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58.精霊の祝福を受けし者


フラーウムの言っていたことは、間違ってはいなかった。

あの後、城下町に留まっていた黒が城壁とその結界を溶かし込んで街に流れてきていたのです。

穢れであった魔力をメル姐さんが受け入れて、フラーウムの竜としての力をサラさんが取り出して彼を倒した事ですべてが終わると思っていた私は、面食らっていました。

 滲み出た腐蝕の毒は、その流れ自体にフラーウムを必要としていなかったらしいのだ。あくまで彼は綻びの一因なだけだった。どろどろと流れる澱の様なこの毒は、未だじくじくとこの世界にみて広がっている。

私たちはそれの流れを避けるようにして全体が見えるところへ移動しました。


「……師匠、これって」

「まぁ何とかなると思いますが……アスラン、魔力は残ってますか?」

「魔防結界ひとつ張れるか張れないかでふぐっ」


言い終わる前に、師匠の手によって口の中に瓶を突っ込まれました。強制で上を向かされて飲まされるソレは最近愛飲している魔力回復剤でしょう。こんだけ連続だと絶対身体に悪いはずだ。悪すぎる。師匠は私を実験体モルモットか何かと考えてるんじゃないかと思えてならない。


「で、魔力は?」

「タプタプです」


無言でもう一本開けて差し出そうとする師匠に、全快です!と叫んだ。

ヤバい。この人はこういう人だった……。久しぶり過ぎて忘れていましたが、一日一回は何かしらの危険というか修行がありましたね。

座り込んでいるベルナーク様がうろんげに師匠を見上げた。


「ンで?アスランの魔力を無理やり回復して、ナニやらかそうってんだ?」

「貴方達も、アレに発生源があるのは分かっているでしょう?まずはそこを塞ぎます」

「塞ぐ?」

「漏れる穴があるのなら、まずはそこを対処するべきでしょう?原因探しと根源を叩くのはそれからです」

「さすがオルフェーシュ様だわ……」


うっとりするメル姐さんの気が知れません。

最終的には昔々の、神代の時代から残った穢れを清算する気だという。……師匠は私の住んでいた世界で一体何を得たんでしょう?元からトンデモナイ人だと思ってはいましたが、その枠もサクッと越えてきましたね。もう人外でしょう。


「サラ、一時で済ます予定だが……御柱になってくれ」


皆が情報整理に頭を使っている中、緑竜がそっとサラさんへ話しを振りました。


「気に病む必要は無いのよ、ウィリディス。フラーウム様から力を奪うと決めた時に覚悟していた話だし、エルもいるわ」

「そうね。封印されていた貴方と違って私達は十分に世界を歩いたわ。里だけの暮らしよりも今の方がずっと良い」


二人の同意に、緑竜が綺麗な新緑の目を伏せる。


「フィルのいない俺には、もう新たに別の術を組む力も無い……。それにフレアブラスとしての力も、もう彼女が居ても引き出せるかどうかも怪しい。……俺は欠片だから」

「……ウィリディス……」

「まぁやってみてそれから考えれば良いんです。先読みの巫女殿を信じましょう」


師匠の言葉に緑竜の眼の迷いが消えた。彼の彼女への信頼具合がよく分かった瞬間でした。

サラさんが私の前に来て頭に手をかざしてきました。私も目を瞑って集中する。


「アスラン、加護を与えるわ」

「お願いします」


ふわりと柔らかい気が体全体を覆っていく。サラさんの気はとても暖かかった。


「さぁ。ウィリディス殿、時間がありません。お願いします」

「ああ」

「ちょ、まっ…」


じんわり浸っていたのに、人の襟首を掴んだ師匠はその勢いのまま物の様に私を容赦なく緑竜の背に放り投げました。そうして自らも乗り込み、風魔法その他を纏わせ、緑竜を飛び立たせた。


 ベルナーク様との飛行は自分にとって勉強になる事が一杯ですが、師匠との飛行は修行中でなければ何をしても安心安全な補助魔法をかけてもらえるという大変素晴らしいものです。安定飛行に移ってから、私は緑竜からだいぶ身を乗り出して下を見ていました。

上空から見る腐蝕の毒と思われる黒は、だらだらとクシュ国の、トアレグの方向へ流れているようでした。方向は一定で、あまり幅広く広がるような感じには見えない。黒は無秩序ではなく、意志があるのではないかと思える光景だった。


「師匠、毒は『巡り』の結界のせいで、広がらないで一定に流れてるんですかね?」

「……いいえ、負に引きつけられているだけです。広がらないのは()()が望んでいないからですよ」

「世界、ですか?」


世界という言葉をまるで生き物のように言う師匠に怪訝な顔を向けてしまう。

遠い先にあるトアレグを見据えたような眼で、彼は下を見て口を閉じてしまった。

するとそれを見た緑竜が静かに言葉を紡ぎました。


「世界とは、均衡だ。可もなく不可もない、公平な天秤」


シ族とそれに仕える竜は、その天秤の守り人たる能力と資格があったらしい。だが長き時を渡り、その役目に飽いたのだという。そうしていたずらに作り出された振り子が、ギ族とその毒。


