第二十一章
日本が新たに建造する無人潜水艦は『海神型』と命名されていた。全長七〇メートル、全幅八メートル、基準排水量二三〇〇トン、水中排水量三〇〇〇トン。攻撃型無人潜航艇(UUCV)の範疇に入れるには巨大すぎる大きさである。リチウム・イオン蓄電池とジーゼル・エレクトリック機関により水上一三ノット、水中二五ノットを出すことができた。兵装は五三三ミリ魚雷発射管六門を持ち、ハプーン対艦ミサイルと八九式魚雷を装備している。人間が乗り組んでいないため作戦期間も長く、低速であれば数ヶ月連続して潜航したまま行動することが可能であった。
海神型の無人潜水艦が無人戦闘機心神改と大きく違うのは、潜水中には電波による遠隔操作ができないという点である。海中においては電波が急速に減衰するため、海中を航行する潜水艦との間では、通常の短波・極超短波などによる通信は不可能である。海中深くまで到達する極超長波は送信できるデータ量が非常に少なく、遠隔操作に必要な大量のデータのやり取りには向かない。従ってこれらの電波による無人潜水艦の遠隔操作は不可能であり、完全自律航行が必要になってくる。当然水中での作戦行動も、独立した判断により行われることになる。これはフランケンシュタイン・コンプレックスの持ち主が聞いたら怖気立つような仕様であった。
計画では、海神一〇号から海神三〇号まで二十一隻が建造される予定であり、七隻ずつ三つのグループに分けて運用される。各グループには『そうりゅう改型』の有人潜水艦が旗艦として配置され、この旗艦が発する超音波信号に従って作戦行動をとることになっていた。
だが実のところ海神型無人潜水艦には、操船や作戦行動を司る人工知能の役割を果たすように調整されたネフュスが組み込まれる。このネフュスの持つ『神通力』は前に述べたように、「一から多、多から一となれる」という性質を持ち、どんな障害も乗り越えて通ずるという力を備えていた。つまり海神型無人潜水艦の一隻が知ったことは他の二十隻すべてが同時に知り、二十一隻のすべてが一つの意志の元に行動することができる。これは電波や音波による通信を必要としないので、探知することも妨害することもできない。
だから旗艦から出される指令というのは、作戦の意図や交戦規定に関するものに過ぎず、実際の作戦行動自体はネフュスに一任されていると言ってよいのだった。
このことは無論、英輔の影響下にあるごく一部の人間しか知らない。その他の関係者は、ネフュスのことを非常によくできた人工知能としてしか認識していなかったのである。
金容和という男がかって日本にいた。金子剛志という通名で、ある電子部品製造会社に勤務し、そこで無人戦闘機心神改に関わるプロジェクトに参加していた。これに眼をつけたC国の大使館員が彼を脅し、会社の企業秘密を入手しようとした。その大使館員は殺され、金子剛志は重要参考人として警察に身柄を確保される。殺したのは剛志ではないのだが、状況も物証も彼を被疑者とするに十分なものが揃っていた。血塗れの凶器には現場に居合わせた彼の指紋がついていたし、相手に脅されたことを供述していることから動機もあった。
所轄の警察署の刑事たちが憤慨したことに、ここで公安が介入してきたのである。まず被害者の遺体が問答無用でC国大使館に引き渡され、検死が不可能になる。次に被疑者になるはずの剛志と事件の調書や証拠品が公安によって引き上げられた。剛志の身柄はK国大使館に移され、直ぐさまK国行きの飛行機に乗せられる。
これは剛志が殺人罪で公に裁かれることを、C国もK国もそして日本も望まなかった結果であった。C国は自国の大使館員が在日K国人である剛志を脅迫して企業機密を盗ませようとしたことを暴露されたくなかった。K国は自国民をC国に売り渡すような真似をした結果起こった殺人を隠蔽したかった。そして日本は国内で他国の外交官が在日外国人によって殺されるなどという醜聞を勿論望まなかったのである。三者の利害が一致した結果、この事件はなかった事になったのであった。
だが実際にC国の大使館員を殺したのは金容和でも金子剛志でもない。清瀬茂子と古保鞘華それに権藤の部下たちであった。しかし直前に鞘華によって意識を奪われた剛志はそのことを知らない。気がついてみれば凶器を手にし、血塗れになって倒れていたとしか説明のしようがないのであった。
K国政府は身柄を確保した剛志を、ほとんど拷問に等しい方法で取り調べた結果、この事実を知った。剛志は殺人犯ではなく、彼とK国は『はめられた』のである。しかしこの事実を公にすることはできない。『虚仮にされた』ことを認め面子を失うことなどあってはならないのだ。剛志の存在自体がK国にとり不都合であり、剛志を取り調べた調査官の一人があることに気づかなければ、彼はそのまま闇に葬られてもおかしくないはずであった。
