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第七章

「嬢ちゃん仕事だ」

 権藤がまた現れた。このところ二期工事の準備の関係で荒事のトレーニングにはすっかりご無沙汰していた鞘華には、ちょっと予想外の事態だった。

 一期工事で完成した四百万キロワット分の発電システムは定常運転になり、一段落ついてHHIの技術者の手に任されていた。もっとも彼らにはネフュスの制御はできず、発生した蒸気エネルギーの配分と復水器を経た還流などに携わっているに過ぎない。核融合炉については緊急停止操作のみが可能だったが、蒲生の精神操作の結果彼らはそのことにまったく疑問を感じていなかった。

 権藤の鮫のような笑い顔が鞘華にはどうにも苦手だった。千明に言わせると、権藤があんな表情を見せるのは鞘華を怖がっているからだと言うのだが、鞘華にはとてもそんなことは信じられなかった。

「権藤はね、いつでも殺せると思う相手にはあんな顔を見せたりしない。あれはね、鞘華を威嚇しているのよ。鞘華が権藤に挑もうなんて思わないようにね」

 千明はいつも冷静だった。今回の仕事は千明も参加するらしい。鞘華たち二人は権藤から黒いボディーアーマーを渡された。女性用らしく、権藤が着用しているよりかなり小さいサイズのそれは、しかしずっしり重かった。

「セラミックプレートが入っているからな。十キロ以上はある。動けるか?」

 ネフュスの力が無ければ自由に動くことなど無理だったろう。だが今の鞘華にはまったく障害にならなかった。

「今度は誰を殺すの?」

「さて、誰かな。C国の連中がしびれを切らしたらしい。今晩、発電施設に忍び込んで情報収集をするつもりのようだ」

「それって、どうするの?」

「始末するよりなかろう。相手も非正規活動のプロだ。命乞いなどしないだろうさ」

「かえって大事にならない?」

「こんなところにいるはずのない相手だからな。死体をきっちり始末すれば大丈夫だ」

 そんなやり取りを聞きながら、千明は黙って笑うだけであった。

 権藤は大和誠心会から借りてきた男たちを訓練し、私兵を育てていた。彼らも蒲生の能力によって洗脳済みだ。それを言ったら権藤もなのだろうが、蒲生は権藤にはかなり裁量の余地を与えているようだった。

 権藤という男は、国外で傭兵の経験を積んでいるという以外、鞘華には情報が与えられていなかった。権藤の方でも鞘華と千明について深く知っているわけではなく、特にネフュスについては知らされていなかったため、鞘華の異常な身体能力には恐れを抱いていた。


「相手はかなり重武装なの?」

 千明が権藤に尋ねた。権藤の口ぶりからすると今回の相手に近いところに内通者がいるに違いない。

爆発物シィ・フォオと一緒に自動小銃カラシニコフを調達したそうだ」

爆発物シィ・フォオ?」

「いわゆる可塑性プラスティック爆薬というやつさ」

「その人たち、ここを爆破するつもりなの?」

 その過激な計画に鞘華は驚いて権藤を問いただした。さぁて、という表情になった権藤に代わり千明が答える。

「C国がここの施設を核分裂炉と考えていたらありえない話ね。でも核融合炉なら、大規模な放射能汚染は起こらないとみたのでしょう」

「だけど、壊すなんて!」

「こちらから譲歩を引き出すための作戦でしょうね。稼働が停止すれば向こうは時間が稼げる」

 内通者の情報によると相手の人数は十名ほど、権藤の部下も同様な人数だった。ただこちらの武装は拳銃とナイフ止まり。相手は自動小銃が四丁で、銃弾をばらまかれたらこちらに大きな被害が出ることを覚悟しなければならなかった。

「鞘華とあたしで接近戦に持ち込む。ふたりで、小銃を持っている相手を何とかして潰すわ」

 千明がそう宣言すると権藤の部下たちは眼を見張った。

「さすがBBの姐御、言うことがでかいね」

 権藤が音の無い口笛を吹いてそう言った。

「至近距離で小銃弾をくらったらセラミックプレートだって当てにならないわ。カラシニコフの弾だけは避けることね」

 千明の言葉に鞘華はあきれてしまった。いくらネフュスの力があるとは言え、銃弾を食らえば無事にすむわけがない。だが、千明は平然としている。自分もああでなくてはならないのだろうか?

