船上のセレナーデ
霧に包まれたまだ日が昇り切ってない時間。船頭に立って海を眺める。涼しげな風が磯の香りを運び、波打つ水が頬を伝っていく。冷たさと、何処か安心する香り。空を舞うは白鳥のような見た目をしたニワクイドリの大群。彼らは船と同じ方角に集団で行動し、時折空に大きな絵を描いていた。鳥たちの行進を見つつ、俺は手をかざし。魔力を集中させ詠唱を行う。
「大気に潜む嘆きの水よ。無数の風を纏い。天を切り裂き荒れ狂う竜巻となりて、刃向かう障害を打ち滅ぼせ!コーラルブレイク!!
空が黒く覆われる。遠く離れた何もない海の中。水の渦が音を立てて昇っていく。やがてその渦は雲を突き抜け。霧の空を切り裂いた。
水属性と風属性を合わせた混合聖級魔法。 コーラルブレイク
やはり聖級魔法は規模が違う。竜巻のような風は敵味方問わず薙ぎ払うだろう。これは余り使ってはいけない魔法だなと思った。
「ふんっ。少しは様になったようだな」
横に立つは魔導士レックス・ウィンベルク。彼は荒れ狂う嵐を見ながら少し怪訝な顔をした。この魔法も彼から教わった。
この船に乗ってから俺はレックスに何度も教えて貰おうとした。家の事を褒め。賞賛し。土下座もした。最初は断る!と言ってすぐ立ち去って行ったのだが。何度もお願いするうちにやっと教えてもらう事が出来た。ただし、交換条件付きだったが。
「私が貴様に聖級魔法を教えてやる変わりに、貴様は私に無詠唱のやり方を教えろ。そしたら教えてやる」
そんな交換条件を出されて俺は快く引き受けた。レックスはやはり天才だった。無詠唱魔法を、簡単に覚えてしまったからだ。俺ですら結構苦労したのに。彼はコツをつかむとすぐさまこなせるようになっていた。
彼とは魔法を教わりながら色々と話しをした。同じ魔導士同士。やはり話が通じる所もあった。時にはケンカをしたり。何方の魔法が上か勝負したりもしたが。おかげで今は気軽に話せる仲にまでなった。少し口は悪い所はあるけれど。
「威力。規模。魔法の質。どれをとっても貴様は申し分ない。だが!」
レックスが手をかざす。コーラルブレイクに同じ技をぶつける。無詠唱での彼
の魔法が。嵐の渦を掻き消していく。そこで見えた景色は、天に架かる七色の橋だった。
「自惚れるなよ。まだ私には遠く及ばないのだからな」
レックスは自身の手を見つめながら。手ごたえを感じたかのようにグッと握りしめていた。
「しかし、無詠唱は難しい物だと思っていたがな。ふっ、いざやってみたら何てことはない。これなら聖級魔法を覚える方がよっぽど難しかった。まぁ仕方のない事かもしれん。魔導士というものは理屈屋が多い。貴様みたいな感覚で魔法を使う等。他の魔導士には理解できないだろう。それが出来るのも、私が天才である他ならないのだが」
「そうですか。じゃあ俺は、シトラスの様子を見に行きますね。彼女まだ具合悪いかも知れないですから」
「ふんっ…… この程度で体調を崩すなど。フリルドの者も軟弱なようだ。」
その時。小さな波が押し寄せ。船がグワンっと揺れる。レックスはその揺れで顔をしかめ口元を抑えていた。
「!!!」
「貴方もそこまで強くないんだから大人しくしてた方が……」
「だ、だまれぇ…… グッ…」
「っと、それより今の揺れでシトラスの方が心配だ。じゃあレックス。俺はもう行きますね」
「この薄情ものがああ」
レックスの事は放っておくとして。俺は彼女の様子が気がかりだった。
「さてと、様子はどうなってるかな?」
船内にある休憩室のドアをノックする。中から返事は聞こえない。まだ寝ているのか? 俺はドアを開き。数あるベッドの中の一つ。毛布にくるまれ、盛り上がっている毛布を少しずらす、柔らかそうな顔がスヤスヤと音をたてて寝息を立てている。
「良かった。今日は調子が良いんだな」
