57.偶然と必然が引き出した命運
「あああぁぁっ……」
くもぐった声を漏らした彼女の喉からごぶごぶと溢れ出る血と彼の冷ややかな眼差しに、正気に返る。ポチを呼び出し身構えるが、私ごときが追い払えるような相手ではなくて焦る。無詠唱でできる回復補助魔法をいくつか練り上げて、効果を保留しながら隙を探した。
だが時間だけがじりじり過ぎてゆき、反比例するようにサラさんの血の流れる勢いが弱まっている。時間がない。
「あなたが……」
短剣を引き抜き、サラさんから少し離れてその血の流れを興味無さそうに眺める彼を睨みつける。
馬鹿にしたようにこちらを見やった彼はふんと嗤った。
「古代竜の黄のフラーウムは狂っているとでも聞いたかな?」
「……箱庭に反対されたと聞きました」
「共存にも反対だ。なぁイーリィ!」
叫びと共に短剣を構えたその人は、不意打ちを仕掛けたベルナーク様の上段からの剣を受け止めた。が、ほぼ同時に放たれた蹴りに脇腹を抉られ吹っ飛ばされました。転がる彼を追って、ベルナーク様とポチが駆けていく。
二人の攻撃と共に、私も弾かれたように動く。サラさんへ駆け寄り、傷口に手を突っ込んで待機していた各種の術を開放した。
「サラさん!」
修復に伴い手を引き抜いて外傷を完全に治したが、流れた血を回復させた分の体力などは補えない。目覚めまでは体力勝負なので、彼女の竜の生命力に賭けるしかなかった。
暫くで薄く目を開いたサラさんに、ほっとする。彼女は朦朧としながら尋ねてきた。
「フラーウム様の気配だった。……ディーは、消滅してしまったの?」
「分かりません。でもアレは”竜体のフラーウム”より危険です」
「私を補助して。竜体の方の片づけ方を思い出したの。エルとベルだけではもたないわ」
言われるままに私の能力限界まで様々な術を重ね掛けする。終わってから、サイドバッグから魔力回復剤を出して飲んだ。まだ倒れる訳にはいかない。
動けるようになったサラさんが飛び立ち、剣技で応酬する彼らの脇から魔法で石槍を繰り出す。避ける人型フラーウムに、縦横無尽に展開されたメル姐さんの魔法陣から雷が走って捉えた。
「小賢しいっ!!」
バッと彼が手を振ると、雷は千切れて細切れになった。空に浮く陣も、切り裂かれたようだった。
その一瞬の隙をついて彼は短剣でメル姐さんに迫り、それをベルナーク様が阻止する。剣技の応酬のさなか、少し離れた所ではサラさんが巨大な竜のフラーウムの頭に鞭のようなもので巻き付け、それから発生させた石の刃で首を落としていた。竜は切り口からサラサラとした砂に変化していく。
それを見た人型フラーウムが、ベルナーク様を撥ね退けて笑った。
「ああ、お前にもそれを教えたんだったな。見た目だけとはいえ、アレはなかなかの力を持っていたろう?」
「フラーウム様。…………この国の人間に、使いましたね?」
サラさんは何か恐ろしい事を知ってしまったらしく、身構えたまま震えている。
「この王都中の人間を吸収しましたねッ!?」
フラーウムは楽しそうににやりと嗤う。
「だいぶ長い間閉じ込めてくれたよね。動き出すにあたって大昔に自分が撒いた種を収穫しただけさ。……ウィリディスの身体でなければ王都だけじゃなくて国中から獲れたのにね」
惜しかったねとほざく地竜の王は、この国に住まう生物たちと繋がりがあったらしい。魂の、命の近くに置かれたその力を徴収しただけで崩れるとは脆いもんだねと、楽しそうに話している。
黄の古代竜は狂気に犯されている。忌々しげに自分の胸ぐらを掴んだ彼は、戦闘を楽しむエリュトロンと同じくらい無邪気で、でも怖気が震う存在だった。
「あの小娘め………あの土壇場で僕の力を融合に変じさせただと……」
ふっと俯き憎悪を滲ませてぶつぶつ言う彼を見て、本能的にまずいと感じ皆に目配せする。
