第8話 「紅翼竜」
己の領域に侵入してきた弱者に、「彼」は憤りを感じていた。
「彼」は悠久にも等しい期間、その山の覇者であり、時たま現れる侵入者を排除する生活を続けていた。
「彼」じゃその侵入者たちに、ほんの少し期待した。この長い時の中で、「彼」の退屈を紛らわせる事ができるのではないか──しかし。侵入者たちは少し遊んでやると散り散りになって逃げ出し、「彼」の不満はさらに募る。自身に似たその容姿もまた気に入らなかった。空を駆るならば、正面からかかってこい。そう意思を込めて咆哮する。そしてそれに怯え、またも逃げ出す侵入者たち。
詰まらない──気に入らない。
長い時、暇を持て余していた「彼」はちょうど良い暇つぶしとばかりに侵入者どもを追いかけ、蹂躙する。そろそろ飽きが来て、さて最後の侵入者を遊んでやろうかと思ったところで、それは起きた。
こちらに逃げ込んできたはずの侵入者たちがいない。いや、正確には居たのだ。
しかし、そのモノたちは骸を晒している。すでに死体は焼かれ、その場には灰と炭になって崩れた残骸しかない。己の炎にも満たないその炎にやられたのか? 侵入者は弱かった。しかし、こんな炭を残すような弱き炎で倒せないのもまた事実。「彼」その程度には侵入者たちを認めていた。末席とはいえ、己と同じ種であるのだから。
だが、ここには一方的な蹂躙はあれど、戦いらしい戦いの後はない。
弱いとはいえ、こうも一方的に蹂躙できる存在が、自分の他にいるのだろうか?
「グルァァァァァァアッ!」
「彼」は怒りに任せて咆哮をあげた。どちらにせよ、己の獲物が横から攫われたのだ。獲物は取り戻せずとも、横から攫ったその愚か者には目にモノ見せてやらねばならない。
「彼」は怒りに任せ、空に飛びあがる。辺りを見回すと、不快な感じをさせる一画を見つけた。
そこは見たこともない一画だった。不自然に周りから区切られており、倒した木材によって、小さな囲いを作っている。そして何より、先の場所で残っていた、争いの匂いが、ほんの僅かだがここからする。侵入者たちを蹂躙したものが、ここに居たのは間違いない。
何かの巣だろうか? 「彼」は記憶の奥底から、似たものが無かったか思い出す。
そういえば過去、矮小な動物が集まってこういった巣を作っていたかもしれない。爪も牙もなく、ただ前足に、「彼」の爪の硬度にも満たない棒状のものを持っていたはずだ。あまりに取るに足らない存在であり、今の今まで気にも留めなかった。
この巣に待ち構えていれば、侵入者を屠ったモノが戻ってくるかもしれない。「彼」はここでそれを待つ事にした。
鬱陶しい囲いを尾で吹き飛ばし、邪魔なそれらをブレスによって焼き尽くし、残った焦土で満足げに丸くなる。
「彼」の自慢の紅い鱗と翼が、炎の明かりに照らされ、煌々とした輝きを返していた。
◇◆◇◆
「本当に、これだけの群れを1人で倒してしまったのだな! トウヤは!」
もう何度目になるか、アリアは上機嫌にトウヤを褒めていた。トウヤは照れたように頬をかきながら、ごとごと揺れる馬車の中で、アリアと会話に興じている。さっきから興奮しているアリアは、何度も同じ事を繰り返している自覚はないようで、トウヤが苦笑して、曖昧な相槌しか返しさなくなったことにも気づけていない。
「お嬢様、お話に夢中になるのもよろしいですが、トウヤ様もお疲れのご様子。少しお休みになっていただいた方がよろしいのでは?」
見かねたシャルが、助け舟を出した。アリアは興奮していて気づかなかったが、頷くトウヤが時折不自然に頭を揺らしており、うたた寝していたことを知らない。そもそも、トウヤが馬車に乗っているのは、シャルがトウヤに休んで貰おう、という配慮からだった。アリアも解ってはいたが、歯止めが利かずにトウヤに話しかけ続けてしまっていたのだった。
