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命の尊さの証

作者: 神田 佳

失う事を恐れて挑む人がいる。

失う事を恐れて挑む事を諦める人がいる。

自然の全ては移りゆき形ある物はいずれ

形を変え行く。


恐れなければ、決して奪われないものは

すぐそこに目の前にあるもの。


そんな事は当たり前の事なんですが、

当たり前だからこそ

人は度々、独りよがりにまた

失う事を恐れ

挑む心を忘れがちになるようです。


この「当たり前に」についての

初心ともいえる心を蘇らせ希望を伝えてくれた

人生の師に、深い感謝を込めこのストーリーを捧げます。

2016年ショートストーリーno.8「命の尊さの証」

2016.9月再々筆


ここに一つの小さな「御守り」とやらが

ありまして、一般に言われるような大層な

仕上がりじゃあなく、手作りのフェルトの

しかも作り手は三歳児だそうです。


訳あって私の引き出しに大事に保管してあり

定期的に出してみますと随分、経年劣化していますが、長方形フェルトを二枚重ね、それを

縫い止め中にはラベンダーが入っている

所謂「サシェ」と呼ばれる香袋です。


描かれた柄には太陽、雲、大きなお花と

一面の草花、三歳児らしくまだあどけない

描き方ですが油性ペンですから随分

一生懸命、描いたのでしょう。


裏返すとひらがながあり、これは何故か

言葉として成り立つ訳ではないので

くれた主に聞いてみますと、その娘さんの

母親が文字を書きたがる娘に、

ひらがなを教えている最中だったそうで、

間違えずに書けそうなひらがなを娘さんが

自分なりに練習として書いたらしいです。


水色のフェルトに、ピンクとブルーの

マジックで絵があり、縫い目には白い糸。

二本どりの白い木綿糸の端はきちんと縫い止められ

さすがに手縫いの縫い目の綺麗さは

大人には敵いませんが、三歳でよく仕上げたものです。

三歳で針を持たせて怪我をしないか大抵は

怖がりそうですが。


しかし、その家庭では娘さんの誕生を待ち望み、

生まれる前から母親が手作り、手縫いで

娘さんの衣類や玩具小物を作っていたそうで

成程、道理で合点がいきます。


その家庭で育つ赤ちゃんは当たり前に母親が

夜なべをして、あるいは昼寝から目覚めるたびに

手編みのマフラーが仕上がって行ったり

新しいよだれかけやバッグが作られたりして

成長したらしく、三歳にもなると作る姿を

見ながら「ママ、めぐもやれる?作ってみたい」と

しきりに仲間になりたがるらしいです。


聞けば二歳頃から既に根負けした母親が最初は

膝の上であやしながらミシンのボタンを

一緒に手を添えて押すだけを試させてみたり

あるいは、布を切るとき片方端を持つお手伝いを頼んだそうです。

そうなればもう子供の気分は上がり、逆に子供の向上心も刺激した様子。


ある日にはいよいよ絵を描きながら「ママみたいにやりたい。ママのほうが上手い。めぐは下手?」としきりに悩むそう。

やがて母親は余りに娘さんが早く向上したがるので

次々に材料を紙からフェルトや布へ、と

変えていったらしいです。


この御守りが何故ラベンダーが入ったサシェなのかですが、これはある夏にその母親が北国から直送したラベンダーをサシェにして障害者福祉施設へ納品するために大量にラベンダーを使っていたそうです。


