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61.それぞれの結末


やるべきことがようやく分かった私は、バッグから小箱と本を取り出した。地面にとある陣を描いて、真ん中に彼女の髪をそっと置き、本を片手に(ひざまず)く。

文字を追いながらの長い長い詠唱が中盤に差し掛かった頃、本と彼女の髪が光となって私の周りを渦巻くように踊りだした。それらは珠となり、淡く輝きながらふわりふわりと舞って陣の端々に光を乗せていく。

ここから先の文言は本がなくても解る。光が私を導いてくれていました。

流れるように言の葉を繋ぎだした私のその様子に満足したのか、キーヴァルレインは何らかの呪文を唱えて空間から剣を引き出し、ラドカーンへと向かっていった。


「望まれし者よ。『御霊宿(みたまやど)し』……お願い現れてっ」


陣は光を帯び、詞は祈りを紡ぐ。薄目を開けて前を見やると、ユーコンと同じ神職のローブが見えました。

私は、何とはなしに右手を上げて彼女を触ろうとしました。その手に合わせるように、彼女も左手を上げる。白金の髪を見えない風に揺らす彼女は、その澄んだ空色の瞳を細めて微笑んだ。


『……ありがとう、貴女を貸してくれて。姉さんは私が開放します』


合わさった手のひらから、彼女の意識が流れ込んでくる。ふっと目の前から彼女が消えて、私は意識はあるが身体が動かなくなりました。目は自然とユーコンと緑竜へと向いた。


「ウィリディス」


そんなに大きな声ではなかったのに、緑竜はくるりと身を翻してこちらへ飛んでくる。

駆け出した私……というかフィルさんは、目の前に竜が来る直前にふわりと跳びあがり、緑竜の背へ降りた。


「姉さん……いえ、ユーコン、もう終わりにしましょう」

『……フィル……バート……』

「女っ、邪魔をするなッ!!ユーコン!」


意志の無いはずのユーコンが軋んだ声を出す。それに焦ったのはラドカーンだった。

彼がユーコンに触れて魔力を流すと彼女の黒が膨れ上がり、背の翼から虚無が撒き散らされる。

しかし、フィルさんが緑竜の背に力を送るのに合わせて彼が吠えると、虚無は空へと散っていった。

更に力を送ろうとしたラドカーンをベルナーク様が引き剥がす。

それを見たフィルさんは、私が先ほどから失敗していた術の詞を紡いで流れる光に乗せた。


「『神々の息吹』よ。竜族が意思を伝えたまえ」


私の魔力を使ったフィルさんの意志を乗せた力ある言の葉は、緑竜の羽ばたきに乗って耀く風となり静かに空へと流れ出す。

彼らを中心に緩やかな風はゆっくりと、しかしながら止むことなく広がり続ける。

それは地に流された不浄に触れると、輝きを増して囲いこみ空へと還してゆく。とても幻想的な光景だった。

いつしかユーコンは呆然としたように立ちすくんで彼らを見上げていた。


「ずっとこれを願ってました。私達だけでも、貴女だけでも出来ない事だったから……」

「…………フィル……俺も連れていけ」


虚無が消えていくのを凪いだ眼で見ていたフィルさんに、緑竜が絞り出すような声で嘆願する。


「たとえ封じられても、もうお前のいない世界には残りたくない」

「ディー……私たちは……」

「………分かっている……だが……」


自分の力が無ければ外の結界が消えてしまう。彼はそれを知りながらも、彼女を望んでおりました。

彼の気持ちが痛いほど伝わってきて、じんわり心と目の奥が痛くなった。


『……フィル……バート……』


虚無から解放されたフィルさんに似た彼女は、見上げて呟くだけで何もしなくなった。

その彼女の前にフィルさんは飛び降り、両手を差しだした。無表情の彼女もゆっくりと手を上げ二人が手を合わせて目を閉じたところで、いきなり身体の主導権が私に戻される。

