第十七章
対馬上空でK国のF-15Kが日本の心神改によって撃墜された事件は、日本にとってもK国にとっても『不都合な真実』であった。K国はそもそも自国の戦闘機が日本の領空に侵入した事実を否定したかったであろうが、日本によって示された心神改のガン・カメラ映像を示されると口を噤んだ。そこで今度は航法装置の故障により誤って日本領空へと越境したF-15Kを、日本側が無警告で撃墜したと論点をすり替えようとした。しかしレーダーサイトの記録から、F-15Kが先にAAM(空対空ミサイル)をRQ4-GHに向って発射していることが明らかになり、またもや沈黙せざるを得なかった。
この後日本側に救助され拘束されたパイロットが保身のため、C国の駐在武官にそそのかされ事に及んだことを自白する。これを知らされたK国はこの武官を『好ましからざる人物』としてC国に通告し、事を公にしたくないC国も直ぐさまこの武官を本国へ召還した。
パイロットの某少佐は秘密裏にK国側に引き渡されて軍法会議にかけられた。沈黙を守ることを条件に不名誉除隊になり、その後何者かに謀殺される。犯人は秘密を守ろうとしたK国軍内部の人物か、それとも自国に不都合な証人を消そうと放たれたC国の刺客かと噂されたが、どちらとも知れなかった。
要するにRQ4-GHとF-15Kの撃墜事件は、それぞれ単独の『事故』として処理され、無かったこととされたのである。K国側からは海上保安庁による事故機パイロットの救助に対する感謝の言葉が、国際慣例に従い、伝えられた。
F-15Kは一機百二十六億円でRQ4-GHの五倍近い価格である。だが問題はそれよりも、無人機により世界で最初に撃墜されたジェット戦闘機の母国という不名誉な記録を残してしまったことである。実際にはこの功績は心神改の性能よりもアテナ・システムの優秀さによる部分が大きいのだが、世界はそれを知らなかった。
『日本の心神改ATF-XX、恐るべし』という裏情報が世界の軍事関係者の間で飛び交った。これに対応して次期防衛計画では心神改十二機の試験生産が認められることになる。張り子の虎でも、相手が虎と思ってくれれば本物と同様な価値があるのが軍事の世界というものなのである。
「これでK国がおとなしく引き下がるとは思えないわね」
千明が英輔に珈琲カップを手渡しながらそう言った。ログハウスの外では芝刈機のエンジンの音が鳴り響いている。鞘華がテラスの前の芝生を芝刈機を押しながら往復していた。北国の夏は緑に溢れ、小動物が梢の上をつたい走っていく。郭公が鳴き、上空には時々鳶の姿が見えた。
「南九州のレールガンが完成する前に手を出して来るかどうかだな。一度手痛い目にあっているから、すぐにどうこうということは無いだろう。二度も失敗すれば、さすがに隠しきれなくなる。あの国の政権が何より恐れているのは面子を失うということだ。K国は法治国家ではなく、人治国家だからな。権力を失うと命まで奪われかねない」
「C国はどうなの?」
「あそこも同じだよ。ただK国に『強きになびく』という事大主義の伝統があるように、C国には『C国以外は皆野蛮の民でC国の価値観に従うのは天命』という中華主義の伝統がある。要するに初めから他国を見下しているので厄介だ。あそことは対等な話し合いというものが不可能なんじゃないかと思う」
「つまり、力で押さえ込むか、関わりを持たないかのどちらかしかないということね」
「まあ、一時的に誤魔化しておくことはできるだろうが、C国にとって友邦というのはC国になびき追従する国でしかないからな。真の友好関係を築くのは難しいだろう」
「厄介な隣国があったものね」
そこに清瀬茂子が資料を持って入ってきた。タイトな紺のスカートに白いブラウスを着ているが、ウェストがキュッとしまっているため豊かな胸が強調されている。靴音を響かせてテーブルに近づくと資料の束をそっとそこに置いた。
「清瀬さん、寒月とのインタビューはどうだったの?」
千明が尋ねたが茂子はわざと視線をそらし英輔の方に視線を送る。千明と鞘華が英輔と身体の関係を持っていることを茂子は察知しており、反感か競争心かわからぬ複雑な感情を抱いているようだった。
