第9話 「怒り」
アリアは戸惑っていた。何故、自分はこんな状況に置かれているのか。
「なんて事してくれるんだ!」
「あなた達のせいよ!?」
「もう、終わりだ……!」
そして、そんな中にいながら、隣にいる少年は、こうも自然体でいれるのか。自分の背に隠れるようにしているメイド、シャルのような反応が普通ではないのか?
(トウヤ、何故君はそんなにも冷めた目で、自分を罵倒する人間を見ていられる?)
アリアは、隣に立つ少年が、酷く遠い場所にいるように思え、寂しさを感じた。
ギルドは阿鼻叫喚といった状況で、ワイバーンを討伐してきたトウヤ達を迎えたのは、歓声ではなく罵倒の嵐だった。トウヤが背負ってきたワイバーンを見て、最初は驚いていただけの住人たちが、たった一言で口々に騒ぎ始めたのだ。
「おい! 話が違うじゃないか! ドラゴンを遠くにやるために、ワイバーンは討伐しなかったんだろう!?」
そんな声を皮切りに、それに賛同するもの、ギルドを問い詰めるもの、果てはトウヤや、隣にいるだけのアリアやシャルに罵倒を浴びせる者もいた。
「お、落ち着いて! 落ち着いてください!」
職員たちが大声で呼びかけるが、耳を貸すような者はいない。罵声を浴びせられながらもトウヤは落ち着いており、事の成り行きを見守っている。まるで他人事のようだった。
「静まれぃっ!」
そんな中、空気を震わせるような闘気と共に発せられた声は、ギルドマスターだった。現役時代、Aランクの実力者だったギルドマスターの威圧に、辺りは静まる。
「まずは」
その場にいた全員に言い含めるように、ギルドマスターはゆっくりと口を開いた。
「ワイバーンを討伐してきたこの者に、礼を言いたい。ご苦労だった」
ギルドマスターそう言って、トウヤに向かって頭を下げる。その様子に、騒いでいた者たちが困惑する。
「まず、皆に説明せねばならん。ワイバーンを討伐する準備を進め、それを依頼したのはこの儂だ」
実際は、せいぜい偵察か、時間稼ぎのつもりであったが、ギルドマスターはトウヤの実力を見誤っていたこと、内容はどうあれ、ワイバーンの元へ行く許可をだした自分に責任があった事から、そう説明した。
「な、なんでだ!? ドラゴンがワイバーンを追ってるんだろ!? ワイバーンを殺しちまったら、こっちまで来るかもしれないじゃねーか!」
「うむ。順を追って説明する。まず、ドラゴンが来た、という情報がギルドに入ってきたの今朝方だ。一週間程前から、ワイバーンが森に巣を作った、という情報があり、ワイバーン討伐のために準備を進めてきた。が、結論を言えば、ワイバーンの巣を潰せる程の戦力は、この街には存在せん」
ギルドマスターの重い言葉に、息を飲む住人たち。顔が青くなり、よろける者までいた。ギルドマスターは続ける。
「先ほどはレッドドラゴンはワイバーンを追ってきているだけであり、街に危害を加えないと説明したが、そんな根拠は存在しない。確かに、レッドドラゴンはワイバーンを追って出てきたかもしれん。が、ワイバーンを狩り尽くしたあと、レッドドラゴンがここに気づき、やってくる危険性は捨てきれん。ワイバーンがレッドドラゴンから逃げる事に成功し、森に居座ったとすれば、やがてこちらの街に来る可能性もあった」
誰もが、声を出せずにその話を聞いていた。ギルドマスターは疲れたように、淡々と話しており、いまいち内容を把握し切れていなかったトウヤたちも、その内容を噛みしめる。
「どちらにせよ、街にはそれらに対抗する戦力はなかったのじゃ。ワイバーンに街を滅ぼされるか、レッドドラゴンに滅ぼされるか、その違いしかなかった。ここに居る少年を責めるのは間違いじゃ、責めるのなら、それらの事情を混乱を起こすからと黙っておった儂にある」
誰も彼もが声を出せず、ギルド内に重たい空気だけが漂う。
「じゃ、じゃあどうするんだ……」
「こうなっては、もうこのギルドで出来る事はない。皆にはこの街から退避し──」
「今更、そんな事しなくても良いわ」
