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第二十章

 餌皿のキャットフードを平らげた黒猫のパスタは、日向の絨毯の上で毛づくろいをしていたが、ちょっと目を離すともう朝寝を決め込んで丸くなっている。春とはいえログハウスの外はまだ冷たい風が舞って、緑の芽吹きまではしばらく間が必要なようであった。

 薪ストーブの熾火の上に置いたプレートで焼いたピザを取り出し、皿に載せる。トッピングはスライスしたサラミとオリーブ、それに生のバジルだ。落としたての珈琲の香りがダイニングに広がる。

 テーブルの向こうに大ぶりのコーヒーカップを手渡すと、そこに座っていた寒月がむにゃむにゃとよく聞き取れない礼の言葉を口にした。ピザを切り分け、皿に載せて渡す。千明が南九州に行っている今、ログハウスのキッチンを取り仕切っているのは鞘華だ。英輔が茂子から渡された資料に目を通しながら何やら質問していた。


「じゃあネフュスは与えられた条件の中で独自の判断を下すことができる、そう考えていいんだな」

「ええ、条件をきちんと定義してやれば自律的に行動して目的を果たそうとします。ただしそれには一定の法則があって、それに反する行動をとらせるのは非常に難しいのです」

「具体的にはどういう法則だ?」

「例えばマイナス・ミューオン・ジェネレーターの仕組みで言えば、ネフュスはプラスのミューオンを取り込みマイナス・ミューオンのみを放出します。でもその逆はできません。もう少しマクロな規模で言えば、破壊の衝動が強く、反対に何かを建造するというような行動様式は見られません。どこかから奪った結果、何かを主にもたらすことはあっても、独自に何かを創造することはしないのです」

「そこにどんな法則があるというんだ?」

「陰と陽のうち陰を好むという法則です」

「どういう意味だ?」

「陰陽には互根・提携・拮抗・循環・交錯の五律がありますが、元々は天候・季節に関する表現です。だからネフュスにそのまま当てはめられるとは私も思いません。ただ、他に適当な説明が浮かばないのです」

「だが、その五律を元にすればネフュスをシステムとしてプログラミングすることが可能だというんだな?」

「さっきも言ったとおり、できることとできないことがありますが、多分……」

 話し合われているのはネフュスの新たな利用法だった。元々は核融合炉のマイナス・ミューオン・ジェネレーターを遠隔操作したいという発想からスタートした研究だった。しかし茂子が解読した安衛門文書と、千明と鞘華が聞き取った寒月からの情報をつき合わせた結果、新たな可能性が見えてきたのであった。

 眉間にしわを寄せて資料をにらんでいる茂子に、鞘華は珈琲カップを渡し、英輔には目で尋ねた。英輔も休息の必要を感じたのか、立ち上がってダイニングテーブルに向う。そこでは寒月が二切れ目のピザを食べていた。

「寒月さん、あんたもいろいろ管狐の利用法を試したそうだが、その結果はろくなもんじゃあなかったようだな」

「蒲生さん、その言い方はどんなもんですかぁな。そりゃ、俺が伯父貴から管狐を引き継いで二十何年というもの、やってみたことは色々ありますけ、あんたさんみたいに上手くはいきませんでしたけども、ろくなもんじゃないというのは言い過ぎと違いますか?」

「これは言い方が悪かったか、だが何をやっても長続きはしなかったでしょうが」

「まあ、それは……」

「わしが聞きたいのはあんたが上手くやってのけたことばかりでなくて、あんたがした失敗の内容だ。できれば同じ失敗はしたくないからな」

「そいつは賢いことで」

 寒月が不服そうに眼をそらして生返事を返す。この男にもプライドがあり、自分の犯した失策よりも自慢話の方を好むのは当たり前であろう。だが当面この男の身柄は英輔の元に預けられており、他にゆく当ても無いのだった。

 寒月はネフュス=管狐を生き物のように考え、扱ってきた。英輔はそれをある種のOSかソフト・ウェアのように扱えないかと考えるようになったのである。きっかけは管狐ネフュス宿主ホストがいないと何の力も示せないという寒月の言葉だった。この点を考えているうちに、英輔は宿主=ハード・ウェアと管狐=ソフト・ウェアという関係に思い至ったのである。だとすると管狐ネフュスが実体を持たないように見えることにも納得がいく。ただこのソフトはある種のワームのように自律して動くことができる。このためあたかもそれは何かの生き物のように見え、寒月ならずとも思わずそう扱ってしまうのだった。