あることというのはC国の大使館員が剛志を通じて入手しようとした情報の内容である。それが日本の無人戦闘機である心神改の重要部品の設計に関わるものであることを知ると、K国情報部は色めき立った。情報を持った人間の身柄をそのままK国に引き渡してしまうとは、日本の公安もミスを犯したのである。幸い剛志は、自分が作ってC国に渡すはずだったレポートの概要をほぼ再現することができた。これによってK国は、部分的にではあるが、心神改の性能について他国に先んじて知ることができたのであった。
だがK国情報部はそれで満足するわけにはいかなかった。失った面子を取り戻すためにも、更なる情報を手に入れる必要があった。そこで金子剛志こと金容和は徴兵されることになる。と言っても正規の兵役ではない。K国諜報機関の一員として日本に潜入することになるのだ。母国語であるK国語をほとんど解せず、日本語しか知らない彼には選択の余地がない。新たに大山剛志という偽名の元に、日本人として日本で生活し、母国のために働く事になったのである。
大山剛志という新たな名は、彼が自分で選んだものではなかった。その名の人間は実在の人物で、日本のある地方のある町に戸籍も存在した。K国諜報機関はその筋の仲介をする男からその戸籍とパスポートを『買った』のである。その戸籍の本来の持ち主がどうなったか、仲介した男も知らなかった。
K国がそこまで手間隙かけて剛志を日本に送り込んだのは、二匹目の泥鰌を狙った部分が確かにある。剛志は何にせよ一度は心神改の機密に関わりを持った人間であった。だとすれば他の者よりもそのことに関する嗅覚は優れているはずだという理屈なのである。闇雲な要求としか思えない剛志だったが、とにかく命じられた通りするしかなかった。
ただK国諜報機関は日本の公安の対外諜報機関部門を甘く見ていた。日本では空港ばかりではなくすべての出入国管理窓口に『顔認識システム』が導入されており、フェリーでK国からの帰国者を装って入国した剛志はたちまち発見されてしまったのであった。もっとも彼の身柄がそこで拘束されることはなかった。彼には尾行が付き、入国後どんな相手と接触するかを調査されることになった。
内情(内閣合同情報会議)から上がってきたこの情報を、仁科が英輔たちに報告しにきた。
「この男が日本に舞い戻ってきたのは自分の意志ではないでしょう」
「そうかな?」
「殺人事件の重要参考人として拘束されていたのですし、公安の手に渡る直前には被疑者として送検されるところでした」
「本人がそのことを把握していない可能性は?」
「さすがにそれはないでしょう。ご丁寧に偽の戸籍まで手に入れています。姓は違っても名前は同じという点など、手がこんでいます。本人が何と言われているかわかりませんが、これは囮という線が濃厚です。だからこそ公安も奴を泳がせているわけですが……」
仁科はガードのチーフであり、C国大使館員の殺害には関わっていない。だが当然前後の事情は承知しているわけで、剛志の存在が何らかの意味で英輔たちに関わってくることを心配しているのだ。
「この男はたまたまあの現場に居合わせたようなもので、我々との接点はない。無理に対処する必要はないし、公安にまかせておいてよかろう」
「では急いで排除する必要はないと?」
「その通りだ」
仁科がダイニングから退室した後、微妙な沈黙がしばらく続いた。最初におずおずと口を開いたのは、茂子だった。
「私があの時二人とも殺しておけばよかったのでしょうか?」
「あの男を犯人に仕立て上げようと言ったのは私だよ、ダッド」
鞘華が付け加える。
「その時点で間違った判断は下していない。ただK国があの男を送り返してくるというような、あからさまな事を仕掛けてくるとは予想できなかっただけのことだ」
英輔は少し苦い顔をしてそう答えた。この地方では朝方まだ肌寒い季節なので、白いポロシャツの上に濃緑のカーディガンを羽織っている。起き出して朝食をとろうとしているところへ仁科の報告で、勢いを削がれた恰好になっていた。キッチンを任されている鞘華が気を取り直して朝食の用意を始める。
「珈琲は、ダッド?」
「ミルクを入れてくれ」
「茂子は?」
「私はブラックで」
厚切りのハムと黄金色のトースト、それにコールスローとフルーツ・トマトが供される。食事をしながら何か考えている英輔に、鞘華が声を掛ける。
「ダッド、考え事は消化によくないよ」
「うん?」
「また何か仕掛けるつもり?」
「いや、今のところは手を出さないのが正解だろう」
「そんなこと言って、黙っていられないくせに」
「そんなことはない」
「ふふん」
「何がふふんだ?」
「何でもないさ」
鞘華にはこんな時何かをせずにいられない英輔の性分がわかっていた。そういう意味ではK国情報部の打った手は無駄ではなかったと言える。だが英輔はその相手の裏をかいてやろうと考えていた。そんなわけで日本に送り返された剛志は、また謀略の渦に巻き込まれてゆくことになる。もっとも当の本人はそんなこととは知らず、首都圏の街路をどこかへ向って歩き続けているのだった。