ギルドマスターの苦渋の言葉をさえぎるように、怜悧な刃物を思わせる声が響いた。大きな声を出していない。しかし、ギルドに居た全員が、聞き漏らすことなくその言葉を聞いた。
「師匠! ただいま戻りましたっす」
突然の出来事で誰も動けない中、特に驚くことなく、トウヤが声をあげる。トウヤの言葉に、隣にいたアリアとシャルが、師匠、と呼ばれた女性を見つける。
真っ黒な女性だった。艶やかな黒を纏うその女性は、黒という不吉に思える色を持ちながらどこか神秘的で、一目で年齢を見抜けぬような深い雰囲気も相まって、より一層そう思わせる。その女性は、ギルドの入り口から、ゆっくりとトウヤたちの元へ歩いてくる。入り口付近にあった人だかりは、その圧倒的な気配に気圧され、自然と道を開けており、当然といった様子でそこを歩いてくる。
「ご苦労様……と言いたいところだけど、後でお仕置き」
「ふぁ!? なんでっすか!?」
「中途半端なのよ。仕事が。やるからにはちゃんとやりなさい。冒険者としての経験を積ませてなんかいないから、ある程度は大目に見るけど、この付近にワイバーンなんておかしいのよ? それを理由も考えずにワイバーン倒して、はいさようなら、くらいなら誰でもできるの。しっかり原因さぐって、それも排除しないさい。気づけるチャンスはあったはずだし、注意深く調べれば、原因は解らないまでも、ワイバーンが追われるようにしてそこに来ていたのは気づけたはずよ。注意力不足。これは仕込み直しね」
誰もがそのやり取りを茫然と眺めていた。突然現れた女性が、ワイバーンを倒してきたという少年を叱っている。その内容は異質だ。ワイバーンを倒せる前提で話しているし、件のレッドドラゴンに対しても、明言されていないが、障害らしい障害と捉えられていない。
「あ、あんたたちは何者なんだ」
住民の一人が、おずおずといった様子で声を上げた。さっきまで罵声をあげていた者の一人だったが、ユエの纏う気配から、荒い言葉を投げるのは躊躇われていた。
「……あぁ。まだ名乗っていなかったわね。そうね……【拳鬼|≪けんき≫】と言えば解るかしら?」
ユエのなんでもないような名乗りに、辺りが再び、騒然となる。拳鬼。知らないはずはない。半ば伝説として語られている存在だ。いわく、その身一つで災害クラスの魔獣を滅ぼしたとか、いわく、拳鬼の怒りを買った貴族が、街ごと消滅させられたとか。
眉唾の噂も多かったが、拳鬼ただ一つ、言える事がある。それは、拳鬼は、人類で5指に入る強者だという事。
「う、嘘だろ? 拳鬼がいなくなってもう20年は経つって聞く。あんたみたいに若いはずねぇ」
住民の言葉に、ユエは眉を潜めた。
「女性に歳の事を言うなんて失礼ね」
ほんの僅かにさっきが漏れ出し、迂闊な言葉を発した住民は、心臓を掴まれるような恐怖を感じる。ユエは気を取り直して殺気を消し、住民の疑問に答えた。
「まぁ、その言葉を信じられないのは無理はないわね。しかし、証拠はあるわ。ここに居る私の弟子はワイバーンの群れを1人で倒したそんな真似ができる人間が、このギルドに居るのかしら?」
「おりませんな」
ユエの言葉にギルドマスターが肯定を示す。住民はそれでも、納得できないようだった。
「しかし、信じられん……」
「この際偽物でもいいでしょう? 実際に、レッドドラゴンに対抗しうる力がある。私は通りが良いからそう名乗っただけ。拳鬼かどうかはどうでも良い事。問題は、レッドドラゴンに勝てるだけの力があるのかどうか。本物だろうが偽物だろうが、勝てないのなら、大した差はないわ」
偽物だ、と言われても揺るがぬ自信に、その場にいた誰もが、本物かもしれない、と思い始めた。
「じゃ、じゃあレッドドラゴンも倒せるのか!?」
「問題ないわ」
はっきりとした言葉に、住民たちから歓喜の声が漏れる。
「なら、あんたたちに任せれば──」
