59.滅びた都市トアレグへ~全面交戦~
黒のアーテルの恩恵と言われている澄んだ湖の畔に佇む魔力信仰から発展した教会都市、それがトアレグの始まりだった。世界屈指の建造美を誇った尖塔を有するそこは、魔に取り込まれてもなお変わらぬ景観をしていました。
今その町の周りには、腐蝕の毒から呼び出されたり作られたと思われる魔物が群れをなして、こちらの出かたをうかがっている。我々はそれが見えるか見えないか位離れた位置に陣を構えていた。
丘一つを越えて占領し群れなしているのは、わずか数日で隊列を組んだケルマン、クシュ及びズメウ皇帝の命を受けた精鋭による連合軍と、緑竜を始めとする古代竜達の呼びかけに答えた野生の竜だ。
開戦までのわずかな静寂のなか、先頭の位置でそれを見守るベルナーク様が深いため息をついた。
「やっぱとんでもねェ大事になっちまったなぁ。俺としては、こんなのはアスタナだけで十分だったんだが……」
「最後のシ族と竜が作り出した箱庭の、始まりの地ですからね。彼らにとって、さぞかし使い勝手の良い負の感情が淀んでいるのでしょう」
ギ族側としても、封じを施した彼女の影としても、この戦いを引き出した誰かにとってもね、と師匠は言う。
「でも、拗れる前に言葉にしなかったんだから、みんな逆恨みもイイとこですよ。師匠の仕事を邪魔して稼げなかった分と私の平穏な日常をしっかり返してもらいますからね」
お前こそ単なる八つ当たりだろ………とは賢明にも誰も触れてくれませんでした。ちょっとがっかりです。
私たちの上空を緑竜や飛竜の部隊が優雅に舞い、出陣の時を待っております。フェル君がベルナーク様の隣にそっと控えました。更に隣にはハーヴもいます。
メル姐さんが黒竜へ転じ、その背に師匠が颯爽と跨ったのを合図に、竜達の熱気が渦巻きました。
「さぁ、いい加減オイタの時間は終わりだ!」
装飾の煌びやかな槍を掲げて「いくぞ!」というベルナーク様の掛け声に、ウオオォ!!という鬨の声と竜達の咆哮が答えました。
ベルナーク様と師匠を追って飛竜が、陸竜が左右に分かれて駆ける勇壮な光景をその場で見送ります。ついていきたい気持ちはありますが、私には彼らとは別の使命があります。
傍に佇んでいたムーちゃんへ手を伸ばして撫で、念入りに加護をかける。そうして戦いに赴く彼女を送りだしました。彼女は師匠に、ベルナーク様にはハーヴと緑竜がついて補助する予定です。
私はサイドバッグに入れたフィルさんの遺髪の小箱がある辺りを撫でて、前を、教会の尖塔を見据える。
「ポチ、頼みますね」
ポチにも魔法防御、物理防御に風魔法と隠形を纏わせ、私は地を駆け出しました。
師匠とベルナーク様で両翼を担うこちらの陣形に対して扇形に構えた魔獣たちだったが、魔力領域が変わったのと指揮官を得たためか、お互いの初撃から攻撃魔法を絡めた苛烈な混戦になっていました。
先頭を切る二人と古代竜が接近するまでの遠距離攻撃の大半を防いだ為に大きな被害はありませんでしたが、魔法を顕現出来るようになった魔獣は侮れない。混戦となってからは遠距離の攻撃魔法でこちらの後衛に打撃を与えていたりする。ブレスも魔力も無い一部の竜にはなすすべも無かった。
人の指示の無い竜達の、数で相手の攻撃を散らしている間に倒すという荒っぽい手段を見ていて、つい手当たり次第治癒を施したくなってしまう。だが、そこから断腸の思いで視線を外す。私はそれらを縫うように必死で走り、街へと駆けこんだ。
◇
これより少し前、開戦準備で忙しい中、私は集まった面々の中にランド様を見つけてお話しすることが出来ました。
彼は国王から依頼されたのだという、フィルさんの遺髪の入る小箱を私に寄こしてきたのです。
「私なんかが持ってて良いんですか?」
「ええ。国王がおっしゃってました。竜医の娘がこの狭い世界を開放するだろうと」
「狭い?開放?」
