20.クルージュへ行ってみましょう
ある日、一仕事終えて家に帰るとフェルゲニシュが待っていました。
ムーちゃんは私のせいもあってフェル君が大嫌いだ。氷と毒は相対するものではないが、相性も決して良いとはいえません。
あの黒くて長いふてぶてしい尻尾を見たとたん、騎乗する私の制止を無視して氷焉魔方陣を展開し襲いかかろうとしました。
「ムーちゃん駄目っ!止めなさい!!」
気づいてすぐウエストバッグからありったけの解呪の札を投げて陣を崩し、手綱を引き絞って近寄らないよう必死で制御をかける。
あぶなー、今日グルメット付の制御しやすい頭絡で良かった……。
悔しそうにジリジリしているムーちゃんを留めるのに必死な私の様子を見て、フェル君は面白そうに尾を揺らして殊更彼女を挑発していました。
もう、仕事帰りのユッタリまったり時間が台無しですよ。
竜の発する物騒な威嚇の声で私の帰宅を確信したベルナーク様が、家の中からようやく姿を現しました。
……どうでも良くないが、鍵掛けて出てったハズの家から出てきたよあの人……。
「おー、なんか面白いことになってんなー」
「ベルナーク様!いらっしゃるのでしたら助けてくださいっ!」
全く余裕のない声を張り上げたのに、ベルナーク様は笑うばかりで手を出してくれません。
仕方がないので、ポチの友達ドリアン君にポチ経由で蔦でムーちゃん籠を作るようお願いして貰い、その籠に私の封呪の札を片っ端っから貼りまくって大人しくさせました。そうしてようやく荷物と鞍と勒を外すことができたのです。
私としても悔しいが、フェル君は放置です。奴に植物檻は通じないので仕方がありません。
それに、奴が本気でかかってきたら、私たちではどう頑張っても勝ち目はないので、今は本当に挑発だけだと分かっているのもあります。
「自分の為に頑張るムエザを押さえつけるとは、アスラン、お前酷いな」
「本気を出されたら勝てないと分かっている相手には挑ませないのも飼い主の努めだと思ってますけど?」
ベルナーク様は、はっと短く笑って腕を組んで気だるげにドアにもたれ掛かりました。
「まぁな。矜持を叩き折られて使い物にならなくなっても困るしな」
「そう思うんでしたら一時でもフェル君を帰してくださいよ」
「あいつはムエザを気に入ってるから嫌なんだと」
見れば、フェル君はムーちゃんの籠の側から離れず、威嚇する彼女を楽しそうに眺めています。
「それでも、あのままじゃムーちゃんいじけて呼んでも来てくれなくなりますけど…」
「んじゃ自由にしてやらせれば良いさ。フェルニゲシュ、人気の無いとこまで渡って向こうの気の済むまで構ってやれや」
ベルナーク様の言葉を聞いて、フェル君は籠の側面に毒を振り撒きました。みるみる籠と札が溶け落ちて穴が開いていく。
カッ!と籠の中が光輝き、一瞬で籠が凍結して砕け散りました。
……ムーちゃんかなり全力投球ですね。
空高く飛び上がったフェル君が空間を引き裂いて時空穴を造り出す。
ムーちゃんが挑発に乗って穴に飛び込むと、フェル君も追って入り穴を閉じました。
同じ野生種に格付けされていても、黒龍と氷竜では大人と子供程の力量差があります。ましてムーちゃんは成竜なりたてだ。
可哀想だけど、戻ってきたら暫く傷心になるだろうムーちゃんに、心の中で謝りました。
「ところでベルナーク様、何用ですか?」
「ああ、クルージュへ行くぞ。暫く旅になるから用意しとけ」
「……いつからですか?」
「用意でき次第」
……今すぐですかい。
「明日朝までには用意できますので今日のところはお引き取りください」
「足が彼女を口説きに行っちまったから無理だ」
ベルナーク様はわざとらしく肩をすくめました。……成人男子がそれやっても可愛くないですよ。
「……ムーちゃんは嫁にやれませんよ」
「オルが帰ってきたら無理難題押し付けられそうだから俺も止めたんだよ。お前もフェルによーく言ってやってくれ」
一応説得を頑張ったらしいので、それ以上彼に食って掛かるのは止めにしました。それにこの件は我々にはどうしようもないので保留となったのです。
仕方がないので荷物の準備にとりかかる事にしました。
とりあえず手始めに、リビングの目立つ所に箒を逆さにして飾りました。
「それは何だ?」と言われたので「お呪いです」と言ったらちょっと嫌そうな顔をされました。なんとなく意味が解ったのかもしれませんね。
「ああ、そういえば先日のお食事はありがとうございました。それはそれとして、ベルナーク様はこの家の鍵も何故かお持ちなようですしここは貴方様の家も同然でしょうからお茶はご自身でご自由になさってくださいませ。
私は準備にとりかかりますので邪魔をしないで下さいね」
「ビックリする位慇懃無礼だナ。まるでオルみたいだ。まぁ勝手に鍵を開けたのは悪かったが、あんなんじゃ防犯がなってないぞ」
「空き巣が狙う程の金目のものは一切無いですよ。それに師匠のものの大半は私が触れられない亜空間にありますので」
そこまで言うとベルナーク様は「あー……」と残念そうに呟きました。
ちょっとは師匠の資料をあてにしていたのでしょうね。私も人の事は言えなかったのですが。
「お酒が入らなくてもすっごい自慢してた罠付き空間魔法ですし、私の解呪の札では解けませんでした。
たぶんフェル君でも手を出す気にならないと思いますよ?」
フェル君は昔師匠の大事な物を溶かしてガッツリ絞られた事があり、それ以来頭が上がらないようなんです。
いっときは師匠の姿が見えると怯えて即木の影に隠れて擬態してましたよ。
上位野生種をそこまで怯えさせる師匠は、ホント何者だったんでしょうね……。
不毛な会話が嫌になったので、だいぶ濃いめに煮出した薬草茶をベルナーク様に出して、私は2階の自室で旅支度を開始しました。