「寒月さんのお話では管狐は実在するというのですけど、本当なんでしょうか?」
「ああ」
何でもないことのように肯定する英輔をキッと見つめて、茂子が言葉を続ける。
「それで、寒月さんがそれを蒲生さんにお売りになったというのも?」
「本当だ」
茂子はしばらく黙って英輔をにらんでいたが、やがて口を切った。
「信じられません。あなた方はみんなして私をからかっていらっしゃるのですか? 今の世の中に狐憑きだなんて……」
英輔の視線を浴びて最後の言葉は力なく消えた。茂子はまだ英輔に千五百万の借金があるのだ。要するに英輔が白と言ったら黒いものも白と言わねばならない立場なのだった。
「清瀬さん、正直に言おう。管狐は実在するし、我々はそれを手に入れた。君が信じようと信じまいと、それは事実だ。わしが君に求めるのはそれを信じることではない。わしは新興宗教の教祖なんかではないからな。だが君は管狐が実在するという前提で調査を進めなければならない。わしはそのために君を雇っているのだし、手取りで五十万という額は君のキャリアから言えば、少ないとは言えないはずだ」
「ええ、それはわかっています。でも……」
茂子の顔はどちらかというと地味で決して美人とは言い切れない。だがこの数カ月続いた絶望と緊張が無駄な甘えを削ぎ落とし、自己主張と言っていい何かを浮かべていた。だがそれはまだはっきりとした形をなさず、世に生まれ出るのを待っていたのである。
茂子は最初、あの自分が運命を託した男の死の瞬間に始まり、その後ゆっくりと近づいてくる絶望の淵から、英輔が助け出してくれるものだとばかり思っていた。その代わりに自分は感謝と、ひょっとしたら身体を捧げればいいのだと勘違いしていたのである。
しかしいつの間にか借金は五百万上乗せされ、今後利子も付くと言う。五十万の手取りは多いように見えるが、その中から生活費や何やかやに費やすことを考えると、いつになったら返済を終えることができるのかわからない。しかも今現在携わっているこの古文書解読の仕事が、いつまでも続けられるとは限らないのだ。
英輔の気紛れで与えられた仕事が無くなったら、茂子はまた前のあの出口の無い絶望の日々に逆戻りしなければならない。そんな思いが茂子に唇へ紅を塗らせ、薄化粧をさせた。自分の唯一の長所だと思っている胸を強調した服装を選んだのもそれが理由だった。
「私、どうすればいいんでしょうか?」
「頼んだ仕事をしてくれればいい」
「そういう意味じゃありません」
英輔は一つ溜め息をついた。
「じゃあ、どういう意味だね?」
「管狐にはどういう秘密があるんです?」
「知りたいかね?」
「千五百万ものお金をかけて、私をこんなところに連れてきて、いったい何をさせたいんですか?」
「わしからそれを聞いたらもう引っ返せないぞ」
「かまいません」
「そのために人殺しにならなければならないような秘密でもか?」
今度は茂子が溜め息をついた。
「私の彼はお金に殺されました。自殺だと言っても、あれは本当はお金に殺されたんです。私は殺されるくらいなら、殺す方に廻りたい。親も兄弟も私にはいません。蒲生さんが殺せと言われるなら、誰でも殺してきます」
「人間らしい生き方はできないぞ」
「人間らしく死ぬよりも、私は生き残りたいんです」
「その言葉は真実かな?」
英輔がそう言うと千明が続けた。
「嘘だったらあたしが殺してあげるわ。人間らしい死に方になるかどうかはわからないけれどね」
外の芝生ではまだ芝刈機の音が続いていた。なにしろ芝生の広さは野球場ほどもあるのだ。
日本との安全保障条約に基づき日本列島各地に軍事基地を持ち、軍隊を駐留させているA国は、『事故』によってRQ4-GH一機が失われたことを知り、非公式に情報の提供を求めてきた。それが得られないのなら失われたRQ4-GHの補充は許可できないと、暗に圧力までかけてきたのである。
やむを得ず日本政府は、K国のF-15KによりRQ4-GHが撃墜された顛末の記録を、A国側に引き渡すことになった。当然その後の心神改によるF-15Kの撃墜の状況もA国の知るところとなる。A国が心神改に興味を持つのは当然の流れであった。