自然と一塊になった私たちを、彼の新緑の暗い眼が睨む。瞳が金に変わった瞬間、空気を揺るがす白い波動が伝わってきた。
各種の重ねられた結界の、陣の端が音も無くボロボロと崩れながら消えてゆくその光景は、世界の終わりを予見させたように見えました。既に瓦礫になっていた王宮が、結界の外で砂粒と化して崩れている。
サラさんとメル姐さんが人型をとり私に手を重ねる。そうして彼女たちの力を追加で借りて重複した結界で、1度目の波動はどうにか凌ぐことが出来た。
彼自身もこれには相当魔力を使ったのだろう。肩で息をついて、すぐに動き出すようなことはなかったのが救いだった。
「……今回はどうにかなりましたけど、もう無理です」
「ならその前に終わらせるのみだ!」
波動が完全に止むその少し前に、金に目を光らせたベルナーク様が反撃の為に結界から飛び出した。
短剣と長剣の剣戟の間を縫って、体術での応酬と魔法攻撃が続く。
1対多数なのに、フラーウムは皆の隙をついて少しずつ少しずつ傷を負わせている。じりじりと、そのペースが上がっている事に焦りを覚えた。
こうなったらやっぱり奥の手と、なるたけ負担の少ない形で術を構成してみるが、使うためには対象に触れる必要がある。ベルナーク様が盾として攻防の要になっている今回、彼に触れに行くことが難しい状態だった。
誰の力を上げれば良いのか………考えた末、私はメル姐さんに駆け寄りました。そうして高めた補助魔法を無理やり受け渡す。姐さんを囲むようにキラキラと光り輝く風が回りだす。
「姐さんっ『風を纏いし者に祝福を』!!……水です!相侮です!」
「いくらアンタが補助したって……ええい!やればいいンでしょッ!!」
姐さんは私の意図を知ってか知らずか、次々と水属性の魔法を紡ぎ出した。
私の魔力も乗せた荒れ狂う水の流れは、ベルナーク様を避けて次々とフラーウムを直撃する。水は直撃だけに留まらない。貫き、触れた個所を瞬時に凍らせ、弾け、傷を増やしていく。
「なん!?何故だっ!?」
フラーウムの戸惑いは当然だ。普通土気は水気に強く、弾くことすら可能なはずなのだから。
彼が押される理由に囚われているうちにカタを付けてもらうべく、急ぎ駆け寄りサラさんとベルナーク様にも補助をかける。私の魔力が底を付く前に、ベルナーク様が応えて彼の左手首を捉え、メル姐さんとサラさんの水魔法が網目のように舞い彼の表面を切り裂いて血が噴き出す。が、ここまでだった。
「がああぁぁぁっっ!!!」
フラーウムの絶叫に、大地が崩れた。
「……痛っ」
私は足にぶつかった何かに激痛を感じて目が覚めました。
カラカラと、握りこぶし大の石くれが、削れた斜面を転がり落ちてきたようだ。斜面と空が半々に見える状況に頭がついていかない。
痛む首を巡らせて周りを見れば、巨大なクレーターの底付近に居る事が解りました。サラさんは近くに俯せていましたが、意識が無いのかピクリとも動かない。
目を瞑って、なけなしの魔力を巡らせて自分の傷を癒やす。そうしてようやく身体を起こしました。
「……っ……何が……あうっ!」
立ち上がろうとしたところを、後ろから髪を鷲掴みにされて持ち上げられてしまった。ぶちぶち髪が千切れて吊られる痛みに、意識が途切れそうになる。
暫くでどさりと投げ落とされ、そこで犯人と目が合う。
左手は手首から先が無く、右目は無残にも抉れて血を流している。満身創痍のフラーウムだった。
「……雑魚のくせに、よくもやってくれたね。お礼にお前を媒介に使ってあげるよ」
「……何、を」
「生き物が増え過ぎたろう?感じ取れる力を全て回収してやる。そうすれば僕も本来の姿に戻れるだろう」
手始めに竜種からいこうかな、とフラーウムは私の首に手をかけて自分の眼の高さまで持ち上げ、手首から先の無い左手を私の心臓に当て、呪を紡いだ。
胸の辺りが熱くなり、息苦しくなる。が、何だろうか……遠くで竜の咆哮が聞こえた気がしました。
