表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
35/35

第三十五章

 ログハウスのリビングに置かれたテレビでは、訪日したR国大統領ラジミール・ブーニンがおこなう衆議院での演説が終わるところだった。ソファには千明と英輔が座り、鞘華と茂子はその後ろに立って聞いている。と言っても演説の内容はあらかじめ提示されていたため、同時通訳では無く日本語のテロップが画面の下部に流れていた。

 演説を終えたブーニン大統領は衆議院議長と握手を交わした後、演壇の下まで迎えに出た内閣総理大臣五島大介とも握手した。議場を出る大統領の姿をカメラが追う。

ブーニン大統領は過去何度か日本を訪れているが、今回は日本全土が歓迎ムードに包まれていた。それは他でもない、この訪日が日本とC国K国との戦争状態に変化をもたらすと期待されていたからだ。この訪日は、五島総理が戦争終結のために打った乾坤一擲の一手だと噂されていた。

 その一手とは、R国との同盟関係樹立である。もとよりそのためには、現在日本国内に軍事基地を置くA国の同意が必要である。ただしC国K国との戦争で同盟国らしい役割を果たしてこなかったA国に対し、日本国民は好意的な感情を失いつつあった。A国との同盟がR国とのそれと置き換わったとしても、違和感を持たないほどその不満は高まりつつあったのである。

 今回のR国との外交交渉は過去のそれとは異なり、圧倒的に日本に有利に進められているように見えたから、国民の期待はなおさらであった。


 平和条約の締結とともに、千島列島とサハリンを日本とR国の共同租界地とする条約が結ばれようとしていた。治安のため自衛隊とR国軍が共同で駐留し、両国民の共同租界地への出入りや経済活動は自由とする案がそれには含まれていた。そしてこの租界地を仲介とし、将来は日本とR国を連邦国家とする構想まで浮かび上がっていたのである。 そうなれば総人口三億弱、世界最大の領土を持つ大国が誕生することになる。いくら十三億の人口を持つC国といえども、戦争を継続することは困難になるだろうと予想できた。

 無論何のメリットもなしにR国がこんな取引に応じるわけは無い。当面日本はサハリンに三カ所の核融合炉とレールガン基地を建設、さらに核融合炉のエネルギーを利用した水素製造プラントも建設することになる。

 これに対しR国側は、北サハリンにある油田の製品化プラントからトルエンを供給する準備を始めていた。

 水素は燃焼しても水になるだけで、究極のクリーン・エネルギーと言われている。ただ気体状態では体積が大きく扱いづらいのが欠点であった。

 だが高温下で水素にトルエンを加えると、メチルシクロヘキサンという有機ハイドライドに変化し、常温で液化して体積は五百分の一になる。この状態であれば、パイプラインやタンクローリーなどで運搬し、あるいは貯蔵することができた。

 使用する直前に触媒を利用して水素とトルエンに還元すれば、水素は燃料として利用し、トルエンは水素の運搬に再利用することができる。水素を利用した燃料電池の普及により、有機ハイドライドは『運搬できる電力』とまで言われていた。

 日本と同盟を組むことによりR国は世界の先頭を切って『水素エネルギー国家』に変貌することができる。すでに日本国内では、水素エネルギーを利用した自動車の生産ラインが動き始め、国内各所に水素供給スタンドが雨後の竹の子のように建設されているのであった。


「今はお祭り騒ぎだけど、本当に連邦国家なんてものができるのかしら?」

 千明が英輔に寄り添いながらそう呟いた。

「まあ、言語も文化も大きく異なるから、簡単ではないだろうな」

 英輔はゆったりとしたカーディガンの襟をいじりながらそう答える。窓の外は初冬の昼下がりであった。

「そのために共同租界なんてものが作られたんでしょう」

 鞘華がリモコンでテレビのチャンネルを変えるが、どの局もR国大統領の訪日についての番組ばかりだ。キャスターが租界地では日本語とR国語が共に公用語となることを説明している。

「サハリンは二つの文化の緩衝地帯でありミキサーだ」

「文化的なフロンティアになるでしょう」

 茶道具を載せたワゴンの上にカップを並べながら茂子が口を挟む。英輔が顎髭をこすって考え込んだ。

「そんな平和な話で済めばいいが」

「C国だって二方面作戦は戦えないでしょう」

「一旦は引くだろうが、根に持つに違いない。それよりも問題はR国との関係だ。だいたい人口規模でほぼ同等の国家の連合なんて過去に例が無い。過去の歴史にあるのは、大が小を吸収したような場合だけだ」

