トゥーリ視点 成長と変化
第590話の頃のトゥーリのお話です。
「お城からの招集命令だ。ローゼマイン様の採寸と衣装の注文を行うように、だってさ。よかった。これで在庫の心配もなくなるな」
「オットー」
コリンナ様がオットー様を窘めたのは、まだ雪が残っている冬の終わりのことだった。
他領に向かうためにたくさん受けていたローゼマイン様からの注文は、冬に入ってすぐに取り消された。神殿の使いは「ローゼマイン様は日々成長されていらっしゃるそうです」と言っていたけれど、本人に会ったわけではないようだし、「アーンヴァックスの祝福」と言われてもよく理解できなかった。
成長しているそうだけれど、代わりの注文もなかったため、ギルベルタ商会はとても困っていたのだ。ローゼマイン様のために染められた布も飾りに使うための素材も最高級品で、とても他のお客様に回せる物ではない。
でも、わたしは店の心配よりもあの子の身に何か大変なことが起こったのではないかと気が気ではなかった。絶対に大丈夫だと信じて、髪飾りを作りながら待っていたのだ。
……マインが無事でよかった。
「トゥーリ、今回は君も城へ行くんだ。ローゼマイン様の専属として他領へ行く前に自領の城に慣れなきゃいけないからね」
「はいっ!」
無事がわかっただけで嬉しかったのに、わたしは初めて城に上がることを許されたのだ。幸せでこのまま気を失ってしまいそうだ。
……マイン、やったよ。わたし、自分の力でお城に行けるようになったからね!
緊張と興奮で城に向かったけれど、お城に召集されたのはギルベルタ商会だけではなかった。いくつもの工房から針子達が集められていて、春の終わりにはエーレンフェストを出るローゼマイン様の衣装を誂えるための採寸と注文が行われた。
本来ならばローゼマイン様の専属であるギルベルタ商会が全て受けるはずだけれど、ローゼマイン様が馬鹿みたいに成長していたせいで全ての衣装が作り直しなのである。さすがに数が多すぎる。
「ローゼマイン様の専属として余所の工房に後れを取るわけにはいかないでしょう? 皆、頑張りましょうね」
城からの帰り道、馬車の中でコリンナ様にそう声をかけられ、わたしは大きく頷いて拳を握る。ローゼマイン様の専属として、わたしは他領についていくことになっているのだ。ここでしっかり仕事をして、一緒に行く皆に髪飾りだけではなく針子としての腕も認めてほしい。
「トゥーリ、ルッツが来ている。ローゼマイン様に関する大事な話があるそうだ。私はオットー様やコリンナ様に報告をするから、トゥーリはルッツから聞いてくるといい」
店に戻ると、レオンからそう言われて応接室で話をするように言われた。応接室に二人だけにされて、わたしはルッツに向き合う。
「ローゼマイン様の様子を聞いてこいって旦那様に言われたんだ」
「そう……」
冬の間、全く連絡が無くてやきもきしていたのはプランタン商会も同じだ。移動準備を始めていたベンノさんは気が気ではなかっただろう。それだけベンノさんに心配されるマインが羨ましいと思うあたり、初恋というのはなかなか尾を引きずるものだと思う。
「元気そうだったのか?」
「ちょっと疲れているように見えたけど、元気そうだったよ」
「なんで冬の間ずっと連絡がつかなくなってたのか、わかったか?」
「それはわからないけど、注文が取り消された理由はよくわかったよ。ものすごく成長してたの。そりゃ、作り直さなきゃ着れないよねってくらい」
ルッツがポカンとした顔でわたしを見た。数秒間の沈黙の後、引きつった笑みを浮かべる。
「……誰の話だよ?」
「ローゼマイン様の採寸に行ってたのに、ローゼマイン様しかいないでしょ」
「そりゃオレだって神殿の奴等から聞いてたけど、あのローゼマイン様が成長なんて嘘だろ?」
二年間眠っていても姿が変わっていなかった。何となくいつまでたっても自分達が知っている幼い姿でいるような気がしていた。でも、そうじゃない。今はマインと心の中で呼ぶことさえ躊躇うくらいに成長しているのだ。
「年相応のすっごい美人になってたよ」
「……年相応の美人? いや、ない、ない」
ルッツがパタパタと手を振って否定した。信じられない気持ちはわかる。自分が知らないうちに変わってほしくない気持ちもわかる。
「本当だって。中身を知らない人が見たら、聖女とか女神と言われても信じそうな美人になってるから。芸術系の工房で作られる女神像のモデルになりそうな感じなの。ルッツが今のローゼマイン様を見たら惚れ直すよ、きっと」
ふふっと笑ってルッツを見ると、ルッツはものすごく微妙な顔になった。
「惚れ直すって、トゥーリ……」
「だって、本当に美人なんだもん。さすがわたしの……」
妹とは口に出さずにわたしは言葉を呑み込む。言葉を切ったわたしを慰めるようにルッツが「いくら何でも褒めすぎだろ」と少し笑った。わたしは「褒めすぎじゃないよ」と言いながら、今日見たばかりのローゼマイン様の姿を脳裏に思い浮かべる。
すらりと成長した体は華奢なくせに女性らしい曲線を描いていた。日に当たらない肌の白さも、夜空のような色の綺麗な髪も、月のような金色の目も、記憶にあるマインと同じなのに同じだと思えないほどに雰囲気が違って見えた。
