第五章
『マイナス・ミューオン触媒ジェネレーター』の稼働実験の成果が出てから、実証実験炉が完成するまでには五ヶ月しかかからなかった。元々La plus haute Tourが建っている敷地とその周辺はゴルフ場があった場所であり、起伏の多い傾斜地であった。周囲にはほとんど建物が無く、大規模な基礎工事が必要ではあったが、実験棟を建設する場所には事欠かなかった。実験棟とは言っても、成功すれば北海道全体の需要を賄って余りある九百九十万キロワットの定格出力が期待できるとあって、仮設ではなく正規の発電所に移行可能な施設である。建設場所が若干窪地になっており、施設の大部分が地下に埋設されている関係上、麓にある市街地からはその姿を見ることができなかった。
しかし大規模な工事であり地元の建設業者が関わっている以上、噂が立たないわけもなく、様々な尾ひれのついた話が市民の間で交わされることになった。その中に誰が言い出したか、本州の企業が秘密裏に『原子力発電所』を建設しているというものがあった。これは根も葉もない話というわけではないが、彼らの言う『原子力』とは『核分裂炉』のことであり、『低温核融合』を利用する『ミューオン触媒核融合炉』とは根本的に異なる。しかし計画自体が極秘のプロジェクトで、正体を明かすことができない以上弁明もできない。この噂は徐々に広がり、市民団体が市長に調査を申し入れる騒ぎにまで発展していった。
市の問い合わせに対し、プロジェクトの表向きの主体企業であるHHI(日乃丸重工)は地熱発電関係の実験施設であることは認めたが、いわゆる『原子力発電所』ではないという回答を返した。『市民団体』がこれに納得するはずもなく、彼らは『市民』による『視察』を認めるよう要求を出してきたのである。
「まあこれだけの施設ができるというだけでも関心を惹かないわけにはいかないわよね」
実験棟の主制御室の窓から実験炉を見下ろして千明が呟いた。実験炉の本体は地下にあり、そこから見えるのは炉心から加圧蒸気を取り出す円錐台型の圧力弁部分だけである。複数の蒸気タービンに供給された蒸気は復水器を経て再度炉心へと循環される。ただしそこでは炉心を巡る一次冷却水と熱交換機を介して循環しているに過ぎない。この辺はいわゆる『核分裂炉』のノウハウを持つHHIの独壇場であり、発電関係の制御はHHIの技術者が行っていた。
「問題は『市民団体』のメンバーの中にC国やK国の関係者が混じっているということですね」
HHI部局の総責任者である城野が苦い顔をして答える。城野は眼鏡を掛けた小太りの男で、そのポジションにしては随分若く見える。胸にHHIと縫い取りの入った作業着をだらしなく羽織っている。
「いわゆる『リベラル』団体には、歴史的にむこうと繋がっている人間が少なくないのは確かだな」
蒲生の言葉に城野も頷いた。リベラルであろうが右翼であろうが、プロジェクトの邪魔さえしなければどうでもいいと彼は考えている。しかし外国の連中は別だ。これまで何度も、蓄積してきたノウハウや技術的な成果を掠め取られるという苦い思いを味わってきた城野は、外国嫌いだった。特にC国やK国の連中は、奪うばかりで何かを提供しようという姿勢が見られないと彼は考え、技術者としての立場から蔑視していた。
「地熱発電の実験施設だなどと言っても通りませんよ」
「やっぱり誤魔化せんか?」
そう言いながら蒲生はあまり心配している様子が無い。
「地熱で九百九十万キロワットは無理でしょう」
あきれたように城野が答える。
「その数値は公開しなくていい。変電所を介して送電してしまえば、見えない電力などわかるものか」
変電所は元々山麓にあったものを膨大な電力の送電に堪えるよう拡張し、実験棟から変電所までの送電線は特殊なトンネルを掘って埋設されていた。
「それにしても電力会社内部で数値を誤魔化す必要があります」