「できるだけ弾に当たらないようにします。でもそれなら、このプレート、重いだけで役に立たないんじゃないですか?」

「至近距離で食らわなければ大丈夫よ」

「確かに重いが無駄にはならんさ」

 権藤も今回の戦闘でいりでは被弾することを覚悟しているらしい。権藤の後ろでアーマー・ベストを身につけた男の一人が喉をひくつかせるのが見えた。唾を呑み込もうとしても緊張と恐怖の余り口が乾いて呑み込めないのだろう。千明が権藤の部下たちを見て微笑んだ。

「左手の掌に向かって ノウ サン ボダ キリカク ソワカ と言って呑み込んでみなさい。落ち着くわよ」

 男が言われたようにした後で表情を緩めるのがわかった。

「千明さん、それ何のおまじないなんですか?」

荼枳尼天だきにてんの真言よ。本当は ノウマク サンマンダ ボダナン キリカク ソワカ だけどね」

「荼枳尼天?」

「血と殺戮を好む戦いの女神カーリー・マーの眷属。寒月があたしにふさわしいと教えてくれたのよ」

「寒月さんですか! あてになるのかなぁ?」

「あの男はあれでも、密教研究家としてはかなりのものだと蒲生が言っていたわ」

 しょぼくれた坊主頭の寒月の姿を思い出し。鞘華はどうにも信じられない思いだった。


 襲撃は深夜に実行された。千明たちに有利なのはこちらが待ち受けていることを相手が知らないこと。戦場が自分たちのホーム・ベースで、待ち伏せが可能だったことだ。

 ただ破壊工作に携わることを考えれば、相手も訓練されたプロのチームだと考えられた。しかも重武装であることから、戦闘を覚悟した上での襲撃と思われる。決して侮ることの許されない状況であった。

 当然のことながらC国の工作員チームは発電所内の電子警備システムをハッキングし、警備会社に異常を通報できないようにしてから建屋に侵入してきた。もとより二十四時間稼働の発電設備であるから、当直者が勤務しているのは承知の上である。建屋の内部は皓々《こうこう》と照明され、暗がりなど見当たらない。

「敷地の外にエンジンをかけたままの車が三台止まっている。撤退用のチームだろうが、そっちは後回しだ。侵入してきた連中を片づけよう」

 権藤の声がささやいた。鞘華は頷いて低い唸りを上げているタービンのハウジングによじ登って伏せる。履いているのは爪先に鉄のカバーが入った安全スニーカーだ。

 相手のチームは設置されている機械の陰に身を隠しながら進んで来る。全員迷彩服の上にボディアーマーを着用しているが、その動きから見るとセラミックプレートなどの防弾板トラウマ・プレートは使用していない。自動小銃を持ったうち三人は殿しんがりを務めている。残りの一人は先頭のすぐ後ろだ。

 鞘華の武装はマカロフPMと戦闘用ナイフである。殿が眼下を通りすぎた瞬間、鞘華は片膝立ちになって三人の頭部を狙う。ガーン、ガーン、ガーン。さんざん訓練した距離である、鞘華の放った弾丸は的確に三人の頭蓋を破壊した。

