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第三十二章

「じゃあ『中佐』は中佐じゃないんだ」

 鞘華が英輔の肩にしな垂れ掛かるようにして言った。ソファに座っている英輔は、煩そうにそれを払いのける。

「『中佐』は奴のコードネームだ。どこの国でも師団長が中佐だなんてところはないし、だいたいC国軍には中佐という階級は無い」

「じゃあ『中佐』は本当は何なの?」

「C国軍じゃ佐官にあたる階級を校官というんだ。師団長なら校官の一番上にあたる『大校』か将官の一番下の『少将』なんだろう」

「どっちなの?」

「人望の無い奴だったようだから多分『大校』だろうな。いくらC国軍でも、あんなふうに兵隊を使い捨てにするような作戦を立てるなんて、今どき考えられん」

「じゃあ、なぜ『中佐』と呼ばれるようにになったの?」

「千明の話では、奴がマカオにいたころからそう呼ばれていたらしい。何でかはわからん」

「結局わからず仕舞いかぁ」


 射殺されたはずの『中佐』が生きているという情報が入った。周中尉が拘束したC国マフィアから聞いた話だ。その男は生きている『中佐』に会ったという。それが『中佐』の偽物なのか、死んだのが『中佐』の影武者だったのか、どちらかはっきりしないという周中尉の報告だった。

 あれから半年たち、ほとんどのC国兵捕虜は第三国を経由してC国に帰された。だが一番最初に降伏した周中尉たちの中隊は、祖国へ帰ったら軍法会議が待っていると予測され、ほとんどの者が政治的亡命を希望した。現在のところ周中尉とその部下たちは、日本国内のC国マフィア狩りに協力していた。


 降伏せずに地下に潜ったC国兵の残党たちは、本国からの資金援助も絶たれたため、様々な犯罪に手を染めるようになり、C国マフィアと呼ばれているのだった。もし『中佐』が生き残っているとしたら、その中に身を潜めているというのもありそうなことであった。

 だがそのC国マフィアも、千人近くいた当初の数より次第に減少し、今では百人余りになっていると思われた。それでも戦闘訓練を受けたこういう男たちが野放しになって社会の底辺に潜んでいる状況は、日本にとって望ましいことではない。警視庁と各道府県警察は自動小銃で武装した特別チームを編成して、彼らC国マフィア狩りを続けていた。


「それより金子剛志の件はどうなった? 相変わらず手がかり無しか?」

「うん、私の勘ではまだ日本にいると思うんだけど、影も形も見当たらない」

「正規のルートでの出国は無理だが、密出国という手もあるぞ」

「でも、あの男が話せるのは日本語だけ。K国に帰ってもいいことは何も無い。ましてやC国なんて、行くはずが無いよ」

「だが、それでは何故見つからない?」

「整形手術を受ければ顔認証システムは誤魔化せるかもね」


 現在日本中に設置されているすべての監視カメラはネットワーク化され、それと顔認証システムを組み合わせることで、指名手配された人物が逃走を続けることは難しくなっていた。地下に潜伏したC国兵たちを短期間で十分の一にまで減らすことができたのも、この顔認証システムのおかげである。ただ逆に言うとまだ逃げ続けている者たちは、何らかの方法でこのシステムの裏をかき続けて来たということになるのだった。


 C国K国と日本との戦争は互いに手詰まりになり、小康状態が続いていた。この間C国から講和の打診もあったが、その内容が余りに上から目線だったため、日本としても受け入れ難い状況だった。C国は自国が大国であるという潜入観念が抜けず、極東の小国日本と対等に和平せよということ自体が理不尽な要求であるかのように感じてしまうもののようであった。

 このあおりを食ったのがK国である。経済的に追い詰められ、頼るところはC国しか無くなってしまったにも関わらず、この非情な宗主国はK国のことを捨て駒としか考えていなかった。C国を差し置いて日本と単独講和を結ぶこともできず、とりあえずC国からの借款で持ち堪えているとはいえ、経済破綻寸前の状況が続き国内の治安も危うくなっているというのが現状だった。C国とK国の間にはN国という防波堤があることから、たとえK国が破綻しても、K国から直接難民がC国に流れ込んで来ることはない。このためC国は安心してK国を虚仮にしていたのである。これに対して日本とK国との間には海峡という障壁があるにせよ、その距離は僅かである。K国が破綻しては困るのは日本のほうであった。