「身長はわたしの目の高さくらいまであって、あの綺麗な髪が腰くらいまで伸びてたよ。金の目は変わらないけど、幼さがなくなったせいで何だか色っぽくなってた。昔から表情とか仕草に妙な色気があったんだけど、それが前面に出てきた感じかな。肩に落ちた髪を払う仕草にドキッとしちゃった」
わたしはローゼマイン様がどんなふうに成長していたのか、ルッツに教えてあげる。わたしはローゼマイン様の採寸をしたのでかなり細かい数字まで知っているけれど、さすがにそれは内緒だ。あんまり体を動かしていないせいだと思うけれど、どこを触ってもやわやわとしてて、お肌もつるつるで触り心地が良いなんて教えてあげない。
……わたしだけじゃなくて、ルッツも初恋を引きずってるのは知ってるもん。
「どんな感じになったか、気になる?」
「……まぁ、多少はな」
「カミルの洗礼式だったらローゼマイン様の姿が見えるかもしれないね。ウチは家族総出で行くけど、ルッツも一緒に行く?」
からかうようにルッツを見ると、ルッツは嫌そうに顔をしかめて「行く」と呟く。
「……トゥーリはなんでそんなに嬉しそうなんだよ」
「いつだってルッツが先に会ってたでしょ? わたしがルッツより先に会って話ができるの、初めてだもん」
ローゼマイン様がお城から戻った時も、二年の眠りから目覚めた時も、一番に呼ばれるのはプランタン商会だった。ローゼマイン様に一番に会えるのはわたしじゃなくて、ベンノさんやルッツなのだ。それが悔しかったので、今回はルッツより先に会えてかなり嬉しいのだ。
「そんなことか。……じゃあ、何か危ないことが起こりそうな雰囲気はなかったのか?」
そう言われた瞬間、採寸の間に浮かない顔をしていたローゼマイン様が脳裏に浮かぶ。何かが起こっても守ると言っていた声が蘇ってきた。でも、それは採寸の間の話だ。オットー様やコリンナ様も知らないはずである。
「……なんでルッツがそんなことを知ってるの?」
わたしがルッツを見ると、ルッツは「オレがここに来た用件がそれだから」と呟いて腕を組んだ。
「昨日、商業ギルドにギュンターおじさんとダームエル様が来たんだってさ。それで、銀の布をまとった者、他領の者には平民でも注意するようにって言っていたらしいんだ」
最も他領の者と接する機会が多いのは商人なので注意するように、それから、何か情報を得たらすぐに門か神殿に知らせるように、とお貴族様から通達があったそうだ。物々しい雰囲気を察して商業ギルドとプランタン商会で手分けして通達を知らせて回っているらしい。
「トゥーリはローゼマイン様に何か言われたのか?」
「何かが起こっても守るって言ってたの。その時の顔が危険だからもう神殿へ迎えに来ちゃダメって言ってた頃と同じような表情だったから、気になって……」
襲われて、震えて、怯えて、ギルベルタ商会で待っている間に全てが終わって、妹を失ったあの時を思い出させる表情だった。わたしが守ってあげたかったのに、わたしがお姉ちゃんだったのに、わたしは妹に守られて、妹を失った。
……また何かあるのかな?
「またオレには何もできないんだろうな……」
ルッツが悔しそうに拳を握ってそう言った。あの時、ルッツは子供で家族ではなかったから、一番マインと一緒にいたのに関われなかったのだ。
……ルッツはホントにマインのことが好きだよね。
ルッツの変わらない姿勢が嬉しくて、一応婚約者という立場にいると少しだけ面白くない。
……でも、守られっぱなしじゃいられないよね? わたしだってマインの大事なものを守りたいもん。
わたしはマインが大事にしていたルッツを見つめる。ルッツと婚約したのは、マイン以外の人を大事にするルッツを見たくなかったというわたしの我儘な理由もあるのだ。
わたしは手を伸ばしてルッツの頬に触れた。ルッツがビクッとして戸惑ったようにわたしを見つめる。翡翠のような目には何かを望む光があった。ルッツは望むままに進めばいいのに、と思う。
「そんな顔して諦めるなんてルッツらしくないんじゃない? 前の終わりが嫌だったんなら、今度はルッツが知らない所で終わりにならないようにすればいいんだよ。今回は商人として情報を集めることもできるし、神殿や門へ知らせに行くなら顔見知りの多いルッツは有利でしょ?」
「……あ」
思いもよらぬことを言われたというようにルッツが軽く目を見張った。商業ギルドに父さんとダームエル様が行ったのだから、お貴族様や兵士達が商人達の情報収集力を認めていることは確実だ。ルッツにできることはある。わたしの言葉にルッツはやる気を出した顔でニッと笑って「トゥーリの言う通りやってみる」と言った。
「うんうん。やっぱりルッツはローゼマイン様のことを考えてそういう顔をしている方がいいよ。安心できるから」
店に戻るというルッツの背中を見送っていると、扉を開けたところでルッツが振り返った。そして、わたしを面白くなさそうな顔でじっと見る。
「ホントにトゥーリはローゼマイン様のことしか見えてないよな。二人ともお互いを好きすぎなんだよ。オレが入る隙間がない」
「え?……それって」
どういう意味? と聞き返すより早くルッツは扉の向こうに消えてしまった。
……ルッツが入る隙間って、まだマインのことを諦めてないってこと? それとも……?
その先を考えたら妙なことになってしまいそうな予感がして、わたしはさっきのルッツと同じように「ない、ない」と言いながら自分の頬を押さえて頭を振る。すでに頬は熱を持ったように熱かった。
11万ポイント記念SSです。