その頃のししょー。その2
老婆の家は深い森の入り口にあった。周りに家は見当たらない。
「貴女はここに一人でお住まいなのですか?」
「そうだね、ざっと80年、この地に縛られているよ」
老婆はこの世界ではとても珍しい魔女だった。
アスランは言っていたはずだ、私の世界に魔法は無かったと。しかし実際は身近にあったのだ。どおりで魔道に関する知識の吸収が早いはずだ。
「ではここが日本国なのですか?」
「いいや、オーストラリアという国の東の端さ。人間も少なくて森に棲む精霊の力が強いから気に入っている」
そう言って老婆はこの世界の地図を出して示した。この大陸とは違う、広大な海に囲まれた小さな島国、それがアスランの故郷らしかった。
それからオルフェーシュは老婆に様々なことを質問し、教えて貰った。
人間、地の守り、精霊、動物達、幻獣という枠組みの竜。
「ほっ。あの子は竜を扱えるか。血は争えないねぇ」
あちらの世界でのアスランの様子を語ったとき、老婆はしきりと感心し嬉しそうに笑った。
老婆の家系は元々はヨーロッパという地域で人護りの竜使いであったのだ。一般に紛れて血を薄めはしたが、時おり老婆やアスランのような力の持ち主が生まれてしまうのだと話していた。そしてもうそのような子は生まれないとも。
そうして老婆の家に厄介になって一週間が過ぎた。
少し長い外出から戻った老婆は、小さな女の子を連れ帰ってきた。肩で跳ねるくせっ毛のブルネットの髪、少しだけ垂れた目尻、ぐっと口許は食いしばっているに何の感情も見えない明るい茶色の眼。
彼女が自分の感情を全く整理できてない事が、伺えた。
3人の生活は、思ったよりも静かなものだった。
アスランこと暁は、自分のことは自分でできた。5才児とは思えない落ち着きぶりだった。彼女は、暇な時間は表のカウチに座って静かに森を眺めていた。
あのいつも楽しげで煩い弟子の、思いもかけない姿にオルフェーシュは戸惑っていた。そんな姿を見るまではまぁどうにかなるだろうと思っていただけに、見守る以外の方法が分からなかった。
森から時おり動物達がおりてきたりもするが、彼女は何一つ反応しなかった。
そうして、何の変化も無いまま一月ほどが過ぎた。
ある日、老婆は馬を連れてきた。貰いものの雑種だと言っていたが、長身のオルフェーシュの肩ほどまで体高がある立派な栗毛の雄だった。
オルフェーシュは老婆に頼まれ、彼女に馬の扱いを教えた。やがて普通に扱えるようになった頃、老婆は彼女を学校へ通わせた。
この地域は舗装されていないうえに雨も多く、車という一般に便利な乗り物では逆に不便なのだ。馬が足だった。
学校へ通い出したら、アスランはますます無表情になっていった。
こっそり隠れてオルフェーシュが覗きに行った時も、数人の子供らに囲まれて蹴られ、罵倒されていた。
気付かれない程度にさりげなく風魔法で子供らに不快感を与えて追い払う。
アスランは何事も無かったように服の汚れを払い、栗毛に乗って家に帰っていった。
家に戻ったオルフェーシュは、老婆にその事を伝えたが、彼女は手は出せないと言った。
更には「運命が見えない方が色々できたんじゃないかと思う時が一杯あるよ」とも。
つまりは自分の出番なのだなと、オルフェーシュは思った。
家に居るときはなるべくアスランに付き従い、学校へは僕にした白いオウムをアスランに与えた。
この頃、ようやく彼女は動物には心を開けるようになった。
栗毛と白オウムには笑顔を見せるときもあったようだ。
奮起したオウムと影で暗躍したオルフェーシュによっていじめっ子達は統制され、彼女は穏やかな時を過ごせるようになっていった。




