第7話 「ネズミ」
時は、少々遡る。
トウヤが出発したあと、ユエはユエで、用事を片付けるために動いていた。
無論、調味料の事ではない。東方独自の調味料はこの近辺で手に入れるのは面倒だし、金銭的にも高くなる。値段を気にする訳ではないが、わざわざ質が低いものを高く買うような事はしたくなかった。
街に来たのは、きっかけとしては良いと思ったからだった。たまには違う刺激を与えねば、トウヤの修業のためにならない。適当な依頼でも受けて、修業の成果の確認と、至らない点を自覚させるのも悪くないか、そう思って街まで出てきたが、当てが外れた上に、少々厄介そうな事件に巻き込まれている。
「まったく、今日は厄日ね…」
まずは、情報を集めなければならない。今回のワイバーンの件には、不審な点がある。その答えを得るには、情報がいる。
「あいつはまだこの街にいるのかしら?」
数少ない顔見知りの情報屋。ユエはその顔を思い出しながら、裏路地に入る。狭く、入り組んだ路地を進んで行った所で、ユエの前に男が現れた。
「へへへ。よぉ。ネェちゃん。誰かお探しかい」
下卑た笑いを浮かべる男が行く手を阻み、路地の脇から退路を立つようにもう一人男が現れた。が。
「お、おい…!?」
ユエは正面の男を居ないものとして対応する。歩みを止めず、そのまま近づく。敵意すら見せないユエの対応に、男はたじろぐ。
その絶好のタイミングを逃すユエではなく。男が虚を突かれた瞬間、ユエの姿が霞むように消える。
「な…はぁ!?」
目前でユエを見失った男が、きょろきょろと辺りを見回す。思わず、路地の横を確認したが、狭い路地には隠れる場所もなければ、横に逃げれるような脇道もない。
「馬鹿、後ろだ!」
ユエの後ろを固めていた男が、声をあげる。間抜けにも辺りを見回していた男は、まさかと思いつつも後ろを見る、すると、そこにはさっきまで眼の前にいたはずのユエが颯爽と歩きさろうとしていた。
「ま、待て待て! 待ちやがれ!」
男を華麗に無視してのけたユエは、ろくな反応をみせず、そのまま路地の奥へとすすみ、やがてその姿は掻き消えた。
「まったく、探したわ」
それからユエは、路地を歩き回り、裏街と言われる一角で、目当ての人物を見つけた。
「おや。さすが姐さんだ。隠れてるあっしを見つけちまいますか。しかしおかしいですねぃ。あっしは姐さんに挨拶するために、言伝を出したんですがねぃ」
そういって、けひひ、と耳に触る笑い声をあげたのは、ネズミ、と呼ばれる男だった。情報を求め、街中をこそこそと嗅ぎ回るネズミ。それがこの男であり、ユエの顔見知りだった。
「あら、挨拶とは殊勝なことね。それと、残念だけど言伝なんてもらってないわ」
「おや。それはなんとも妙な……」
ネズミがそこまで言いかけたところで、ばたばたと人が駆けてくる気配があり、2人は会話を止める。
「すいやせん。ネズミさん。例の人に言伝できませんで……て、あぁ!?」
駆け寄ってきた男はユエの姿を見て驚く。人の顔を見て驚きの声をあげたユエが、少し眉を潜める。
初対面のくせに失礼な奴ね──ユエはさっき歯牙にもかけなかった相手の顔を、すでに覚えていなかった。
「お客人に失礼ですよ。……姐さん、すみませんねぇ。うちの若いもんが」
「ま、いいわ。ギルドといい、あなたといい、若い世代の育成がなってないんじゃない?」
ユエはふと、ギルドでのやり取りを思い出す。ユエの世代であれば、もっと骨のある奴が多かったように思う。これは、先達がしっかりと後輩育成をできていないからではないか……そういう意図を込めて、少し睨む。睨まれたネズミは、居心地悪そうに身体を揺すった。
「ははは。手厳しですなぁ。そういう姐さんの弟子は、なかなか良く育っているご様子のようで」
ネズミはユエの弟子であるトウヤにあったことはない。どころか、ユエは彼の前で弟子を育てている、という事を一言も漏らした事はなかったが、そう指摘される。ユエは特に驚きはせず、当たり前の事のように流した。ネズミは、そういう男だ。この街をこそこそと駆けずり回り、ドブを漁るネズミのように、情報を漁り、それを武器としている。
「ええ。当たり前でしょう。あれには私の持ちうる技術の全てを叩き込んだわ」
普通なら、そう言った情報は脅しとして使う事もできるだろう。だが、ユエは自分が育てた弟子であるトウヤに、自信があった。己の代わりができる、そう断言出来るほどには。
「ほぉ……」
ネズミが、ユエの顔を見て、興味深そうに眼を細めた。
「そろそろ一人立ちして欲しいとは思うけど」
ユエはそこまで口にして、苦虫を噛み潰したような顔をした。久しぶりに人と会話したことで、少々舌の滑りが良くなっていたようだ。ネズミの前で、そんな失態をするとは。ユエは人の事を言えないじゃない、と反省しながら、本題を切り出す。
「……まぁ、その話は良いわね、別に。それよりも、調べて欲しい事があるの」
「と、言いますと?」
半ば解っているのだろう。ネズミが確認を含めて、ユエに問いかける。
「ワイバーンについて。もう調べているんでしょう?」