城野の部下である神経質そうな青年が青い顔をして言った。急に心配になったのだろう。頭の中でいろいろ計算しているようだ。胸のプレートには『吉田』となっている。
「今までの単価の半分以下で供給される電力だぞ。電力会社だって甘い汁が吸えるんだ。奴らだってそれぐらいはやってのけるだろう」
「内部保留が増えるだけでしょう。社員には利益が無い。闇給与なんぞに手を出したら、ばれたとき大変だ。それにいろんな面で辻褄が合わなくなりますよ。例の震災以来、核分裂炉による発電は動いていませんからね。火力で使っている石炭や天然ガスの消費量とか……」
吉田の言葉に頷いた後、城野が肩をすくめ投げやりに言う。
「どんなに秘密にしても情報は漏れますよ」
「国家的な秘密プロジェクトだぞ」
もっそりとした口調で蒲生が釘を刺すように言った。
「闇給与の誤魔化しに税務署が協力するとでも? だいたい、国家って何のことです?」
「さあて、何かな?」
市長と城野との話し合いの結果、『市民団体』の代表者を含む三十名ほどの見学者を受け入れることになった。
「皆さん、うちにも企業秘密というものがありますから、許可されたエリア以外での写真や動画の撮影はご遠慮願います。それから勝手な行動もひかえてください。発電には高圧の蒸気が使われています。危険な場所もあるのです。どうぞご注意を」
吉田が三十人ほどの見学者を前に声をはり上げた。言われた方はどれだけ聞いているのか、ガヤガヤと話していて、中にはスマホをいじっている姿もあった。
「この中に外国のエージェントが混じっているかどうかはわかりませんが、実験棟内部の撮影をしてやろうと考えている人間は確実にいますな」
見学者の列の最後尾についた城野が不愉快そうな顔つきで隣にいる蒲生に言った。今どきカメラなど無くても高精度の静止画や動画を撮る方法はいくらでもある。だがスマホや携帯を預かると言ったらプライバシーの侵害だと物議を醸すこと請け合いだ。表立った撮影器具を使わせないようにしたとしても、日本は偽装したカメラなどというものが通信販売で入手できる国である。また身体検査などしようものならかえって藪を突ついて蛇を出す結果となりかねない。
もっとも肝心の『ミューオン触媒核融合炉』の本体はほとんど地下に埋設されており、地表に出ているのは蒸気の供給弁や何本もの太い高圧パイプばかりだった。供給される蒸気を利用して発電機を動かしているタービンや復水器などにはそれなりの技術情報があるのだが、それは外観からだけでは知り得るものではない。だからこの実験棟内の最大の秘密と言えば、蒸気の供給方法が地熱からではなく、地下にある『ミューオン触媒核融合炉』からのものだということだった。
「ネフュス稼働最小レベル。ミューオン・ビーム〇・三%。MCNF稼働二%。出力七万キロワット……」
主制御室では千明と鞘華の他に十人ほどの技術者が計器の数値を見守っている。実験棟の中を見下ろすことのできる窓からは、太いパイプと十八基のタービンの周囲に見学者の小さな姿が群がっているのが見える。この制御室の中にいる者はみんな共犯者だ。眼下の装置が地熱発電の施設などではないことを承知している。そこがあの見学者たちとは根本的に違う。その意識はある種の優越感、MCNF(ミューオン触媒核融合)の秘密に与かる選民意識となって、技術者たちの心を満たしていた。
眼下に並ぶタービンは各々五十五万キロワットの定格出力を持つ。技術的にはこの倍の出力を持つタービンの製造が可能であり、その方が熱効率も高いのだった。ただそうすると供給電力の微調整が難しいという難点があり、十八基のタービンを並列に設置する方式がとられていた。
「地熱から得られる蒸気圧は比較的低いので、本施設では小型のタービンを複数利用して効率を高める方式をとっております」
下のタービン・ハウジングの間からハンドマイクで説明する吉田の声が聞こえてくる。