「む……そうだな。済まないトウヤ疲れているだろう。少し寝ていてくれ」
「そうっすか? じゃ、お言葉に甘えさせて貰う……っす」
トウヤは言い終わるよりも早く、意識を手放す。戦闘の疲労、というより、一段階外してしまった反動だった。トウヤは魔術を使えない。魔術師のように強力な火力を持たないトウヤは、それに対抗するためには、自分の身体を隅々まで使い尽くす必要があった。毛の先一本から、血の一滴まで。
そのため、効率よく身体を使い尽くすために、人が普段無意識に留めている限界を、暗示と刷り込みによって外している。それによって起こった身体の崩壊を修復するために、トウヤの身体は休息、主に睡眠と食事を求めていた。
食事は野宿を行った場所を去る際、これでもか! という胃袋に程詰め込んでおり、その姿を見たアリアとシャルが唖然とした程だ。一週間分はあるかと思われるワイバーンの数体の肉を、一体分残して丸々収めてしまいった。2人が驚くのも無理はない。ちなみに、残された一体はトウヤの師、ユエへのお土産である。
「眠っていると、普通の顔なんだがなぁ」
アリアは、眠るトウヤの顔を覗き込んだ。トウヤの額に掛かる前髪を、自分の手でそっと避けて、寝顔を鑑賞するが、とてもワイバーンを狩り尽くすような、戦闘力を持つ人間には思えなかった。
真っ黒な髪は、さらさらとして自分の髪とも違う肌触りで。アリアはもう少し触っていたい、などと思ってしまう。寝顔は、頬が緩んでどこかだらしなかったが、不思議と愛嬌がある。悪戯してみたい──そんな誘惑にかられ、思わず顔を近づけてみる。
「お嬢様、人様の寝顔を覗き見るなんて、はしたないですよ」
「は、はしたな……!? わ、私はそんなつもりでは!」
シャルの言葉に、アリアは慌てて顔を離し、ついでに、狭い馬車で限界いっぱいまで距離を取る。
街へ向かう馬車の中では、アリアとシャルのたわいない話が続いていた。
◇◆◇◆
「なんじゃと……それは本当か!?」
トウヤがワイバーンを倒し、街へ向かって馬車を走らせている頃、ギルドマスターは街へともたらされた新たな情報に、頭を抱えることになった。
「レッドドラゴンなど……! もはやこの街の問題では済まんぞ!」
次から次へと、問題が露わになり、ギルドマスターは悪態を付くのをすんでのところで留まった。悪態を付いた所で事態は好転しない。悪態を付くより先に片付けなければいけない問題があった。
「ちょっと! 街を出られないってどういう事!?」
「そうだそうだ! ギルドには街を封鎖する権限なんてないはずだろ!?」
受付から離れた、執務室まで聞こえる住民の怒号。受付嬢たちだけでは対処しきれなくなってきているらしい。ギルドマスターは重い腰をあげた。
ワイバーン、レッドドラゴンについてはもちろん、情報規制は行っていた。これはギルドが対処不能の問題を住民に黙っていた、という事ではなく、混乱を避けるためにあえてそうしていたのだ。
が、情報規制、とは言ってもそれは街の中での事。街の外の商人が慌ててこの情報をもたらし、無暗に情報が拡散してしまった。
最悪のタイミングだった。こちらはまだワイバーン討伐のための準備ができていない。レッドドラゴンなど持ってのほか。そもそも、この街の冒険者たちでは両方手にあまり、対処しきれない。いや、一人だけ心辺りがあったが、その人物はたとえこの街が壊滅しても、手を貸してはくれないだろう。ふと、その人物──ユエが引き連れていた少年が思い起こされる。ギルドランクはBの少年、たしか、トウヤと言ったか。彼には偵察を依頼していた。あの「拳鬼」の弟子。何かしてくれるのではないか、そんな期待が一瞬だけ浮かぶが、頭を振って振り払う。いくらなんでも、ワイバーンの群れを1人でどうにかするのは無理がある。
