黒い霊柩車
タクシー運転手の定岡さん(仮名)から聞いた話。
5ヶ月ほど前の夜、定岡さんは赤無にてタクシーを流していた。金曜日は市内で遅くまで飲んで帰る客が多く、ひとり赤無まで乗せてきた帰りだったという。この時間は住宅街から乗る客など滅多にないため、もう一度市内に帰ろうとした矢先、手を挙げる人影が見えた。
外灯が少ない場所だったため男か女か、若いのか老いているかも判然としなかったが、近づくにつれて車のライトが照らし出したのは高校生くらいの男女だったという。
時間とふたりの年齢を考えると、あまりよろしくない状況だ。同じくらいの歳の娘を持つ定岡さんはかなり眉をひそめた。乗車拒否をしてやってもよかったが、困っていたとしたら放って置けない。何も交際しているとは限らない。兄妹かもしれないのだ。
とりあえず車を止めてドアを開けた。
ふたりが乗車してくる。
「どこまででしょうか」
一応客だ。敬語で話しかけた。
「N山の斎場まで」女の方が答えた。
「斎場?」
「身内が亡くなったもので」
ああ、と定岡さんは納得した。
最近はお通夜を斎場で行うこともある。親族は最期の別れとしてそこに一晩泊まり、翌日の葬式に備えるのだ。
「少し遠いけど、お金は大丈夫かね? まだ若いようだけれど」
「大丈夫です。それは受け取っているので」
親族が予め渡しているようだ。そのお金を出した親族が両親であることを祈り、定岡さんはタクシーを発進させた。
流れていく夜の風景を見ながら、長いことふたりは沈黙していた。それもそうかもしれない。明るく話す気などなれないだろう。
「運転手さん」
突然、男の方が話しかけた。
「…なんでしょう」
「黒い霊柩車て見たことあります?」
「黒い霊柩車…? 霊柩車ってみんな黒いんじゃないんですかね?」
「普通の霊柩車って、なんか派手じゃないですか。金だったり。そうじゃなくて、全部真っ黒なんですよ、バットモービルみたいに」
「タケオやめな」
「いいじゃん。タクシーの運転手なんて一日中あちこち走り回ってるんだよ。一回くらいは見てるかもしれないじゃん」
女が黙る。話を続けてもいいということだろうか。
「ああ、そういうことですか。黒い霊柩車ねぇ、そんなのは見たことないですね
。そんなのがあるんですか?」
「噂ですけどね。深夜に何もかも黒で潰した霊柩車がこの辺りを走ってるらしいんですよ。ライトも点けないで」
「ライトも点けないなんて、そりゃあいけない。今の時期はネズミ捕りも多いから、すぐに違反切符切られちまいますよ。黒く塗り潰した霊柩車って、まあ車両の違法改造にはならないでしょうけど、縁起が悪くて頼む人間なんていないんじゃないですか」
「それがね。警察は何にも言わないらしいんだ。使用目的もね、所謂葬儀なんかとは違うみたいなんだ」
「葬儀目的ではない?」
霊柩車のアイデンティティーを根底から覆す話だ。他に何の用途があるというのか。
「何かを運ぶらしいよ」
「タケオ。それ以上はいいよ」
女が先ほどより語気を強めて制した。
「そんな話信じたって、戻っては来ないんだから」
言葉が少し鼻にかかっていた。目も赤くなっている。
「うん…」
タケオと呼ばれた男の方もそれ以降口を噤んでしまい、話はそれきりとなった。
斎場でふたりを下ろし来た道を戻る。国道に出ると市内の繁華街まで戻り、定岡さんは新しい客を乗せた。乗せている間に先ほどの会話を思い出す。
──使用目的もね、所謂葬儀なんかとは違うみたいなんだ。
──何かを運ぶらしいよ。
続きが気になる。
「お客さん、ちょっといいですか?」
堪らず口に出していた。
乗っていたのは30歳前後の男性だった。下を見ていた顔がすっと上がる。バックミラー越しに目が合った。
「黒い霊柩車って知ってますかねぇ。全部真っ黒に塗りたくった霊柩車らしいんですよ。別のお客さんから聞いたんですけど、話のオチになる前に降りちゃって。どうにも気になるもので、聞いちゃったんですけど」
客の男はバックミラー越しに定岡さんを見据えたまま
「ええ」とだけ答えた。
「本当ですか。この辺りを走ってるて話だけど、有名な都市伝説か何かですかね。葬儀以外の目的のものらしいってとこまでは聞いたんですが、それから後の話が気になってね。ご遺体を運ぶ以外に何があるんですかね」
「屍体を運ぶのは変わりませんよ。運ぶ先が違うんです」
「先が?一体どこへ」
「宗派が違うんです」
「ああ、つまり、その宗派の方はその黒い霊柩車で弔われると」
「弔いませんよ。滅びてはおりませんから」
おやと思った。ひょっとするとこの男が、その黒い霊柩車に関係する宗教の檀家か何かなんだろうか。これはしくじったと思った。スポーツ、政治、宗教の話はタブーだ。
「お客さん、あのこの話は…」
定岡さんは打ちきろうとしたが、
「そのお話をしたのは若い男女ではありませんか」
その言葉にぞくりとした。
「あんた、なんでそれを…」
「なに、ちょっと考えただけです。今日はあちこちで若い子の通夜がありましたから。ニュースで報じられているじゃないですか」
中学生連続死ですよと男は薄気味悪い笑みを浮かべてそう言った。
「5人でしたっけ。教室で死んでたという話、ご存知でしょう?」
その話は知っている。
「流行りの呪いか何かの最中になくなったそうじゃないですか」
「ま、呪い…」
定岡さんは車を止めた。
あまりのことに心拍数が上がり過ぎて、運転もままならなくなったんだ。
大丈夫ですかと男は変わらず薄気味悪く笑いながら問いかける。
「あ、あんたは一体」
「あなたは知らなくてもいい人ですよ。知らないほうが幸せなことは沢山ある。そうだ、これだけは教えて上げましょうか。黒い霊柩車の話には、こんな説があるんですよ」
──連れ去るのは七人だそうです。
──死んだのは5人。ふたり足りませんね。最も、
──もう足りたのかもしれませんが。
そう言って、男は金を置いて消えたという。
定岡さんの下ろした二人らしき男女を見たものは、いないという。