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60.彼の願い彼女の祈り


街の外まで出ると、強い血臭が辺りを漂っていた。

魔物達の姿は無く、動かない塊は全て竜種と人だ。彼らにこびりついた黒色が、激戦を物語っていました。

見える範囲で動く者はいない。主戦場はここからだいぶ離れたらしい。

ポチの鼻を頼って戦場跡を駆ける。距離を走るにつけて、段々と血よりも濃い魔力の残滓を感じられるようになってきた。


突然、ひたすら駆け抜ける私たちに向けて、火球が3方向から飛んできました。

ポチに走る速度を変えないよう指示をし、加護札で弾力のある結界を作って弾き返す。結界による反撃は、私の予想した以上にきちんと相手に戻せたようで、各々の方向から獣の断末魔が聞こえました。


構わず駆けていると、後ろの方から「アスラン!」という声が聞こえ、上空に影が差す。すぐさまフェル君を駆るベルナーク様が隣へと降りてきました。手を引き上げられて、フェル君に乗せられる。移ってから、ポチに遁甲の指示を送った。

傷を見つけるとつい条件反射で診てしまうのは職業病でしょうか。所どころ酷く抉れて血を流すフェル君にすぐさま治癒を施しました。


「こっちはあと一息だ。お前の目的物はあったか?」

「あったんですけど、すみません。奪われました」

「……誰に」


聞きながらもベルナーク様の眼には確信があるようでした。私は目を合わせられなくて、フェル君の鱗を見つめる。


「さっきラドが来た。……奴に従ってるギ族がヴァイラスだろう?」

「…………はい」

「大丈夫だ、問題ない。ちょっと派手な兄弟喧嘩だと思っててくれ」


その結果がどちらかの命なのは問題なんじゃないでしょうか。

そうこう考える間に、前線とおぼしき場所へたどり着く。師匠とメル姐さんの空域にはハーヴ以外味方は誰も入り込まない。流れ弾であっても危なすぎるからだ。そんな彼らに立ち向かっているのは翼を持つギ族、ヴァイラスだ。


「ベルナーク様!」

「ランド、あいつはどうしてる?」

「あちらに……」


ウィルムに乗るランド様が指した先には、緑竜の攻撃をかいくぐり、黒い(かすみ)を操ってドラゴンを襲うラドカーンがおりました。

ドラゴンの吐く苛烈なブレスすら飲み込む霞は、触れれば硬い鱗をもつ竜の身体すら簡単に削り取る。

背をごっそり(えぐ)られたドラゴンが悲鳴を上げて落ちていった。


「ベルナーク様!!」


我慢がならず、私は彼に助けを求める。意図を読んでくれた彼は、ドラゴンの側に私を落として霞に向かっていってくれました。

痛みに呻くドラゴンの背に両手を突っ込み、奥から作り治す。黒い霞の残りでジュッと自分の手の皮膚が焼ける感じがしたが、歯を食いしばって相手を治すことに集中する。薄く表皮が張ったところでドラゴンは声を上げて飛び立っていった。


それを見届けたランド様がそっと私の側に来られて、この場から連れだしてくれました。

連れられた先で早速治療を開始しようと腕まくりした私に、ランド様はこちらへと誘導する。

向かった先に、血まみれのムーちゃんが丸まっていました。片羽が折れ、かろうじて皮一枚で繋がっていて、痛みに唸っている。


「先ほど現れたギ族からオルフェーシュ様を護って落とされたそうです」

「全体への被害はどうですか?」

「すぐにエル様とオルフェーシュ様が結界を張って広がりを抑えたので、離れた所に居た大多数は無事でした」


突然空間を割って現れた彼らは、こちらが身構える前に全体に魔法を放ったそうだ。メル姐さんの、師匠の咄嗟の防御魔法だけでなく、ハーヴの機転でさらなる詠唱が止められたお陰でどうにか立て直せたらしい。

 ムーちゃんに魔力を流し、怪我を治す。擦り傷程度まで回復した彼女は、魔獣を狩りに再び飛び立った。

ベルナーク様達が彼らを抑えている間に残りの魔獣を狩る指揮はランド様が引き継いだらしく、竜達は彼の指示で次々と残党を狩ってゆく。


ここに置いていかれる前に、私は彼に魔力の強い者から戻して欲しいと依頼されたので、緊急性のあるものを除いて順次治すことに専念していた。彼らの戻りに比例するように、討伐は勢いを増していった。

