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第二十七章

 茂子の古文書研究の結果、ネフュス機関エンジンは当初のプログラミングの時こそオペレーターの力が必要だが、その後は光記憶装置フォノ・メモリを介して光信号を送ることで単機能的な操作が可能であることが判明した。つまりオペレーターが、ある光信号を受け取ったらどんな反応を返せと条件づけることで、それ以降はオペレーター以外にも制御可能になるということである。無論その自由度はオペレーターの操作には及ばない。最初にオペレーターがネフュスを、マイナス・ミューオン・ジェネレーターとして条件づけた場合、オペレーター以外の者にはその条件付けを変更することはできない。また心神改や海神型潜水艦を操縦する人工知能として条件づけられた場合も同様である。

 かって剛志が自分の勤務していた企業から持ち出し、C国の諜報機関に売り渡そうとしていたのはこの光記憶装置フォノ・メモリの初期的なシステムの一部だった。初期的とはいえこの装置が光信号を介して何らかのシステムを操作し、またそこからのフィードバックを蓄積するものであることは確かである。

 もし趙寅成チョ・インソに拉致された情報屋が持っていたレポートを剛志が見たなら、そのことは一層はっきりしただろう。つまり日本の無人戦闘機や無人潜水艦を動かす人工知能の技術と核融合炉を実現した技術に、何らかの共通項があることに彼は気づいたはずだ。剛志にとって幸いなことに、英輔も茂子も彼がそこまでネフュスの実体に近づいていることをまだ知らなかった。

 秋葉原の駅から逃げ出した剛志は、携帯で趙を呼び出した。情報屋が持っていた資料の確認が必要だと思われたからである。だが趙は、当然あの場所で剛志が拘束されたであろうという判断から、剛志との連絡用に使っていた携帯を即座に処分してしまっていた。このため剛志には、趙を含めたK国の組織と連絡を取る手段が失われてしまったのである。

 従来であればK国大使館を通して連絡が取れたであろうが、生憎なことに日本とK国は断交状態にあり、大使館は閉鎖されていた。ここで剛志は、自分の荷物が置いてあるホテルに帰るべきかどうか迷うことになる。

 そもそも剛志には、K国に何かの係累があるわけではない。殺人事件に巻き込まれ、日本からK国へ拉致同然に送還された。その後K国の情報部に脅され、日本に密入国という形で帰って来た。だがそもそも彼の生活の拠点は日本にあり、K国を祖国として意識したことはなかった。日本語は自由に使えるが、母国語であるはずのK国語はほとんど知らない。幸い彼にはK国情報部が作った日本人としての偽の戸籍があり、懐には三百万以上の現金がある。彼が姿を消すのに、とりあえず何の支障もないはずだった。


 心神改のクラウド・シューティング・システムの開発に関わっていたのは鞘華である。戦闘攻撃機F-二の高等操縦訓練機版であるF-二Bに同乗して戦闘機同士のドッグ・ファイトやフォーメーション飛行を体験し、ハイになった彼女の組んだプログラムはかなりピーキーな機動を含むものであった。心神改と同じ機体を供与されたA国がいくら頑張っても、その動きにはついていけなかった。当然A国にはダウングレード版を売りつけられたという不満が残る。だがいくら政治的な圧力を掛けても、この件では日本の政権与党は一枚岩で抵抗した。A国の諜報組織が仕掛けたハニートラップも買収も効果が無かった。


 英輔が宿泊している首都圏のホテルに千明が現れたのは、茂子が彼と遅い夕食をとっている最中だった。愛人然として英輔の横に侍る茂子を見て千明はニマリと笑い、それから英輔の前に腰を下ろした。

「A国がいろいろと煩わしい手出しをして来るそうね」

「仁科から聞いたのか?」

「ええ」

「それで?」

「手伝いはいらない?」

 首都圏での英輔のサポートは自分がしている、茂子はそう言いそうになったが、千明のひと睨みで声を呑み込んだ。

「どうする?」

「K国のエージェントには公安が張りついているんでしょ」

「どっちだ?」

「趙とかいう白髪頭の方よ」

「そいつをA国に売るのか?」

「K国がC国についた時点でA国はK国を見放している。K国の甘いところは、日本相手なら何をしてもいいという自国の論理が世界中に通用すると考えていることね」

「だが趙がどんな情報を押さえているかわからんぞ」

「その辺は上手くやるわ。心神改の失敗したOSがあるでしょう」

「予算が足りなくて投げ出したやつか」

「機材の重量もオーバーして、結局お蔵入りになったあれを渡してやるのよ」


 茂子はA国に売り渡されるのが剛志でなくて内心ホッとした自分に、自分では気づかないでいた。千明は携帯を取り出し、仁科に公安との連絡を指示した。英輔は今晩どちらの女とベッドに入ろうかと考え込んでいた。ホテルの窓からは都心の空にぽっかりと浮かぶ満月が見えていた。


