禍家子
住宅販売業の中谷さん(仮名)に聞いた話。
彼は赤無市の某所の中古一戸建てを販売していたという。僕が「どことなく不穏な空気が漂っている」とこの街を表現しているので、治安の悪い街だと読者の方は思っているかも知れないが、数年前からの再開発もあり、この街は割と人気のある土地になってきている。環状線からは市内に行けるし、何よりも市内まで十数分でたどり着ける地下鉄が開通した効果がかなり大きい。古い施設やビルはどんどん壊され、新しいマンションや飲食店、美容院などが入った商業施設に変わっている。
街の北部にあるJRの駅前は、古い個人商店が立ち並ぶ細い路地で、自動車で行こうものなら大渋滞で動けなくなっていたが、それらを一気に立ち退かせて大型複合商業ビルにし、道をかなり広くした。そうそう。この駅で僕自身が一度怪異に遭遇したのだけれど、それはまた別の話だ。
車の免許を持っていない僕が言うのも何なのだが、この街はかなり利便性がいい。渋滞が改善されたのでバスもかなり快適になったし、市内に出るにも地下鉄がある。おかげで移住してくる人が後を絶たない。僕が子供の頃ではちょっと考えられない発展ぷりだ。
街自慢にすごく時間を取っしまって申し訳ない。話を本筋に戻そう。
中谷さんが販売していた一戸建て住宅は、JR駅の裏側にあった。街の最北となるこのあたりには、割と格式の高い神社があり、周辺にはその氏子が代々住んでいる。家屋もテレビドラマやアニメに出てくるような「お金持ちの家」然としたものばかりだ。そして問題の家はその一軒に当たる。
中谷さんはこの家を担当するに当たり、最初からおかしいと思ったという。先にも述べた通り、街の利便性と格式の高い土地柄、そして住居の内容を考えると安すぎる。何かあったに違いないと前任者に連絡を取ろうとしたが、既に退職しているとのこと。前々任者も、その前も連絡が取れない。引き継ぎの資料らしい資料もないので、何にしても実地調査をしなくては売り出せないので、中谷さんは家に向かった。
環状線から少し東に逸れ、駅から伸びる線路の高架を潜った先の坂道を上った先が、その家だ。70坪ほどの土地に、小綺麗な2階建の日本家屋が建っている。怪談やホラー小説でよく描写されてるような圧迫感はない。この辺りの家屋は同じように余裕があるので、隣家との距離を取っているので開放感があるからかも知れない。
竹垣で囲まれ、その中心にある門を潜り、玄関の施錠を開けようとしたところ、扉に妙な札が貼られていることに気づいた。頂上に大きな楕円形があり、その下に鳥居に似た模様が描かれている。文字のようなものも並んでいるが、文字というよりは記号に近い。何かの意味があるようにも見えるが、意味を見出せないので、何者かの悪戯のようにも思える。どうあれ顧客が来た時のマイナス要素にはなりそうなので、信心深くない中谷さんは札を剥がした。
内装はリフォームされていて、和風モダンな趣きでかなりお洒落だったという。玄関に入った時から少し肌寒く感じたが、山に近い土地だし、日本家屋は通気性を重要視しているので、そのためだと思ったそうだ。玄関から直進して右手に10畳の和室、その奥に20畳ほどのリビングとダイニングキッチン。左手には洗面所、バス、トイレ。階段を上った先には6畳の部屋が2部屋。10畳の寝室がひと部屋。小綺麗で中古物件だと感じさせない。新築だと嘯いても信じる顧客がいるだろう。
ではなぜ、こんなに安いのか。
中谷さんは、あちこち捜索することにした。
こういう物件は目に見えるものよりも、隠れたところに問題があることが多い。
水まわりは何度か試したが問題はない。床下に何かあるのではと、わざわざ畳をひっくり返して覗いてみたが、何も見つからなかった。ならば上かと屋根裏を見てみたところ、遠くに紙のようなものを発見した。
蜘蛛の巣だらけで長いこと人が入った形跡はない。訝しみながら、手を伸ばして紙をてにしたところ、手触りから恐らく写真であることが推察された。
引き寄せたものを見て、中谷さんはぎょっとしたという。
一人の女性が目の横あたりにピースサインをしている在り来たりなものだ。だが、その女性の眼窩が黒くくり抜かれたように焼け焦げている。
あまりの禍々しさに、気分が悪くなりトイレで胃の中身を全部出した。胆汁の匂いにむせ返っていると、どこからから騒々と音がする。
恐る恐るトイレのドア越しに家の中を見るも何もいない。
騒々とした音は先ほど畳をひっくり返した和室からしている。
和室へ戻り、音の正体を探る。
音は、床下からしている。
騒騒騒騒騒騒騒騒騒騒騒騒。
中谷さんは床下の土を手で掘ってみた。
すると、無数の百足が、
地面の下から──
騒騒騒騒騒騒騒騒騒騒騒騒騒騒騒騒騒騒
騒騒騒騒騒騒騒騒騒騒騒騒騒騒騒騒騒騒
──這い出てくる。
騒騒騒騒騒騒騒騒騒騒騒騒騒騒騒騒騒騒
騒騒騒騒騒騒騒騒騒騒騒騒騒騒騒騒騒騒
中谷さんは思わず悲鳴をあげたが、百足に紛れて何かが見える。
恐怖が先立ったが、事が重大かもしれないという使命感が地面をさらに掘り起こす。掘った先には、
──目のくり抜かれた女性の顔が。
──眼窩から絶え間なく百足が這い出ている。
騒騒騒騒騒騒騒騒騒騒騒騒騒騒騒騒騒騒
騒騒騒騒騒騒騒騒騒騒騒騒騒騒騒騒騒騒
騒騒騒騒騒騒騒騒騒騒騒騒騒騒騒騒騒騒
騒騒騒騒騒騒騒騒騒騒騒騒騒騒騒騒騒騒
もう、命はないであろう青白い目のない女は、恐怖で慄いている中谷さんに向かい──
にやり
と嗤ったという。
絶叫とともに屋外に転がり出て、110番に連絡をするも、警察到着後の捜査では和室の床下に女性の変死体は見つからなかったという。写真を提出しようとしたが、それも何処かに消えてしまい見つからなかった。
警察からは多忙な仕事のストレスから幻想でも見たのではないかと冷やかされたが、それにしては現実味がありすぎる。
釈然としない中谷さんだが、集まっている野次馬の中から確かにこんな声を聞いたという。
──あの子は不敬を働いたからね。
──恐れてはならないのに。
声のする方から誰が言ったのかを探ろうとしたが、結局分からず終いだった。
話は数日後に及ぶ。
出勤途中の中谷さんが、地下鉄で赤無に到着し、改札を抜けようとしたところ、動きが止まってしまったそうだ。
その視線の先には行方不明者の情報を求めるポスターが貼ってあった。そのポスターに写る女子大学生の写真が、例の家で見つけた目のない女にそっくりだったという。