 剛志と慶子(金泰希)は北の町へやって来ていた。慶子の姉である金素妍キム ソオンが無理心中に見せかけて殺されたのがこの町である。また日本で最初に核融合炉とレールガンが設置されたのもここであった。市内の丘陵部にそびえ立つLPHTラ・プルス・アウ・トゥールの姿を見て、慶子は自分の姉を殺した何者かがそこに潜んでいるという理由のない感覚に囚われた。

「こんな寂れた町に、あのビルだけが異様に目立っているな」

 慶子の様子を見た剛志も、その建物に何かを感じずにはいられなかったのだろう、そう声を掛けた。核融合炉の落す地方税とレールガン基地のお蔭で、町は前より潤っていたとは言え、やはりそこは過疎化が進んだ地方都市に過ぎなかった。LPHTラ・プルス・アウ・トゥールは、ただ低い建物が立ち並ぶだけのこの町に似つかわしい建造物ではなかった。

「悪の魔法使いが住んでいる塔みたい」

 まだ何も知らずに慶子はそう言った。住み込みで働いていた店から行方不明になった慶子には、組織に対する裏切り者としてK国情報部の追手がかかっていた。だが、彼女はまだそれを知らなかった。ただ慶子は、そもそも彼女が日本にやって来ることになった動機である姉の死の謎を解きたいと思い、剛志をこの町に導いてきたのであった。


 K国情報部にとっては、この町は鬼門であった。核融合炉が建設された十年ほど前から、彼らは何度となくこの町にエージェントを送り込んできた。だがその度に、彼らのエージェントは何らかの形の『事故』に遇い、彼らの意図は挫折することになる。

 今回慶子たちを追跡してきた男も『事故』に遭遇した。鞘華の指示で動いた権藤の部下たちがその男を始末した後、男が見張っていたカップルについての報告が鞘華に上がってきた。二人の写真を見た鞘華は、直感的に男が剛志であると認識し、茂子を呼び出す。茂子の獲物を奪っては後で恨まれると思ったからであった。


「この女、誰なんですか?」

 顔かたちは変わっていてもそれが剛志であることを茂子もまた悟った。

「わからない。でもどこかで見たような気がする」

 それは鞘華が最初に殺した女の妹であった。一方茂子はというと、剛志に裏切られたような気がしていた。彼はあくまで一人で逃亡を続けていると思っていたからである。

「何にしても二人とも始末しなくてはなりません」

「ちょっと待って。この二人がこの町に来た理由がはっきりしない。K国の諜報員が後を付けていたというのも気になる。ダッドに相談してみないと」

 報告は殺してしまってからで良くありませんか、その言葉を茂子は呑み込んだ。英輔に相談することに反対などできるだろうか。だが後になって、やはり先に殺しておけばと後悔するような気が茂子にはした。


 追跡者チェーサーが事故死したと知ったK国の諜報機関は、やはり慶子は裏切ったのだと考えた。慶子が日本国内のK国組織について詳しいことを知っている訳ではない。彼女はあくまで末端の工作員に過ぎなかった。しかしこれは面子の問題であるように彼らには感じられた。あの北の町が彼らにとって危険であることは重々承知していたが、それはまたそこに隠されている秘密が重要であることの証拠でもあるように見えたのである。

 彼ら単独では勝算がないと考えたK国組織は、地下に潜っているC国マフィアと連携を取ることにした。金銭で動く彼らを兵隊として送り込み、人口三十万に満たないこの町を騒乱に巻き込むことで、その隙に自らの目的を果たそうとしたのであった。