「あいつよく言うよ。下の奴らこの施設がフル稼働したらどんなことになるか、知ったら驚くだろうな」
「シッ、声が高いぞ」
「聞こえるもんか」
「壁に耳ありと言うじゃないか」
その下では蒲生が見学者たちの心を操作していた。無論そんなことは隣に並んで見学者たちの後をついていく城野も知らない。というより蒲生の力で気づかないないようにされている。他人の心を操作する蒲生の力はこの頃さらに高まっているようだった。今も三十人ほどの見学者の心を同時にスキャンしながら、その中で特に不信感を持っている数人の心に暗示を埋め込んでいく。
「城野さん、あの痩せ型の男ですが、日本人ではないようです」
「そんなふうには見えませんが?」
「二十年以上日本人として暮らしています。しかしC国人です。いわゆる産業スパイのような仕事が彼の任務の中心ですが、勿論それだけではないでしょう」
普通だったらどこから得た情報なのかと疑問を持ちそうなものだが、そう言われただけで城野は信じきっている。
「つまみ出しますか?」
「まさか! どうせ本当のところは探り出せませんよ。手ぶらで帰ってもらいましょう」
蒲生はその男の心の中から疑いの芽を摘み取っていった。
男は考える……『地熱発電』か、せこい技術だ。わが国のような大国には役に立たないな。無駄足を踏んでしまった……男は無意識の内に自分が撮った映像データを消去する。……報告書には何と書こうか? いっそ報告を上げない方が賢いかもしれない……男は自分の心に加えられた操作の痕跡がきれいに拭いとられたことにも気がつかなかった。
MCNF(ミューオン触媒核融合)から得られる電力のコストは、研究費や設備費を含めて二十五年で原価償却するとしとして、従来の半分以下になる。燃料となる重水の製造コストも、最新の電気分解法では核融合で得られるエネルギーの七百分の一の電力を消費するに過ぎない。
地域の電力会社であるH電力がそのままの価格で電力を購入するとすれば、他地域の電力会社は価格競争で到底競合できるわけが無かった。無論わが国では、電力の供給は各地域でほぼ一社独占の状態であるので、H電力以外の電力会社が潰れるという可能性は限りなく零に近い。だがそのままでは他地域の企業や一般消費者から不満が生じ、将来に禍根を残すことになる。予想される問題としては、他地域にもミューオン触媒核融合炉を建設しろとの要求が高まるだろう。
だがこれは『ネフュス』の独占を崩したくない蒲生たちの意志に反する要望だ。そもそも『ネフュス』を複数供給することが可能であるかどうかさえ定かではない。さらに怪しげな『ネフュス』の正体が暴かれる可能性だって無視できなかった。
またH電力の方もMCNFの独占を崩したくない。そもそも現代では電力は大量生産大量消費の筆頭といってよい。電力の生産コストが僅かでも下がれば電力会社には膨大な利益が転がり込む。
これに国の安全保障上の目論見が重なり、MCNFから得られる電力の活用は謀略とも言える手段を積み重ねて行われることになった。
まずH電力は政界の肝入りで設立された有限会社MF発電から、従来自前で発電していたコストより若干低い価格で電力を購入する。この電力をH電力は企業や一般消費者に今までより僅かに低い値段で販売する。さらに余剰となった電力を、H電力は海底トンネル内の送電線を利用して本州方面の電力会社に売電することもできるようにする。
他方、有限会社MF発電は得られる膨大な利益を活用して、北海道の各地に揚水発電所と新たな送電網を建設し、太陽光、水力、風力、地熱、バイオマスなどの自然・再生可能エネルギーの買い取りを進める。『電力王国プロジェクト』と名付けられたこの計画は、実はMCNFの実態をカモフラージュするための詐術であった。
これにより不利益を被ったのは、はるかに安い値段で電力を購入できたかもしれない電力利用者と、一時的に高配当を得られたかもしれないH電力の株主であろう。だが蒲生はそんな利益は泡銭に等しいと考えていた。そんな一部の人間の利益より、北海道がエネルギー生産地となることで得られる日本全体の景気浮揚効果の方が有意義だと言うのである。
