42.束の間の邂逅
キーヴァ君、いや、キーヴァルレインは、このままでは歴史は翻るだろう……と、確かにそう言っていました。
明日になればまた皆がワイワイやってきて、ここに留まって考えてもどうしようもないからトアレグに行こうとなるだろう。
2階の自室へ戻ろうと、階段をゆっくり上がりながら思考を巡らせる。
そういえば、キーヴァ君は同族だが気配が違うとも言っていました。彼の同族が誰かを唆したのか、それとも……。
背筋がヒヤリと冷たいものに撫でられたような感じになる。
嫌な、事を……思い出しそうになってしまった。
今日はもう駄目だ。考えないで眠ろう。
そう思っていたのに、神様は悪戯を仕掛けてきたようでした。
師匠の部屋の扉が、少し開いていたのです。
師匠は部屋に居るとき、寝るとき以外は扉を少しだけ開けておく習慣がありました。
まさか、とドキドキする心拍を抑えることもできず、私はそっと扉を開けてしまいました。
キィ…という蝶番の軋み音とともに、明かりの灯る部屋が見えてきました。
そう、明かりが付いていたのです。
「オルフェーシュ師匠っ!!」
思わず部屋に飛び込んで数歩あるいて、我に返りました。
……やば……い。迷宮入り、してもた……。
あまりの失態に、心拍も冷や汗も先程の比ではありません。
「し、師匠〜!!」
とりあえず叫びました。勿論反応はありません。
後ろを見たら、扉が消えてました。痕跡すらありません。ただ床板と天井だけがウチのままで、周りは何もないだだっ広い空間が広がっていました。流石の迷宮仕様です。
とりあえずこうなると進むしかないので、自分の装備を確認することにしました。幸いなことにサイドバッグはあります。中に数枚の札と身体能力向上の魔具と望遠鏡、ムーちゃんの召喚珠、血赤珊瑚の壊れたチャームが入ってました。ここの攻略にはイマイチどころかイマ30くらい物足りない中身です。
「ポチー!」
ダメ元で呼んでみますがダメでした。同じく召喚珠も血赤珊瑚も反応しません。
全くの一人きりというのはほとんど初めての事態です。心細さに自然と身体が震えてきます。
「ししょー、頼みますから居てくださいね……」
ゆっくりと、心の思う方向へ歩き出すことにしました。
どれくらい歩いたのだろうか。幸運な事にトラップには全く行き当たることなく歩けています。ただ、天井と床板はあるんですが、他は見渡す限り何もありません。前方には、だいぶ遠くですがようやく壁らしきものが見えてきた気がしました。ひたすら頑張って歩いて、近づいてみたら壁一面の本棚でした。
本の背表紙には拙い分類番号がふってあります。昔、あまりの蔵書量に整理が追い付かず、苦肉の策で私が付けたものでした。
「わぁ……」
もしかしてと思い、状況も忘れて夢中で本を追い、やがて本棚の角までたどり着きました。目当ての希少本『古代竜と天地神話』です。
抜き取ろうと思ってハタと気がつきました。……私、手、洗ってない。
古書で希少本だけに、本当は絶対に必要な手順なので心底悩みます。悩みましたけど……でも、緊急時という事で忘れたことにしますっ!
私は手のひら程ある厚みの本を引き出し、行儀悪く床に置いて中身を確認することにしました。
ハラリと捲ると古書独特の湿気た匂いが鼻孔を刺激する。
――世界は竜を産み出しシ族とギ族を造り出した。シ族は光をギ族は闇を竜は調和を司り、生き物を創造した、とある。……もっと先だ。ガバッと頁を飛ばす。ついでに頁が外れました。
ギャーー!!!
希少本の古書は補充が効かないから大事に大事に扱わないとなのに……こういうのほど読む以前に紙が紙じゃなくなってたり、インクで穴が開いてたり、手垢で変色してたり、虫に食われたり、黴てたり、装丁部分ですら扱い次第で砕けたり呪われたりしますので、皆さんはこんな雑な事は絶対にやらないように気を付けてくださいね……。あとくれぐれも手をしっっかり洗ってからね!白手袋は本と相性悪いから使わないようにね!
