俺は鞘で吸収しながら俊也の奇襲に備える。しかし、俊也の奇襲はなかった。
俊也は悠々と明乃の横に出現するとニヤリと笑う。
「よくできた人形だろ?」
「……本人か」
冷静に振舞う。
しかし内心では動揺しまくっていた。
なぜ明乃が敵の手に? 瞳術を掛けられたにせよ、こんなにすぐ人形のようになるか?
疑問ばかりが浮かぶ。
ただ確信できることが一つある。目の前にいる明乃が本物ということだ。
「困惑してるみたいだな? そんなお前にいいことを教えてやろう。この明乃はお前の大切な明乃じゃない」
「……どういう意味だ?」
「こいつは幻想の存在だ。お前が召喚する刃と変わらない道具ってわけだ」
「幻想の存在だと?」
「察しが悪いな。まぁ仕方ないか。俺も驚かされたよ。カリム・ヴォーティガンは世界最高の召喚術師。お前以上のことができても不思議じゃないだろ?」
夢幻召喚は人の願い、ありていにいえば空想を召喚するものだ。実在するなにかを召喚するわけじゃない。
限定的とはいえ無いモノを召喚するこの技は召喚という魔法に関しては最上位に位置する。だが、カリムはそれ以上だという。
それならば。
「二人目の明乃を召喚したのか……?」
「御名答。平行世界にいた東凪明乃を召喚したんだ。その世界でお前は死んでいたらしいぞ。そして、そのショックで壊れた明乃はお前に会いたいという願いを抱き、別の世界に逃避することを選択した。皮肉だなぁ。お前に会いたいと願ったのに、お前の足を引っ張る結果になるなんてな。こいつが八岐大蛇を復活させたんだぜ?」
「……下衆が」
「なんとでも言えよ。どうして俺がこんなことを話したかわかるか? 知ってるからだよ。別の世界の明乃でも明乃は明乃。お前が斬れないってことがな。この甘ちゃんが!!」
俊也の猛攻に俺は防戦一方となった。
正直、打開の一手が見当たらない。
俊也の言う通り、俺は明乃を斬れない。明乃は俺の守るべきものだ。それを斬るということは、俺は戦う理由を斬るということにほからならない。
「何かを成すために何かを切り捨てることができる奴! それが優秀な奴だ! お前はたしかに強いかもしれないが、その価値観においては無能なんだよ! ほら! 悔しかったら抜いてみろ!」
執拗な挑発。
わかっている。俊也の狙いは俺に抜かせることだ。
ここを打開するために抜けば、八岐大蛇への対処法を失う。
カリムは俺を認めていた。今回も斬れるならば俺だといった。それは事実なんだろう。
だからこいつは俺を挑発し、抜かせようとしてくる。
抜けば思う壺、しかし抜かずとも思う壺。
単独での打開は難しい。せめて援軍がいれば話は違うのだが、元々きつきつだったのに聖騎士が一人裏切ったため、王都の防衛はギリギリだった。
アーヴィンドを中心に残る聖騎士が奮闘しているから保っているが、今だれかが抜ければ崩壊する。
「ちっ!」
「苛立っているな!? いい気味だ! 何もできまい! 自分の無力感を味わって死んでいくがいい!」
俊也が叫び、重い一撃を加えてくる。
それを受け止めたが、明乃が素早く俺の横に回り込んで掌底を食らわせてきた。
思わず反撃しそうになり、思いとどまったせいでまともに食らってしまった。
ゴロゴロと転がり、俺は口の端から流れた血をぬぐう。
「厄介な組み合わせだ……」
今できる手でどう崩すべきか。
正攻法じゃ無理だ。
上手くこいつを誘い出し、一時的に聖騎士たちと連携してみるか。
いやそんな安直な手には乗らないだろう。
妙案がまったく思いつかない中、王都に悲鳴が響き渡った。
兵士たちの悲鳴だ。
「ふっ……第二陣が来たみたいだな」