 驚いて目を開けると、フィルさんに良く似た、しかし少しだけ濃い蒼が混じった意識ある瞳と目が合いました。


『……魂を繋ぐ者よ』


フィルさんより少し擦れた低い声は、先ほどまで呟くだけだった人とは思えない理性的なものに思えました。


『我らは元々一つだ。二つの身体を持ってしまったがために力が分かれた』

「ごめんね。私たちにはもう肉体が無いから、同じ血を持つ貴女の力が必要だった」

『我が知るシ族が秘術をお主に託そう。役目より我が妹との時を欲した奴を開放してやるがいい』

「良き風が貴女を護りますように。……ウィリディスに、ごめんなさいと伝えて」


そう言うと、二人の気配は風に乗ってふいと消えてしまいました。私の中にだけ、何か不思議な温かさが残っています。胸に手をやると、白く長い風切羽に白金色の髪が一本、絡んでおりました。


ウオォォォォーーッ!!


竜の、慟哭のような叫びが轟く。

私は緑竜を見上げて両手を広げ、目を閉じた。



同じころ、ヴァイラスは自分の縛りの最たる楔が消えた事に気が付いた。

自身の胸に刻まれた契約の刻印は薄れているが、追加で描かれた制御の影が色濃く契約印を縛っている。

気を逸らした瞬間、オルフェーシュの鋭い突きが左わき腹をかすった。引き戻す際に角度を変えた槍の穂先が肉を抉る。彼女はそれに臆することなくオルフェーシュに剣を向け、死角のハーウッドへ魔法で氷の矢を放った。

一連の流れの後、お互いに距離をとって対峙したが、怪我も瞬時に治す余裕のヴァイラスに対し、肩で荒く息をつくオルフェーシュとハーウッドにそれは無かった。


「召喚契約、解けたんなら、いい加減諦めてくれませんかね」

「ですね。オルさん、俺、柄にヒビ入りました……」

「魔石だけは、残してくださいね。後で作りなおしますから」

「いやいや、今使えるのを貸して下さいよ」


彼らは軽い会話をしながらも手早く治癒を施して備えているが、その動きは鈍い。それぞれに限界を迎えていた。

ヴァイラスは、その見た目に反した力技が主だ。技巧派の彼らには、圧倒的な力の前に先ほどの様な隙を見つける事すら出来ないでいた。結末が読める持久戦に、消耗する神経に、焦りが蓄積していた。


「正念場ですね。流れが変わるまで、頑張りましょう」

「オルさん、期待してますよっ」


息を整えた彼らはお互いを見やり、左右から同時に攻撃を繰り出した。



少し離れた所で闘う彼らとは逆に、こちらで焦る立場になっていたのはラドカーンだった。

長兄の補佐候補としてクルージュへ送られた幼い頃に、フラーウムの念を感知した。それ以来、長い期間をかけて策を講じてベルナークの周りを潰してきた筈だった。彼の周りで一番厄介だと思っていたオルフェーシュも引き剥がせて、古代竜達の護りの力が急速に薄まりこれからというところをオルフェーシュの弟子の小娘に邪魔されたのだ。

今も、苦労して喚び起こしたトアレグの闇を簡単に浄化されてしまった。


「……何故だ」


古の悪竜も、過去の闇も、消された伝説のギ族でさえも強運の元に生まれた彼を消すことが出来ないのか。

次第に押され、傷を増やしながらも憎悪を募らせるラドカーンに、ベルナークも苦い表情をしていた。


「なんでそうまでして俺を憎む?」

「それに理由が必要?」


だからアンタは何も分かってないんだと、ラドカーンは斬りつける。

単純な力だけでも差がある二人だが、虚無の消滅と補助の有無が更に差を広げていた。

あっさりと勝負がついてもおかしくない状態になったはずだったが、ベルナークはそれを良しとしなかった。彼にとって義理とはいえ弟は、そのような存在では無かったのだ。何故このような事になってしまったのか。


