アナスタージウス視点 奉納式の準備
第492話 儀式の準備の頃です。
私はアナスタージウス。最愛の妻であるエグランティーヌが貴族院の教師に就任していること、ダンケルフェルガーとエーレンフェストが引き起こす問題が大きすぎて、とても異母弟のヒルデブラントには任せておけないことから、何度も貴族院に関わることになっている。
王宮の魔術具に魔力を供給する傍ら、離宮にいるオスヴィンから呼び出されることが何度もあり、気付いた時にはエーレンフェストとダンケルフェルガーの問題児担当になりつつある。
もちろん、私以上に忙しい父上や兄上を貴族院の雑事で悩ませるわけにはいかないと思っているが、ヒルデブラントにもう少ししっかりしてほしい。貴族院入学もしていない異母弟に無理なことはわかっているが。
今日もハンネローレとローゼマインの二人を呼び出していた。ダンケルフェルガーの寮の付近で立ち上がった光の柱と、共同研究のために最奥の間の祭壇を貸してほしいというエーレンフェストからの依頼に関する話である。
魔力を譲りたいというエーレンフェストの言葉があったため、父上も今日の話し合いの結果が非常に気になっているようで、夕食に招かれたのだ。講義を終えたエグランティーヌと共に離宮から王宮へ繋がる扉を通った。
「……ローゼマインとハンネローレのせいで、最近、父上や兄上と食事を共にすることが増えているな」
「連日というのはとても珍しいですね。講義がなければ、わたくしも今日のお話し合いに同席したかったです」
王族は洗礼式を終えると離宮で生活するようになり、会食等がない夕食時には父上から招かれるようになる。成人して結婚すると、報告することや話し合うことがなければ第二王子である私は滅多に父上と食事をする機会などない。実際、星結びを終えてから今までに、私的な食事に招かれたのは両手の指に収まる程度の回数である。それなのに、今年の冬だけですでに両手を超えている。昨夜も夕食を共にしたところなのだ。
「私はエグランティーヌと二人だけの食事が恋しいと思っている。それがわたしにとって平穏の象徴だからな」
……ローゼマイン関連の食事の招待などいらぬ。
「それで、今日の話し合いはどうなったのだ?」
食事が始まると、父上からすぐにそう問われた。今日の食事には兄上夫婦やヒルデブラントの他に、普段はいない父上の第二夫人や第三夫人も同席していて、王族が勢ぞろいという状況だった。それだけ王族の誰もが、多くの領地から魔力を集めるというエーレンフェストの奉納式に注目しているのである。
「エーレンフェストに祭壇の使用が許可できないと伝えたところ、最奥の間の祭壇の前だけを貸してほしいと言われました。中央神殿から神具を借りられなければ、聖杯を自分で作るので構わないそうです」
私の報告に、父上が無言で何度か瞬きをした後、「……聖杯など自分で作れる物なのか?」と呟く。私も同じことを思ったが、ローゼマインは当たり前の顔をしていた。
「ただし、ローゼマインのシュタープで作り出す物なので、中央に持ち帰ることはできないそうです。その代わりに、空の魔石を準備すればそれに魔力を移し替えれば持ち帰ることができると言っていました」
「聖杯に集めた魔力を魔石に移すことなどできるのですか?」
皆が目を丸くしているが、正直なところ私も聖杯に魔力を集めるというのがどのような状態なのかわからない。
「私も神具についてはよく存じませんが、神殿長であるローゼマインが提案していたのです。できるのでしょう」
「では、本当に魔力を譲ってもらうことができるのか……」
一度は諦めたことが叶うという状況に父上が信じられないと言いたげな顔になった。どれくらいの学生が参加するのかまだわからぬが、魔力的にはずいぶんと助かるはずだ。
「それから、こちらはローゼマインからの誘いですが、王族も儀式に参加してはどうか、と申していました。中央神殿と距離があるのでは、王族は本当の神事を経験したことがないのではないか、と心配しているようでした」
「本当の神事……?」
ローゼマインは共に祈りを捧げると魔力が流れやすくなり、祈りが届きやすくなると言っていたが、それを経験したことがある者はこの場にいない。皆が顔を見合わせる中、ヒルデブラントがバッと挙手した。
「父上、私は経験したいです!」
「……いや、魔力を集める儀式なのだから、魔力圧縮も学んでいない其方では無理だ」
「また、ダメなのですか」
先日の図書館の地下書庫に入れなかったヒルデブラントがずいぶんと落ち込んでいたと聞いている。