「第二陣だと!?」
見ればまたカリムが召喚獣を召喚していた。
数は十体ほどだが、どれもデカい。今、この戦況で投入されたら戦線が崩れる。
「終わりだ」
そう俊也が宣言すると、明乃が俺に両手を向ける。
デカい魔術を撃つつもりだ。そして俊也はそれを吸収している隙をつくだろう。
防ぐなら先んじて明乃を攻撃する必要がある。
だが、強力な瞳術で操られている明乃には生半可な攻撃は意味ないだろう。
やるならば殺す気でやるしかない。
迷いが生じた。葛藤といってもいい。この明乃は俺が守ることの出来なかった明乃だ。それを俺が殺す? 今度こそ救ってやらなきゃいけない相手だ。
そんなことしていいはずがない。
迷いは致命的な空白を生んだ。
覚悟ができないまま、俺は完全に気を逸した。
「極陽の矢は東天より昇り、全天を照らす。滅魔の炎、清浄なる光」
まずい。そうは思っても動くわけにはいかない。あのレベルの魔術を躱せば俺の後ろにいる騎士たちは間違いなく吹き飛ぶ。
それはそれで致命的だ。
完全に詰まされた。わかっていながら俺は吸収するために鞘を出す。
どれだけ追い詰められても。
俺は明乃を殺す覚悟ができなかった。
「情けないな……」
呟きは誰にも拾われないはずだった。
だが拾うものがいた。
「まったくです! しっかりしてください!」
慣れ親しんだ声が俺を叱咤する。
同時にその人物は俺の目の前に立つと両手を明乃へと向けた。
そして向こう以上の早さで詠唱し、後だしで向こうへ追い付いた。
「「天涯まで届くその陽はすべてに恩恵を与え、すべてに天罰を与える。不遜を承知で我はその矢を放たん! ―天羽々矢―!!」」」
神炎と神炎がぶつかり合う。
巨大な炎の矢は上空へと登っていき、やがて互いを食い合って消滅した。
「明乃……?」
「驚きました……。天羽々矢まで使うってことは本当に私なんですね。ドッペルゲンガーに会ったらこんな気分かもしれません」
「お前、どうやって……」
「飛んできました」
「いや飛空艦は壊されてたはずだぞ……?」
「この国の飛空艦はそうですね。だから私の国の飛空艦で来ました」
「なにぃ?」
「あなたは日本人のようですがご存知ありませんでしたか? 我が国は恩義を忘れません」
そう明乃が言ったと同時に空に巨大な飛空艦が現れた。さきほどまでは幻術を使っていたらしい。戦闘に夢中でまったく気づかなかった。
それはこの場にいる全員がそのようで、全員が驚きで空を見上げている。
王室座乗艦を庇うようにして前に出たその飛空艦にはためくのは日の丸だ。
「お待たせしました。援軍ですよ。斗真さん」
明乃は俺に向かって微笑む。
しかし、人間とは違う召喚獣たちは動きを止めていない。
隙だらけの明乃を狙い、一体の四足型の召喚獣が明乃に襲い掛かる。
だが、その召喚獣は明乃に届く前に細切れにされた。
「危ないわよ。明乃。あんまり油断してちゃ駄目よ?」
「はい、ありがとうございます」
そう言って明乃が礼を言ったのは長い黒髪の少女。
長い太刀を持ち、鋭い眼光で周囲を牽制する。
「柚葉まで……」
「あら? 私じゃ不満だったかしら?」
「いや……そんなことはない。助かった」
「あら? 意外に素直なのね。助けなんていらなかったって言うかと思ったわ」
クスクスと柚葉は笑う。
そんな柚葉に続いて続々と魔術師たちが降りてきた。
どいつもこいつも一目で手練れとわかるレベルの魔術師だ。
「魔物退治は私たちの専売特許。四名家の精鋭百名。今から助太刀するわ」
柚葉の言葉を皮切りに降りてきた魔術師たちが猛威を振るう召喚獣たちと交戦を開始したのだった。