 残りの七人がその銃声に気を取られ振り向く。すると先頭の二人の側に千明が飛び出し、やはりマカロフを、こちらは押しつけるようにして撃つ。ガーン、ガーン。

 あっと言う間に半数の五人を倒された残りの侵入者たちが制圧されるまでには、それほど時間はかからなかった。

 権藤たちが撤退用のチームを片づけに出向いている間、鞘華は千明に尋ねた。

「ねえ、どうして襲撃されることがわかったの?」

 千明はそんなことかという顔で答える。

「前に見学に来たC国のエージェントがいたでしょう。蒲生があのとき洗脳して、何かあれば知らせるように『書き込み』をしたのよ。簡単なことでしょう」

「それって、その『書き込み』って、私もされてるの? ひょっとしたら千明さんだって」

「さあ、どうかしらね」

 どうでもいいという表情で千明はそう答えた。


 H電力が核融合による発電を行っていることは、C国の破壊工作があったことから、前倒しで発表されることになった。初めの計画では二期工事の終了後に公にする予定であったが、一期工事による定格出力四百万キロワットが実現した段階での発表となったのである。

 日本全体を欺いていたわけであるから、当然国内から轟々たる非難の声が上がると思っていた鞘華は、淡々とした口調でニュースを読み上げる国営放送のアナウンサーをテレビの画面に見て、拍子抜けした気分だった。

 千明の説明によると、蒲生が政界とマスメディアの主立ったところを『書き込み』してまわったのである。ごろごろしているだけかと思ったらちゃんと仕事をしていたのね、というのが鞘華の感想であった。

 無論ネット社会であるから、インターネットでは賛否両論さまざまな意見ばかりでなく、誹謗中傷や流言蜚語が飛び交った。だがこの国ではネットによる世論形成は未熟で、ましてや政策に影響を及ぼすような力は形作られていなかった。

 政治的には、長期に渡って続いて来た閉塞感を打破する方策として、当分の間日本が核融合技術を独占すべきであるという暗黙の合意が、与野党を通じて国政レベルでなされていた。

 マスメディアは核融合がいかに『安全な核エネルギー』であるかを喧伝し、核融合に支えられた『夢の未来』を語った。他国であれば熱狂的な反応が返って来るところだろうが、高齢化しある意味爛熟した日本の社会は、話半分に聞こうとでもいうようなさめた雰囲気でこれを受け止めた。

 国際社会の反応はこれとは異なった。特にITER(国際熱核融合実験機構)の日本を除く構成国であるE連合、I国、R国、C国、K国、A国は二〇〇七年に発効した条約に基づき情報の提供を求めてきた。これに対し日本は、今回の核融合炉を開発したものが当該条約に含まれる事業チームではないことを理由にこの要求を拒否したのである。

 まあこれは双方に言い分のあることだった。日本にしてみれば、マイナス・ミューオン利用の核融合炉はITERの事業対象である電磁場閉じ込めの高圧熱プラズマによる核融合とはかけ離れた原理に基づき独自に実現させたものであり、そこに日本以外の国が口を差し挟む余地などあろうはずが無かった。

 他方、ITERに参加している他の国々にしてみれば、日本が核融合炉を実用化するにあたって、ITERの事業体から得た情報に基づき成果をあげたとしたら、そこから得られる情報も共有すべきであるという解釈も成り立ちうる。その可否は日本が実用化したという核融合炉の詳細が明らかにされなければ判断できない。従って二〇〇七年からITERに加盟している日本には、情報開示の義務があるというのであった。

 発表の翌日、核融合発電所の敷地を囲む金網のさらに五十メートル外側に第二の鉄柵が設置された。この日から発電所は軍事基地扱いとなり、陸上自衛隊普通科一個中隊により警備されることになる。

「発電所は国に接収されてしまうの?」

「いや、セキュリティを自衛隊が担当するだけさ。この前みたいに小銃を持った奴らが来たら、警察や、ましてや警備会社なんかでは相手にならないからな」

 パジャマの上から茶色のナイトガウンを着込んだ蒲生がそう答えた。このところ『仕事』で連日政財界やマスメディアを相手にしているせいか、その顔には疲労の色が濃く、口を開くのも億劫そうである。しかし鞘華は蒲生を労ろうという気にはあまりなれなかった。