「相互条約案では、双方の文化的独自性を尊重するとあるわ」

「学者の寝言だよ」


 日本にとってはR国の広大な領土に眠る資源は魅力的であり、R国にとっては日本の民生用科学技術や資本が同様に魅力的だった。だが異なる民族、異なる文化は衝突せざるを得ない。そこから何が生まれるか、サハリンはその実験のための坩堝るつぼとして選ばれたわけである。


「軍事的には間違った選択ではないと思います」

 茂子がカップを英輔の前に置きながら言った。相変わらずその顔は無表情を装っているので、鞘華はついからかいたくなる。

「同盟国に対しては武器輸出が可能だものね」


 鞘華が言うのは心神改のマイナー・バージョン(ネフュス無し版)をR国に供給する協定のことだった。見返りとして日本はミグ三五を元にR国が開発する第五世代ジェット戦闘機を導入することになっている。この他にも自衛隊は一五二ミリ自走榴弾砲や次世代戦車T-九五の試験購入を検討していた。

「A国と日本の軍事同盟はどうなるのかしら?」

 千明が考え込むように言った。答える英輔は投げやりな表情だ。。

「A国は周期的に孤立して国内に閉じこもろうとしたり、国外を侵略しようとしたりする妙な国家だ。今はまた国民の意識が内側を向いている。今回のC国との紛争でも、A国は日本の基地から一機の戦闘機も動かそうとはしなかった。A国本土に影響が及ばない限り、火中の栗を拾う気は無いということさ」


 早晩A国の軍事基地は日本から無くなるというのが英輔の見解で、R国との同盟締結を急いだのもそのためだった。A国軍が日本から撤退したとしても、R国との同盟がある限り、C国は二正面作戦を戦う愚を避けるだろう。R国に陸から、日本には海から攻められたら、軍事的にも経済的にもC国は破綻してしまう。


「C国が海洋に進出し、アジアの覇権を握ろうと企てたのも、A国がアジアから手を引こうとする気配を見せたからだ。だがC国を動かしている人間たちには『覇者たる気概』は無い。あいつらを動かしているのは『欲』ばかりだ」

「気概? それ何?」

 千明が馬鹿にしたように眉を上げる。だが英輔は動じなかった。彼は彼なりの基準というものを持っているのだろう。時々千明が投げかける懐疑的な言葉にも狼狽することは無い。茂子が思わず表情を変えようとするのを手で制し、千明に問いかけた。


「『ノブレス・オブリッジ』という言葉は知っているだろう」

「直訳すれば『高貴さは強制する』という意味ね」

「『名誉は義務を伴う』と訳することもある。元をたどれば『支配する者はされる者より、より多く無私の義務を負う』という文脈で書かれた言葉だ」

「絵空事ね」

「まあ、一握りの人間の意思で世界がより住みやすくなるなどと信じるほど、俺も無邪気な訳では無いがな。しかし少なくとも支配者は高貴さを演ずる義務があることは否定しない」

指導者リーダーの義務というわけね」

「そうだ」


 鞘華はこの議論を黙って聞いていた。英輔の言う『義務』とやらと、彼が鞘華に殺人を犯させたこととは、一体どう整合するのだろう? 英輔は鞘華にとって『何者』なのだろうか? 鞘華の疑問は今に始まったものではなかった。けれども今、鞘華は切実にその答えを希求していた。


 テレビの画面の中では、R国の大統領を乗せたリムジンが議事堂の前から、空港へ向かって走り出そうとしている。白バイの先導で何台もの車を従え、リムジンは走り去る。


「『中佐』は姿を現しませんでしたね」

 茂子が英輔に話しかける。

 公安は『中佐』が動くとしたらこの機会しかないと網を張っていた。日本とR国との同盟を潰すため何かを、たとえばブーニン大統領の暗殺のような事を、仕掛けてくると予想したのである。

 だが狡猾な『中佐』のことである。それは十分織り込み済みだったのだろう。どうやらブーニンは無事帰国の途についたようであった。


 最初に核融合炉が建設されてから十年がたち、日本は本格的な水素エネルギー社会に変貌しつつあった。各国もそれに追従しようとしているが、日本のアドバンテージは何と言っても核融合炉技術の独占である。

