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第二十八章

 大使館の技術部員というのは要するに国家的な産業スパイのようなものだ。日頃の仕事は単調で、軍事技術に限らず科学・産業分野の情報をいろいろな媒体から収集し評価しファイリングする。必要であれば自国の企業のため便宜を図り、有用な技術を持つ会社の吸収合併の仲立ちをすることもある。ただそんな活動が必ずしも相手国の利益になるとは限らず、その国では非合法な内容を含むことさえある。当然彼らの情報網は相手国の裏社会にも繫がっていて、金銭を含む報酬を支払う代わりに普通では手に入らない情報を得ようとする場合もあった。

 今回ラジルが取引した相手もそんな情報屋の一人で、仲間内で大きな取引が計画されているというのが第一報だった。詳細を問い合わせると、どうもそれが心神改の制御システムに関わる情報らしいと知り、ラジルの食指は大いに動いた。

 何と言ってもそれはA国と日本の間の大きな懸案事項であり、非正規な手段であってもその情報を手に入れられればA国にとってのメリットは計り知れない。心神改の機体は、A国内の企業でノックダウン及びライセンス生産されることが日本との話し合いでほぼ決まっている。日本が譲らないのは操縦系の中枢部分とそのOSだけである。もしこの部分の情報が得られさえすれば、日本が強情を張っても意味はない。A国はそのデータを元に操縦系を完成させ、独自開発したと言えば、日本と同等なシステムを膨大な研究費抜きで手に入れることができる。

 最初にラジルが考えたのはK国より高い値段をつけることだった。A国にとってこの情報の価値は数百万ドル出しても決して高くはない。独自に開発すれば、少なくともその十倍以上の予算が必要だろうからだ。だが秋葉原駅前の発砲事件で事態は大きく変わった。

 裏社会でも信用は大事だ。法の規制が及ばないがゆえに、ある意味表社会以上に重要だと言える。だからラジルは最初は『妥当な』手段で情報を入手するつもりだった。だがあの事件でのK国の行動により、この情報は『強奪』の対象となったのである。

 ラジルが自分を含め七人の『荒事』チームを編成したのはそんなわけだった。彼は取引の現場に踏み込み、情報を手に入れるつもりだった。


 剛志の寝泊まりしているビジネスホテルの狭い部屋に趙寅成チョ・インソパク中尉がやって来ると、それでそこはもう一杯だった。趙はベッドの上に現金を詰めたボストンバックを投げ出し、一脚だけの椅子に座っている剛志の方を睨んだ。朴中尉はドアを背に無表情に立っている。

「それで取引は?」

「今日の三時半に情報屋の事務所があるビルの駐車場で」

「今度は確かなんだろうな?」

「この前ドジを踏んだのはあんただ趙さん、俺じゃない」

「何だと!」

「落ち着け、趙。この男の言う通りだ。怒ることはないだろう」

 朴中尉がそう言うのを聞いて趙の腹は煮えくり返った。朴の奴、どういうつもりだ? 失態を全部押しつけて、この場で俺を切り捨てようというのか? そんな疑心暗鬼にとらわれた趙の胸に冷たい汗が流れた。

「それよりも金は確かなんだろうな。俺が情報の中身を調べる間、相手も現金を確かめるだろう」

 剛志の心配はそれだった。またこの前のようなことがあってはたまらない。

「それは大丈夫だ」

 趙が頷いてバッグに手をやった。

「今度は相手も武装してくるぞ」

「所詮は素人さ」

 朴がまかせておけというように顎を引く。

「朴中尉は海兵の猛者ベテランだ」

 趙が媚びるような口調でそう言った。なるほどこの男に付きまとっている暴力の気配はそのせいか、剛志はそう考える。K国に無理矢理連れ去られ、尋問を受けて以来彼は軍隊というものが嫌いだった。

 その時剛志の携帯が鳴り、例によって非通知の表示が出た。取引相手からの確認の電話だった。剛志は目顔で趙たちに頷くと、予定通りの時刻と場所を答えた。


 公安はすでに剛志の部屋を盗聴していた。取引が行われる知らせは仁科を通して英輔の所へ届く。予測できないのはA国側の動きだった。情報屋を操ってラジルにK国の動きを教えたのは千明である。A国が手出しをしてくるのは間違いないが、どんな形で取引に干渉してくるのかがまだつかめない。さすがの内情(内閣情報会議)もA国軍基地の内部に踏み込んで詳しい調査をすることはできなかった。