「それって『悪代官』の発想ですね。『下々はよらしむべし、知らしむべからず』とか言うんじゃなかったですか?」
ペントハウスのダイニング・テーブルにだらしなく肘をついて、蒲生の話を聞いていた鞘華が、そう言って口の端からベロを出した。口調から判断すると、別に『悪代官』というものに反感を持っているというふうでもない。
「本来の意味は違うんだがな。もっとも『朝三暮四』ってのもある」
「何の話しなの?」
これは千明。
「人は目先の利益に眼を眩まされ易いってことだ」
「だからって他人を騙していいってことにはならないと思うけど」
千明が少しきつめの口調でそう言ったので鞘華はびっくりした。いつもの投げやりな千明とはだいぶ違う感じだったからだ。本当は投げやりというのは当たらないかもしれない。千明は決して情の無い方ではないし、アンニュイというのともまた違う。でもやはり千明には世間一般の価値観と間を置いているようなところがあって、それがかえって鞘華を安心させていたのだ。それは自分の突拍子もないところや道徳的でない言葉にも、千明なら頭から否定はしないだろうという鞘華の油断だった。
「騙されるのが嫌なんですか?」
「あたしは嫌ね」
「騙されて幸せになるのも嫌か?」
ブランディに珈琲を垂らして薄めながら蒲生が聞いた。
「人一倍騙されるのが嫌いなくせに」
今日の千明は蒲生にも絡んでみせた。
「所詮この世は騙し合いだぞ」
「あたしの親も騙されやすい人だった」
「だから騙す方に廻るのではなかったのか?」
「そうだった。すっかり忘れていた。疲れているのかしらね?」
「千明さん、どうしたんですか?」
鞘華が心配そうに尋ねると千明はフッと笑ってみせた。
「時々『いい人』になりたくなるのよ。発作みたいなものね」
「千明さんは私には十分『いい人』ですよ」
「ありがと。そうよね『誰にとっても』いい人なんて、いやしないわよね」
「それって『都合のいい人』ってことですか」
「『善良な人』ってことよ」
「私だったら『嘘つき』って言います」
言ってしまってから、鞘華は自分の言葉が強すぎたかと心配になった。蒲生はショットグラスにブランディを注ぎ千明の手に押しつけた。
「嘘をつき続けるのは疲れるからな」
「正直な方が楽なんですか?」
鞘華がそう言うと蒲生は少し肩をすくめながら訂正した。
「自分が正直だと思っている方が楽なのさ。嘘は誰でもつくもんだ。だが意図的に嘘をつき続けるのにはエネルギーが必要だ。相手に嘘だと気づかせないためにはな。相手に嘘だと気づかれてしまったら、それはマズい嘘だ」
MCNF(ミューオン触媒核融合)についてはあまりにも多くの嘘が絡まりついていて、どこからどこまでが真実でどこがそうでないのか、この三人にさえわからなくなりつつあった。そしてその甘い嘘から生まれる利権に多くの人間たちが群がっている。この嘘を暴けば日本という国自体が震撼しかねないほど、その影響は大きくなってしまっていた。
「とりあえずMCNFは動いている。そしてエネルギーを吐き出しつつある。あとはすべて嘘だとしても、それでいいじゃないか」
蒲生がそう言い、珈琲で割ったブランディを飲み下した。唇の端から一滴それがこぼれて蒲生の顎鬚を濡らした。目ざとく千明が目に留め、キッチン・ペーパーを取って拭きながら言う。
「まだ数%しか稼働していないのよ」
「いくら何でも、いきなり全力運転というわけにもいかんさ。受け入れ側の問題もある」
「吉田さんは早く九百万キロワットまで持っていきたいて言ってましたよ」
鞘華はHHI(日の丸重工)の若い技術者の顔を思い浮かべてそう言った。吉田はマイナス・ミューオン発生装置のことが気になるらしく、しきりに鞘華に声を掛けてきたのだ。