船に乗ってかなりの日数が経過していた。船に揺られながら潮風を感じる船旅は、まだ残っていた少年心を揺さぶり、興奮と期待を胸いっぱいに広げさせていた。それはもちろんシトラスも同じであった。だが。
「気持ち悪い……」
そう、彼女は船酔いしやすい体質だった。一日中ダウンしている事はない。精々日の内の数時間たつと彼女は顔色を悪くし、うずくまるようになっていた。俺はシトラスの看病をしつつ、治療魔法をかけ続けている。 これを機にレックスに解毒魔法を教わろうとしたんだけど。
「船酔いに聞く魔法なぞない。このくらいの揺れでどうにかなるなんて軟弱な奴だ」
と一掃されてしまった。幸い治療魔法をかけてやると、少しだけ気が楽になるとシトラスは言っていた。だからダウンしてる間は、つきっきりで見てやる必要があった。
正直な所聖級魔法をさらに覚えたい気はあったけど。シトラスの事も見てやらないといけないし。そうそう何個も聖級魔法を覚えるのは無理があった。適正がある属性は良いとして。適正が普通の火の魔法は、思った通りの形にはいかないからだ。
まだラインハルトに着くには時間がかかる。掌で魔力をコネコネとしながら。シトラスの頭に手をやり、治療魔法をかけ続けながら看病する事にした。
何時も元気なシトラスが、事さら船の上だと弱ってしまう。何時も強気に元気だったから気付かなかったが。彼女は弱ってしまうとその反動なのか。凄い弱々しい発言をするようになる。
この前も。俺がそばを離れようとすると。袖口をギュっと掴みながら「行かないで」とかぼそい声で。子犬のようにウルウルと見つめてくるのだから。俺としても離れる訳にはいかなかった。そんなシトラスに心を打たれつつ。少しでも安心していられるように。俺は傍に居続けていた。
さて、そんな船酔いで弱っているお姫様は、可愛らしい寝顔を曝け出した後。夢見心地な状態のまま、少し遅い起床をする。
「ヒロ…… おはよう」
「おはよう、シトラス。調子はどうだい?」
「えぇ… 今日は大分調子が良いわ。」
「それは良い事だ。せっかくの船旅だ。何時までも寝たきりだと勿体ないよ」
「そうね、そろそろ慣れないとね。ありがとうねヒロ。毎日付き添ってくれて。ヒロも疲れてると思うのに。私がこのざまだから」
確かに疲れはある。体はだるいし先日なんて目の隈がくっきりと残っていた。だけど、シトラスに比べれば。この程度蚊に刺されたような物だ。大して苦労はしていない。
「そんなことはないさ。シトラスの傍に居てやれるだけ、俺も役得見たいな所もあるしね」
「ふふっ…… それなら、さらに甘えさせてもらうわ、ヒロ。私を起こして」
手を差し伸べるシトラス。やれやれ、困ったお姫様だ。
甲板に躍り出る。シトラスは海を見つめ大きく背伸びをした。晴天の光を浴びた彼女の濃い栗色の髪が波風によりふわりと揺れる。彼女は、海の景色を恋焦がれる乙女のような表情で覗いた後。瞼を伏せ。歌を口ずさむ。声色に合わせ。波音が。風が。船の揺れが。空を飛ぶ鳥が。まるでオーケストラのように音を奏でる。その演奏に聞きほれながら。俺は静かに聞いていた。
のどかな波音が鳴る。俺達は二人一緒に、船旅を満喫する。潮風を浴びながら。踊り。歌い。自由に出来なかった分まではしゃぎつくす。永遠に続くかと思われる時間も。夕日が沈みかけ。海が黄金の色に染まる時。俺はシトラスに。意を決して伝える。
「この船を降りた先の話をしよう」
「えぇ」
「俺は、ラインハルトに着いたらユイとサリーを探す」
「場所は分かってるの?」
「場所は分からない。もしかしたらグランスバニアに戻ってるかも知れないし。何処か連絡のつかない所に居るかも知れない…… でも、俺はラインハルト中を回って。必ず探し出して見せる」
「そう、そしたら。この二人の時間も終わり。私達の旅も終わってしまうのね……」