そうして治癒師たちの治療の目途がたった頃、私はウーヴェ様から師匠たちの元へ行くよう指示された。


急ぎ、力の無い者が入れない位濃い魔力が渦巻くその地に向かう。未だ激しい戦闘が続いているのが分かった。

よく見ると、戦い方が魔力戦組と接近戦組で2か所にに分かれだしていて、ヴァイラスを抑えつつ全体のフォローに気をまわしている師匠が苦い顔をしていました。だけど、さっきちらりと私の存在を確認できたみたいなので、恐らく補助を私に任せてそろそろ前に出るだろう。

タイミングよく上空高い所から緑竜が全体に鋭い風の刃を巡らせたので、お互いを離すことに成功したようだった。


肩で息をつきながらも治癒と補助魔法、新たな武器の引出しまで流れるように行う師匠を横目に、私は重傷順で一人ずつ治しに入る。ハーヴとベルナーク様が特に色々やられてますが、頑丈さで竜種に敵う訳がありませんので順当な所でしょう。

ちらりと向こうを見やると、ラドカーンが何かを詠唱し黒の滓から何か人らしきモノを引き出しておりました。

緑竜が唸り、魔力高めて練りだす。メル姐さんも静かに怒りを燃やして空間から魔石でできた長い杖を引き出しました。


「アレがフィルの姉、ユーコンだったモノだ」

「シ族の片割れですね」


緑竜が指す、白昼夢の彼女よりも暗い髪色の娘。彼女が着る神職のローブは擦りきれてボロボロで、その背には黒い渦が羽のような形で蠢いている。


「まるでギ族だな」

「長い年月をかけて救いを望まない魂が堕ちたのでしょう。厄介ですね」


師匠の言葉に説得の可能性が無い事を悟る。先読みの巫女は『浄化』と言っていたが、相手が望まないなら完全なる消滅と言う意味になるのだろうか。


「……俺が殺る」

「彼女の願いです。私も行きます」


緑竜が身構える。私は彼の首に手をやり、治癒を施しながらランド様から聞いた話を説明した。


「……あいつは祈ってたんだ。姉と争わないように」

「祈り……では、違う未来を視てしまったんですね」

「だろうな。いつも……誰にも言わずに足掻いてた」


彼女の悲しい祈りが通るように、彼はいつも願っていたのだろう。決して叶わないと知りながら……。

サイドバッグの彼女の髪を意識しながら、私はユーコンの翼を見て覚悟を決めました。


「もう縛られる事のないように、今度ばかりは叶えましょう。皆で」

「ああ。運命の渡り子、頼むぞ」

「決まったな。みんな無事でいろよ」



私たちが話している間に各々目配せでどちらを倒すべきか決めたようで、ベルナーク様の声に一斉に散り、それぞれに構えた。ラドカーンとヴァイラスも、ふらりと分かれて魔法を唱え出す。

それぞれの詠唱が風に乗って流れ、魔力が濃く渦巻きだしました。


先手を切ったのはベルナーク様。彼はラドカーンへ向かい、剣に纏った炎を飛ばした。それを遮るようにふわりと現れたユーコンが払いのける。そのユーコンに、緑竜が強烈な風を当てて吹き飛ばした。