これをやる時期は半端なラベンダーの茎や実が余るらしく、零れ種や茎を自宅用サシェにしようとしていた時に「じゃあサシェ作る?」と興味深々の娘さんに

提案したそうです。


手縫いはどうしたのかといえば、半分泣きべそを

かきそうになりながら余程の努力家なのか

娘さんが一人で「ママ教えて」と手ほどきを

受けながら頑張って縫ったそう。


しかし縫うことは大人が針の危なさから持ち方などを教えていったとしても、玉留めは難しいはず。

さすがにまだ玉留めだけは上手く教えられず、その日中に作りたがる娘さんに母親は最後の糸の玉留めだけは、母親にバトンタッチするように強情な娘さんを説得したようです。


「作品は長く持ち主に愛されたいよね、だから仕上げの基本は中途半端では済ませないこと。」


「どんなに作り手が一生懸命でも完成が中途半端になることは往々にしてプロにはある。それはずっと私にも沢山ある高いハードルだから一つ一つを挫けそうになりながら超えていくしかなくて、当たり前のこと。」

「一生懸命と中途半端は明確に違うのよ。努力が結果になるかは結果を大事に努力すればいいだけ。

努力に結果がついてくるまでは結果は見えて来ないの。

だってまだハードルを超えてないから遠い山の先を今の地点から見えるはずがないでしょう?」


「いつか必ず玉留めを出来る頃、簡単なハードルに随分と努力したなぁ、って笑える日があと10回誕生日を迎える頃に来る。だから今は我慢、出来ない自分を当たり前だと思って。」


「ママなんて同級生皆が出来たのに一人で出来なくて悔しくて泣きながら夜練習してやっと出来たのは13歳、あなたより10年以上かかってたけど

それで今はめぐから上手い凄いって言ってもらえる。

それだけ長く時間かかるけど他に出来る沢山の事を楽しみにして才能伸ばせばいいわ、焦らないで。」


「今、あなたが無理な部分は堂々とプロの大人に任せたほうがいい、能力の違いじゃなくてこれは年齢的にまだ玉留めを出来るだけの年齢じゃないから、今は諦めて構わない事。」


半泣きする娘さんに母親は理由を山やハードルに例えて説明したらしいです。


この御守りに縫われた不揃いの端の縫い目は、それでも如何に真剣に作品に向き合ったかを表しているようです。

よく眺めれば布端から見事に5ミリからスタートして角から途中持つ位置を変えます。

そこからは一人で練習したらしく試行錯誤して真っ直ぐ進み最後はまた布端5ミリまで忠実に戻っています。


作品という言葉が適切かどうかはさておき、

御守りとして娘さんがトライした

両親向けのギフトは作り手の情熱、真心という

魂が込められていると感じ、私は大切に保管しています。


世に日の出を見ないけれど

きっと、作り手の情熱、魂が込められた宝のような作品というものは無数無限にあるのかもしれません。


現代社会を見ていますと、

平和のため、充足のため人は大抵

何かを欲する生き物のようです。

しかし、人生において、

真に必要な宝物の数は

そんなに沢山の貨幣を得なければ

幸福にたどり着けないのか、

そんなに消費社会に貨幣を払わねば

幸福を感じれないのかと、

この御守りは語りかけてくるようです。


人生において時に輝ける宝物は、

一瞬の思い出にも

すり替わるように心は移ろいやすく、

案外近くに有るのにその価値や真価を人は

時に忘れがちです。

そして私もまた、引き出しを開けてたまに

宝探しゲームをしなければ

これ程貴重な宝物から学ぶ事すら

日常に流され、忘れてしまいがちです。


けれど秋の夜、一人で心の引き出しに

風を通すように開けてみると、

以前作り手の娘さんに想いを巡らせた時より、

一層の輝きを宝物が伝えてくるようです。

小さな御守りの縫い目は、娘さんが三年間

愛し愛され、生きた命の証のようです。

描かれた絵もまた然り。



2016年再々筆しています。

実話を基にしたストーリーを師とする人に捧げるため、綴り直しましたが、過去原稿がないまま

書き直しました。


実物写真を入れて世に送る事が本来ですが、まだ実現に至らず稚拙な筆ではありますが、いずれまた再加筆する前提の下、綴ったストーリーを掲載します。


文中から、人が「生きる証」が「希望」に繋がるならば、辛うじて筆が甘い自分を許せます。

また、最後までお読みいただけたならば誠にありがとうございました。



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