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第二十九章

 ここ数年の日本の変貌にA国はすっかり戸惑っていた。日本という国は軍事的にも経済的にもA国の属国であり、A国と利害を共にする同盟国であるはずであった。だが日本の政治家たちはそれを忘れたように頑なになり、日本独自の国益などという言葉を口にするようになっていた。

 今や日本は、六ヶ所の核融合基地が生み出す安価なエネルギーに支えられた経済と、百二十機の無人戦闘機心神改と八隻の海神型無人潜水艦という他国が持たない軍事力を兼ね備えている。C国とK国を操って日本を自国の影響下に留めようとしたA国の策謀は失敗し、かえって日本にあるA国の軍事基地は不要であるという世論の勃興を促す結果に終わってしまった。日本の国土を守るレールガン基地の存在が一層その意見を補強した。

 またレールガン基地の存在が核融合炉によって支えられていることから、核融合技術の他国への供与は国防上の理由から認められないという政府の見解を、大多数の日本国民が支持する結果ともなっていた。

 日本とC国及びK国との関係は停戦状態のままであり、戦争が終わったわけではなかった。この問題に介入しようとした国連の態度があまりにC国K国寄りであったため、日本国民の間に国連不信が巻き起こり、調停は不調に終わってしまった。

 日本との経済関係を失ったK国経済は疲弊し、C国に援助を求めたがC国も最早それ所ではなかった。いつまた交戦状態に戻るかもしれないという危惧から、C国の船荷や航空貨物に対する保険料が高騰し、輸出入に頼るC国経済も大打撃を受けていたのである。C国は独自の保障を付与することでこの事態を乗り切ろうとしたが、世界のC国に対する目は厳しかった。結局C国は自国の船腹のみで貨物の輸送を賄うしかなく、とてもK国の救済まで手が回らないというのが現状だったのである。

 極東でのこのような政治情勢は、A国の経済情勢にも悪影響を与えずにはいなかった。だが、かってのようにA国の恫喝によってすべてが解決できる時代ではなくなっていたのである。


 英輔たちも北のログハウスに集まり、この問題を話し合っていた。彼らも手詰まりを感じずにはいられなかったからである。また彼らには別の心配事もあった。

「六ヶ月以上経つのに、あの男は未だに行方不明だ」

 英輔が不機嫌そうに言う。鞘華は唇を噛んで目を伏せて答える。

「それは私のせいだよ、ダッド」

「公安の盗聴から考えると、奴は数千万の逃走資金を持って姿を消した。だとすると今頃地球のどこにいてもおかしくないと言える」

「C国かK国にいるというの?」

「それにしてはどちらの国も動きがない。ネフュスの秘密に一番近い所にいるあの男を手に入れていれば、もう少し何かありそうなものだ」

「在日K国人のコミュニティに身を潜めているのでしょうか」

 茂子の問いかけに英輔は口を閉ざしたままだ。不法滞在者も含めると七十万人以上もいると言われる在日K国人の中に紛れ込めば、その所在を発見するのは容易ではない。顔認証システムも万能ではないし、戸籍を偽造すれば日本人に成り済ますことだってできた。

「A国は心神改のライセンス生産契約を早く結びたがっている」

「日本がクラウド・シューティング・システムの情報漏れに対処する前に生産を始めてしまおうという魂胆でしょうね」

 千明が形のよい顎に指を当てて呟くと、英輔も頷いて言う。

「アテナ・システムにはネフュス相互のコミュニケーションが組み込まれている。ネフュス無しで国家規模の攻撃シューティングシステムを構築するには膨大な資源が必要だ。A国のお手並みを拝見しよう」

 ここで言う膨大な資源云々というのは、主に相互通信に関する脆弱性への対処だ。心神改の遠隔操作に必要な信号は、基本的に準天頂衛星を経由した圧縮通信によって交わされる。しかし圧縮通信といえども電波妨害の対象にならない訳ではないから、必ず回線のバックアップが必要になる。また日本のように狭い国土を守るのであれば必要な衛星の個数は数個で済むが、広い国土を持つA国やC国のような場合はそれでは対処できない。運用する無人戦闘機の数が増加すると当然必要な回線も増加する。だが電波には使用できる帯域というものがあるため、同じ帯域をどう分け合うかも問題になってくる。日本はネフュスの以心伝心という通力を利用して、この脆弱性の問題を回避した。だがネフュスを持たないA国がこの問題をどう解決するかは完全に未知の領域ということになる。