声のトーンを落とし、そう問いかける。ネズミの表情が、ほんの僅かだが動く。
「もうその情報をお持ちで? かなり厳重に統制してるんですがねぇ」
やはり、情報を握っていたらしい。ギルドに話が言っている割には、街で変わった事はない。これは、ギルドや貴族達が関与して情報規制していると睨んでいたユエは、その確証を得られた。
「ギルドから依頼があったのよ。討伐してくれって」
「おやおや。SSランクの姐さんに依頼しちまうたぁ、ずいぶん切羽詰っているんですねぇ」
ギルドが切羽詰っている──それは、街が滅ぶか滅ばないか、という瀬戸際の事態であるが、ネズミは焦る様子を見せず、のんびりとそう返す。むしろ、この会話を楽しむような余裕さえ見て取れた。
「もちろん断ったわ。街を離れる方が早いし。まぁ、もの好きな弟子が張り切って討伐するらしいけど」
「ほぉ……ワイバーンの群れは15匹の成体を確認できるそうですが、歯牙にもかけませんか。お弟子さんは」
「鍛え方が違うわ」
端的に、事実を述べる。まさに鍛え方が違う。本来、冒険者であれば、命と生活を天秤にかけるために、疲れを翌日に残さないように訓練する。騎士ならば、もっと悠長だ。数日集中的に特訓して、休む。特訓も連携が主だし、個人の資質はそこまで考慮しない。
だが、ユエに鍛えられるトウヤは違う。生きるために武術を、技を磨くのではなく、武術を極めるために生活している。そもそもの根本からしてモノが違った。武術を極めるためには、命すら考慮されない。そんな世界にいるのだ。
トウヤはその狭い門を潜り、生き延びている。生き延びなければならない理由があった。ワイバーンが10や20いたところで、どうとでもなる。
「なら、街は安泰ですかねぇ?」
「そう言い切れるのかしら?」
「……難しいでしょうねぇ」
ユエの懸念が、確信に変わる。正確な情報を求めて、ユエはネズミに詰め寄る。
「その情報、買うわ」
「姐さんと言えど、そいつはできませんねぇ」
絶対的強者であるユエに対し、ネズミは、ユエの鋭い眼光を正面から受けそう言った。
◇◆◇◆
とある屋敷の一室で、
「くそくそくそっ! 何故こんな事になっておる!」
その男は、醜い悪態を付きながら、弛んだ腹を震わせて、足を振り上げ、路傍の石を思い切りけりつけるように、足元に倒れるメイドを蹴りつけた。
「うっ──げほげほっ……! お、お許しくださ」
咳き込むメイドに、男は汚泥を見るような視線を向けると、メイドが謝罪を口に仕切る前にまた蹴りつける。
「──ぁぐ!」
悲鳴を上げるメイドを見下ろしながら、男は血走った眼で喚き散らした。
「誰が喋って言いといった! 貴様は黙って殴られていれば良いのだ!」
男──ルーカス・シーオドアは苛立っていた。彼はこの街を管理している貴族であり、ゴロツキばかりがいて不快なこの街はただでさえストレスがたまる。さっさと金をため、王都に行かんと考えていたところに、さらに苛立つ出来事があった。
「何故ドラゴンなどが出てくるのだ!」
ルーカスは苛立ちに任せ、メイドを何度も殴りつける。メイドは最初、懸命に声を抑えていたが、やがて声をあげるだけの体力もなくなり、小さく息を吐くだけになった。
「ちっ……誰かおるか!」
反応の悪くなったメイドを床に投げ出し、ルーカスは入ってきた別のメイドに弱ったメイドを下がらせる。一人誰もいなくなった執務室で、ルーカスは椅子にどかりと沈みこみ、考えをまとめ始める。
まず第一にこの街を脱出することを考えた、が金を積んでも護衛を雇う事ができず、ルーカスはこうしてまだこの屋敷の中にいる。
そもそも、ドラゴン相手ではその下位に当たるワイバーンすら相手にするには不足の冒険者たちや、私兵では心もとないのだ。
「くそっ忌々しい……!」
ワイバーンだけでも脅威だというのに、ワイバーンは、その紅翼竜|≪レッドドラゴン≫に生きる場を奪われ、隣国の境である山脈から追いやられた存在だった。
この街など、一瞬で吹き飛ぶだろう。ドラゴンとはそんな存在だった。当然、金にモノを言わせて情報規制をかけている。混乱が起きれば、暴動を起こす者も出る。それに、ルーカスは最後の手段として、街にいる人間を囮に使うことを考えていた。
幸い、偵察に行かせた冒険者たちによる情報によれば、ドラゴンはワイバーンを狩る遊びに興じているようで、時間をかけながら街の近くまで来ている。
ワイバーンを囮にすれば、まだ限られたとはいえ、時間はあるのだ。ならば、取れる手段を取るべきだと、ルーカスは考えた。
彼は街を守るためではなく、己の身を守るために、王都より1人の冒険者を呼びつける事を決めた。
その冒険者の名はアルフ・ルイス・シーオドア──彼の甥であり、Sランクの冒険者であり「狂剣アルフ」と呼ばれる青年だった。
遅くなってすみません。
スポーツなんかではよく、一日練習をさぼると、カンを取り戻すのに三日はかかるなんていいますが、執筆は数日開けたりすると、書こうとしてた内容を忘れてしまったりするので、三日どころではなさそうです…。