 その同じ満月の下で、あの白髪の男趙寅成が今後の方針について相棒の若い男と言い争っていた。せっかく情報屋を捕らえ尋問したにも関わらず、男はレポートの内容についてはほとんど理解していないことが判明しただけだった。レポートをまとめた人物は他にいたのである。拷問や薬品などの手段まで使ったが、それ以上の成果は得られなかった。その後情報屋の自白から探り当てた事務所に押し入ってもみたが、もぬけの殻だった。

「どうやら後手を踏んだようだな」

「そう言われても、情報屋を押さえることにはあなたも賛成したではありませんか、朴中尉」

「ここはあんたの縄張りホームだろう趙さん」

「だから責任は私にあると?」

 男は朴相慶パク・サンギョン中尉だった。彼はK国の海兵隊員であるとともに情報部の一員でもあった。朴中尉が対馬で司令部の命令を逸脱した単独行動をとろうとしたのはそのためであった。結果としてC国の周中尉が邪魔をすることになったが、朴中尉の任務は民間人に成り済まして日本に潜入することだったのである。

 今回、朴中尉は別のルートから日本に密入国し、本国の指示に従って趙寅成と接触した。そして趙の計画した荒事を手伝うことになったのである。

 現在彼らが対立しているのは、今回の線をさらに手間隙かけて追求するか、それとも中途半端な情報を本国に上げて手時舞うかという問題である。

 朴にはこの件はこれ以上追っても意味が無いように思えた。それに対して趙は、ここでやめては本国から『無能』の烙印を押されかねないと、懸念していたのである。

 情報屋の事務所から駐車場に出て、朴中尉は顔をしかめた。満月が彼ら二人を照らしだし、すっかり無防備な気がしたからである。彼のその勘は外れておらず、今も彼らは公安の監視下にあった。


 小型のバッグと身の回りの品を買い求め、都心から離れたビジネスホテルに宿をとった剛志は、部屋のテレビのニュースをぼーっと眺めていた。画面には「秋葉原駅での銃撃」「真昼の惨事」などのテロップが流れ、現場から消えた正体不明の男として剛志の似顔絵が映し出される。毎朝鏡で見る自分の顔を思い浮かべ、あまり似ていないなと剛志は考えた。

 その時剛志の携帯が鳴り出した。剛志はじっとそれを眺める。表示は非通知、誰からかかってきたのかわからない。しばらく鳴ってその音が途絶えた。再び鳴り始める。剛志はその携帯を処分してしまわなかったことを後悔した。しばらくして携帯を取った。