「あいつは外国やどこかの企業のスパイという訳ではない。だが注意しろ。あいつはネフュスの秘密を知りたがっているだけだぞ」
蒲生が諭すような声で鞘華に釘を刺した。
「そんなことわかってますよ。千明さんが手強そうだから私にアプローチしているってことも」
「技術者としては当然の好奇心ですものね。でも鞘華、気をつけなくっちゃ駄目よ。鞘華はうぶだから」
千明が鞘華を心配そうに見て言った。
「わかってますって!」
「そんなこと言って、悪い気はしてないでしょ?」
「あたしがネフュスの秘密を漏らすはずないじゃないですか」
「でも嘘をついたまま恋はできないわ。苦しくなったらいつでも相談してね」
「千明さんはすぐ蒲生さんにチクるじゃないですか。もうあの氷水は嫌ですよ」
「そうね。でも、あなたのためだから」
「それ嘘ですよね」
「あら、本当よ。あなただってネフュスに喰い殺されたくはないでしょう」
千明の言葉は青い顔をして怯えていた寒月のことを鞘華に思い出させた。結局、このネフュスという嫉妬深い猛獣を自分の中に飼っている限り、鞘華には恋など望めないのだ。ひょっとすると、人として生きることさえ難しいのかもしれなかった。
「恋というのは人間の『種』に埋め込まれた自己保存の機構だからな、簡単に騙すことなどできないさ」
蒲生が優しげな口調でそう言った。鞘華は蒲生に労られているような気がして反発を感じた。蒲生の狡さは今までで嫌と言うほど承知しているはずなのに、また掌の上で転がされるように騙されてしまうのが怖かった。
「簡単じゃなければ、騙すことができるんですか?」
「人間の『文化』と言うのはいかにして『それ』を騙そうとするかと苦闘した歴史だよ」
蒲生が真面目な顔でそう言った。彼に言わせれば、農耕から始まり現代に至る文明は、単純で身勝手極まりない衝動である『恋愛』の眼をいかに眩まし、自分だけでなく他者をも『保存』させるように導いていく過程で成立しているのだそうだ。
「私には意味不明です。蒲生さんみたいに頭よくないから」
「蒲生の言うことは話半分に聞いた方がいいわ。あたしには自分でわかっていないのに、いかにも本当のように言ってるとしか思えないもの」
「でも半分は意味があるんですか?」
「半分以上『嘘』だと思って聞いた方がいいってことよ」
千明になだめるようにそう言われても、鞘華には二人がかりで自分を騙しにかかっているようにしか思えなかった。
いっそ私も蒲生さんに抱いてもらおうかしら。それで共犯関係が深くなれば本当の所を明かしてくれるかもしれない、そんなことも鞘華は考えてしまった。鞘華にしてみれば千明が蒲生を囲い込んでしまっている今の状況を、少しでも自分に有利にと思ってのことなのだが、『恋愛』についてさっきのような考えを本当に蒲生が持っているとしたら、そんな手管は通用するはずが無いということに、鞘華はまだ気付いていなかった。
日本の政界では野党の再統合の動きが始動していた。これも蒲生の働きかけによるものである。小さな政党が乱立する状況の中では、これからの日本を動かしていく上での秘密がいつどのようにして漏れるかわからない。個別の政党の勝手な価値観で政治が動いては、自党の利益のためなら他国に秘密を漏らしてもかまわないという、過去にもあった売国行為が生ずることを止められないからだ、というのが蒲生の考えであった。
「日本と言うこの国を第一の基盤として考えられない政党が、現実に世界をどうするかなど考えられるはずが無いからな。日本の未来をどう作り出していくかという『共通の価値観』を持った二大政党による統治しか選択肢はないのさ」
「蒲生さん、日本とか世界とか、大きなことを言って誤魔化そうとしているけど、結局自分の、私たちの、利益しか考えてないんでしょ」
「自分が何をしたいかを考えているだけだ」