無人戦闘機『心神改ATF-XX』は防衛省技術研究本部が先進技術実証機として開発していた『心神ATD-X』から派生した機体である。無人とはいうものの完全自律機体では無論なく、離着陸は整備部隊が駐留する基地で、運用高度に上がってからは衛星通信回線を利用して運用基地で、遠隔操縦されるものであった。
ただ世界のいくつかの国が『無人爆撃機』こそ実用化しているものの、空中戦を必要とする『無人戦闘機』を実現した国はまだ存在していなかった。今回実戦で試された機体が現れたことは、A国ならずとも見逃すことはできなかったろう。
運用高度に上がってからの心神改の運用は基本的に二名の『搭乗員』によってなされる。『搭乗員』は三百六十度シュミレーターに入る機体操縦員と各種センサー担当者に別れていた。ただ巡行運用中は大幅に自動操縦が取り入れられており、運用基地での搭乗員は順次交代することができた。空中給油で燃料を補充すれば、数十時間という常識はずれの長時間運用が可能な点でも画期的な機体だったのである。
A国側は心神改が試験運用中であることからまず初めに共同開発を、それがやんわりと拒否された後は実用化された後の購入を打診してきた。後者は日本にとって、開発予算を確保するために魅力的な申し出だった。しかも日本の武器輸出三原則には、同盟国であるA国に対して一九八三年に示された例外規定があり、法制上も不可能ではなかった。
ただ問題はこの取引が国益に沿ったものかということであった。今回のK国C国とのトラブルでもA国は、K国とも同盟関係にあることを理由に、日本の力にはなろうとはしなかった。いやA国の上下院の中には明らかにK国側に立った言動をとる議員が少なくなかった。このことから日本の国民の中にはA国への不信感が芽生え始めていたのである。
「共同開発なんて下手するとA国にいいとこ取りされかねないからな、論外だ。ただ心神改の実機輸出については、ライセンス生産を認めなくてはならないにしろ、開発コストの負担を抑えるためにも必要だろう。心神改の本当の性能はアテナ・システム無しでは十分発揮できないんだがな。しかしA国のことだ、似たようなシステムを独自に開発することは十分考えられる」
秋の気配が忍び寄る北の国の高原では、間もなく紅葉が始まろうとしていた。雛たちが巣立ち、テラスの前に広がる芝生の端には時として鹿やウサギが姿を見せる。権藤たちは周辺のパトロール途中に羆の糞を見つけ、猟銃を携帯するようになっていた。
英輔がA国の話をする時、妙な敵愾心を感じることが鞘華にはある。鞘華にとっては世界の大国の一つとしか思えないA国も、英輔にとっては特別の思いがあるのだろう。鞘華はパジャマを羽織ってベッドから抜け出し、シャワーへと歩きだす。その途中振り向かずに、背後の英輔に向い声をかける。
「それで、清瀬さんとネフュスは上手くいっているの?」
「うん、まあな」
パジャマを脱ぎ捨ててシャワーに入る。
「何、それ? まあって、どういうこと?」
水音に負けないように大声で英輔に問いかける。
「あいつはどうも自分一人ではネフュスとやっていけないみたいなんだ。俺がいないと不安定になる」
浴室のドアの所まで来て英輔がそう答えた。そのことなら鞘華にも心当たりがある。ネフュスを受け入れた初めの頃は、いつ自分の身体がネフュスに乗っ取られるのではないかと不安になった。英輔がいることでその不安が和らいだのも記憶にある。だが何時までもそれでは自立できないのだった。
「いいかげんあの人と寝てやれば?」
「それじゃあ、ますます俺に依存しかねない」
「じゃあ、やっぱりあれよね、誰かを殺させるしかない。それであの人も踏ん切りがつくってもんでしょう?」
「ふん」
英輔が鼻で笑った。彼からバスローブを受け取った鞘華はそれを羽織るとタオルで髪の水気を拭き取る。ドライヤーでショートカットの髪を乾かしながら、シャワーに向う英輔に声をかける。
「そう言えば約束があったわね。あの人が殺しをやり遂げられなければ車を買ってもらうわ、ダッド」
「ふん」
そう言って浴室に入っていく英輔の後ろ姿に、鞘華は思いっきり舌を突き出して見せた。