 C国マフィアにとってもこれは挽回のチャンスであった。国際世論を気にした本国との連絡は絶たれ、資金的にも困窮した彼らの今後は、このままではじり貧の一途をたどるしかなかった。今回の作戦で自分たちの存在をアピールし、軍事的な価値を本国に認めさせることは、彼らの望むところでもあった。

 だがそのためには彼らは、あえて矢面に立たなければならない。少ない人数ではたちまち殲滅されてしまうことは目に見えている。そこで彼らは『中佐』の名前で全国からC国マフィアの残党を呼び集め、K国の組織と合同で強襲を掛けることを考えたのであった。


 周中尉はC国マフィアに不穏な動きがあることを報告するため、ログハウスを訪れていた。軍服を着たその姿は一見小太りで動きも柔らかに見えるが、実は八卦掌の使い手である。やたらな相手では動じないこの男が、千明の前では緊張していた。それなりの達人である彼は、千明の強さの気配を推し量ることができた。だから千明の前に立つ度、彼は雌虎の側に繋がれた小犬のような気分になったのである。


「少なくとも数十人のC国マフィアがこの町に向っている、そう言うのね、中尉」

「しかもかなり重武装です。彼らが自動小銃や手榴弾を携帯していることは、間違いありません」

「移動の途中を押さえるのは簡単だけど、別ルートをたどってくるグループがいた場合、討ち漏らす可能性があるわね」

「ではこの町に集合したところを、一挙に殲滅せよと言われるのですか?」

「各個撃破が戦術の基本だということはわかっているわ。でもこの場合は仕方ないわね。それと……」

「『中佐』の身柄だけは、なんとしても確保します」

「できるだけ生かして捕まえてほしいの」

「また『生き返って』こられてはたまりませんからね」


 千明は黙って頷いたが、彼女にはもう一つ知りたいことがあった。それは失敗したC国の『侵攻作戦』にGOサインを出したのが、C国のどのレベルの判断であったかということである。日本に残っているC国兵の中で、それを知っている者がいるとすれば、それは『中佐』の他にはいないだろうと思われた。事実上の玉砕戦術である『侵攻作戦』を立案し指揮した『中佐』の身柄を生きたまま押さえることは、今後のC国との戦いを有利に進めるためぜひとも必要だったのである。


 剛志と慶子の身柄が拘束されなかったのは、彼らが囮として使えると考えられたからである。二人の内で先に監視に気づいたのは、諜報員としての訓練を受けたことのある慶子の方だった。彼らを尾行していた男たちは、彼女がそんな訓練を受けていたとは予想もしていなかったから、油断があったといえばそれまでであろう。

 そのことに気づいた慶子が目を配ってみると、数人のチームによって自分たちが監視されていることがわかった。だが彼女は剛志に尾行者のことを知らせたりしなかった。訓練を受けていない剛志がそのことを意識すれば動きがぎこちなくなり、相手に悟られてしまうと思ったからだ。

 慶子はそれまで以上に親密なカップルとして振る舞い、監視者たちの意識が弛緩するのを待った。

 

「何なのあの女、人目もはばからずにベタベタして!」

 二人を監視しているワゴン車のスモーク・グラス越しにその様子を見ながら、茂子は腹立たしそうに呟いた。街角の監視カメラも二人を追尾しているが、いざという時のために間近に要員を配置しておくのは決められた手順であった。この尾行に茂子は首を突っ込んだというわけである。

 二人が一時期自殺の名所として有名になった岬から、山麓のラブ・ホテルにタクシーで移動したとき、その怒りは最高潮に達した。

「まったく、こんな真っ昼間から……」

 ブツブツ呟いている茂子の側で、権藤の部下が鞘華に二人の入ったラブ・ホテルの名前を連絡していた。

「ホテル・シャモニーだって!」

 携帯から鞘華の驚く声が聞こえた。

「そうですが」

「何号室に入った?」

 権藤の部下は双眼鏡を覗いて番号を確かめた。

「一〇五号室です」

「隣の一〇六号は空いてる?」

「カーポートに車はありませんが……」

「清瀬さんに代わって」

 茂子が携帯を受け取った。

「茂子さん、一〇六号室に誰かと入って隣の一〇五号の中で二人が何を話しているのか盗み聞きしてほしいの。そのホテルの一〇五号は私が吉田さんとK国の女スパイを始末した部屋よ。偶然とは思えないわ。それに一緒にいる女、どこかで見た気がしたんだけど。あの女スパイとよく似ているの。きっと彼女もK国人だわ」