「父上、魔石が集まればヒルデブラントにも魔力供給の経験を積ませた方が良いかもしれません。エーレンフェストでは洗礼式を終えると、魔石を使って魔力供給をしたり、神事の手伝いをしたりすると聞いています」
「洗礼式を終えると、ですって?」
驚きに目を見張る母親達にエグランティーヌはニコリと微笑んで頷いた。
「貴族院入学前からローゼマイン様は神殿長でしたものね」
「ローゼマインは特殊すぎて比較対象にしない方が良いのですが、魔力の扱いに慣れておくのは悪いことではありませんから」
私の提案にヒルデブラントがやる気を見せる。貴族院入学前から貴族院に常駐しているヒルデブラントが見るのは、図書委員で行動を共にすることがあるハンネローレとローゼマインだ。あの二人は問題児だが、魔力が多くて優秀なので、王族であるはずの自分と比べて焦りを抱くこともあると思われる。
「なるほど。……ヒルデブラントがどうしても今回の儀式に協力したいと言うならば、当日、エーレンフェストが準備を行うために最奥の間を開けたり、閉めたりする仕事をしてほしいのだが、どうだ?」
「やります!」
父上の提案にヒルデブラントが明るい笑顔になった。すぐさまヒルデブラントの側仕えアルトゥールが一歩退いて、最奥の間の扉の開閉について父上の側近と打ち合わせを始める。
「私が王族を代表して参加してきましょう」
ダンケルフェルガーとエーレンフェストの尻拭いをするのは私になるだろう。そう思って言ったのだが、父上が「いや、なるべく多くの王族で参加する。私も、だ」と言った。
「父上!?」
「ツェント!?」
私達も驚いたが、父上の側近や護衛騎士の方が驚きを露わにした。父上が移動するということは、彼等も共に貴族院に向かうということだ。
「参加領地はダンケルフェルガーとエーレンフェストだけではないであろう? それだけの大人数から大量の魔力を得るならば、直々に礼を言わねばならぬ。そうでなければ、こちらに魔力を譲ったり、様々な知識を与えてくれたりしているエーレンフェストに多くの領地からの悪意が向くことになろう」
「エーレンフェストが始めたことなのですから、悪意はエーレンフェストが払えばよいことではありませんか」
側近の中から反対する声も上がる。魔力供給に疲れ果てている父上には、儀式に参加してエーレンフェストを守るよりも少しでも休息を取ってほしい、と側近達が考えるのは理解できる。
……最近はとみに顔色が悪くなられた気がするからな。
「其方等の心配もわかるが、エーレンフェストからもたらされた情報は非常に有益な物であった。情報だけなく、魔力まで融通してもらいながら悪意から守ることもできぬようでは、次の善意はなかろう」
「ですが、エーレンフェストは政変の折に中立で、ツェントに協力しなかった領地ではございませんか。それなのに、エーレンフェストの主催する儀式にツェントが直々に参加するのは……」
父上が臣下として育てられていた頃から仕えている古参の側近ほど、政変でクラッセンブルクに担ぎ出され、グルトリスハイトを持たぬ偽の王と言われていることに悔しさを噛み締めている。そして、ユルゲンシュミットが一番大変だった時に味方しなかった領地に対する態度も厳しい。
「エーレンフェストは中立で敵対していたわけではない。これから味方に取り込めるように動いた方が良かろう。本当に苦しいのはこれまでではない。これからなのだ」
グルトリスハイトがないままの統治はどんどんと無理が出ている。境界線を引き直すことができない弊害から貴族院に旧ベルケシュトックの復讐者が入り込んだ。せめて、ベルケシュトックの礎の魔術を発見できれば少しは変わるかもしれないが、未だに見つかっておらず、領地はゆっくりと荒廃が進んでいる。国境門の開閉もできず、外との取引は全てアーレンスバッハが引き受ける状態になっていて、あちらこちらで混乱状態が続いているのだ。そして、この混乱はグルトリスハイトが見つかるまで拡大しながら続く。
「ジギスヴァルト、アナスタージウス。エーレンフェストとローゼマインに悪意や害意はないのであろう?」
「はい。悪意や害意は一切ございません」
兄上はそう断言した後、クスリと小さく笑った。
「ですが、敬意も足りないようです。本への愛は溢れています。私は生まれて初めて領主候補生に本から目を離さないまま生返事をされるという経験を致しました」
「わぁ、お揃いですね。読書中のローゼマインには私も目を向けてもらえません。でも、とても楽しそうに読んでいるので、邪魔をしたくないのです。ローゼマインは本が大好きですから」