「今の世界はふり幅の大きい振り子だそうです。振れなければ治まらない」

「では師匠、毒を浄化できればふり幅が無くなると?」

「いいえ、まだでしょうね。これはきっかけに過ぎないとそのうち分かるでしょう」


そう言うと、師匠は口をつぐんでしまいました。

愁いを帯びながらも凪いだ眼は、まるで昔私を引き取ってくれた魔女の曾祖母のようです。


「師匠。どんな事があっても、私は貴方についていきますから…」


――だから悲しまないで。

それはわたしの言葉では無い。けれど、心の中の誰かが、そう続けました。

師匠は私をまじまじと見つめて、ああ見つけた、という感じでふわりと笑いました。


「ええ。貴女は私の自慢の弟子ではありますが、私を越えるまで独り立ちは許しませんから大丈夫です」


なんだかちょっと引っかかる物言いですが、笑えるなら大丈夫だろう、と私も安心して笑いかけました。

まぁ師匠を越える人なんて、この世界の片手に収まる数でしょう。……あれ?なんて無茶苦茶な。

私の混乱をよそに、師匠は緑竜をロールさせて地上の様子を見ました。


「さぁ、見えますね?亀裂はあそこです」


師匠が指差す方向には、黒の澱がいっぱいに広がっていました。そこかしこから黒い何かが吹き出す様は、そう、ドライアイスが水に溶けている時のような感じにも似ています。ぼこぼこと吹き出しつつもうっすらと世界に消えていく、幻想的ではありますが本能があれを恐れているのであまり見ていたくはありません。

恐らくあれを防げばこの地に新たな黒は生まれないのでしょう。私の知る術の中で黒に対抗できそうなのは『聖なる風の結界』と『風精霊の護り』ぐらいしか手段が思い浮かばず、それらを行使する覚悟をしてから師匠に尋ねました。


「あそこを結界で防げばいいんでしょうか?」

「いいえ。古代竜の力を流し込んでください」

「?……古代竜の?」

「この地はシ族ではなく、竜に任された土地です。そして(ウィリディス)は伝達者、フレアブラスだ。貴女は、昔から他者の力を借りることが得意でしょう?」


手を取られて、さぁ、彼に魔力を流して…――と言われる。

よく解らないまま、言われた通り竜に両手をつけて魔力を流すと、師匠は今まで私が見たことが無い、ふっと力の抜けたような笑い方をしました。


「もし世界に神のような存在が居ると仮定してですが………ウィリディス達の行ったことは正しかったと判断されたのです。世界は長い時を得て竜の存在を、彼らが管理することを許したのですよ。だから…………介入するならその均衡を取るだけでいい」


世界は竜たちを選んだのだと、師匠は言いました。

それは永続の約束ではないが、今破棄されるような物ではない、と。


「影が強いなら、光もまた強くある。今、虚無で覆われているあの地に必要なのは相生です。巡り、高め合う、力。………魔力から皆を感じ取ってみて。さぁ、アスラン―――」



ふと。顔を上げて地平線を見てみると、彼を通じて立ち上る竜の気配を感じました。

食えない狸のキュアノエイデス、気さくだったが苛烈なエリュトロン、フラーウムを制したサラグラル、静観を良しとしなかったアルブルスに死してなお加護を残してくれたアーテル。メリュジーヌと呼ばれたがったエル・アマルナ。

加護を与えくれているそんな五色の竜以外にも、様々な竜の、人の、生物の気配を感じた。みんなの生きているちからを、気を。


「我が片翼たるシ族の末裔よ。かの地に加護を」


いつの間にか緑竜の背に立ち上がっていた私に、師匠が傅いた気配がしました。

足元の黒い渦は、反発するようにボコボコと沸き立っている。


「”世界”の欲するままに―――」


私は声を発して上を向き、目を瞑った。熱を持った肩口から、何か力の塊が風を作り出す気配を感じる。

そうして……―――一瞬にして世界から音と色が消えました。


答える声は何もありませんでしたが、これで良かったのかなと少しだけ悩む。


「対の翼では無いフレアブラスの力を使った竜の御柱だから、一時的なものでしょうけれど……まぁどうにかなるでしょう」


よくできましたねと師匠に頭を撫でられて、初めて座り込んでいたことに気が付きました。

真っ白だったのは私の頭だけだったんですかね?