カッ!とフラーウムの手から光が迸った時、私の胸元に突如現れた竜の牙が護るようにその光を受ける。
フラーウムの「何だとっ!?」という戸惑う声が聞こえた。
首を絞めていた手が外されて、ふわりと自分の身体が軽くなったような感じの後、師匠の「よく頑張りましたね」という声が聞こえた気がしました。
閉じかけの霞む視界に、銀の髪と黒の外套が翻るのが、映った。
◇
かくりと頭を地に落として気を失った弟子を目の端に捕らえながら、オルフェーシュはフラーウムの手を振り払う。フラーウムはそのまま飛び退いて身構えるが、その顔は動揺を露わにしていた。
「なんでお前達がここにいるっ!?」
彼が叫んだと同時に、緑の竜が風の刃を放つ。竜は間髪入れずにフラーウムに詰め寄り、爪を一閃して彼の右手に深い傷を刻んだ。
フラーウムは混乱した。竜は自分と共に封じられた際に長い時間をかけて力の全てを奪い取り消滅、男は彼の意志をくみ取った者の画策で異なる世界へと墜としたはずだった。自力で戻る手段が無いのは自分が一番解っていたのに。
「……先読みの巫女殿はもちろん、私の弟子も意外と優秀でしてね」
ゆらりと魔石の飾りのみのシンプルな槍を構えたオルフェーシュが静かに話しだす。その後ろに頭を低くした緑の竜が油断なく控えた。
「ウィリディス殿の牙を、手にしていたのですよ」
「そんなものが何で残っていた!?お前の全てを奪ったはずなのに」
グルル……と頭を低く構えて竜が唸る。
「何故存在するッ!!」
呪詛の様なその言葉には答えず、オルフェーシュと緑の竜はフラーウムへ立ち向かっていった。
◇
誰かに手を握られている。その暖かい感触には、覚えがあった。
遠い、忘れていた記憶だ。
私には曾祖母がいた。私の中の純日本人じゃない血を形成してくれた彼女は、未来を読める魔女だった。
両親が事故で亡くなった私を初めに引き取ってくれた人だ。
彼女が亡くなる前、私を叔父に託す直前に、彼女は私の手を握ってくれた。
いや、そうじゃない。これは違う人だ。
「また逢いましょう」
そう言って旅立っていったのは誰だ?この魔法の波動は……
「師匠っ!?」
ガバッと身体を起こしたら、くらっと眩暈がしたのでぎゅっと瞼を閉じた。
クスクス笑う誰かは、そんな私を助け起こして「自分で回復なさい」と無慈悲に指示してきました。
自分を抱くようにそのまま力を集中させれば、大きな怪我もない身体は直ぐに動けるようになった。
「さぁ、皆の事を宜しくお願いしますよ。フラーウムを滅するには、エルとサラの力が必要なんです」
そう言うと、師匠は走って行ってしまいました。向かう先に居たのは傷ついた緑の竜に相対する血まみれの男です。竜の影から師匠は槍で容赦なく彼を追うが、彼も長剣でそれを退ける。エリュトロンのような圧倒的な強さには見えないが、師匠と姐さんクラスの竜が組んでも互角以上に渡り合っている位だ、最高峰の一角に間違いない。
そんな私も悠長に眺めている場合ではありませんでした。急ぎサイドバッグから魔力回復剤を取り出して呷り、近場に倒れていたサラさんへ駆け寄ります。治せるだけ治して彼女の頭に水をかけて気付けを促す。
次は姐さんを探さないと。クレーターと化した足場は悪くて上まで登れない。失敗してズルズル滑り落ちているうちに、サラさんが目覚めました。
「アスラン、何やってるの」
「エルさんを探してます。早くしないと師匠が危ないです」
「師匠?………ディー!?」
「あのまんまフラーウムを倒す訳にはいかないんです!」
継承しないとと続ける私を、サラさんは竜化して手に乗せてくれた。そのままふわりと浮きあがり、クレーターの外に出てくれました。そっと降ろすと、彼女はそのまま飛んで師匠に加勢しに向かってくれました。
姐さんはクレーターからだいぶ離れた所で仰向けに倒れていました。急いで癒術を施す。