「はい」

「大山さんだね」

 知らない声だった。切ろうとしたとき次の言葉が耳に入った。

「二宮さんの知り合いの」

 それはかっての剛志の上司の名前だった。その名を出してくるということは情報屋の側の人間だった。

「ああ……」

「あんたの似顔絵がニュースに出ていた。あんまり似ていないな」

「そうかな」

「そのうちもっとそっくりなモンタージュがテレビに流れるかもしれないぜ」

「どういうことだ?」

「放送局は写真だって手に入れるかもしれない」

「何だと!」

「そうなったらあんたも何時まで逃げていられるかな」

「……何が望みだ?」

「あんたの上司に連絡が取りたい」

「無理だ」

「大河内は撃たれて死んだ。だが安田は生きたまま拉致された」

 大河内というのが射殺された運転手の名前なのだろう。だとすると安田は情報屋だ。

「その安田という男の身柄を取り返したいということか?」

「できればな。だがもう処分されているかもしれん」

「だったら……何故?」

「安田は情報の上辺だけしか知らん。だから拷問しても奴からあれ以上情報を絞り出すことはできん。情報が欲しければ我々と取引するしかない」

「あんなことがあったのにまだ取引すると……?」

 剛志はこの話に罠の臭いを感じた。しかし先程の写真の件がひっかかり、通話をきることができなかった。男の声は続けた。

「完全なレポートが欲しければ五千万用意しろ。あと安田の身柄を返してほしい」

「死んでいたらどうする?」

 男の声はしばらく黙った。それから口を開く。

「そうだな。その時は一千万上乗せだ。付け値は六千万になる」

「待ってくれ、実は上司とは今連絡が取れない」

「そうか……お前も切り捨てられたか……」

 男はまた黙った。剛志は必死になってかき口説いた。

「だから、生憎だがそっちの希望には添えない」

 だが男の方が上手だった。

「いいか、簡単なことだ。お前の上司の、確か趙という男のはずだが、あいつは戦後こっちへ密入国した連中の一人だ。だから新大久保辺りのKタウンに行って、かたっぱしから趙の居場所を聞いて廻れ。誰も教えてくれなくとも、そのことは奴の耳に入る。きっと相手の方からお前に接触して来るだろう」

「そうしたら今の話をすればいいのか?」

「そうだ」

「連絡は?」

「また明日、こちらからかける」

 そこで通話は切れた。ニュースの最後はキャスターたちが交わす月見の話で盛り上がっていた。


 A国大使館の技術部員であるラジル・ハワードはアジア系A国人であり、身長は百八十センチとかなり高いが日本人に見えないこともなかった。特に首都圏では雑多な人種が流れ込んでいるため、街を歩いて悪目立ちすることもない。C国との失敗した共同作戦の後、K国の評価はA国ではベタ落ちであったので、K国が入手しようとしている情報をかっ浚わないかという提案が彼に廻って来た時、何の躊躇いも感じずに了承した。そもそも諜報畑では、味方同士の裏をかくことも日常茶飯事である。ましてや同盟関係を裏切ってC国についたK国のことなど、ラジルは気にも留めなかった。

 ラジルのところへこの情報を売り込んできたのは、各国の外交官相手の情報屋で実績もあり、ラジルはかなり信頼性の高い話だと思っていた。秋葉原での銃撃事件はラジルも知っており、この件のキーマンがそれに関わっているという話しも納得のいくものだった。

 幸いなことに日本にはA国の軍事基地がいくつもあり、人手を集めるには事欠かなかった。各基地の司令官は非合法イリーガルな活動にはいい顔をしないだろうが、情報畑に関心を持ち手を貸したいと考えている軍人は少なくなかったのである。


 ラジルは知り合いの佐官に話を通し、特別休暇という名目で五人ばかりの下士官と士官二人を借り出した。この小部隊を率いるジョージ・パーキンス中尉とは顔見知りだったので、ラジルはあけすけに作戦内容を説明することができた。

「この情報の信頼性はかなり高い。ただ、諜報活動の常として空振りに終わる可能性も無いとは言えないんだ」

「わかっているともバジル。そうなったら皆でピザをとってビールを飲もうじゃないか。勘定はお前持ちでな」

「いいともジョージ。どっちにしろピザとビールは奢るよ。だが上手くいけばK国だけでなく、小狡いジャップの鼻もあかしてやれる」

「そうなったら勲章ものだ」

「結果さえ出せば基地司令官も文句は言わんだろう」

 だがジョージと陽気な仲間たちの待機は無駄に終わらなかった。剛志が消息をたどっていることを聞きつけた趙が、剛志に連絡してきたからだ。


 剛志の携帯の呼び出し音がホテルの部屋に響いた。

「はい?」

「どうやら逮捕はされなかったようだな。だが、私の地元で騒ぎを起こすような真似をするとは、どういうつもりだ?」

「情報屋はまだ生きているのか、趙さん?」

「何だと?」

「情報屋の仲間が接触を図ってきた。完全な情報が欲しければ六千万。情報屋の身柄を返せば五千万でいいそうだ」

「それは……」

 趙たちは情報屋の死体をとっくに処分してしまっていた。余計なお荷物になると考えられたからである。せめて死体だけでも残しておけばよかったと趙は臍を噛む思いだった。


「だいたいその情報は確かなのか?、大山さん?」

「それはわからん。現物を見てみなければ。だがいずれにしても現金げんなまがいる」

「わかった。現金かねは用意しよう。取引の段取りをつけてくれ。情報の価値はその場であんたが確かめるという条件でな」

「何時までに用意できる?」

「少ない現金かねじゃないが……明日の昼までには」


 趙が取引を急いだのには理由があった。朴中尉が趙のやり方に対する疑問を口にし始めていたからだ。本国からやって来たばかりの朴に、何十年もの間日本に根を張って実績を上げてきた自分のやり方に口を差し挟ませたくなかった。それには今回のことではっきりと目に見える成果を上げて見せる必要があったのである。

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