朝靄の静かな思い
「う~ん…… シルク、はっ……」
瞼を開ける、まばゆい光と虚空に伸ばした手が見える。気が付けば朝になっていた。失われた魔力も元に戻っている。体のだるさも取れて気持ちの良い朝だ。
「おっ、やっと起きたのか、」
部屋にコーシュがやってくる、黒い髪を束ねた彼女はエプロン姿を身に纏いとても可愛らしかった。
鼻孔を通じて感じる匂いにお腹がグゥと景気の良い音をたてた。そういえば昨日から何も食べていなかったもんな……
「朝食を作っておった所じゃ、ほれ、さっさとその寝ぼけた顔を洗ってこい」
言われるがままに起き上がり、まだ疲労感の残る体に気合いを入れながら、水場へと向かう。
「うっ、寒いなぁ」
外は肌寒い雨の香りが充満していた。そういえば昨晩は嵐だったか、その残り雨がまだ降り続けているのだろう。顔を洗い、気分もしゃっきりとする。部屋に戻ると、充満する美味しそうな匂いと共に、色取り取りの食事が用意されていた。テーブルに座り、パクリと口にいれる。
「美味しい……」
「じゃろうて、童の作った物じゃからな」
箸が止まらず次々に口に放り込む、豆を煮こんだ料理が美味しい。その後も、しばらくの間、暖かな食事を楽しんだ。
「ふぅ~ 食った食った。ごちそうさまでした」
「お粗末様じゃ」
お腹を支えて充足感に浸る。そういや、結局シトラスの姿が何処にも見当たらないな……
「所でシトラスが見えないんだけど。彼女は何処に行ったかしらない?」
「あやつなら、先に朝食を頂いた後に裏の林の奥に入っていったぞ。腰に双剣を掲げておったから。鍛錬か何かじゃろうが。少し思いつめた顔をしていた。昨日の事、堪えたのかも知れないな」
完敗だったしな。二人がかりなら何とかなるだろうと油断していた所もある。俺達が甘かった、
「そういやお主、昨夜、不思議な夢を見ていたな。寝言がこちらまで聞こえて来ていたぞ」
「えっ? そうだったの」
「あぁ、シルクという名前は聞こえた。お主、一体どんな夢を見ていたんじゃ?」
「あ、あぁ ちょっと覚えていないんだ。確かに不思議な夢を見たような気はしたんだけど。もう忘れてしまったかな、アハハハ」
「そうか、いや、気にする出ない。昔、何処かでその名を聞いた事があると思ったまでじゃ」
そういやコーシュは長寿の者だったな。
「ねぇ、コーシュ、少しおかしい事を聞いても良いかな」
「ん?なんじゃ?」
「聖龍山脈って知っている?」
「聖龍山脈、あぁ、その名は知っているぞ 断崖絶壁に囲まれた。人が立ち入る事の出来ない三回の地。フレアドラゴンの住処となっており、その地に踏み入れた者は全員奴の餌になるとな。そんな大地がどうかしたのか?」
「いや、ちょっと。もしもの話だけど、そこに行くにはどうしたら良いかって知ってたりするかな?」
「本当におかしな事を聞く奴じゃな。何か踏みいる理由でもあるのか?」
「少し気になっただけさ、未開の土地と聞くとどんな所なのか興味が沸いてくるものだろう」
「ふむ、通常の手段ではまず行けない地じゃからのう。断崖絶壁の山々を超えなければ行けないし、もし登る事が出来たとしても、そこにはフレアドラゴンがいるからのう。奴らを撃退出来る腕があれば、もしかしたら行けるかもしれないが」
フレアドラゴンか…… S級クラスの魔物だ。今の俺達では逆立ちした所で勝ち目はない。今すぐに聖龍山脈に向かうのは無理だな。
「もし踏み入る事ができたら。開拓者として歴史に名を刻むじゃろうな、だがお主の目的はそんな事ではないじゃろう? この話はお仕舞いじゃ」
「ありがとう、じゃあ俺はシトラスを迎えに行ってくるよ」
「おぅ、外はまだ寒いからの、気を付けていくのじゃよ」
部屋から出てシトラスを迎えに行く。
肌寒い雨の香りが体を突き抜けてくる。静寂な中。風切り音が聞こえる方へ足を運ぶと。栗色の少女が一心無乱に剣を振っていた。
俺は近くに腰掛け、彼女の動作を見守っていた。一振り一振りに、思考をたぐらせ、「もっと早く、もっと鋭く」小声でそんな事を呟きながら。彼女は剣を振り続ける。その表情は真剣で、凄く凛々しく見えた。