緑竜を狙ってヴァイラスの魔法陣が現れ発動しようとした瞬間、師匠自らが強化したハルバードでそれを切り裂く。そのまま剣を抜いたヴァイラスと激しく打ち合いだした。

ヴァイラスは再度魔法を発動させようと陣を出すが、それはハーヴが切り裂いた。ハーヴの槍も勿論師匠の強化品だ。

何でもない事のようにやらかしているが、陣が現れてから魔法が発動されるまでのコンマ秒単位のそれを無効にするあの人達の勘と反射神経はとんでもない。


メル姐さんは全体を見てそれぞれに術を仕掛ける。繊細できめ細やかながらも強烈な威力を持つ魔法は、死角をを狙った攻撃や飛び道具などの危険を的確に排除してくれていた。

また全体に霧を流してあらゆる所から水の攻撃を繰り出すなど、陣を出さない魔法に相手は手を傷めずに防ぐ手段は殆どない。


私はそれら戦況をみながら、各種補助魔法を差しのべつつ打開策を必死で考えていました。

ラドカーンに操られたユーコンに召喚されたと思われるヴァイラスだが、彼女は通常の召喚の縛りに囚われず、自由に動ける存在のようだった。恐らく術師自体が傀儡なのと、彼女自身が術師を遥かに越える力の持ち主だった事が要因なのかもしれない。


彼女は師匠の渾身の突きを紙一重で躱し、その柄を伝うように剣を繰り出す。その行動を読んでいた師匠は、既に槍を手離して腰の長剣を抜いて受け流す。

そうしてお互いに流れるような優雅な剣舞を見せてくれているが、どちらにも隙あらば一刀に伏すほどの揚力と殺気が籠められている。師匠に認められるほどの腕をもっているハーヴにしても、容易に手が出せないほどだった。

ガキンと思いっきりぶつかった後、バッとお互いに離れて隙を窺っている。


「あなたをこの世界に置いとくのは惜しいわね。私に従えばいいのに」

「ありがたいお話ですが、お断りします。私の片割れはそれを望みませんし、何より貴女は召喚契約を振り切れていない」

「……小癪な」


一息つく間にそんな話をしていましたが、またすぐ剣戟を鳴らす。

師匠と互角と言いたいが、接近戦はどうやら向こうに分があるようだった。段々と彼の防御する手が増えてきて、ハーヴの魔法潰しが頻繁になってきていました。


少し離れた所では、ラドカーンと妖魔と化したユーコンが、ベルナーク様と緑竜を相手に戦っている。

 こちらはだいぶ入り乱れている。ユーコンの虚無を遠距離からメル姐さんが捌いて、ベルナーク様が隙をついて本体に斬りかかり、緑竜が風と雷のブレスで再度薙ぎ払う。実数でも手数てかずでも有利なはずなのに、何もかもを腐蝕する虚無が危なすぎて決定的なところまで追い込めない状態だ。


「ふっ。次期皇帝もたいしたことが無いですね」

「ラド!調子に乗ってンじゃねぇっ!」


挑発的に煽るラドカーンの言葉尻に乗ってベルナーク様が斬りこみ、そんな彼を囲もうとした虚無を緑竜が雷魔法の陣で道を切り開く。緑竜は吠えて敵味方全てを飲みこみ発光する空間を作り出して、虚無自体を一時的に消し去った。

視覚が戻った時、ベルナーク様はラドカーンを庇ったユーコンの左腕を切り裂いていた。


そんな私は、実は少し離れたところで一歩も動かずにひたすら詞を詠唱してとある魔法を発動させようと闘っていました。

様々にアプローチをかけてはいるが、最終文言を告げるその度に弾かれている。これほどまでに精霊が私に抵抗してきた事はない。本当に何があったと思うほどである。

焦りはミスを生む。じっとりとかく脂汗は魔力の枯渇が近い事を教えてくれていた。

時間だけが刻々と過ぎている。状況は悪くなる一方だ。


なんで、どうしてと思うが、発動すればコレが最善と考えられるので止める訳にはいかない。術としては悪手になりかねなかったが、小刀で手を傷つけて血も使ってみても上手く発動しなかった。


”理由を知りたいか?”


突然頭に響く声に、勿論ですと心で即答しました。もう藁にも縋る思いで目を上げると、キーヴァルレインが立っていました。


”シ族の片割れだ。……アレが邪魔をしている”


彼の目線の先を追えば、黒い翼を広げてベルナーク様を包み込もうとするユーコンが映った。


「彼女ももう意識だけとはいえシ族だったんですよね?何でそんな事が?」

”アレは亡者だ。自身の妄執に囚われているだけで意志がある訳では無い”

「…………だから、浄化なんですか」

”先読みの巫女は双子だ。だから『ひとり』にするために彼女を呼ぶ必要がある”


私に依頼してきたという事は、つまりそういうことだったのか……。




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