「そうはいかないわね。こちらに丸投げするのは構わないわ。でも、ゆめゆめ忘れないことね。私たちは事前事業はしないわ。当然対価をあたなたちからもらう。それに、問題ないと言った手前、あまり言いたくはないけど、レッドドラゴンを倒せなかった場合の事も考えて貰うわ」
水をかけられたように、辺りが再び静まり返る。ユエはその様子を確かめながら、1人1人に言い聞かせるように言葉を重ねる。
「あなた達はさっきここで騒いでいたけれど、騒いでいたら、何か解決するのかしら? 誰かに責任を押し付けたら、それで終わるのかしら。レッドドラゴンは、人間の都合なんて考えてくれないわよ? この脅威を前に、どんな行動をしてもいいけれど。結果は全て自分の責任であることを、忘れないことね」
釘を刺されるように言われ、戸惑いながらも住民たちは何とか事態を飲み込もうとして、隣合う者と話し合う。
「あとは任せるわ」
ユエはそうギルドマスターに声をかける。ギルドマスターは恭しく一礼した。いくら感謝してもしたりなかった。今このひと時とはいえ、騒動を収めたユエに誠心誠意頭を下げる。
「拳鬼殿が言った通りだ。彼らがドラゴンを倒すのを待つのもよし、この街から離れたいという者はギルドで相談に乗ろう。皆、落ち着いて行動して欲しい」
ギルドマスターがそう締めくくり、住民たちはそれぞれ思うままに動き始めた。
◇◆◇◆
「師匠、ただいま戻りましたっす!」
「遅いわ」
そんなやり取りを見ながら、流れで一緒に夕食を食べる事になったアリアとシャルは、内心で冷汗をかいた。
(あれで遅いのか……)
(普通、何日も準備をかけて戦闘した後、数日かけて戻ってくる距離ではないでしょうか……)
小声でそんなやり取りをしながら、この街まで戻ってきた経緯を思い出す。
「まずいっす!! 寝過ごしたッす!」
「ひゃっ!?」
日が傾いた馬車の中で、そんな悲鳴に似た声と共に、がばっと飛び起きたトウヤ。うつらうつらしていたアリアが、小さく驚きの声をあげたのも無理はないだろう。
「ど、どうしたんだ?」
「やばいっす。早く街に戻らないと……!」
アリアの言葉にも、トウヤはどこか取り乱したままだ。ワイバーンすら余裕を持って倒したこの少年が、こうも取り乱す急ぎの用が、一体何なのだろうかと気になった。
「あの、焦らなくてもあと2日もあれば、この馬車でお送りできますが……」
「提案は嬉しいっすけど、あと1日しかないっす!」
あと一日! 短い。馬を潰すつもりで飛ばしてもぎりぎり間に合うかどうか。馬車ならいくら急いでもそんな速度はだせない。
「そうか。自分が引っ張ればいいんすよ!」
『は?』
アリアとシャルが、トウヤの奇怪な提案に声を揃えたのも仕方のない事だろう。しかし、トウヤ本人はいたって真剣だった。
その後、アリアとシャルはトウヤに、恩人にそんな真似させられない、そもそもさせた所で人の足ではそんなに早く付かないと言ったが、強引に押し切られ、トウヤが馬車を引くことになり、その後半日かけて街にたどり着き、この状況である。
街についた際、疲弊した馬は厩にあずけ、動けない老執事は治療院に放り込んできている。道中は酷い揺れだったので、様態が悪化していないか、少々心配なアリアだった。数日はこの街に滞在しようと心に決める。
アリアがそんな現実逃避をしている中、トウヤはユエにたっぷりとお説教を頂いている。
「仕事は雑、それに時間ぎりぎり。これで早いかったなんて評価できるわけないでしょう」
「う~申し訳ないっす……」
アリアに言わせれば、その雑な仕事すら、普通の冒険者、騎士にできるのかどうかといったラインであるが、他人が口を挟んでいいものか、黙って聞いている。シャルも同じ様子だった。もっともこちらは、説教を師ながら、威圧を放つユエに萎縮しているだけかもしれないが。アリアも気を張っていないと威圧にやられてしまいそうだった。歴戦の勇士が戦場で発揮するような威圧を、ただの説教に垂れ流す御仁である。口を開くのさえ躊躇われた。
遅くなってしまいました。。。
そして中途半端な感じという……
不定期ですがちょこちょこあげていきます