「じゃあ、何でこの前は私たちが相手しなければならなかったの?」

「例の原子力関連の特別法での対応だからだ。地熱発電所を自衛隊が警備するのはおかしいだろう」

「法律って面倒くさいのね」

「これでもあちこちに『働きかけ』をした結果の、超法規的措置に近い扱いなんだぞ」

 半分悲鳴のような蒲生の愚痴を聞き、宥めるのはやはり千明の役目なのであった。


 地熱発電所が実は核融合による発電所であることを公表したおかげで、破壊工作を仕掛けられる可能性は大幅に低下した。破壊工作というものは基本的には秘密裏にやらなければならないものだからである。ただしばらくすると、蒲生の工作によって表面上抑えられていた国内の世論に、無視できない動きが生まれてきた。いったい何故H電力はそんな偽装をしてまで国民を欺いたのかという点を問題にしようとする動きである。

 蒲生の『書き込み』はあくまで個人を対象とした能力であり、国民の一人一人にまで及ぶものではないのであった。彼にできることは表立った動きをする人物のところへ出向き、その人物の精神に働きかけて『転向』させることでしかなかった。

「まあ、モグラ叩きみたいなものよね」

「際限が無いばかりでなく『転向者』が多すぎれば精神操作されているのではないかという疑惑を招いてしまう。まったく神経を使うよ」

 相変わらず千明は蒲生の愚痴の聞き役だ。蒲生によれば微妙な意見の差異を残しながら、大勢では日本による核融合の独占という方向に持っていく匙加減が難しいのだと言う。

「いっそネフュスのことをばらしてしまったら?」

 冗談半分でそう言う鞘華に、蒲生と千明は否定的な表情で答える。

「そうなったらオペレーターの争奪戦だ。世界中から追いかけ廻される身になりたいか?」

「ちやほやしてもらえると思ったら大間違いよ。衆人監視の元での奴隷状態ということになるわ」


 人類の幸福のために自分のすべてを犠牲にする、そんな聖女みたいな生き方は鞘華も御免だった。こうなることを蒲生は見通していて自分や千明のような人間を選んだのだろうか? 鞘華にはその辺がよく分からなかった。蒲生と言う人間は、もっと行き当たりばっ

たりの、物事を深くは考えない人物のように思っていたからだ。年の功というか、年齢の違いなのだろうか? それとも元々蒲生が、鞘華の考えの及ばないほど先を読んで選択してきた路なのだろうか?

「まあ、今のところマイナス・ミューオン触媒核融合炉を秘密裏に開発しなければ、『日本が食い物にされる』可能性が高かったということを偽装工作の理由として、非公然キャンペーンを張らせているがな」

 非公然キャンペーンとはマスメディアを用いず、アンダー・グラウンドに情報を流して世論を操作しようとする試みである。ネットへの個人による書き込みや街で流される噂などもこの一部である。要するに蒲生の『能力』だけでは手に負えなくなった部分を、そういうことを専門にする業者に肩代わりさせようと言うのだろう。いずれにしてもこの『日本は食い物にされている』という意識は国民の多くに潜在的に根付いており、これを刺激することで偽装を正当化するという作戦は効果を上げていた。そもそも国際社会の実態は弱肉強食の世界であり、各国家は常にお互いを餌食にしようとしているというのが現実の姿だというに過ぎないのだった。


 前回の世界大戦に敗北した後『戦争をしない路』を選んだ日本は、覇権国家となったA国の庇護の元、軍事費という必要コストの大幅削減を利用し、一時は世界第二の経済大国にまで成り上がった。それは『敗戦は日本による陰謀』などというトンデモ論が現れるほどで、当然世界の多くの国家から『応分の負担』を求められる結果となった。笑うべきはこの『負担』に対する日本と他の各国の考え方の違いである。

 戦争に敗れた後の日本は基本的に軍事費などという無駄な経費は払いたくない、せいぜい近隣の諸国から侮られない程度の軍備で十分と考えていた。一方同盟国という立場であったA国は、日本にA国の仮想敵国に対する番犬程度の役割は果たしてほしいと望んでいた。ただし日本の軍事力がA国の脅威となるほど増大することは避けたいとも考えていたのである。