シトラスが遠くを見つめる。もう俺達の思いは通じ合っている。ユイとサリーを見つけたら。俺はグランスバニアに戻る。そして、シトラスは剣の聖地に行く。俺達の旅は、ここラインハルトで終わりを告げる。
「俺は、シトラス。君が好きだ」
「私も、好き……」
「ありがとう。本当なら別れたくなんかない。ずっと旅を続けていたい。君と何時までもだ。それも一つの本心だ」
押し寄せる感情を抑えながら言葉を紡ぐ
「でも、それは出来ない。俺は家族と再会する。グランスバニアに戻らなければ行けない。シトラス。君の夢は?」
「世界一の剣士になる事。その為には、剣の聖地に行かなきゃいけない。そこで。私の剣技を極める」
「そう、君にも、俺にも。別々の目標がある。それを否定する事は出来ないし。君の夢を捨てさせてまで俺と居てくれなんて言えない。俺も君の夢を叶えてもらいたい。だから。俺達の旅はここで終わる。でも、何時か別れが来るその時まで、君を愛させてくれないか……」
「ヒロッ!」
シトラスを抱き寄せる。小さな体が胸に収まる。
「何時の間にか。私よりも大きくなっていたのね」
彼女は胸の中で。思いの丈を吐き出すように涙を流す。そして、俺を見つめながら小さな声でそっと呟いた。
「愛して。束の間の幸せでも良い。何時か私達の旅が終わるその時まで。私の全てを。ヒロ、貴方に捧げます」
俺は彼女を見つめ返す。意志の強い黄色の瞳の中に、自分の姿を確認する。彼女が目をつむり、俺に全てを委ねてきた。まばゆい夕日の中。二人の影が重なる。波の音は静かに揺れ、空を飛ぶ一羽の鳥が鳴いた。それは俺達を祝福しているようだった。
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「人目もはばからずふしだらな奴だ。もうちょっと周りを気にしたらどうなんだ変態魔導士よ」
何やら余計な単語がつけられている。
「こっそり見ていたレックスも変態だと思うのだが……」
「あんな所に居たら誰だって目に着くだろう。まったく、色恋に現を抜かすとはな」
「そう言って。ただ単に羨ましいだけじゃないのか?」
「馬鹿を言え。一人だけしか振り向かせられないお前と違って。私はこの美貌と才能。そしてウィンベルクの名に置いて。数多の女性から私は求婚を求められた事もある」
「でも、結婚はしてないんだな」
「当然、私の伴侶となる者だ。相応しい人でないと行けない。私よりも美貌がある者か。あるいは私と同じくらいの魔法を使える者でないと話にならんな」
それは、ちょっと厳しいのではないかな?
そもそもレックスの腕は間違いなく天才だ、それに追いすがる魔導士って居るのかなぁ。いや、世界には居るかも知れない……
「さて、船旅もそろそろ終わりだ。この旅は不本意だが有意義な物だった。無詠唱を覚えた私にもはや敵は居ない。どんな障害だろうとも乗り越えられる力を手に入れた。それに比べ、貴様は聖級は二種までしか覚える事が出来なかったな。残念だな」
そう、俺が覚えた聖級魔法は二つ。一つは水の嵐を巻き起こし。空を切り裂くコーラルブレイク。
もう一つは、これは使うかどうかは分からないけど。土魔法で、自由に形を形成し、それに自分の持てる魔力で操作を行う魔法、自動立体岩石兵。ゴーレムの魔法だ。
「本当は、蒼い炎を使ってみたかったんだけどね」
「ふんっ 貴様の適正ランクじゃあ、私の炎を覚えるにはこの船旅では時間がかかりすぎる。貴様は、他の属性があるからそれを伸ばした方が良い」
とのことで、蒼い炎は覚える事は叶わなかった。しかし、聖級魔法を2種も取得できたのは、本当に唯意義な者となった。これからもどんどんと使い込み力を成長させていこう。
「ありがとうね、レックス。教えてくれて」
「まったくだ、私が誰かの為に教えるなぞ本当にない事なのだからな。今回は貴様が無詠唱を私に教えたから教えてやったまでだ。末代まで感謝するんだな……」