「本当に偽の情報をA国に押しつけることができるのか?」

黒いフルフェイスのヘルメットを抱え、これも黒一色のバイクスーツとブーツに身を固めた鞘華を見ながら、英輔が疑問を呈した。彼はというとコンチネンタル・スタイルのグレーのスーツを身につけ、リムジンの座席に腰を下ろしている。車の隣のバイクに跨がっている鞘華と違い、彼は荒事には興味がない。今車の窓から鞘華と話しているのも、出陣前の見送りといったところだ。

「心配ない、ダッド。千明さんのやることに間違いはないよ」

「ふん」

 英輔は誰も信頼していない。千明だろうと失敗することがあると知っている。そもそも彼は他人が仕組んだ複雑な計画というやつが好きではない。英輔が信用しているのは自分だけであった。

「まあ、失敗しても失うものはないか」

 最後はそんな捨て台詞を残して、英輔は車窓を閉じる。運転手は車を動かし、ゆっくりとその場を後にした。鞘華もバイクのエンジンを始動し、取引現場の駐車場へと向う。


そこはビル裏の小さな露天駐車場だ。狭い小路から入ると二十台ほどの駐車スペースが区切られ、数台の車が並んでいる。剛志は趙寅成(チョ・インソ)と朴中尉を乗せた青いランクルを運転し、早めにそこに着いた。車が停まると朴中尉は滑り降りるようにドアから抜け出し、そこに駐車している車を調べて廻る。元々この近くには取引相手の事務所があった所であり、ほとんど相手のホーム・グラウンドだと言っていい。そんな所での取引を了承するほど、実は趙寅成は追い詰められていた。

本国からやって来た朴中尉の前でごり押しの荒事に持ち込み、失敗した。ここで更にヘタを打ったら組織の手で粛清される可能性さえあった。これが平時なら日本に根を張っている趙は逃れる術もある。だが何と言ってもK国と日本は現在戦争の最中だ。在日K国人に対する公安の取り締まりも厳しくなっていて、組織は内通者が出ることを極度に恐れていた。 だから趙はここで何としても成果を上げ、身の証を立てねばならなかったのである。


「車の中に潜んでいる奴はいない」

朴中尉が戻ってきて報告した。消音器(サプレッサー)を外したM一九一一A一を上着の裾に隠すようにして持っている。A国の海兵隊が使っていたMEUモデルなのでかなりの加工が施されていた。消音器(サプレッサー)を付けられるようになっているのもその一部だ。四五ACP弾を使用するので弾速は遅いが打撃力はある。

「段取りは?」

 趙が剛志に訪ねる。

「ホテルで説明した通り、俺が資料を調べる間に相手が現金(かね)を確かめる」

「金を渡すのは情報を確かめてからだ」

「趙さん、この前のことで相手はこちらを信用していない。相手の言う通りにした方がいい」

「趙、こいつの言う通りだ」

朴中尉までが剛志の言うことに賛成する。趙はしぶしぶ頷いた。


剛志が腕時計を確かめると約束の五分前だった。黒塗りの国産車が駐車場に入って来る。

 十メートルほど離れた場所に停まると車から三人の男が降り立った。スーツを着た一人が書類鞄を持っている。後の二人は自衛隊のレンジャーが着るような迷彩服を身につけていた。この二人がボディ・ガードというわけだろう。

「大丈夫だ。あの二人は素人だ」

朴中尉が呟くように言う。しかし二人とも体格(がたい)がいい。相手にしたら手強そうだ。剛志は腹の底に冷たいものを感じ、唾を呑み込んだ。

「どうやら安田も死んじまったようだな。酷い話だぜ」

スーツ姿の男が絞り出すような声で言った。

「ちょっとした事故があっただけね。取引するのか、しないのか?」

趙が叫ぶ。スーツの男が趙をジロリと睨む。

「取引はするが、安田が帰って来ないなら値段は上がるぜ」

「わかってる、六千万だな」

 趙がボストンバッグを振り回すようにしてそう言った。スーツの男は書類鞄を持ち上げて見せる。剛志は鞄を受け取ろうと一歩前へ出た。

「金と交換だ」

 男が嗄れた声でそう言う。趙は剛志にボストンバッグを押しつけた。仕方なく剛志はバッグを受け取り前へ歩きだす。中間地点まで男は書類鞄を持って出てきた。迷彩服の二人が拳銃を手にしているのがわかる。剛志は背中に冷たい汗が流れるのを感じた。