ヒルデブラントも邪気のない笑顔で付け加える。その場にいる皆の表情が何とも言えない微妙なものになった。
ヒルデブラントが明るくて素直なのは臣下に降りることが決まっているために伸び伸びと育ったからだろう。王族らしくないが、それは父上の第三夫人であるマグダレーナ様の影響が強いのだと思われる。
当時は幼く、接点がほとんどなかったので私もそれほど詳しくはないが、マグダレーナ様は「長引く政争を終わらせるためにわたくしの想いくらい、利用できないでどうします? トラオクヴァール様がクラッセンブルクに一度担がれてしまった以上、後戻りはできません。わたくしを利用してダンケルフェルガーの助力を得てください」と半ば脅迫気味にと父上に迫ったと聞いている。
長い政変の間、父上を支えてきた母上や第二夫人を差し置いて、最後まで政変に参加しなかったダンケルフェルガーの自分が第一夫人になるわけにはいかない。それでは苦しい時期に寄り添ってきた領地が納得しないでしょう、と第三夫人に収まったそうだ。
……ヒルデブラントの気性が父上に似て良かったのか、否か。
私がヒルデブラントとマグダレーナ様を見比べていると、話題はローゼマインが今年起こしたあれこれの話になっていた。
二年連続で最優秀なのに、二年連続表彰式に出席しなかった。エグランティーヌによると、今年もおそらく最優秀だろう、と言われているローゼマイン。
一年生の時は数々の流行に加えて、私とエグランティーヌの仲を取り持った。二年生では学生と顔を合わさないように動いていたはずのヒルデブラントを図書委員に引きずり込んだ。
そして、今年はフェシュピールを奏でながら祝福を撒き散らし、奉納舞の稽古で魔石を光らせながら舞い、図書館の地下書庫の情報を持って来て、貴族院で大勢の貴族を集めて奉納式を行うと言い出したのだ。
「……本当に、ローゼマインがどんな娘なのか楽しみだ」
父上がそう言いながらゆっくりと顎を撫でる。話だけ聞いてもよくわからないに違いない。機会があれば、一度顔を合わせたいと思っても不思議ではないだろう。
「あまり期待しない方が良いですよ、父上。悪意こそありませんが、ローゼマインは常識で計れません」
私の言葉に父上が「だからこそ、気になるのだ」と言い、奉納式に参加するための話し合いを始める。
「本当の神事を体験できると言うのだから、私としてはできるだけ多くの王族に参加してほしいのだが、城を空けるわけにもいかぬからな……」
「ツェントとこれから先のユルゲンシュミットを支えなければならない次代を優先させればよろしいでしょう。わたくし達が留守を引き受けます」
母上がそう言うと、第二夫人も第三夫人も笑顔で引き受けた。今は兄上の第一夫人だが、アドルフィーネとの星結びを終えると第二夫人になることが決まっているナーエラッヒェがそっと兄上に語りかける。
「ジギスヴァルト王子、ドレヴァンヒェルのアドルフィーネ様にもお声をかけて、儀式にお招きしてあげてくださいませ」
「そうですね。星結びの儀式はまだですけれど、彼女は貴方と共にこれから先のユルゲンシュミットを担わなければならないのですから」
母上を始め、口々にアドルフィーネを招くように助言された兄上が苦笑気味に「そうしましょう」と了承する。
これで父上、兄上、ナーエラッヒェとアドルフィーネの参加が決まった。私は自分の隣に座るエグランティーヌに視線を向ける。
「エグランティーヌ、其方はどうする? 講義があるのではないか?」
「先生方にお願いし、講義の予定を変更していただいて参加します。わたくしも王族ですし、ローゼマイン様の行う儀式には興味がございますから」
参加者が決定すると、すぐに指示が出始める。他領における冬の社交のシーズンは、子がある者は子供を貴族院へ入れるために里帰りする者も多く、中央から最も人が少なくなる時期である。しかし、その里帰りでそれぞれの領地の情報を持ち帰って来るので、必要な時期でもあるのだ。
……今はエーレンフェストの情報が欲しいのだが、エーレンフェスト出身の貴族は本当に数が少ないからな。
急成長しているエーレンフェストの情報は欲しいけれど、エーレンフェスト出身の中央貴族は非常に少ない。おまけに、才能はあっても我が道を行く者ばかりで独身者が多く、帰郷したがらない。あれはエーレンフェストの特色なのだろうか。
とにかく、ただでさえ人が少ない時期にツェントが王宮を空けるのだ。護衛騎士は数多く必要だが、あまり城から騎士を減らすわけにもいかない。難しいところである。