「あぁ、なぁ、レックス。貴方はここを降りたら何処に行くんだ?もしよかったら一緒に行動しないか?同じ魔導士が居てくれると何かと心強いし」
「生憎だが私は誰かと行動を共にしない主義でな。それに私は行く所がある。大陸の西側。クダルフィオラ魔法都市に出向く事になっている。そこでウィンベルクの名の元。聖級魔法の講師をする事になっているのだ」
「魔法都市かぁ。そんな所があるんだな」
「何だ知らないのか貴様? グランスバニアにも魔法都市はあるのだぞ? 名をエルテンというがな」
「それは知らなかったよ……」
サリーはそんな事教えてくれなかったなぁ、そういう所があるんなら。是非一度行ってみたかった。
「クダルフィオラに比べれば。エルテンは粗末な所だ。あそこは魔法を覚えたての魔導士が旅に出ても良いように通う所。本格的な魔法訓練はクダルフィオラで無ければ務まらん。貴様の師匠である。確か、狐族の者だったな。そいつが師匠ならわざわざエルテンに通わなくても良いだろう。あそこは中級までの魔法しか扱わん」
なるほどそういう事か。確かに師匠の腕であれば初心者用の所にはいかなくても済むもんな
「私は船を降りた後そのままクダルフィオラに向かう。貴様らはどうするのだ?」
「俺達は、情報を集めてから居るよ。狐族の村が何処にあるのか見つけないと行けないからね」
「分かった。では次会う時は、さらなる力を身に着けておくのだな。貴様は、私程ではないが将来性のある魔導士だ。ゆくゆくはウィンベルクの復権の為に力を使ってもらうかもしれん。それを置いても私に名を覚えられたのだ。それが次に合った時に何も成長してないとしたら。私の眼が腐っていた事になる。精進するのだぞ。魔導士ヒロ」
「分かったよ。レックスに負けないようにちゃんと聖級を全部覚えて見せるさ。もしかしたら超級まで覚えるかも知れないよ」
「それはあり得ないな。貴様が覚えるより先に、私が覚えるからだ」
「ふふっ。じゃあ楽しみにしてるよ」
俺はその場を去る。思えば同じ魔導士でライバルと言える人物なんて居なかったから。こういう風に知り合えたのは嬉しい事でもあった。
翌日。身支度を整え甲板に出る。海の空は晴れやかで。船旅の終わりを感じていた。
「着いたわね」
「あぁ」
陸地が見える。ラインハルト大陸に到着する。ここでやる事はただひとつ、サリーとユイシスを見つける事だ。
船を降り。港町に躍り出る。モールガの町と変わらない程。人が溢れ、賑わっていた。たくさんの人が交差する中。俺はあるものを見つける。
「あれは!?」
人混みの中に確かに見えた。ぴょこんと飛び出ている耳の様な物。それはサリーと同じ狐のような耳。この町にサリーが!
「師匠! 師匠!!」
「ちょっとヒロ!? 何処行くのよ」
「今師匠を見かけたんだ。俺は追いかけなきゃいけない」
「ちょ…… ちょっと、待ちなさいよ!」
俺は駆け出す。心臓の音が大きくなる。焦燥感が大きくなる。人混みをかき分けていく。先程見た耳の姿は見当たらない
「何処だ? 何処に居る……」
視界を揺らす。道行く人の波。馬を引き連れる商人。陽気な話をする魔族。甲冑を来た騎士の姿。様々な人混みの中。視界にとらえた狐族の耳の形!
「師匠!」
それは右手の小さな路地に入り姿をくらます。俺は追いかけた。
石造りの道を進み、狐耳をした女性を見つける。
「ウッ!!」
突然。強烈なめまいにより、視界がぐにゃりと歪む。吐き気と動悸が止まらず。カラカラの喉が燃え盛るように熱くなる。思考が歪み。俺は床に倒れた。
「師匠……」
「なんじゃこいつ?童をつけておったと思えば急に倒れおってからに。 ほぅ…… こやつ、中々の魔力を持っておるな。少し興味が出て来たぞ。しょうがないのぅ。こやつを助けてやるとするか」
意識を失う直前。少し子供じみた声が聞こえ、黒い耳が見えたような気がした。