やがて霧が晴れ。朝の光りが差し込んでくる。剣に纏いし水滴が宙に舞い、小さな虹を作り出している。数百を超えた辺りで、彼女は鍛錬をやめる、鞘に収め、額についた汗を拭き取ると、ようやくこちらの存在に気付いた。
「あら、ヒロじゃない」
「おはよう、シトラス」
「おはよう、全然気づかなかったわ。ずっと見ていたのね」
「うん、余りに格好いいからつい見惚れてたよ」
「もぅ、口が上手いわね」
「鍛錬をしているのは毎日の事だったけど、今日はいつもより気合が入っているように見えたよ」
「そうね、気合が入るのも当然かもしれないわ…… 昨日の死闘の後ですもの」
顔をしかめるシトラス、昨日の事を思い返しているのだろう。拳に力が入る。
「隣、行ってもいいかしら?」
「どうぞ」
隣の小岩に腰掛けるシトラス。彼女はしばらく空を見上げていた。俺も一緒に空を見上げる。
「今日は寒いね、ヒロ」
「あぁ、そうだね さっきまで雨も降っていたし、まだ朝方だからね」
「でも、この寒さが、生きているって実感をくれる……」
「うん」
「そう、私は、まだ生きている。ヒロ、貴方のお陰よ、これで3度目かしらね…… 貴方に助けられたのは」
「ふふっ、
「私、甘かった。ある程度は戦えると思っていたのに。結局あのざまだった」
俺もそう思っていた。シトラスは強い。フェルは規格外だとしても、彼女も引けを取らない程には強い。でも、上には上が居た。あれ程までの凄さと強さは見たことがない。剣帝の名は想像以上だった。本当に、こうして生き延びている事が奇跡のようなものだ。
「私は、やっぱり強くならないといけない。ガイウスとの戦いで思い知ったわ。手も足も出なかった。ヒロの力を借りても、到底勝てる相手じゃなかった」
「私は、弱い、お父様からは、才能があると褒められたけど。そうとは思わなかった。出来ない事の方が多かったし。必死になって修練したわ。何時もくじけそうになったけど。お父様の期待に応えたくて、私はガムシャラに頑張ったのに……」
彼女の声色が震え、拳をギュゥっと握り締める。本当に悔しそうに。
「何も出来ない自分が嫌だった。だから私は旅に出た。弱い自分を変える為に、もっと強くなるために、剣の腕は見違える程に上がった。ヒロ逹と出会って。フェルとの稽古にも遅れは取らなかった。だから、慢心していたわ。私は強くなったって」
「シトラスは十分に強いよ。一番傍で見ていた俺がそう思ってる」
「ううん、そんなことはない、私は何時も後先考えずに突っ走って。危険な目に会ったりもした。もう少しで死ぬかもしれない事態陥ったのに、それでも私は突っ走ることしかできなかった。悔しかったわ。本質的には何も変わっていない。結局私は、昔の弱い私のままなんだって」
「シトラス……」
「ヒロ、貴方は凄い。あの剣帝からも逃げ延びるし」
そうじゃないんだ、俺だって、凄くない 俺がラカの町で心が折れそうになった時に、助けてくれたのは君のお陰だ。
「今回君を救ったのは、俺じゃないんだ。君を助けたのはシルク。俺がよく話していた天使の子。あいつが俺の身体を使って。あの場から逃がしてくれたんだ」
「どういう事?」
俺はシトラスに打ち明ける。あの時何があったのかを。俺が転生者という事は伏せながら。シルクが今どんな状況にあるのかも話した…… それをシトラスは、ただ黙って聞いてくれた。
「つまり、アタシとヒロが出会ったのはそのシルクって子のおかげで、彼女はヒロを導いて救い出してもらいたいのね……」
「あぁ、彼女は、箱庭から抜け出したがっている。」
「ヒロは、どうしたいの?」
「もちろん、彼女を助けたいと思っている。君と巡り合わせてくれた事。俺が転移させられても希望を捨てずに頑張ってこれたのは、彼女のお陰だから……」
「そうなのね、私は会ったことないけど。でも、きっとかわいい子なんでしょうね」
「どうしてそう思うのかな?」
「だってヒロってすぐ目移りするタイプでしょ。可愛い子を見つけたらすぐそっちに目線行くもんね。私知ってるよ?」
おもわぬ所から不意打ちを食らう。俺そんなに見境なしだったかなぁ……
「っで?可愛いの?」
「凄く可愛いです」
「それって、私とどっちが可愛いかな? 答えて?
