『ゆめ』
ある朝、僕は山頂で目が覚めた。深い霧に包まれた……冷たい雲の、中に居た。
見下ろす限りの絶景は、見渡す限りの岩山だった。冷たい空気に身震いをして、僕は『夢』だと思い込んだ。
ある朝、僕は川辺に横たわっていた。ごつごつ石の………痛みで目が覚めたのだ。
川辺は澄んだ空気に満ちていて、ひんやりとした風が頭上の木陰を揺らしていく。
僕は何だか心地が良くて……せせらぎを子守唄に目を閉じた。
ある午後僕は風を見ていた。薔薇の溢れた何処かの庭で、白い椅子に腰掛けていた。白いテーブルには、ケーキが丸く置いてあって……『食べてください』と囁いていた。
僕は甘いモノが嫌いではないけれど、丁重に断って、紅茶だけをいただいた。
紅茶の澄んだ赤色を飲み干すと、途端に眠気に襲われた。僕は多少は抗いもしたが、甘い………緑の匂いの中で眠りについた。
ある午後僕は、和室に居た。畳の上で横になっていた。体の自由がきかなくて………金縛りにでもあっていたのだろう。
襖の向こうからは言い争っている様な声がした。僕はその幻聴が何故か恐ろしくて、耳を塞ぐかわりに意識を手放した。
ある黄昏時のこと。僕は真っ赤に染まった海に居た。暮れなずむ夕日が……暗い海に、よく映えている。
灰色の砂はまだ熱を覚えていて、僕は温かかったから涙を溢した。
すると海の沖から人がやって来て、僕の前に貝殻を差し出した。
よくわからなかったが………涙を一粒落としてやるとその人は大いに喜んだ。
『今晩は泊めて差し上げましょう』
その人が親切に笑うので、僕は言われるままに貝のベッドに潜り込んだ。
ある黄昏時。僕は神社の境内にいた。
夏の終わりの蝉時雨……鳥居の上に、立っていた。
流石の僕も、今度は焦った。夢ならば覚めてくれと、翼でも生えてきやしないかと。
すると翼が生えてきた。やはり願ってみるものだ。僕は、ぴよんと飛び上がり、山の向こうで焚かれている煙の方を目指した。
ある晩、僕は公園に居た。遊びに行った友達に追い出されたからだ。
月が蒼く……大きな夜で、僕はブランコをキィキィさせていた。
もう帰ろうかと立ち上がると、隣のブランコにも誰かがいた。誰かは首から下を失っていて、それでも器用にブランコを操っていた。
『ほう、器用ですな』
僕が感嘆の声を漏らすと、蒼い顔をした夢の住人は、灰色の瞳を細めて笑った。
ある晩僕は……冷たい土の上で、目を見開いていた。
無遠慮な懐中電灯がこの身を照らす中、ざくざくと土を削る音と、荒い二つの息遣いとを聞いていた。
胸から足から徐々に重たくなっていって……僕は綺麗に土の中へと隠される。
『これでなんとか………』
怯えたような男の声。
『ええ。祟らないでよね、貴方』
喜びを冷やした妻の声。
ああ、僕は死んだのだ。あの二人に………殺されたのだった。
そして今晩、僕は訪れる。湿った空気の我が家の寝室を。ベッドの上では男女が眠っている。
さあどうやって引き裂いてやろう?