 他方日本の近隣に位置したC国はA国の仮想敵国であり、当然日本の軍事力が強まることを望まなかった。C国は日本と国交を結んだ後に獲得した戦勝国という立場から日本の経済援助を求め、それにより国力の増大を図ったのである。勿論この国力の中にはC国の軍事力も含まれていた。同盟国であるA国の仮想敵国に対する経済援助というのは奇異に感じられるが、当時はA国もC国に対し融和的政策を取っていた時期なのである。

 同じく近隣にあるK国の立場は複雑である。前回の大戦前、K国はその北にあるN国と共に一時日本に併合されていたことがある。これは日本の立場から見れば、あくまで併合なのであって植民地化ではなく、欧州の例をあげればE国のSランドやIランドとE国の関係に近いのであった。

 ところが前回の大戦後日本から独立したK国はN国を通じてC国からの侵略を受け、A国の支援でかろうじて現在の国境線まで押し返したという過去を持っていた。実は歴史を遡れば、K国はC国に臣従していた期間が少なからずあり、C国にしてみれば属国または自国の一地方という見方が強かったのである。まあかってこの地域の覇権国家であったK国の宗主国の、正当な継承者が現在のC国であるかどうかは異論もあるところであろうが、少なくともC国の立場としてはK国はC国に服属すべきであるという考えだったのだろう。

 現在のK国はこのような過程を経て成立した国家であり、その近代化から現代化の過程で少なからず日本を含む他国の経済的技術的援助を必要としてきた。しかし独立を維持するのに他国の援助を必要とする国家は、その相手に対しエディプス・コンプレックスともいうべき背理的な感情を抱かざるを得ない。この感情を克服できるのはその国家が精神的に自立を完了した時点であったろう。しかし自らを分断国家と捉えているK国は残りの半身であると考えるN国に対する未練を捨て切れず、国家としての単一同一性を獲得できないままでいた。

 さらに問題を複雑にするのが、旧S連邦の崩壊後成立したR国の存在である。欧州から亜細亜に跨がる広い領土を有するこの国は、旧体制の崩壊によって一時は弱体化したが、近年天然ガスなどの資源輸出国として再度勃興しつつあった。資源戦略の面で核融合エネルギーの実用化により、当面強い影響を受けそうな国家の筆頭と言えそうな国がこのR国である。無論シェール・ガスの利用で資源輸出国にシフトしつつあるA国も、この問題の例外ではありえなかった。

 さてこんな世界情勢の中、日本は『応分の負担』を求められ続けてきた訳であるが、その国外からの要求のあまりに複雑であり、怪奇と言えるほどの論理的飛躍と矛盾を含んだ多様性の故に、日本国民は理不尽さを感じ『食い物にされている』と考えるようになってしまっていた。これには国民性といえる律儀なまでの生真面目さと、対極的ではあるがその結果の思考的過労による政治・外交に対する無関心さも一役買っていたと言える。

 以上が蒲生の考えた世界と日本の大まかな現状であり、彼の当面の方針もこの世界観に基づいていた。そして実際にこの日本人に対する洞察が、蒲生の意図したアンダー・グラウンド・キャンペーンの効果を予想以上にあげる結果となった。世界の中で孤立している訳でも何でもないにも関わらず、他国の要求に耳を傾けることに疲れ果てていた日本国民は、他国への核融合技術情報の開示に興味を示さなかったのである。


「こんなわけのわからないものに自分たちの生活を委ねて平気でいるなんて、日本人はどうなってしまうんだろうな?」

 蒲生が千明にそうこぼしているのを聞いて鞘華はあきれてしまう。こんなわけのわからないものというのは、蒲生たちがその正体を明かさぬまま稼働させている核融合炉のことである。自分で国中に芽生えた疑惑の種を片っ端から潰して歩いているくせに、何を言っているのかと思うのは当然であった。

 国外に対して情報を与えないという暗黙の同意はまた、国内における情報開示に対しても否定的な雰囲気を醸しだしていた。知らない秘密は外部に対しても漏らすことができないというわけである。従って核融合発電についての内部情報を知る者は、国内でも非常に限定されていた。マイナス・ミューオン発生装置の操作が千明と鞘華の二人だけにしかできないことも、HHIとH電力の一部の技術者と管理職のみが保持する知識であった。