 風力や太陽光のような自然エネルギーから水素を生成するのであれば、エネルギー・コストが高くなり過ぎるのが水素エネルギーの欠点であっった。廃炉費用まで含めれば核分裂炉でも同様である。

 今のところ唯一核融合炉だけが安価なエネルギーを提供し、有機ハイドライドという形で流通させる社会を実現可能とさせるように見えた。

 日本が核融合技術を独占していることを非難する声が上がるのも当然であった。

 A国が日本とC国やK国との紛争で指一本さえ動かさなかったのも、それが一つの理由だと英輔は考えていた。日本が弱ったところで、手助けしてほしければ核融合技術を渡せと、脅しをかけるつもりだったのである。

 今回の同盟締結により、A国のこの恫喝は空振りに終わったと言ってよい。それどころかA国は、アジアにおける重要な軍事拠点を失うはめになるだろう。一方漁夫の利を得た形になるR国は、将来同盟関係が深まるにつれて、共同租界地のサハリンだけでなくR国本土でも、核融合炉の建設を期待することができる。

 アジアに平和をもたらすであろうこの同盟は、ブーニン大統領にとっても今までで最大の功績と言ってよかった。ただ彼はここで満足するような人物では無い。誕生した双子国家のイニシアチブをとるため策謀を巡らしてくるであろうことは、疑いようも無かった。ブーニンとはそういう男であった。


「これからどうなるの?」

 木枯らしの吹く窓の外を見やりながら鞘華が尋ねた。千明や茂子も英輔の顔を見る。

「C国はおそらく講和を申し出てくるだろう。R国が動き出してからでは遅いからな。そうなったらK国は従わない訳にはいかない。もとより一国で戦争を続けられる力は無いんだ。今後K国はC国に従属せざるを得ないだろう」

 今回の紛争で下手を打ったK国は世界の多くの国から侮られることなってしまった。強国に隣接する弱国の悲しさとも言えるが、事大主義の本来の意味であるしたたかさを見失った結果と言われればそれまでであろう。


 部屋の中にはエアコンが効いてぬくぬくとした空気が満たされているが、外では木枯らしが音を立てて吹き荒れている。高原には間もなく雪が舞い、あたりを白一色に覆い尽くすだろう。

 日本はネフュスから得た核融合炉技術により、繁栄を謳歌しようとしていた。だが、世界にはその技術を渇望する多くの人間がいる。彼らから見れば日本の繁栄は妬みの種以外の何物でも無い。

 神から与えられた炎を表す青銅の蛇を胸に抱いて、神殿で微睡む選ばれし民たちに対して、外の闇からは寒さに震える者たちの怨嗟の声が聞こえる。そんなイメージが鞘華には浮かんだ。

 考えてみればネフュスとは何だろう。英輔に与えられたそれは、時として呪いのようにも祝福のようにも鞘華には感じられた。鞘華は今、ネフュスを与える条件として殺人者の烙印を何故英輔が要求したか理解できるような気がした。

 もしネフュスをただ祝福とだけ鞘華が感じたのであれば、彼女はそれを万民と分け合うことにためらいを見せなかったであろう。だがそれが同時に呪いでもあると知る鞘華は、犠牲なしに人々がそれを得ることをよしとしなかった。

 果たして本当のところ、ネフュスとは一体何であるのだろうか?


 千明は英輔に寄り添って座り、茂子は相変わらず不機嫌な顔を押し殺したような表情である。この部屋にいる四人はお互い支え合う倒木のように互いを必要としていた。


 テレビの画面ではブーニン大統領の乗った飛行機が羽田空港を離陸し、遙か彼方R国の首都に向かって飛び立っていくのが見えた。護衛の心神改が二機降下してきてその後を追う。


 富貴なる者の義務とは何か。貧者に衣食を与え養うことであろうか。それとも……と、鞘華は自問した。


           ☆☆☆ 終 劇 ☆☆☆

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] オカルトと科学の融合という視点は斬新で面白かったです これを書かれた時期はオバマの時代だったのでしょうね、今現在の米中が争う状況はまさに事実は小説より奇なりといった感じでしょうか また安易…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