いかにも鞘華の言葉に傷つけられたという表情をして蒲生はそう答えた。いい歳したオヤジがする顔じゃないわと思いつつ、鞘華は自分が何か悪いことを言った様な気分にさせられ腹を立てた。
「誤魔化しじゃないの?」
千明が黙って笑っているのにも理不尽を感じた。千明には蒲生の考えが理解できているのに、何で自分にはわからないのだろう。どんな悪辣なことだって共犯者になることにためらいを見せるつもりはなかった。だが、少なくとも自分が関わっているこのことの意味を知った上でのことでありたい、鞘華はそう考えた。
「あの大震災の結果明らかになったことがある。それは、わしらには『核分裂反応』をエネルギー源として扱う十分な準備がまだできていなかったということだ。石油・石炭や天然ガスのように、使い尽くしてしまえば無くなるという問題ではない。使った後に生じる核廃棄物を始末するコストを計算せずに使い始めたという問題なのだ」
「どう違うの?」
「わしらは今、将来の日本、将来の人類にそのコストを押しつけつつ、核分裂エネルギーを利用することしかできないという意味だ。将来の誰かに尻拭いをしてもらうつもりが無ければ、核分裂をエネルギー源とすることなどできないのさ」
「無責任じゃないの!」
「その無責任なことをわしらは始めてしまった。『核の平和利用』など嘘っぱちさ。一方的に将来に負債を押しつけている、ある意味『未来への侵略』に過ぎない」
「そんな!」
「今がよければ将来天が落ちてきてもかまわない、そう考えているのが現在の人類の正体なんだよ」
千明が冷蔵庫からメロンを取り出して切り、皿に載せて蒲生と鞘華の前に置いた。蒲生はスプーンを使わずメロンに直接かぶりついて、また髭を濡らした。千明は黙ってペーパー・タオルを蒲生に渡した。
「わしはH電力に核分裂炉の廃棄作業をさせるつもりだ。そのコストを負担するのはH電の利用者だ。なに、今までと同じ料金を支払うだけでいい。ネフュスで得られる安い電力との差額を、廃炉のための費用に当てさせるのさ」
「原子炉の廃炉作業ってそんなに大変なの?」
「核分裂炉の廃炉はまず制御棒を挿入して反応を止めるところから始まる。核反応が止まって、炉心が冷え、作業が可能になるまでに数年かかる。冷えるといってもそれは温度だけのことで、炉心から取り出すべき使用済みの燃料や炉心の構造材は放射化されてホットな状態だ。当然人間が直接手を下すわけにはいかん。ロボットに作業させるしかないが、馬鹿げたことに日本の原子炉の多くは詳細な設計図が残っておらん。設計図の保管が義務づけられていなかったから、というのが理由だそうだが、作った時廃炉のことなど考えていなかったことがわかる。現在のロボットに手さぐりで解体作業をさせることなどとうてい無理というものだ」
「ロボットの性能を飛躍的に向上させなくてはダメということね」
「例えロボットを使って炉心の解体まで持っていったとしたって、高レベルの放射性廃棄物や使用済みの燃料をどう処理するかの問題は解決しない。これらの危険性が無くなるまで、数千年から数万年かかるのだぞ」
「じゃあ、どうするの?」
「どこかに深い穴を掘って埋めるしかなかろう」
「どこかって……」
「当然、その近くには人は住みたがらんだろうな」
「どこになるの、それ?」
「まあ、現在核分裂炉があるところが有力候補だ」
「近くに人が住んでいるんでしょう」
「ああ、それに実は地盤が強固ではないかもしれないという可能性もある」
「これだけ地震の多い日本に本当に『地盤が強固』な場所なんてあるの?」
「わからんな。わからんまま始めてしまったのだな、人間は」
蒲生がこの話を始めてからずっと暗い顔をしていた理由が、鞘華にはやっと理解できた。
千明が珈琲を淹れカップに注ぎ分けて配った。ブルーマウンテンンの芳しい香りがカップから立ちのぼり、少し鞘華をホッとさせた。ただ鞘華は、こんな深刻な話題を話し合っている中、珈琲の香りぐらいでホッとする自分に理不尽を感じないではいられなかった。