プロローグ2
「私のワガママを聞いてくれてありがと……。大好きだよ……」
しばらくして、聞こえるか聞こえないか分からないぐらい小さな声でそう言ってきた紗夜。
ただ胸の中で顔を埋めてるため、喋るために息が当たってきたらこそ、そのことに気付くことが出来た。
独り言とも取れるその呟きに一瞬悩んだけれど、なんとなく答えなきゃいけない気がした俺は、紗夜の頭を一撫でしてーー。
「それも俺もだよ。好きだ」
素直な気持ちを伝える。
「えへへ」と紗夜は笑みを溢し、そのまま俺を今までより強く抱き締めてくる。
それだけで幸せなんだと思う。
けれど、俺の中ではまだ一つだけ解決してないことがある。
今ではもうきっと解決しないことなのだが、それでもなんとかしてあの人の気持ちを知りたいと思ってしまう。
紗夜のことはもちろん好きなのだが……あの人と比べると間違いなく気持ち的には上になっているけれど……それでもやっぱりーー。
「お姉ちゃんのこと考えてるでしょ?」
「……ッ」
紗夜の呟いた一言に息が一瞬詰まってしまう。
すぐに返答出来ない時点で、そのことが正解だと言っているようなものだったが、紗夜のことを思い、俺は誤魔化すことにした。
「え? いや、なんでだよ」
「バレバレだし……」
「考えてないって……」
「ふーん……別にいいんだけどね……」
顔を上げて、俺の顔をジッと見つめてくる紗夜。
怒ってるような、それとも寂しそうな、その両方が入り混じり、どちらが感情的に上なのか分からない表情をしていた。
「怒ってる?」
「怒ってるよ」
「素直だな」
「『素直になれ』って勇くんの口癖じゃん」
「その通りだけどさ。彩綾のこと考えてごめん」
「……そのことに対して怒ってるんじゃないよ」
「え?」
「別に私はお姉ちゃんのことに対して怒ってるわけじゃないもん」
「じゃあ何に対して怒ってんの?」
「最初から素直に言ってくれないから」
「ああ……そっちか。今の雰囲気を壊したから怒ったのかなって思った」
「いつまでも子供じゃないんだから、そんなことで怒ったりしないもん。っていうか、そのことで私が怒ると思うんだったら、あれを先になんとかすべきだと思うんだけど?」
紗夜はベッドから出ると、本棚の一角に飾ってある一つの写真立てを手に取り、見せつけてくる。
その写真に写っているのは紗夜の姉である彩綾。
双子ではないけれど、二人はよく似ており、お互いを知っている人が見れば見間違えることは間違いないレベルだ。
現在では見間違われること自体ないのだが……。
「それもそうか」
「というか私はお姉ちゃんに感謝してるし、勇くんがお姉ちゃんのこと気になってるのは昔から知ってるから、別に気にしていないし」
「お、おう……そうか……」
「それに今回のこれもお姉ちゃんとの約束の一つでもあるし……。だからこそ同棲に踏み切ろうと思ったの」
「は? 彩綾との約束?」
「そうだよ。だから同棲しようと思って行動したし、だから両親も認めてくれたんじゃないかな?」
「……あれか? 時間差手紙ってやつか?」
「そうそう」
「その手紙は?」
「家にあるよ。勇くんのことが書かれてあったら持ってきてたかもだけど、何も書かれてなかったから持ってこなかった」
「ふーん」
「その代わり、違うものを持ってきたんだ。一応、これも約束だったからさ」
そう言って、紗夜は壁際に寄せてあった旅行バックに近寄り、中身をあさり始める。
同時に寒さを感じたらしく、上着を羽織り、しばらくガサゴソとした後、一冊の本を取り出す。
その本を両手で持つと、表紙を見せつけてくる。
「ダイアリー……? 日記帳?」
「うん。勇くんにも見せていいって昔に許可もらってたの手紙で思い出したんだ。たぶん、そういう意味も含めて、あの手紙は送られてきたんだと思う」
「……彩綾のことだから、そこまで考えてそうだな」
「お姉ちゃんだからねぇ……」
「見てもいい?」
「うん、どうぞ」
そう言って、ベッドまで寄ってきた紗夜は日記帳を差し出す。
それをなんとなく両手で受け取ると、表紙をまじまじと見る。
表紙には英語でダイアリーと三年前の日付が書かれてあるだけで、他には何も書かれていない。逆にそれが不安を煽ってきているようで、思わずゴクリと喉を鳴らす。
何も言わないけれど、紗夜は再びベッドの上に座ると身体をくっつけてくる。まるでその不安を感じ取り、「大丈夫だよ」と言わんばかりに。
だからこそ、俺はペラペラとページをめくる。
そして、初めて書かれたページに辿り着く。
その日は俺と彩綾が初めて出会った日のことが書かれてあった。
「完全に仕組んだ書き始めじゃんかよ」
「私のお姉ちゃんですから」
「そんな無駄な説得力はどうなのよ」
「でも、それ以外何も言えなくない?」
「その通りだから困るけどさ」
「もう大丈夫みたいだね。じゃあ、私は朝食兼昼食の用意をするから、ゆっくり見てて」
「手伝おうか?」
「ううん、いらない。お姉ちゃんとの想い出、ゆっくり思い出してあげて。今日と明日は特にね」
「……そっか。分かった」
俺の言葉を最後まで聞かずに、紗夜はベッドから降りて、キッチンの方へ向かって行った。
今日と明日という大切な日を忘れたわけではなかったが、紗夜に気を使わせたことに対し、少しだけ罪悪感が生まれた。
しかし、紗夜の気持ちを素直に受け取り、日記帳を再びを見る。
女性特有の綺麗な文字。
それは懐かしい文字。
同時にその日のことが頭の中で勝手に脳内再生され始める。
思い出すなんて表現がおこがましいほど、鮮明にーー。