中間地点まで来ると、剛志はボストンバッグを舗装された駐車場の地面に置く。相手の男も書類鞄を下ろすのが目の隅に入った。

「資料を確かめるぞ」

 剛志は立ち上がって書類鞄の上にかがみ込む。相手がボストンバッグを開けるのがわかった。資料はプリントアウトされた分厚いハード・コピーと記憶媒体(メモリ)だった。

「どうだ?」

趙が叫ぶようにして尋ねる。

「これは本物だ。いや本物らしく見える」

「本物さ。こちとら商売については、誤魔化しはしないんでね」

 スーツの男が剛志の言葉に被せるようにそう言った。お前たちと違ってという当てこすりに、剛志は思わず怯むものを感じた。

「金も本物のようだ。これで取引は終わり……」

スーツの男がそう言い掛けたとき、駐車場を囲むビルの扉が弾けるように開き、そこから数人の男が跳びだしてきた。駐車場の入り口からは、グレイの外車が飛び込んできて逃げ道を塞ぐ。男たちは様々な銃器を振りかざし剛志たちを取り囲む。

「裏切ったな!」

趙がそう叫ぶより早く、拳銃を手にしていた迷彩服の二人が撃ち倒されていた。


双眼鏡を眼に当てていたラジルは、書類鞄を開けた剛志が趙に向って頷くのを見て無線機に向って叫んだ。

「GOだ! やっつけろ!」

パーキンス中尉が扉を蹴破って飛び出す。ラジルはあわててその後を追う。駐車場に出た時には迷彩服の二人が倒れ、黒塗りの車から運転手が引きずり出されたところだった。


朴中尉は拳銃を投げ出し、両手を頭に上げている。何かをしようとした趙に対して朴中尉が制止した。

「よせ、趙! こいつらプロだ!」

ラジルは剛志の所へ行き、書類鞄に手をかける。だがその時、ビルの上から銃声が響いた。

「クソッ! こいつらにもバック・アップが!」

 パーキンス中尉がそう叫ぶ。ラジルは書類鞄をつかみ、グレイの車に向って走り出す。その後を追いながら、パーキンスと黒人の軍曹が拳銃を乱射した。趙と朴中尉が被弾する。スーツの男は逃げ出そうとして背中を撃たれた。


頭を抱えてうずくまっていた剛志がハッと気づくと、グレイの外車がタイヤの軋む音を立てて逃げていくのが見えた。ビルの上からの狙撃も止んでいる。さっきまでのことが嘘のように、静寂が駐車場を覆っていた。倒れている趙と朴中尉のところまで這いずっていく。それぞれが大きな血溜まりの中に倒れている。どう見ても生きている様子はなかった。

今度はスーツの男の方だ。こちらは背中の真ん中に大きな血の染みがあった。剛志は辺りを見回す。狙撃はビルの屋上からだった。今にも銃を持った男が降りてくるかもしれない。

逃げ出そうとして剛志はボストンバックが地面に転がっているのに気づいた。何も考えずにそれをつかみ、乗ってきた青いランクルに向う。一刻も早くこの場所から逃げ出したかった。


屋上からの狙撃者は鞘華だった。千明が操るスーツの男たちを援護するつもりだったが、A国の軍人チームは容赦なかった。追跡を恐れてか、立っていた相手を全て撃ち倒しながら撤退していった。死体が七つ。後始末が厄介だ。AK-一〇七を分解してケースに納めながら鞘華はそう考えた。ところが駐車場に降りてみると死体は六つしかなかった。青のランクルも姿を消していた。最初から倒れ伏していた剛志を、鞘華もA国の軍人チームも死体と見間違えたのである。


「ごめん、千明さん。狭いスコープの視野だけで確認するのでなく、『死体』にも一発ずつ撃ち込んで確認すべきだった」

「元々A国のチームは無傷で逃がす予定だった。もう一人ぐらい逃がしても、仕方ないわよ」

鞘華の謝罪を千明は笑顔で受け入れた。

「でもダッドに何か言われない?」

「何か言ったら、ベッドの中でうんといじめてやるわ」

千明も鞘華も、剛志がどれだけネフュスの秘密に迫っているか知っていたら、こんなのんびりとした会話を交わしていることなどできなかっただろう。

駐車場の死体や血溜まりは権藤の部下の死体処理班が、弾痕のある車などは内情が始末した。青いランクルはやがて首都圏の片隅で発見される。だが剛志の行方は杳として知れなかった。

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