 要するにネフュス無しの心神改は、数機の運用であれば非常に良くできた無人戦闘機であるが、国家規模での運用に関しては未完成のシステムなのだ。

 A国でのライセンス生産による調達コストは一機八百万ドルといったところであるが、その半分近くはパテント料であった。日本の運用システムの情報を手に入れたと信じ込んだA国は、日本がごね出す前に取引をまとめてしまいたいと考えたのだろう、契約への調印を急いでいた。


「A国が騙されたことに気づいたらどうなるの?」

「ネフュスのことを知らない限り気づきようがない」

「やっぱりあの大山剛志と名乗っていた男が鍵になるのですね」

 茂子も少しうつむき加減になり、英輔から目を逸らしてそう言う。最初の出会いのその時から、剛志を殺すことに彼女はためらいを感じていた。理不尽な境遇に巻き込まれ、翻弄された自分自身と同じものを彼の中に見たからかもしれない。

「そうだな。奴の身柄がA国にも、他の国にも、渡っていないことを祈ろう」

 英輔が「祈ろう」などと言い出したことに鞘華はショックを受けた。冗談でも彼がそんな言葉を口にするとは思っていなかったからだ。英輔は剛志の身柄が、完全に自分の手から離れたと感じているのだ。韜晦とうかいの多いこの男にしては珍しいことであった。

 黒猫のパスタがどこからともなく姿を現し四人の顔を伺った。遊んでほしかったに違いないが、誰も己に関心を払わないのを察し、そんな素振りも見せずに歩み去った。猫の関心は常に自分自身にある。かまってくれないとわかれば、誇り高い猫はそんな相手に時間を裂いたりしない。


 C国陸戦隊の周作人ゾウ・ズーレン中尉が日本に潜伏してから三ヶ月が経とうとしていた。日本海側の海岸に仲間と共にゴムボートで上陸した当初こそ緊張して過ごしていたが、これだけ月日が過ぎても密入国者として拘束されないとなると、どうしても精神の弛緩は避けられないものがある。

 首都圏の雑踏の中に身を置き、電車に乗って日本アニメの聖地秋葉原に降り立ってみると、心が沸き立って来るのを抑えられなかった。彼はアニメ・オタクだったのである。

 日本との戦いに行き詰まったC国は当面大規模な軍事行動をひかえ、テロと破壊工作に活路を見いだそうと考えるようになっていた。周中尉も大量に動員された工作員の一人として日本に潜入したのである。彼が選ばれたのはアニメ鑑賞により学んだ日本語能力と、陸戦隊で身につけた高度の戦闘技術のお蔭であった。

 現在日本に潜入しているC国の破壊工作員は五千とも一万とも言われていた。無論その内の少なからぬ人数が水際で拘束され、あるいは潜伏先で捕らえられている。だが何しろ絶対数が多く、日本当局の手からこぼれた人数もかなりの数にのぼっていた。周中尉もその一人である。現在までのところ彼らは表立って何の行動も起こしていない。だが彼らが国内に潜伏しているというだけで、日本にとってはとんでもない脅威である。いざという時には日本国内で騒ぎを起こすぞという暗黙の脅しが、そこには含まれていたからである。

 周中尉のような潜伏工作員はいわば日本国内に埋め込まれたミニ爆弾のようなものだ。日本がC国に対し何らかの軍事行動をとれば、その報復として日本国内でテロや破壊活動が行われる。拘束した工作員からこの事実を知った日本政府はC国政府を非難したが、C国政府はこれらの人間については一切関知しないという声明を出しただけであった。

 周中尉は万が一拘束された場合、政治的難民であると申告し、難民条約及び難民議定書に則した救済と支援を求めるよう指示されていた。「日本入国後六十日以内に難民申請を行わなければ、入国管理局は当事者を違法滞在として強制退去させる」という『六十日ルール』が撤廃されている現状では、不法入国したからと言って難民として扱わないことは難しい。万が一第三国を通じてC国に強制送還されたとしても、原隊に復帰させられるだけの周中尉にとっては、痛くも痒くもないことであった。

 銃器こそ携帯していないが、周中尉は陸戦隊の古年兵ベテランであり、二ヶ月間破壊活動の再訓練を受けている。いざとなれば日本のインフラに多大な被害を与え、多数の小日本たちを殺戮する自信があった。ただ、いざ行動を起こしてしまえば『難民』などという弁解は通らない。できることならその時まで、豊かな日本での生活を楽しみたいと周中尉は思っていた。