なんだかシトラスが怖いぞ……
「それは、いや、決めれないよ。二人とも可愛いし優劣はつけれないよ」
「はぐらかされた、ねぇヒロ、一つ忠告をしておくわ。余り色んな子にツバをつけるのは良い事ではないと思うわ」
「ツバをつけてるつもりはないんだけど……」
「ユイシスだってそうでしょう。貴方があれだけ得意げにニヤニヤした顔で話していたんだから…… はぁ、このぶんだと。あの時に言ってくれた愛の誓いは嘘だったって事かしらねぇ」
「そ、それは違う。君を愛しているのは本当だ、その気持ちは本物だ」
「まあ、今はその言葉が聞けただけで許してあげるわ。さて、そろそろ戻りましょうかね。もう出発するの?」
「うん、そうしようと思ってるよ。何時までもコーシュにお世話になるのも申し訳ないからさ、シトラスの体が大丈夫なら行こうと思うよ」
「そうね、私も、頗る元気だわ」
「じゃあ、戻ろうか」
「うん…… ねぇ、ヒロ」
「何?」
「強くなろうね、二人で一緒に……」
「そうだね、強くなろう……」
自分の中にある大切な人達を守る為に……
帰路につき、コーシュに別れの挨拶を良いに戻る。
「じゃあ、そろそろ行くよ」
「なんじゃ?もう出発するのか、もう少し留まっておっても童は構わないのじゃがのう」
「そうも言ってられないよ。俺達には目的があるからね、あぁ、それから、コーシュには本当に感謝しないといけないよ。シトラスを助けてくれた事をさ」
「あれくらいどうってことない。お礼を払ってくれるなら。何時でも良いぞ。それとも、快楽目的でもう一度してみるか?」
舌舐めずりをするコーシュ、あの魔力を根こそぎ持って行かれる感覚、息苦しく。頭が働かなくなる感覚。正直癖になりそうだったが、俺の身体が持たないだろう。それに、彼女に対しても申し訳ない。
「だっ、駄目よ! そんな事させないわよ」
「冗談じゃて、そう焦るなシトラスよ。可愛い顔が真っ赤になっておるぞ」
「ッッ」
リンゴのように顔を紅く染めるシトラス。そして、なよなよと俺の袖口を掴んでくる。
「それなら、私がしてあげるから」
小さく、くちごもるように、俺の理性を一瞬で吹き飛ばす程の発言をするシトラス。
「そ、そういう訳だから、遠慮しておくよ……」
「なんじゃ、しょうのないやつじゃ」
コーシュがガッカリとした表情をする。
「ザオウについたら姉によろしく言っといてくれ」
「お姉さんか、コーシュの姉っていうと、ちょっと」
「童と違って、気品のある立派なお方じゃ。サリーの弟子となれば悪いようにはしないじゃろうて。じゃが、もう何年も会ってないからの、気分を害しておるかもしれん。まぁ、会ったらよろしく伝えておいてくれ。童も元気にしてるとな」
コーシュに別れを告げ、深緑に囲まれた森の中を進む俺達。向かうはザオウ、そこまでの行く道にどんな障害が待ち受けているのか…… だけど歩みを止める気はない。どんな道でも、困難が訪れても、目的を果たす為に進み続けるだけなのだから……
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