俺が嫌いな村上春樹の本を読んでどう思ったか
やれやれ、僕はようやっと収容所から出所する事が許可された。看守はグレイのピッチリ糊が効いたユニフォームを着ていて、僕に向かってやっとお前も何かになれたのだな、と涙を流しながら僕に握手を求めてきた。その差し出された手にはめ込まれた白手に涙がぽたりと落ち湖を作ったそれを、眼から情報として取り込み僕の心の中に広がった時僕という人間はなんと凡庸で普通の中の普通の人間であるから、心の中に生えている一本の銀杏の木がその黄色い葉をたたえた枝を揺らし、それが体一杯に広がるような気分になるのだろうと思い、手を差し出し握手をした。看守の手はとても暖かくふわふわしていて僕は一人ではないのだな、という気分になり、看守にもこういう体験があり、彼にも子供の頃があり、青年の頃があり、ハルキスト党に入党するまでの姿がありありと想像できた気がして、僕はありがとうと言った。
僕たちはノルウェイの森に降下した後一定の戦果をあげた。奴らは確かに弱くて脆くて少し押してしまうと空に舞い飛んでしまうタンポポの綿毛のようなそんな緩やかな包囲攻撃を取る事しか出来なかった。僕は僕の分隊とその分隊長とあっというまに拠点を作ると何度も包囲攻撃をかけてくるハルキスト共を撃ち続けた。降下兵用の重量が軽い軽機関銃のベルトを持ち給弾を手助けしその臓物を撒き散らし泥と血がまぜこぜになってバタバタと倒れていくその集団を見るととても気分が良かった。森の木々の間から光が差込みその死体とのコントラストはまるでルノワールの絵みたいだった。こりゃ楽な戦線だったな、と分隊長は笑っていたが彼らは数がとんでもなく多かった。夏の日市民プールで泳いでいる時、こんな感情になったなあとくすりと苦笑した。
そうして弾が切れた僕たちは捕らえられた。分隊長は破壊工作用に与えられていたプラスチック爆弾を体中に巻きつけ三人のハルキストと一緒にばらばらの肉片になり、どれが分隊長なのかわからなくなるほどめちゃくちゃになった。僕は手錠をはめられ、僕の周りには能面のような微笑を貼り付けたハルキストが数人居た。お前らはクズだ、どうしようもない、オレが絶対にぶっ殺してやる、肥溜めにぶち込んでやる、オレはお前らを踏み潰してお前らのミンチで作ったステージの上でジグダンスを踊ってやるからな、とわめくと彼女はあら、あなたって詩的なのね。と言いセブンスターを取り出しうまそうに吸った。オレはバカか、と思った。「そういう風に物事を見れる人って、そう中々居ないわよ」その夕焼けと彼女の眼と鼻と口の影が作る抽象画的な赤と黒の映像を見たその時の僕は、お前らには何も取り柄がない。何にも出来ないから、何でも出来るような、かしこぶったふりをしている。オレは銃を撃てるし、お前らを殺すことは出来る。それは良くわかってるし、今でもそうしたい。と言った。
収容所に送られた僕には感化教育が行われた。それはあまりに退屈であくびが出てそのまま魂が帰ってこなくなるのではないかと心配になるほどだった。しかし、あまりにもハルキストが多く、僕らは少なかったので、彼らと一緒になった方が楽じゃないのかなぁ、と僕は考え始めた。ある日の教育中、僕は何かに引かれる操り人形のように手をピンと上に伸ばし、こう言った。僕はハルキストになります。だから、嫌わないでください。僕の事を、嫌わないでください。その時の教官は満足そうな笑みを浮かべ、もちろんだよ、誰も君を嫌ったりなんかしない、と言った。僕はその時、みじめったらしい白痴みたいな笑顔を浮かべていたと思う。
芳子が迎えの車を運転してくれた。芳子は複雑な家庭に育ち、父親が何度も変わった。リストカットを何度か経験していて、その腕の傷は盛り上がっていた。だから、あなたみたいな人の痛みがわかるのよ、と彼女は感化教育中の僕に言った。
車の中には上品な花の香水の臭いが漂っていた。芳子はちらりと僕の方を見ると、あなたも何者かになる事が出来たのね、と言いふふ、と息を漏らすように笑った。そうかな、と僕は苦笑し、僕は何にも出来ない、至って普通の、普通の人間だよ、と言いぼんやり車の外を眺め、流れる川とそこで遊ぶ子供たちを眺めた。その子供たちを眺めている僕というものを見た時僕もその景色に自然に居る一人として仮にそれを題材にして絵を描く老画家が居たら僕と芳子が乗った車のことも書くのだろうなぁ、と思って嬉しくなった。
そうして、ふと分隊長の事を思い出した。彼は死の瞬間まで何にも諦めてはいなかった。彼は一つの目標に向かって、その道を駆け上っていった。悪あがきでも自己憐憫のための自殺でもなく、分隊長はただ決意した顔でその雷管を思い切り引き抜き、彼の周りにスノッブ面で呆けて立っていたハルキスト共を両腕で抱え込みそいつらを殺した。
オレは芳子に言った。おい、お前らはクズだ。芳子は少し驚いたような顔をした。あら、またそうやって、誰にでもあるような、子供の頃みたいな態度を取るのね、と言った。
お前らは能と同じだ。最大公約数に向かって曖昧な傷の映像を見せる事で、嘘っぱちの共感を得て、寄り添い、お互いに暖めあっているだけだ。アヘン中毒のジャンキーみたいなもんだ。と笑い飛ばした。芳子は車を止めた。お前らは大人になり、成長したふりをしている。その他の感情をだれにでもある子供のこと、と切り離して考えている。お前らは成長したんじゃない、妥協したんだよ、老いたんだ。芳子は助手席と運転席の間からオレを覗き込み、こう言った。「それで、どうするつもり? 」
こうするんだよ。オレは芳子の顔を思い切り殴りつけ、その顔が引っ込んだのを見て取り、運転席になだれ込み、芳子を放り出した。アクセルを思い切り踏み込み、200kmで車をぶっ飛ばし、興奮した。どっかの誰かにオレを描かれてたまるもんかよ。アヘンよりもコカインでイカレちまった方がいい。車の外の背景は徐々に伸びていき、眼で捉えきれなくなり、色とりどりの線になった。