 周中尉の目の前のビルの壁一面に、巨大な少女の絵姿が描かれていた。髪はツインテールで、短いリボンで胸を強調した白いセーラー服のスカートは短めの赤いチェックであり、白いハイソックスにパンプスを履いている。それは周中尉のお気に入りのキャラクターであった。

 周中尉は肩にかけたデーバックを引き上げ、そのビルに向って歩いていった。ビルを入ると五階まで歩いて昇る。一階ではコスプレ用の衣装や小物が、二階から上はDVDやゲームソフトが販売されている。ただし上にいくほど内容はディープなものになり、五階では十八禁の品物だけが置かれていた。

 入り口を入った側のレジのところに黒板があり。そこに蛍光色のチョークで『売り』『買い』の文字の下にゲームのソフト名とそれぞれ五桁の数字が並んでいる。しばらくその数字を睨んでいた周中尉は一つ溜め息をつくとクルッと振り向き、階段を降りてビルの外に出た。

 携帯を取り出すと頭にゼロを付けた全部で十一桁の数字を打ち込み耳を澄ます。

「はい?」

「仕事ですか?」

「周か。人に会ってくれ」

「?」

 てっきりどこかで暴れろという命令かと思ったらそうではなかった。周中尉は戸惑いを感じた。

「場所は上野の飲み屋だ。時間は今夜九時。相手は書類鞄に緑色の封筒を見えるように入れている」

「そんな男ならいくらでもいそうですが?」

「男じゃない、女だ」

「書類鞄を持った女ですか?」

「そうだ」

「どういう相手です?」

「横浜のCタウンで情報を売るという噂を流していた」

「罠の臭いがします」

「そうだ。だが無視できない情報だ」

「何です?」

「海神型の、例の無人潜水艦に関するものだ」

 日本の無人潜水艦が南シナ海に進出していることは周知の事実といってよかったが、その性能はベールに包まれ、いくら哨戒機を飛ばしても探知できなかった。C国が自国の船で各国との物流を図る時、必ずと言っていいほど通過しなければならないのがその海域だった。海神型の性能は、C国にとっては喉から手が出そうなくらい欲しい情報だったのである。

 所詮自分は使い捨ての駒だということは周中尉にも十分わかっていた。これが罠であれば周中尉は戦時の諜報員として捕縛され、難民どころか兵士としての扱いも期待できない。拷問に近い尋問を受け、命を失う危険性さえあった。

「相手の要求は金ですか?」

「そうだ」

「どのくらいです?」

「それは今後の交渉次第だ」

「どのくらい出せます?」

「いいか、一万人の工作員を養うだけでも毎日億という金が必要だ。予算は無限にあるわけではない。できるだけ値切れ」

 それでも軍艦や戦闘機を運用するのに比べれば安いものだろう、喉から出かかったその言葉を周中尉は呑み込んだ。

「情報が本物だったら、相手は端金では動かないでしょう」

「わかっている」

「交渉に時間を掛けすぎると、どこから横槍が入るかもしれません」

「それもわかっている」

「じゃあ?」

「一千万まではお前に権限を与えよう。ただ……」

「何です?」

「情報屋からリベートを取るなよ」

 その声にはお前の魂胆など承知しているという意味が込められていて、周中尉はムッとした。と言っても中抜きをしないと決めていたわけではなかったのだが、改めてそう言われると腹が立った。

「私の愛国心に疑問があるなら、他の者にやらせてください」

「別にそう言うわけではない。だが誘惑にかられないとも限らんからな、中尉」

 人間誰しも誘惑には弱いものさ。あんただって同様だろう。電話の向こうの上司に向かい、周中尉は心の中でそう付け加えた。多分今回のことで上司はかなりな金額を掠め取るに違いない。ひょっとするとその責任を周中尉に負わせるつもりかも知れなかった。

「とにかく相手に会え、いいな」

 そこで通話は切れた。周中尉は携帯をカーキ色のジャンパーのポケットに押し込み、トボトボと歩き出した。秋葉原に着いた時の高揚した気分はすっかりなりをひそめ、これからどうしようかという困惑が心を満たしていた。任務に忠実であったとしても上司から不正の濡れ衣を着せられるかもしれない。どう振る舞うのが最も安全か考えながら行動していかなくては……そんな不安が、周中尉の目の前に暗雲を広げていた。

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