 政府のエネルギー政策は今後は核融合発電を利用する方向にシフトしていくだろう。エネルギー源の自給自足という日本の夢がかなうわけである。実際に稼働している核融合炉が一基しか存在しない現状でも、輸入しているナフサや天然ガスの価格を交渉次第で抑制できるという効果があった。


「あたしたち二人で管理できるのは一ヶ所がせいぜいよ。そろそろオペレーターを増やすことを考えなきゃね」

「まあ、そう言うな。今の段階ではまだ早い。発電所間の距離が近ければ二ヶ所までは可能だろう」

「実際はどこを考えているの?」

「A県だ」

「ああ、じゃあT電力ね」

 A県の北の端とは海峡を挟んでいるが、現在核融合炉が稼働している場所から数十キロ程度の距離しかない。ヘリを利用すれば三十分以内で移動できるだろうから、二ヶ所の核融合炉の稼働管理を兼任することも不可能ではないと思われた。

「そんなに急ぐ必要があるの?」

 鞘華が疑問を呈したのは、つい最近蒲生が新しい場所に核融合炉を建設することにあまり乗り気でない話をしていたからだ。原油や天然ガスの価格交渉の材料としては、現在の一基が稼働しているだけでも十分だと言っていたはずだ。

「防衛上の要求が持ち上がってきたのさ」

「防衛上?」

「発電所の周辺にレールガンの砲台を設置する計画が持ち上がっているんだ」

「レールガン?」

 レールガンというのは電気伝導体の弾体を電磁誘導ローレンツ力により加速して撃ち出す兵器である。非常に大きな電力を必要とするが、火薬を使った砲弾の初速が戦車砲でも一・八キロ毎秒程度であるのに比べ、その二倍近い速度まで弾体を加速できると言われていた。A国軍では、質量十五キログラムの弾体を毎分十数発、二・五キロ毎秒の初速で高度百五十キロまで打ち上げ、三百五十キロ以上先の攻撃目標に終速一・七キロ毎秒で着弾させるものが開発されているという。また中距離防衛用に弾体を数百グラム以下に軽量化し、毎秒数十発の弾幕を張るものも研究されていた。

「そんなものが必要なの。いったい誰が攻めて来るというわけ?」

 さすがにこれは千明も初耳らしく、詰問するような口調で蒲生に問いただした。


「さて、どこの国が攻めてくるんだろうな?」

 蒲生が他人ごとのように言ったので千明が片眉をつり上げた。自分の言い出したことに責任を持てと言うのだろう。だが蒲生と言う男はのらりくらりとそれを交わしてしまうことができる。あれで続いているのだからたいしたものだ。ひょっとして千明さん、あのおじさんに惚れてる? まあそれは無いだろうと鞘華は思い返した。もしそうなら、自分はどういうことになるのかと、空恐ろしい気がしたからだ。

「近隣の国でその能力があるのはC国とR国、それにK国とN国あたりかな」

「N国には実質的に海軍が無いわ、何発かミサイルを撃って来るのが関の山でしょう」

「それだって日本にとっては大変な脅威だろう」

「R国は東欧情勢で手一杯で日本周辺で今揉め事を起こしたくはないはずだわ」

「あの国の動向は、情勢次第ではわからんぞ」

「近年海軍力の増強に力を入れているのはC国、それにK国ね。でもこの二つの国が日本を攻めるとしたら、侵攻して来るのは西日本のはずよ」

 千明の言いたいことはこうだ。津軽海峡を挟んだ二ヶ所にレールガンの基地を設け、その傍に電力の供給源として核融合炉を設置するとする。弾道軌道を利用したレールガンの射程がA国の計画にあったように三百五十キロ程度だとすると、北海道と東北はかろうじてカバーできるが、肝心の場所には届かない。そんなものを作って何になるのか、というのである。