「緑竜が女性を伴って夢に出たそうですよ。トアレグを浄化しないと人も暮らせない世界になるとも言われたそうです」
それを聞いて私はちょっと悩みました。先読みは間違った未来を見せないという。では、彼女達は嘘を言ったのだろうか?夢だというが恐らく思念だろうそれは、回避を願う彼女の祈りか、見えてしまった未来なのか…………。
「姉を、宜しくお願いしますとも言われたそうです。浄化はアスラン様がいないとできないからと」
「浄化……」
浄化とは何だろう。幽霊のようなものがいるとか退治したとかいう話すら聞いたことが無いのに、どうにかできるものなのだろうか。
「後、この本を。『良き風が貴女を護りますように』」
ランド様は悩む私に1冊の本を手渡し、ニコリと微笑むとベルナーク様の所へ行ってしまいました。
貰った言葉を噛みしめながら、私はぱかりと小箱を開けて中身を見やる。細長いそれに、半折りになっているアッシュブロンドの髪と緑竜の眼の色に似た留め具の宝石。未来を見てしまった彼女は、本当は何を伝えたかったんだろう………それは今でも解っていない。
◇
街の中に魔物は居なかった。全て戦闘に出てしまったのだろうか、少なくとも見える範囲にはいない。
石畳のそこかしこには、黒く焦げて炭化したものやかつて人だったものの欠片が無造作に転がっていました。古いものだろう。街が制圧された時のものと、すぐに分かった。
教会にたどり着くまで、私はずっとそれを見続けることになる。
「始まりの地……ここね?」
足元から見るとかなりの高さの尖塔を有するこの教会が、この地に残った最後のシ族達が育った場所だった。もう自分たち以外誰も仲間は居ないと知った時、仲間たちは自分たちを置いて次元を渡っていたと知った時、彼女たちは何を思ったのだろう。
私が今更どうしようもない想いに囚われていたことに気付いたのだろう、ポチが袖を咥えて軽く引っ張ってきました。彼にありがとうと礼を伝えて、そっと扉を押し開いた。
聖堂はがらんとしていました。襲撃当時ここは閉鎖されていたのでしょうか……本当に何も無い。
見上げる位置にあるステンドグラスは割れておらず、綺麗な光を通しておりました。
まずポチが駆けこんで、空気のにおいを嗅ぐ。彼は何かを見つけたのか、関係者の控室がある方へと駆けていきました。私も慌てて追いかけます。
少しかび臭い空気がこの空間には何者も侵入していない事を証明していましたが、私たちの探す者達には結界も無いこの途中の空間に触れる必要がない。気が急いだ。
駆け込んだ聖職者の控室には、遺体こそありませんでしたが乾いた血痕がそこかしこに飛び散っていた。ポチは迷いなく足元の絨毯をガリガリと引っ掻く。
「どいて」と声をかけ、加護札で高めた風魔法を足元に放った。ビリビリに引き裂かれた絨毯の下には地下への扉が現れました。手持ちの紐を取っ手にくくりつけ、ポチに引いてもらう。
ガァン!と派手な音を立てて扉を引き壊したポチは、紐を切るとそのまま階段を駆け下りて行ってしまいました。
慌てて追いかけるも、光の無い階段は危なくて走れません。魔石で足元を灯してから降りました。
時折右に曲がる以外はずっと下っている。たぶん7、8階分はあったと思う。昔の人にこんな技術があったというのが驚きだ。いい加減終わりにしてほしいと思い始めた頃、行き止まりの扉にたどり着きました。
扉の前でポチが開けようとガリガリしています。フィルさんの遺髪を取り出し握る。それから、目をつぶり深呼吸をして、そこを開けました。
扉の奥の部屋は大体横幅、奥行きともフェル君の体長よりも長くて、高さはムーちゃんが背伸びしたら翼が広げられない位です。ええと、横、奥は各20メートル、高さが5メートル位でしょう。適当ですが、たぶんそれ位です。
そんな中の奥の方に簡素な棺らしきものが一つ、ありました。そしてその横には一人の人間。
「黄のフラーウムは思ったより使えなくて残念でした」