偵察だけでもこなしてくれたら、そう思っていたが、今はもう意味をなさなくなってしまった。
ギルドマスターは受付に向かいながら、雑念を振り払って、今対処すべき問題に意識を集中する。
レッドドラゴンの情報を開示するか、否か。
ギルドには街を封鎖する権限はない。が、今は特例として街の封鎖を行っていた。これは、街の住民をワイバーンが襲い掛かる街道付近に出させない措置と、街そのものを保護するためだった。
ここまで騒ぎが大きくなれば、街から人材が流失してしまう。そうなれば、ワイバーンを退けても、街は衰退、あるいは街としての機能を失い、結局街は消滅してしまう。遅いか、早いか、そして人為的なものか否かの差しかない。
しかし、ワイバーンのほかに、レッドドラゴンの情報がギルドにもたらされたことで、状況が一変する。レッドドラゴンとなれば、討伐推奨ランクはSランク、もはや災害と言っていい。これは、街一つがどうこうできるレベルを超える。国家が騎士団を用いてどうにかするレベルになってしまう。
こうなればもはや猶予はなかった。ギルドマスターとしてはレッドドラゴンの情報を開示し、すぐにでも非難誘導を始めるつもりだった。だが、タイミングが悪い。今ここでこの情報を開示すれば、混乱を煽るだけなのは目に見えており、どう開示するか、というのが問題だった。
「マスター! シーオドア様より伝令です」
受付で住民の苦情を受けていた一人の職員が、焦った様子でギルドマスターに羊皮紙を差し出す。そこには、ギルドマスター宛にワイバーン、レッドドラゴンに関する事が書かれていた。
「まさか……正気か!」
そこには、レッドドラゴンの情報開示について書かれていた。しかし、ギルドマスターが思い描いていた内容とは、天と地ほどの差があった。
レッドドラゴンの情報開示を行う。これまで、住民にワイバーン、レッドドラゴンの情報開示を行わなかったのは、レッドドラゴンはワイバーンを追って来ているだけで、街に被害を加えない。現在街の封鎖を行っているのは、万が一ワイバーンやレッドドラゴンを刺激しないために、一時的にこういった措置をしいているだけ、と。概ねそう言った事が回りくどい表現で書かれている。
書いてある事は、実に都合の良い内容だった。貴族にとって。我々は動かなかったのではない、動く必要はなかったのだと。最低限の配慮として、街の封鎖を行い、ギルドを使って万が一に備えて戦力は整えていたのだと。
「くそが!」
思わず羊皮紙を叩きつけた。こんな戯言に付き合っている暇はない。貴族に目をつけられれば、ギルドマスターとて処断は免れない。しかし、この街の人間すべての命と引き換えにはできない。
ギルドマスターは決断した。だが、それはすでに手遅れだった。
伝令を受け取ったのはこの職員だけではなかった。先走った職員が、貴族のもたらした情報をそのまま住民たちに伝えていた。受付にようやく駆けつけたギルドマスターは、今すぐ職員を殴りつけ、黙らせたい衝動に駆られたが、それを実行に移すことができるはずもなく、黙って成り行きを見守るしかなかった。
そして、その|都合≪・・≫の良い説明を住民たちが納得しつつある中、その人物がギルドに現れたのだった。
「あれ? なんか騒がしいっすね。何かあったんすか?」
トウヤは、ワイバーンの死骸を背負いながら、静まり返ったギルドに、間の抜けた声を漏らした。
うわー!
すみません。不定期とはいえ、一週間に一度くらいは更新したかったのですが…いつも短いですし、もう少し早く書けるようにしたいです。
お読みいただきありがとうございます!