「見てください。綺麗に修復されていますよ」


緑竜を円を描くように飛ばし、足元を見せてくれる。

黒で染まっていた大地は、この辺りでよく見るまばらに草の生えた草原地帯だったようです。

空の青さと大地の赤茶と緑が鮮やかでした。


「ここはもう大丈夫です。後は……」


師匠はそう言うと緑竜を水平飛行に戻して北へ目を向けました。

北……クシュ国のトアレグでしょうか。


「今回の事態を引き起こした元凶が、あの地にいます。……全てを清算するためにはかなりな血が流れるでしょうね」

「ギ族を、祓うんですか?」

「いいえ。元凶を排して……シ族の末裔を、鎮めます」


そこまで言うと、師匠は緑竜に皆のところへ引き返す指示を与えた。




「で。お前は、トアレグを浄化すれば今回の一連の騒動が終息するってンだな?」

「ええ。あの地で邪魔をしている者が居なくなれば、ウィリディス殿が作り上げた壁は早々に崩れることは無いでしょう」

「オルフェーシュ様は誰が邪魔をしていると考えているのです?」

「元凶はともかく、魔道の元の方についてはウィリディス殿の方が詳しいかと思いますよ」


皆の目が緑竜へ向きました。彼は居心地悪そうに新緑の瞳を細めましたが、ぽつりぽつりと話しはじめた。


「サラとエルは知ってると思うが……フィルには双子の姉がいたんだ。彼女はフィルを殺そうとしたし、呪をかけて浄化の邪魔をした。それと……」

”ヴァイラスの召喚に手を貸した。あの方は今、連中の言いなりだ”


緑竜が紡ごうとした言葉を、私の後ろに現れた人物が引き継ぎました。

皆が一斉に身構える。私も急いで飛び退いて距離をとったが、彼は両手を上げて無抵抗の意を示した。


”自我が無かろうが、腐ってもシ族だ。俺とて精神を直接喚ばれていたら使役にされていただろう”

「……キーヴァルレイン、何が望みだ」


キーヴァは……キーヴァルレインは正面から緑竜を見やる。

今の彼は気が急いでいるが真摯な顔をしていた。


”単刀直入に言う。奴らを消してヴァイラスの召喚契約を破棄させたい”


彼の申し出は、私たちが行わなければいけない浄化との共闘だった。


「貴方が裏切らないという保証はありますか?」

”そうだな。影の時はそのまま泳がせてもらいたいが……隷属の呪でもかければいざという時に俺を呼べるだろう。使えるか?”

「……そうだな。オルフェーシュ、頼む」


緑竜は師匠にキーヴァルレインを隷属する呪をかけるよう依頼しました。

師匠は何も言わず、彼に跪くよう指示して呪を唱える。ほどなくして彼の右手首の内側に契約紋が現れました。


「本来は首や心臓にしないといけないんですが、いざという時強く発動しても死なないように、ココで」

”ありがたい”


そうしてようやく本題に入った。

キーヴァルレインから語られた現在のトアレグにいる魔族たちの状態は、我々にとって余り芳しくない感じだった。彼らはこの世界に馴染むにつれて、魔法をも行使できるようになったのだ。数も、前にベルナーク様が焼き尽くしたのよりも遥かに上で、軍役登録が確認されている竜種なんか目じゃない位多い。


「ケルマンとクシュからの応援だけじゃ厳しいな」

”数もだが……魔が地に順応したから、大半が魔法も扱えるようになっている”


ここで何事かを相談しに古代竜メンバーが席を外し、彼と師匠とベルナーク様と私で話し合いになった。

キーヴァルレインがため息をつく。


”いくらシ族の亡霊が憑こうと、まさか人間如きにラスを扱えるとは思わなんだ”

「……そいつの名前は?」


ベルナーク様は何かが引っかかったのか、召喚者の名を訪ねるが、キーヴァルレインはかぶりを振った。


”召喚の制約により言えぬ。言えば俺も完全に囚われる”

「相当能力が高いのですね。では貴方がココに来たのも知られたのでは?」

”……恐らくな。次にトアレグに行くのももう読まれているだろう”

「……トアレグか」


ベルナーク様は悩んだ末に胸元から大ぶりの赤の魔石をフェル君に渡して顔を撫でる。


「フェル。親父殿に伝言を頼む……動かせる奴は全部呼ぶように言え」


クォンとフェル君が鳴き、ふわりと飛んで空間を渡って消えていきました。

裂け目が閉じるのを確認してから、ベルナーク様は師匠を見て笑う。


「もとは失踪人とお前探しだったハズだったンだがなァ……。えらい大ごとになった挙げ句だいぶ回り道したが……良く還ってきてくれた」

「ええ。貴方に絡まれて簡単に終わる事は少ないですから、覚悟は出来てましたよ。担当者としてちゃんと報告書を受け取ってくださいね」

「全員のサイン入りにする」


だから、滅びた都市もちゃっちゃと浄化しちまおうぜとベルナーク様は軽く声を上げました。

サラさんは肩をすくめて私を見て、近づいてきました。


「与えられたばかりの役目を放棄する訳にはいかないからね。………土産話、待ってるわ」


そう言うと、彼女は私の額を指で小突きました。思わず目を瞑ってしまいましたが、加護とはまた違った何かしらの守護が流れ込んだのが解りました。


「地の護りよ。貴女が一番弱いんだから気をつけてね」

「ありがとうございます」

「さー、これ終わったら報酬貰って長期休暇にすんぞ。行こうか」


ベルナーク様の声に合わせるように、メル姐さんがゲートを作り上げる。

サラさんの見守る中、順にゲートをくぐって最後の戦いの地へ向かったのでした。




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