「……どうすれば良かったんだよ」

「アンタが死ねば良かったんだっ!!」


理性を無くして我武者羅に斬りつけてくるラドカーンの、両肘の腱を傷つける事で穏便に済まそうとしたベルナークは、ふらりと現れて自分に剣を向けるキーヴァに戸惑いを見せてしまった。


「『キーヴァ』!相打ちになってでもアレを斬れ!!」


キーヴァの赤く濁った眼を見ても、ラドカーンがヴァイラスを呼び寄せるのを見ても、彼には身内を斬り捨てるという選択を選べずにいた。



期せずしてヴァイラスの重圧から解放された二人は、ラドカーンに従うキーヴァに眉をひそめた。

そして、それぞれ現実を飲み込めずにぼんやりしていた私とベルナーク様に、思いきり拳骨を入れる。


「うぎゃぁ!!」「痛ェ!!」

「呆けるのもいい加減にしなさい。まだ終わってないんですよ」


目線をヴァイラスから外さずにたしなめてきた師匠に、ハッとさせられた。

そうだ、まだ終われない。

フィルさんの意識を一時受け入れた事でヴァイラスさん達について多少の知識を貰っていた私は、エリュトロンの言葉を思い出す。そこで、封じに関するとある術を試すべく唱え出しました。

私の目線を追った師匠は、ハーヴとベルナークにラドカーンの抑えを頼み、自分はキーヴァ君へと向き直った。


「ほぅ。お前が澱を浄化した娘か」


歌うような詞のリズムに聞き覚えがあるのか、ヴァイラスは私に目を向けてきました。

彼女には私の狙いが分かったらしい。胸元の契約印が見えるように、少しだけ服をはだけてくれました。応える様に印を組めば、朱色の唇を吊り上げて不敵な笑みを見せる。


「お前に与える自由はこれ一度きりだ。失敗したら命は無いと思え」

「ヴァイラス、止めろッ!」


ラドカーンの声で少しだけ彼女の動きが鈍ったが、本来の契約者では無いのと私の詞が影響しだした為それ以上の妨害が出来ないようだった。ラドカーンはハーヴに圧されてそれ以上こちらに注意を払えない。

私はヴァイラスの前にたどり着く。右手を持ち上げ、そっと彼女の胸元に手を当てる。


「貴女自身もかせからの解放を願って下さい。『封縛』!!」


ぶわっと輝く風を胸元に受けて、ヴァイラスが目を閉じる。

私の手元から彼女の胸元に伝わっていく銀の煌めく糸は、くるくると制御印と契約印に巻き付き絡み始める。次第に印は糸で見えなくなるが、彼女から引き剥がすためには彼女の強い意志も必要だった。


「ヴァイラスさん。もっと願って」


私の声に、彼女の眉間のしわが深くなる。

そう、もっと感じて。自分の中にある翼を持つ者のちからを。


精霊ジンが祝福を持つことばたちよ。翼ある者の自由を縛りし契約を剥がし賜えっ」

「我が身の厄を封ず。『縛』!」

「成就」


彼女の力ある詞を受けて、ぎちりと軋んだ銀の糸に包まる契約印が形を変える。丸い玉のようになったそれを、私が引き継いで手に受けると、パリンと粉々に砕けて跡形も無くなりました。