「エーレンフェストの儀式に参加するのでしたら、警戒はした方が良いでしょう。できるだけ多くの騎士を連れて行きましょう」
騎士団長であるラオブルートの言葉を、副団長であるロヤリテートが首を振って否定する。
「王子が揃って悪意も害意もないとおっしゃるのです。警戒は必要ですが、王宮の守りをできるだけ割くほどの必要を感じません。それぞれの護衛騎士で十分ではありませんか?」
向かうのは貴族院で、相手は学生ばかりだ。しかも、王族が奉納式に参加する可能性があることはエーレンフェストとダンケルフェルガーしか知らない。
「どちらの案も間違っているわけではない。護衛騎士の数は二人が意見を擦り合わせるのに任せよう。……だが、ラオブルート。其方の警戒は、今回の儀式よりも領地対抗戦に向けてほしいと思っている」
去年のような強襲を起こさぬように、と父上が言ったことで、今回はどうやらロヤリテートの意見が優先されそうに見えた。
「それから、文官達は空の魔石を集めておくように。参加者が多いならば、かなりたくさんの魔力が集まるはずだ。せっかく譲ってもらえる魔力を無駄にしてはなるまい」
父上の文官が「かしこまりました」と動き出す。
「アナスタージウス。儀式の手順を詳しく書いた物、それから、参加者の名簿を送るようにエーレンフェストに伝えよ。礼を言う相手の名前くらいは予め知っておきたい」
「かしこまりました」
そして、当日。
我々は準備ができたことをヒルデブラントから知らされ、貴族院の最奥の間に向かった。祭壇の前に赤のカーペットが大きく広げられ、祭壇の手前に花や香炉など、普段はあまり見られない物が並べられている。
エーレンフェストとダンケルフェルガーの学生達が忙しそうに動き回る中に青色神官の衣装を着た者が三人いる。新しい神官長である上級貴族のハルトムートが参加することは知っていたけれど、まさか青色神官の衣装をまとっているとは思わなかった。それにも驚いたが、青い衣装を身につけている残りの二人がエーレンフェストの領主候補生だとわかった時には驚きを通り越して、呆然とした。エーレンフェストは本当に領主候補生に神殿の神事をさせているのだ。
「ふふっ、ローゼマイン様が驚いていますね」
小さく囁くエグランティーヌの声にローゼマインに視線を向ける。予想以上に王族が多かったのだろう。神殿長の白の衣装をまとったローゼマインが大きく目を見開いているのがわかった。慌てて表情を取り繕ったが、丸わかりだ。
挨拶をするためにダンケルフェルガーの全員が並び、代表としてレスティラウトが口を開く。
「命の神 エーヴィリーベの厳しき選別を受けた類稀なる出会いに、祝福を祈ることをお許しください」
「許す」
ふわりと祝福の光が全員から飛んでくる。そして、同じようにエーレンフェストも全員が並んで挨拶をする。代表として口を開いたのは、神殿長の衣装をまとうローゼマインだった。
「命の神 エーヴィリーベの厳しき選別を受けた類稀なる出会いに、祝福を祈ることをお許しください」
「許す」
「本日はこれだけ多くの王族の方々にご足労いただき、恐悦至極でございます」
……たまにはこちらが驚かせてやるのも悪くないな。
そう思いながら、私はローゼマイン達が父上に挨拶するのを見ていたのだが、その直後、儀式を行う最奥の間には護衛騎士を入れず、シュツェーリアの盾で敵意のある者の選別を行うと言われて、喉が変な音を立てるほどに驚かされた。
盾の強度を計るために騎士達が激しい攻撃を仕掛けるのを、王族は揃って呆然と見つめるしかない。次々と繰り出される攻撃が半透明の黄色の盾に弾かれている。去年の領地対抗戦でエーレンフェストの場所にあった物と同じだ。
「あれもローゼマイン様のものだったのですね」
遠目には誰が出した物かわからなかったが、この様子では間違いなくローゼマインの物だと言える。
激しい攻撃を受けているけれど、盾の中のローゼマインには騎士達の心配をする余裕があるようで、半透明の盾の中で吹き飛ばされる騎士達を見ながらおろおろとしていた。
傍からはヒルデブラントとさほど変わらないような幼い子供に黒いマントを羽織る中央騎士団が全力攻撃をしているようにしか見えない。しかも、一撃も当てられない。父上が何か言いたそうに私を呼んだ。
「アナスタージウス……。あれがエーレンフェストの聖女か?」
「申し上げたはずです、父上。常識では計れない、と」
8万ポイント記念SSです。