予想外の人物とその声に、私の足は止まってしまいました。私の右隣に、触れるようにしてポチが身構えグルルと唸る。
「それに、結局ここへは貴女だけですか。遅かったですね」
「……なぜ?」
「私にも欲があった。それだけです」
そう言うと、彼は棺の金具を外しました。そうしてそっと棺の蓋を開け、ずらす。中を愛おしそうに見た後、私に目を向けてきました。
「この方も、私と同じです。長として、認められたかったが力が足りなかった」
「どうして、長じゃなきゃいけないんですか?補佐だって……」
「異母兄に傅くのが嫌だといったら?」
その言葉を聞いて、私は力が抜けてしまいました。
ああ、この人は別に長でなくても良いんだ……異母兄より上に立てるなら何だって良かったんだと、唐突に分かってしまったのです。
「ラドカーン様、今ならまだ間に合うと思うんです。……戻りませんか?」
彼の事を信頼していたあの人に、憎くて堪らない……そんな顔を見せて欲しくなくて、思わず余計な声をかけてしまう。
不快な事を聞いたとばかりに目を背け、彼は棺の中に手を入れました。恐らくその中に納められていたであろう人物の髪を拾い、私に見せつける。
「戻るも何も、初めから僕はこうだったんです。彼女も、私と同じなんですよ。……力が欲しかった」
「それは人を傷つける力です!そんなものに……」
「そんなモノだから、欲しいんですよ」
その瞬間、部屋全体に黒い霞が一気に広がりました。
術が間に合わず、意味がないと分かりつつも手で目元を庇う。
暫くして何も変化を感じなかったので顔を上げると、私の前にポチが居ました。彼にかけた魔法と師匠の魔具、彼自身の魔力で庇われた事に気づく。
グゥとポチが呻いて、もうあまりもたないぞと警告をくれた。慌てて印を組み詞を紡ぐ。
「『風精霊の護り』よ!黒の残滓を組み伏せよ!!」
ぐわりと黒が歪んで対抗してきたが、魔具の補助を用いて室内に押し込める。見えない奥で、彼の嗤う声が聞こえた。
ガウッとポチが警戒の声を上げた。色の無い波動が私たちに到達する前に彼は土壁を築いたが、それは端から崩されていく。まるでフラーウムの最後の時のような崩れ方だった。私も黙って見ている訳にはいかない。次の術を開放する。
「『聖なる風の檻』よ、空間を固定して!」
押し込めるために作り出していた風に、光を乗せて固めていく。いくつもの筋を作り出して、それぞれの線を結ぶことで新たに増幅の意を込める。私に決定打が無いため、時間稼ぎにしかならないのが悔しいが、やらないよりマシだ。
外の戦闘の状況が解らないため、下手に転移してこの場を逃げる訳にもいかない。考えは焦るほどに堂々巡りをしてしまっていた。
「貴女は外が気になりませんか?」
私の焦りを読んだかのように、ラドカーンが唐突に話しかけてきました。
「あれが緑竜の力なんですかね?赤の古代竜が禁を破って手を出すとはね……。なかなか面白い事になっているようですよ」
「あなたも私も外に出る必要はありません。ここは竜族の護る地です。ギ族やシ族は手を引くべきです」
「はっ!手を引けと?引いてどうなる?……なぁヴァイラス、奴らに顔を見せてやろうか」
”……主の思し召しのままに”
唐突に静かな女性の思念が聞こえ、澄んだ音と共に結界が割れました。
圧の高い魔力の風が渦を巻いて襲いかかってきたのを、ポチと私は結界を張った上で地面に伏せて耐えた。
目を開けると、目の前の黒は綺麗さっぱり消えていました。慌てて奥へ走り、棺の中を確認する。
中は、何一つ入っていなかった。ラドカーンが蓋を開けるまでは、恐らくフィルの姉が安置されていた筈なのに。
ウウウ……と匂いを嗅いだポチが背中の毛を逆立てている。彼の眼には棺の主への怯えが映っていました。
「……追いかけないと」
彼らは外に出てしまったらしい。まずい、外の戦いに手を出されたら被害が大きくなってしまう。
急いでポチに騎乗し、階段を駆け上った。