今回は、思うの2回目だけど………緊急なので何もかも見なかった事にします!そして師匠には絶対に言えませんので、本は後でこっそり直す予定です。
ホント、居なくて良かったわー。
「……アスラン」
そんな私を裏切るように、静かな空間に師匠の涼やかな声が響きました。
「っ!?……師匠?」
本を抱えて声が聞こえた辺りを見ると、師匠がいました。半ば呆然として見ていたら、目が合いました。……目、合ってしまったぞ!?本物なのかっ!?ナンテコトだ!
「おる、ふぇーす、ししょー?」
あまりに非道な現実に、目に涙が浮かんできました。ふらりと立ち上がり、師匠の足元で土下座で謝るべく歩み寄ろうとしたら、落とした本に足をかけてしまいすっ転んでしまいました。
希少本持ってたんだっけぇぇーナンテコッタァぁーっと固まっていたら、ポチみたいな銀の犬が急に突っ込んできて、私はもみくちゃにされてしまいました。ポチもどきは中型犬サイズのくせして人の事を前足で全力で転がしにかかります。
なんか昔ポチにやられた事があるんですけど、これは吐くっ内臓が死ぬっ!
「ギブです!もう無理だからーっ」
私がゴロゴロされてるのに、師匠はそんな我々を眺めるだけでした。放置だなんて酷い。
ようやくポチが落ち着いたのでわしわし撫でたのですが、やはり小さなポチに見えます。不思議です。
「だいぶお久しぶりな気がしますが、こちらは一体いつの貴女でしょう?」
「???師匠がアイナー渓谷で行方不明になってから大体半年とちょっと経ちましたよね?」
いつの、と師匠は言いましたが、意味が分かりません。でも一応説明はしますよ、弟子ですから。
そうして、この半年あまりの出来事を話すにつれ、師匠の顔がとても険しくなりました。本の事は全く気にかけていないようなので、あえて私からは触れません。……怖くて触れられないけどね。
とりあえず、これから陥落したトアレグの街を見に行く事は伝えられました。
師匠は師匠で、半月で戻れると教えてくれました。
……そこがデッドラインですね。直らなかったら…………いや、考えちゃいけない。頑張ろう。
大丈夫だ。大丈夫……とカラ笑いで誤魔化せば、師匠は心底心配してくれてたらしい。
「戦場では逃げることも必要です。できるだけ、無理をしないでください」
そう言って、不思議な模様の入ったエメラルド付きのブレスレットを見せてくれました。
「これって……」
「本当は貴女に単独での討伐依頼が入った際にでも渡そうと思って用意していた物です。額に当てて呪を練れば、効果はそのままで使用魔力を抑えることができます」
そう言って、師匠は利き手にブレスレットを留めて下さいました。
私の癖でもある札を額に持っていって呪を唱えるという動きだけで魔力を節約できるなんて、なんて素敵な魔道具なんでしょう。さすが師匠です。
っていうか、これで本の件がバレたら無かったことにされそうだ。
こういう時は出直すに限る!
そう結論が出た私は、何気ない感じにそっと本を本棚に戻していそいそと帰る準備を始めました。
師匠は出入り口まで一緒に歩いてくれて、見送りをしてくれました。
彼からはこちらのドアの先は真っ暗闇に見えるらしく、恐らく次元軸が違うせいでしょうねと教えてくれました。
別れ際に、なるべく早く戻りますから…と、いつになく優しく頭を撫でられて、つい「絶対ですよ?」と口にしてしまいました。……世の中に絶対なんて無いのにね。
師匠はすごく眼を細めていて悲しそうでした。
お休みなさいを言って、パタンとドアを閉じる。
………………あ。
慌ててドアを開けるも、明かりのついてない偽物の簡素な部屋が月明かりに照らされていました。
駄目だコレ。もう次一人で入ったら帰れないでしょうね……。
私は自分の目的を綺麗に忘れ去っていたのです。
本、持ってきちゃえば良かった……。あああああ。
アスランから見るとコメディ……。