 茂子は冷や水を浴びせられたように一気に冷静になった。

「K国のエージェントなの?」

「その可能性は高い。とにかく何を話しているか確かめて」



 茂子は権藤の部下と一緒に一〇六号室に入った。隣の一〇五号室との間の壁は決して薄いとは言えないが、茂子にはネフュスの力がある。普通の壁であれば隣の部屋の会話を聞きとるぐらいは容易にできた。

 壁に耳を付けると隣の部屋で互いの身体をまさぐる音がする。またカッとしそうになった茂子は、次に聞こえた話し声に気を取り直し耳を澄ます。


「それじゃ、この部屋が?」

「ええ、あたしの姉が殺された場所よ」

 次に聞こえたのは多分剛志が身を引く気配。

「どうしたの?」

「不謹慎だろ、ここでこんなことをしているなんて」

 ベッドから身を起こす音。

「そんなことはない。あたしは余計燃えるわ。姉の無念を晴らしてやるのよ」

「無念って……」

「この街のどこかに、姉を殺した奴がきっといる。そいつを見つけ出してやる」

「そんなこと言っても僕らは追われる身だ」

「あなたはわからないけど、あたしは間違いなく追われているわね」

「君が?」

「ええ、あたしはK国の情報部員なの、いえ、だったの」

「K国の?」

「でもあなたと会って逃げ出したの。今頃はきっと追手が迫っているわ」

「何てことだ! 僕もK国の情報部に追われている。奴らの金を奪ったからな」

「あなたの持っているお金?」

「そうだ。多分日本の公安にも追われている」

「あなたって、随分人気があるのね……じゃあ、そいつらかしら?」

「?」

「あたしたちを監視している奴らがいるのよ。K国情報部なら、とっくに襲って来ていいはずよ。でも、ただ見張っているだけなの。おかしいでしょう?」

「何だって! どうして僕に言わなかった?」

「あなたは素人だから、きっと直ぐに相手に悟られてしまうわ。あたしたちが尾行に気づいていることを、まだ知られたくないの」

 慶子が監視に気づいていたことを知り、茂子は心の中で舌打ちをした。だが、後で報告しなければならないことを思い出し、気を取り直して耳を傾ける。

「あたしがここに来ようと言ったのは、K国情報部にとってここが『鬼門』だという話を聞いていたから。きっとこの町には何かがあるのよ。他の国に知られたくない何かが」

 ここまで聞いて茂子は、慶子がこの町の秘密に迫っているのを知った。本来であれば直ぐに彼ら二人を処分してしまいたいところだが、鞘華に英輔の判断を仰ぐよう釘を刺されている。茂子は歯ぎしりして己の殺人衝動を抑えた。


 鞘華は英輔と千明にも招集をかけ、ログハウスに向った。そこにたどり着いた時、茂子から報告が入る。鞘華は携帯をスピーカーに繋ぎ、三人で茂子の話を傾聴した。

「姉の無念を晴らしに来た、そう言ったのね」

「はい」

「K国情報部に追われているとも」

「ええ」


 鞘華は英輔と千明を振り返り、二人と視線を交差させる。口を開いたのは英輔だった。

「K国情報部の狙いは本当にこの二人だろうか?」

 千明が首を傾け、やがて首を振る。

「権藤の部下が始末したのはK国の諜報員だった。でもC国マフィアはこれにどう関わるの?」

「この二人だけのために何十人ものC国マフィアが動員されたとは、私も思わない」

 鞘華も納得が行かないという顔だ。英輔も頷く。

「資金の出所はK国かもしれん。奴らはC国マフィアが起こす騒動に隠れて、何かやらかすつもりだろう」

「何かって?」

「何かしらね?」

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