どちらともなく長い息を吐き、お互いを見やる。

ヴァイラスさんは毒気の抜けた顔をしていました。まさか本当に契約印が消せるとは思ってなかったんでしょうね。


「我らと根本が同じとはいえ、全く異質だな。興味深い」

「お礼ならフィルさんに言って下さいね。彼女が術を知っていたお陰ですから」


私はエリュトロンにヒントを貰ってましたが、恐らくこれも彼女の仕業だったんだと思います。凄いですね、先読み。


「これから師匠がキーヴァ君を解放すると思います。落ち着いたら彼を連れて元の世界に還ってください」

「恩人の願いだ。善処しよう」


そう言うと彼女は腕を組んで傍観の構えをとりました。

いや、手伝ってくれるとは思ってませんでしたが見学とは………。そういう私もヘタレてしゃがみこんで、完全に見学状態なんですけどね。



師匠はキーヴァ君にかけた服従の印を巧く使って、ラドカーンに従わせるフリをさせたようです。

彼の油断を誘って、キーヴァ君自身に召喚者に刻まれる契約印を消させました。

ざっくりと、腹に刻まれた契約印を刺し抜かれて、血をまき散らしながらラドカーンはふらつきました。


「ラド………」

「兄さんは……いつだって、偽善者だ。一族の事も、何もかも」


血を流し過ぎたのか……ラドカーンは膝を折り、両手を地面につけて項垂れた。


「だから、僕という”傷”を、残してやる」

「…………分かった」


覚悟を決めたベルナーク様は、愛用の宝剣に炎を纏わせ彼を苦痛から解放しました。ベルナーク様はそのまま火力を上げて、彼を風に還してあげました。

こうして、解り合えなかった兄弟は、2度と道を交えられない形で幕引きを致したのです。



しばし皆が無言で佇む。

戦闘の気配はとうに消え、気が付けば日も暮れてきております。みんな身も心もボロボロで、すぐさま動く気力もなさそうです。


「終わったか……」

「いえ、あと一つだけあります」


何だ?というみんなの目を順に見ます。私の手元の白い風切羽と糸の様な髪を見て、師匠とメル姐さん、ウィリディスさんは気付いたようでした。


「師匠、ヴァイラスさん、ご協力願います」

「よかろう。娘よ、我に何を願う?」

「腐蝕の毒に絞っての、壁の制御を。師匠、以前研究なさっていた『力の変換』でフレアブラスの能力を変えられますか?」

「……やってみましょう」

「俺の事は気にするな。欠片ではあるが力の続く限り役目は果たせる」


全てを口にした訳では無いのに、ウィリディスさんは私の真意が解ったらしかった。

凪いだ眼に揺れる感情は見られないが、出来る事なら助けてあげたかったのだ。


「私がやってみたいのです。……誰かに犠牲になってもらうより、皆でちょっとずつ負担して補えば良いじゃないですか。”世界”も、きっとそれを望んでます」


静かに暮れなずむ空を眺める。私の目には、地平線に竜種たちの命の煌めきが踊っているのが見えている。大小ある美しいそれらは、彼らの生命力だ。全体的にみれば、5体の古代竜なんかよりも遥かに多いはずのそれを使わない手は無い。


「私、昔から人の力を使うのが得意なんですよ。だから……」


師匠と共にウィリディスさんの肩に手をやり、残りの手を師匠に繋ぐ。

目を瞑れば、考えなくてもユーコンの言っていた術が口から零れだす。高く低く、歌うように詞を重ね、引き出したウィリディスさんの能力を師匠へ託す。ちょっとずつ変わるその力の変化を見定めて、”世界”が望む命の煌めきと結びつける。

詞に惹かれるように、ヴァイラスさんは私の隣に立ちそっと肩に手をくれました。

結びついた力に方向性を持たせ、護りとする。今までの様な、何もかもから護らなくても良いじゃないか。大丈夫。私達も協力するから―――――。


いつの間にか、ウィリディスさんの姿が光となっていました。私の手元の羽と髪も、光になっている。

私は手元の光を彼の居た辺りにそっと送りだしました。夕闇に淡く輝くそれは、白昼夢で何度も見た連れ添う男女に見えて嬉しくなる。


「今度こそ、ずっと一緒に居てあげて下さいね……」


わたしの詞を受けて、光は空へと還って消えました。


――――ありがとう……。


密やかな声が聞こえて空を見上げると、星の輝きだした世界は、竜種たちの息吹によって暖かく包まれておりました。




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