途中、クレーターの底でドンッという物凄い音がしましたが、私には私の戦いがあります。気になるけど治す事にひたすら集中する。治し終えたらその耳元にそっと声をかけました。
「姐さん。オルフェーシュ師匠が還ってきてフラーウムと戦ってます。姐さんの力が必要です。だから早く起きてください」
大きな声でも無かったのに、姐さんはカッと目を見開いて起き上がりました。この程度で目が覚めるとは……流石の師匠愛です。
彼女は服の埃を払うと一瞬のうちに竜化しました。
そうして、咆哮を上げて勢いよく飛んでいきました。風圧で吹っ飛ばした私の事は無視です。酷い。
私も戻りたいところですが、ベルナーク様も探さないといけない。きょろきょりしてると、またクレーターの方で激しくぶつかり合う音が聞こえました。
彼はあの時一番フラーウムに近い所に居たはずだ。下方からの噴き上げる力がかかった事を考えると、恐ろしい考えにたどり着いてしまったが、周りを見渡しそれが想像だけで済んだことにほっとした。
ベルナーク様はフェル君に守られていました。あの時の波動で骨をだいぶやったらしく、血を吐いた後があって今は意識を失っている。急ぐ必要があった。
彼の胸に手を当て、全身に魔力を巡らす。まずは体幹の複雑に折れたっぽい骨を、持てる力の限りに元の位置に戻して間を埋め、痛めた体腔の細胞を修復する。竜たちより脆い彼の身体に危機感を覚えて夢中になっていると、頭を撫でる人の手を感じてハッとしました。いつの間にか、ベルナーク様が意識を取り戻していたようでした。
「え?……あれ?」
「動ける。もう大丈夫だから無理すンな」
あれ、何でもう意識戻ってるの?とぱちくり目を瞬く。そういえば彼はまがりなりにもズメウだったっけ。人間の私らなんかよりも遥かに強靭なんでした。
ぐ、と身体を伸ばしてから彼は立ち上がり、フェル君から剣を受け取る。
「フラーウムはどうなった?誰が抑えてる?」
「師匠が、戻ってきました。フラーウムを、封じではなくて……滅すると言ってました」
「その為のサラとエルか。……エリュトロンは何処まで読んでたんだ」
恐らくフィルさんが伝えていたのでしょうね。色々な積み重ねで定めを覆そうとしたのでしょうが、私たちはどこまでも彼女の掌の中だったようです。
「行くぞ。あいつらだけに任せてらんねぇ」
「お願いします」
ベルナーク様にフェル君の上に引き上げられて、私もクレーターの底へと向かいました。
メル姐さんを送り出した時点で決着は付いていたのかもしれない。
私たちが上空で見た時、フラーウムは足元のおぼつかない状態で3方を囲まれていました。
姐さんは少し離れた所で人化していて、一心不乱に何かの術を詠唱している。
フラーウムは何かの力を大地から引き出そうとして失敗し、緑竜を見て絶叫していた。
「くそっ、くそッ!あの女アァァーッ!!」
「-----ッ!!!」
怒りにかられた彼が動き出す前に、メル姐さんの術が発動する。
人間の耳には理解できない言語と音域で紡がれた呪は、フラーウムの穢れた血の部分に向けられていたらしい。彼の絶叫と共にぶわりと黒い霞が湧き出て姐さんに向かっていき、彼女はそれを吸収した。
霞が抜けきった彼の正面に、竜の姿のサラさんが立つ。
光り輝く彼女の角が、フラーウムを捉える。腹を貫通したそれを、彼が震える手で掴んだとたんにサラさんが人化した。彼の腕を彼女が掴み、静かに、彼に謝った。
「フラーウム様。……すみません、この力で私たちは私たちの世界を護ります」
「サラグラル……」
いいだろう、と彼がつぶやいた途端、彼を形成していた身体が砂のように崩れだしました。
「だが、僕を排して力を得ても…………何も変わらない。せいぜい、足掻くがいい」
アハハハ………と哄笑を上げながら彼は崩れ去り、そんな彼の姿が完全に無くなるまで、私たちは立ちすくんでそれを見つめていたのでした。