「A国のレールガンは一万五千トン程度のミサイル駆逐艦に搭載する仕様だから、電力の供給量や施設の大きさが制限されている。それに比べれば発電所の近くに建設されるレールガンには桁違いのパワーを供給できる。ただ速度表皮効果というものがあるから、現在の技術では数十キログラムの質量弾を弾道軌道で飛ばして、射程五・六百キロが限界だろう」

「そんなもの効き目があるの?」

「弾体はマッハ五以上の速度で上から落ちて来るんだぞ。当たったらどんな装甲だって持ち堪えられんさ」

「当たればでしょう」

 千明はそう言ったが航空機に比べて軍艦の動きは恐ろしくのろく、針路変更にも時間がかかる。衛星写真によって位置情報が正確に得られる現代においては、世界のいかなる国の軍艦もこのレールガンの弾道射程内に立ち入りたいとは思わないはずだった。

「レールガンの存在により日本への侵攻を西日本に限定することができる。このアドバンテージは大きい。同じ数の艦船で今までの半分を守ればいいんだからな」

「相手が持っているのは軍艦だけじゃないでしょ」

「C国は新旧合わせて千機以上の航空機を配備しているな」

「それじゃあ……」

「確かに万能の軍備などというものは無いさ。だが、軍備というものはそういうものだ。使ってしまえば弱点も暴かれてしまう。逆に言えば、こけおどしでもあるというだけで侵攻を防ぐ効果を持っているとも言えるのさ」

 つまり蒲生さんは大変な予算をかけて張り子の虎を作る計画に加担しようというわけなのね、鞘華はそう考えた。


「それならA県に核融合炉を作ってレールガン基地を二ヶ所にする理由は何?」

「バックアップだ。片方を潰しても意味がないから、相手に潰される可能性が低くなる。そういう安全措置がなければ、兵器として有効に使うことができない」

「あたしたちオペレーターが二人しかいないからA県に作るわけではないのね」

「そうじゃないと言えば嘘になるな。だがそれだけが理由じゃない」

 もう一基を西日本に作れという要求が出なかったわけではなかった。ただそうするとK国の一部が弾道射程の範囲に入っているのではないかという問題を指摘される可能性があった。日本の国策は専守防衛だ。他国を砲撃できる兵器として国内でも問題視されかねない。射程距離の詳細を公表する予定は無かったが、突っ込まれる余地は少ない方がいいに決まっている。それに相手から遠いということは、相手にとっても攻めにくいということになる……そう説明したのだと蒲生は言った。

「ねえ、蒲生さん、レールガンの弾道射程って本当に五百キロなの? 本当はもっと遠くまで届くんじゃないの?」

 千明がニンマリと悪そうな笑いを顔に浮かべてそう尋ねた。

「さて、それはどうだろうな? さっきも言ったようにこの兵器の本当のスペックを公開するつもりはない。そんな馬鹿な国は生き残れるはずがないからな。だが例えばC国の首都辺りまで届くのではないかとC国が疑念を抱いてくれれば、いろんな意味での抑止力になるだろう」

「それって、かえって危険じゃないの?」

「第二砲兵部隊の標的になるだろうな」

 C国の第二砲兵部隊とは中央軍事委員会直轄の戦略ミサイル部隊であり、核兵器を搭載して陸上から発射するICBM(大陸間弾道ミサイル)や中距離・短距離弾道ミサイルを装備している。その中には日本の首都を目標としているものもあり、発射後十分以内に到達するものと考えられていた。万が一C国が日本を侵攻することを考えるならば、彼らがレールガン基地を核ミサイルの標的とすることは当然考えておかなければならないだろう。またこれらとは別に、C国は海上または海中発射の核ミサイルも保有していた。

「隣接したレールガン基地が協同で弾幕を張ることで、弾道ミサイルを超高空で破壊することができる」

「本当にそんなことできるの?」

「パトリオット・システムとどっちが確実かと言われると困るが、理論上は可能だ」

 この場合パトリオット・システムとレールガンの迎撃の違いは、名人が撃つライフル銃と普通の人間が撃つ散弾銃のようなものだ。まあ、どちらにしても命中する保証はない。蒲生の言う通りバックアップが必要であるに違いない。

