50.微睡みの中で
南にあるカーボベルデ国を目指した私達は、中央を避けるためにとりあえずフェル君が行ったことのある東のバーラット国の端へと空間を渡りました。そしてそこから夜通しで飛び続ける方法を選んだ。
夜明けを迎えて行商が動き始める頃に、そこから見えた街の手前で一度フェル君と別れる。
街に入って宿へ向かい、ご飯と仮眠を取ったらまたすぐ出発して空行です。
旅に継ぐ旅、世界の端から端への移動は本当に厳しい。どこまでも強行軍でいく今回の旅路に、カーボベルデを目の前にして私の体が根をあげてしまいました。
「すいません、どうにも目眩がとれなくて……」
「熱が高いからな。俺こそ焦ってばかりですまない。」
カーボベルデの国境に面した街で最後の休憩の筈が、思わぬ逗留になってしまいました。
仮眠で取った宿を宿泊に切り替えてもらい、一日ロスを覚悟で休ませてもらった事になる。
私の焦りをよそに、ベルナーク様は一度外に出て薬など必要なものを手配してくださいました。
身体能力の桁が違うズメウの彼からしたら歯痒いばかりでしょうが、実際のところ過労などの体力を基軸とした傷病に治癒魔法等は殆ど効かないので、休息以上の適切な対処法は無いと言われております。
なので、本当に申し訳ないのですが私に出来るのは静かに布団で横になる事しかないのでした。
「今は何も考えなくて良いから、ゆっくり寝てろ」
「……はい」
ベルナーク様に冷やした布を額に乗せられて、私は目をつぶりました。
――暁、今日は昔話を聴かせてやろうかの。
いつの間に眠っていたんだろう。
微睡みの中で、懐かしい、しかし知らない誰かのしゃがれた声が聞こえました。
――遥か遠い昔の話じゃ。わしらの先祖にはみな等しく翼があったんだ。私や……お前のようにね。
その人の背中には、輝く透明な翼がある。いつだか分からないけど、それを見せて貰ったことがあった。
私も翼を出すことが出来た。でも、いつそれを真似ることが出来たんだろう。覚えてないな。
――皆、母の腹にいた頃に精霊の祝福を受けた者達なんだ。シ族と呼ばれていたんだよ。
風の精霊に愛されて、空の城に住んでいたんだ。
そうして語られる、不思議な物語。魔法と竜と精霊。翼のある人、無い人たち。
――空の城はそうして滅びたんだ。だから残りの守りの竜と人々は、地上へ降りることになったのさ。
地上で、翼と力を隠して只人と交わる暮らし。守りの竜たちが国を興した話へと移り変わっていく。
――だが翼をもつ人の中にはこれを吉としなかった者がいたのさ。いつしか彼らの翼からは羽が抜け落ちて黒く染まってしまったんだ。
ギ族が、生まれる。
――彼らは、自身の欲望を現実にするための毒を得た。浸ると気分が高揚して能力が格段に上がる毒だ。
だが、いつしか毒に浸かり過ぎたギ族は理性を無くした。魔物に、なってしまったんだ。
腐蝕の毒…………破壊を望む、魔物の誕生。
――毒は、作った彼らの思惑を超えるほどこの世界に広がった。遠い大陸とは、これで縁が切れてしまったんだよ。
切り離された、世界。……小さな箱庭。
――毒の世界になってしまったが、只人は害無く生きることができたんだ。守りの竜は各々の一族を結界に入れて守った。精霊達は眠りについて、シ族はその世界を離れることで生き延びる道を得たわけじゃ。
そこが、始まり。
――姫は守り竜とともにこの小さな世界の竜族を生かす道を選んだが……我らとて神とは違う。永遠は作りだせないんだ。
始まりに、戻る?……戻ったら、どうなるの?
――……ラ、お前の守り竜はお前を見つけだしたな。
どうする?
お婆ちゃん?
眼が覚めた時、辺りは真っ暗でした。少し離れたテーブルに、明度を落としたランプが置いてあり、どうやらここは国境近くの宿屋だったらしい。いろいろ思い出してきました。
私にはお婆ちゃんと呼べる方はいないので誰の記憶かさえ解りませんが、寝ている間になんだか不思議な物語を聞かされた気がします。
あの後はどうなるんでしょうね?ちょっとだけ気になります。
「……アスラン、起きたのか?」
身動ぎしたのを察知したのか、眠そうな掠れた声がして、額に大きな手が置かれました。
「ん、もう大丈夫そうだな。安心した」
「ご迷惑をおかけしました。すいませんが今何時でしょう?」
「夜中。病み上がりで悪いが、明朝早く出る。もう少し……寝てろ……」
言うなり額の腕の力がなくなり、それはずるずる肩くらいまで下がってきました。
ほの暗い中で私の目が捉えたのは、ベッドに突っ伏して眠る彼の姿でした。
一応、ずっと看病しててくれたらしい。自分だって強行軍だったのに……流石に申し訳なく思いつつも私には彼をベッドに運ぶほどの力が無いので、毛布をかけてあげて私も寝直しました。
あくる朝、スッキリ目覚めて回りを見ると、静かにパンとスープを口にしているベルナーク様と目が合いました。
「おはよう。調子はどうだ?食えるか?」
「おはようございます。大丈夫です、頂きます」
ありがたく朝食をいただき、黙々と身支度を整える。
「病み上がりで悪いが、今日中にレソトまで行くぞ」
「本当にもう大丈夫です。こちらこそすみませんでした。」
宿を引き払って街外れまで歩く間に本日の予定を確認しております。
王都レソト、という事は、王宮へ寄って赤のエリュトロンの情報を仕入れるつもりなのでしょう。
かの方は古代竜の中で最も出現率が高い竜なので、国の端々で様々な逸話が語られております。
曰く、宿屋に宿泊しただの、火災を収めただの、火祭りの盛り上げに深紅の巨大な竜が飛んだだの、王の就任式に脇に立って手を振っていただの……話し半分としてもだいぶ人族に接触していらっしゃいます。
「王に伝令を送っとけば、エリュトロンは恐らく王宮の近衛騎士団の演習場で遭えるだろう」
「…………は?」
「前もそうだった。腕の達つ奴を見つけると遊びたがるんだ」
どうやら私の考える以上に普通に生活を送っているらしい。……威厳がほとんど感じられないのは気のせいでしょうか。
「フェル!」
紫水晶を通したベルナーク様の呼び掛けに、フェル君は空間を割いて現れました。
今回、彼の口には細目の長剣がくわえられています。
柄の部分に無数にある魔石からは、師匠の匂いがしました。
「ベルナーク様、これは師匠の作品ですね?」
「ああ。……何で判った?」
まさか言い当てると思わなかったらしく瞠目しておりますが、私には判らない方が分かりません。
匂いですと言ったら絶句しておりました。
「お前ならきっとオルがこの世界に戻ってきたら判りそうだな……」
「そう出来ることを願ってます」
彼は帯剣して重い溜め息をついてから、フェル君を出発させたのでした。