 ひょっとするとネフュスで心神改を動かすことができるかもしれない、それが英輔の考えたことだ。心神改は現在のところ衛星回線を通じて遠隔操作されている。だが光速と言えども無限の速さを持つわけではなく、機体とコントロールする基地の位置関係によっては、この操作にも一瞬のタイム・ラグが生じる。また衛星回線といえども電波妨害ジャミングの対象にならないとは限らないし、最悪の場合暗号化された命令セットを解読されれば、回線をハッキングされることだって考えられる。

 心神改が自律化されればこの問題は解消される。ただ一つ障害になりそうなのは、人類固有の恐怖とも言うべきフランケンシュタイン・コンプレックス、被造物の暴走を恐れる人間の心である。だが世界の民族の中で突出してこの恐怖に鈍感なのが大和民族、現在この列島に住んでいる日本人であると英輔は考えていた。それは八百万之神やおろずのかみ魑魅魍魎ちみもうりょうとの共存を果たしてきた自分たちの先祖の系譜と無関係ではないと彼には思えるのだった。


「心神改はフライ・バイ・ライトのアビオニクスを備えている。その面ではマイナス・ミューオン・ジェネレーターと同じだ。だからセンサー・コントロール系については支障が無い。問題は遠隔操縦による『訓練』から、ネフュスが操縦や戦術を『学習』することができるかということだ」

「そんなの試してみなくちゃわからないよ、ダッド」

「下手をするとミサイルを積んだ心神改が暴走するかもしれないんだぞ」

「無線操作の自爆装置を仕掛けておけばいい」

「九十億近くする機体だぞ」

「そのくらいのお金あるでしょう、ダッド」

 こうして日本は最強の無人戦闘機を手に入れることになった。また同様な手法で、対艦攻撃型の無人潜水艦も建艦されることになった。


「茂子さんはどう思う?」

「どうって?」

「無人戦闘機や無人潜水艦が本当に暴走しないと言い切れる?」

「そんなこと私にはわかりません」

「わからないのにこのプロジェクトに関わるのが不安じゃないの?」

「それは蒲生さんが考えることです」

「ふーん」

「何か?」

「いや、ネフュスにパスタと同じくらいの知恵があれば、きっといつかは自分の好きなようにやってみたいと思うんじゃないかな」

「あの猫は嫌いです。何を考えているのかわかりません」

「きっと考えているのは、茂子さんと同じことだよ」

「同じことって?」

「自由ニナリタイ」

「私は自由です。自分の意志で行動しています」

「じゃあ、本当に自由にやったら? もう借金は返したんでしょう」

「ええ」

「じゃあ、何を遠慮する必要があるの?」

「鞘華さんこそどうなんです?」

「鞘華って呼んでよ」

「じゃあ、私も茂子で」

「それで?」

「鞘華だって……英輔さんに縛られているでしょう」

「親子だからね」

「義理のでしょう。それに……」

「それに義理とは言え父親と寝ている……でしょ」

「それが自由なんですか?」

「いや、ぜんぜん自由なんかじゃないね。その通りさ」

「じゃあ、なぜ私にだけ当たるんですか?」

「ちょっと聞いてみただけだよ」

「迷惑です」

「聞かれたことが?」

「猫と比べられたことがです」

「パスタはどう思っているんだろうね?」

「何です?」

「自分は自由だと思っているんだろうか?」

「そんなこと考えないから猫は自由なんです」


 国民の与り知らないところで日本は戦争準備を進めていた。無論かっての世界大戦のような全面戦争ではない。現代の世界は複雑に絡み合い、国と国とが見えないところで支え合っている。全面戦争などしたら世界中が共倒れになってしまうほどに。

 だから起こりうる戦争は部分的な紛争であり、お互いがそれ以上に拡大することを望まない戦いである。それでも人は死に傷つくが、多くの人間はメディアを通してしかそのことを知らずに毎日を過ごしていく。

 戦争が始まれば日本は大なり小なり傷つかずには済まないだろう。しかしほとんどの国民はそんなことを考えることもなく今日の今を過ごしている。彼らは果たして自由なのだろうかと鞘華は考えた。

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