「レールガン基地って、別に核融合炉に限らず大電力が利用できれば作ることができるんでしょ?」

「その通りだが、そのためにだけ発電所を建設するなど、コストに見合う使い方ができるとは思えないだろう」

「ネフュスのおかげで大電力の余剰が安価に得られるからこそ実現したってこと?」

「そんなところだな」

 千明と蒲生の議論は続いていたが、鞘華には核攻撃の目標になるようなレールガン基地をどうしてわざわざここに作らねばならないのか理解できなかった。だいたいその施設だって、これから建設するのだから完成するまでにどれだけの期間かかるのかわからない。

いくら日本の技術力が高いと言っても、今までにない兵器システムを完成するまでには多くの問題点を克服しなければならないだろうことは鞘華にも予想がついた。鞘華が関わってからでも、核融合炉の第一期の工事が終わるまで二年半の歳月が流れているのだ。鞘華は間もなく十九歳であった。


 H電力が行なった二期工事は、タービン建屋と発送電施設の増設工事に過ぎなかったので一年で終了した。一方まったく新規の建設であり、複数の技術的課題を抱えるレールガン基地の建設の方はそう簡単にいかなかった。基礎研究は防衛省に委託されたHHIとM電機の関連会社によってかなり以前から行われていたが、実用化ということになるとまた別物である。また長距離弾道式の投射装置と中近距離用の迎撃装置では違いが多く、原理以外ほとんど共通点がないと言わなければならなかった。

 A県側でもすでに核融合発電炉の建設が始まっている。工期は一年半を予定していたが、すでに実績があるとは言えこれは相当な突貫工事だった。こちらのレールガン基地も、すでに見切り発車で基礎部分の着工がなされていた。

 これほど計画が前倒しで進められたのは、東亜細亜の政治情勢が予想以上に不安定になり、その責任が日本にあるとC国やK国ばかりではなくA国までが言い出したという事情があった。日本が核融合技術を非公開としているばかりではなく、核融合炉のエネルギーを利用したレールガン基地を建設しつつあることが非難の対象となっていた。日本としてはレールガン基地の存在をなんとか既成事実化しようとしていたのである。

 C国やK国としてはレールガンの弾道射程距離が自国の領土にまで及ぶのではないかという不安を抱かずにはいられなかったし、先行的にレールガンの研究を進めていてその限界も承知していたA国としても将来その性能を日本が飛躍的に高める可能性を無視することはできなかったのである。

「そうは言っても太平洋を挟んだA国まで質量弾を飛ばすには、難易度の高い土木工事が必要だから、A国が警戒するのは杞憂というもんだがな」

 蒲生は相変わらず疲れた顔をしている。出会った頃はまだ黒かった髪にも白いものが増えてきていた。鞘華も四年近く同居してきたせいか、蒲生に対して時々は愛情のようなものを感じることがあった。

 A国まで質量弾を飛ばす為には、レールガン基地を三千メートル級の高山の山稜に建設する必要があった。空気抵抗というより主に衝撃波の問題である。大気圧自体は標高三千メートル付近で〇・八気圧と、それほど平地と大きく変わる訳ではない。だが数キロメートルの距離にわたって加速され、超音速で射出される弾体が起こす衝撃波は、平地では周囲に甚大な環境破壊を起こす可能性があった。高山に建設することでその衝撃波を上方に拡散させることができるというのである。

「そうなれば補助的なマスドライバーとして、衛星の打ち上げにも利用できるだろう」

 遠い所を見上げるような眼になって蒲生がそう言った。多分そう簡単にはいかないだろうという表情である。いずれにしろ世界の軍事面で覇権を握っているA国とは今後も協調を保っていかなければならない。レールガン基地の完成後、日本は世界の軍事情勢の中でどんな位置を占めることになるのだろうか?

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