ヴィルフリートの優雅でいられない貴族院生活
貴族院一年生で、ローゼマインが奉納式のためにエーレンフェストに戻るまでの
第288話算術・神学・魔力の扱い~第315話 エーレンフェストへの帰還をダイジェストで。
私は今、どうしたものか、と非常に悩んでいた。
仕方がなかろう。図書館を餌にすれば、あれほどやる気を見せたのだ。せっかくなので、一年生全員の合格を狙おうと考えるのは当然のことではないか。
だが、欲張ったのが悪かったらしい。ローゼマインは今、叔父上よりも厳しい教師となっていた。
睡眠時間を削って、それぞれの弱点をまとめた資料を渡し、絶対に一発合格するように、と笑顔で凄んでいる。
敵対しているはずの旧ヴェローニカ派のローデリヒに同情してしまい、ローゼマインの行き過ぎを窘めると、ローゼマインはきょとんとした顔で首を傾げた。
「追い立てて、追い詰めてでも全員を最速で合格させたいから、一年生全員合格を条件に出したのでしょう? わたくしは全力で取り掛かると言ったはずです」
……ダメだ。止まらぬ。
「どうしますか、ヴィルフリート様? ローゼマイン様をお止めしなければ、さすがに一年生が可哀想です」
そんなことはわざわざ側近達に言われなくてもわかっている。
私は暴走し始めてしまったローゼマインを止める方法を探して頭を抱え、叔父上宛ての木札に今の状況とローゼマインの止め方を教えてほしいと書いて、転移陣の部屋にいる騎士に送ってもらった。
「ヴィルフリート様、フェルディナンド様よりお返事が届きました」
「すぐに見せてくれ」
慌てて読んだ木札の内容に、私は更に頭を抱えたくなった。
「何と書かれていましたか?」
「……其方の側近には文官見習いはいないのか? それとも、問い合わせの形式も知らぬ能無しか? 少しは勉強させろ。そして、問い合わせくらいは形式通りに自力で書けるようになれ、と」
「え?」
ずらずらと並んだ美しい字のお小言の最後にあったのは、「図書館は薬にも猛毒にもなる。ローゼマインに図書館を与える加減は、投薬と同じくらいに難しい。使い方も知らぬ無能が不用意に触れると被害は甚大になる。図書館がかかっているのでなければ、本を与えれば気を逸らすことはできたであろうが、今回の場合はかかっている物が悪い。一年生に死ぬ気でやらせるしかあるまい。一年生の座学など、どうせ大した量ではない」というありがたくも全く役に立たない助言だった。
「大した量ではないと言っても、一気に覚えられるような量ではないですよ」
「……叔父上は二年間眠っていたローゼマインに叩き込んでいたから、基準がローゼマインなのだ」
「ローゼマイン様もフェルディナンド様も、合格できると本気で思っているのですね」
「あぁ」
ローゼマインの追い詰めは功を奏し、涙ながらに詰め込んだ一年生はギリギリの成績だった者もいたが、全員が合格できたのである。
一年生の一発合格でエーレンフェストはすごいと注目されたが、誇らしさはどこにもなく、安堵と疲れがどっときた。
それからも、ローゼマインは色々なことをしでかした。
騎獣で先生を襲ったという噂が流れるし、神の意志を採りに行ったら戻って来ないし、図書館登録をしたら魔術具の主になるし、全ての講義に最速かつ最優秀の成績で合格するし、図書館に行き始めたら帰ってこないし、採寸をしたら他領から喧嘩をふっかけられるし、心配しながら留守番していたらディッターで勝利するし、王子から呼び出しを受けるし、大領地の姫君と交流を持つし、図書館に行ったはずなのに王子に呼び出されて意識を失って戻ってくる。
私はどうして良いかわからぬ一つ一つについて、エーレンフェストに問い合わせた。講義はシュタープの使い方を除いて終わっているのに、添削されて戻ってくる報告書のせいで、ちっとも勉強から逃れられた気がしない。講義に合格するより、叔父上が満足する報告書を作る方がよほど大変だ。
上級生の従姉達がまだ講義を終えておらず、私のお茶会が遠くて助かったとしか思えないまま、私はローゼマインに関する報告書を書いていた。
「やりました! ヴィルフリート様!」
いつも一緒に報告書を書いている文官見習いの側近が輝くような笑顔で、木札を持って帰ってきた。途中で転移陣の部屋の騎士から定期便を受け取ってきたらしい。
「何か有用な答えがあったか!?」
図書館に行ったら、第二王子に連行され、側近を排した会談中に意識を失ったローゼマインについての報告と王子への対処方法についての質問を送ったのだが、何か良い答えが返ってきたのだろう。
私が手を差し出すと、文官見習いは「あ」と呟き、ちょっと困ったように視線を逸らした。
「何だ?」
「いえ、フェルディナンド様からの添削がなく、報告書の形式については大変結構とあったので、それが嬉しくて、つい……」
「肝心の答えに関してはどうなのだ?」
叔父上に認められて嬉しいような、目指していたのはそれではないという脱力感に襲われるような複雑な気分で、私は木札に目を通した。
文官見習いが言う通り、叔父上の筆跡で形式について褒める文言があった後、「体調回復次第、即刻ローゼマインをエーレンフェストに帰還させるように」という一文があった。
「……ローゼマインに帰還命令が出たぞ」
「せっかく上手く報告書が書けるようになったのに、報告対象がいなくなると書くことがなくなりますね」
ずれた感想を抱く文官見習いに溜息を吐きつつ、私は木札をもう一度見直す。間違いなく帰還命令が出ている。
……ローゼマインが帰還すれば、少しは私も自分のために時間が使えるだろうか。
報告書を準備するための時間を、趣味や社交に使えるように違いない。
入学前に思い浮かべた優雅な貴族院生活が近付いていることを感じて、私は立ち上がった。
ローゼマインが散々引っ掻き回した対処に追われ、帰還した後の貴族院生活も決して優雅なものではないことを知るのは、まだ先の事である。