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こばはるを夜に連れ出して

私はそこそこ充実した生活を送っていた。


商社の資源部というお堅い部署にいた私は、頻繁に世界の僻地に出張させられた。現地の人達と友好関係を作って、鉱物相場が上がるや、すぐに掘削の独占契約を結んで採掘を始める魂胆だ。


私が行ったアフリカのそこは、本当に僻地で主要な先進国の商社はまだ立ち入っていなかった。上司はそれを喜んでいた。


しかし現地の連中の思惑は全く違っていた。

彼らは私をほど近い小山に連れて行った。なんでも、ここの土は燃えるらしい。

そんなバカなといぶかる私の前で、土に火をつけた。不思議なことにメラメラと燃えだした。しかしこれでは牛糞と同じだ。とても商品にはならない。

すると英語ができる若者がやってきた。


「牛糞は燃やすのに水分が多いので乾燥させるため数ヶ月かかる。一方この土は掘ってすぐに燃える。」

「ダメ。ダメ。それだけじゃダメだ。」


否定的な私をみて、村長と若者は私を近くの畑に連れていった。


「こっちがこの土の燃えかすだけで育てた畑。小麦だけが育っている。」

「で、こっちが牛糞で育てた畑。いろんな草が生えている。」


確かにその土の燃えかすで育てた畑には小麦しか生えていなくて、雑草の類は一切なかった。一方の牛糞は牛が食べた様々な植物の種子が育ってしまう。

選択性培養土ってまだ実用化されていなかったはずだ。これはお金の臭いがする。


早速村長とかけあった。この土がもし売れた場合、利益は折半にする代わりに採掘権と輸出権を私が独占することを、その場で簡単な契約書に交わした。


私は帰国した。もちろん土の話は上司には黙っていた。


その後、時間をつくっては大学の友人などにこの土の正体を調べてもらった。


所詮土なのでガソリンのように液化するとエネルギー効率は落ちる。燃料としては土のまま使ったほうが得らしい。


しかしもっと興味深かった選択性培養土の件は本当らしい。現地では小麦をみたが、添加物を変えるだけで米、大豆などいくつかの作物に対して選択性を示したそうだ。

友人は特許をとろうと言い出した。そう簡単にこの土の組成を知られては困る。特許の件は断った。


この土を買った顧客は、まず土を燃やしてエネルギーを得て、燃えかすは様々な添加剤を加えて、種々の選択性培養土として販売できるのだ。米だけを育てたければ、米用の選択性培養土を使えばいいのだ。これは画期的な商品だ。選択性培養土は農家や園芸家に飛ぶように売れるだろう。


早速、自分のコネをつかって、この土の正式な輸入を始めた。

現地の村長もお金になると知って、本格的な供給体制を整備した。

私は、当然のことながら、現地に品質検査場を作ってスタッフを育成した。これで万全の体制が整った。


ネットでの販促活動で顧客はどんどん増えていった。国内はもちろん海外からのオファーにも対応した。


なかには私の一社独占を面白くないと思う連中も出てくる。当然仕入れ値の交渉をしてくる。しかし、私が最初に決めた折半をこえる条件を出す勇気のある商社はいなかった。「金をとるな人をとれ」、これがこの商社で私が学んだことだ。


当然この規模の事業を商社に勤めながら自分で行うのは不可能だ。

実務はすべて家内に任せた。家内は専業主婦だったので半ば強制的にこの事業に参加させた。

家内は以前キャビンアテンダントをやっていた関係で英語とフランス語に長けている。話す程度ならスペイン語も理解できる。つまり昔の植民地の多くをカバー出来るのだ。自分のところにも土があるなどといった虚言にも対応できる。

まぁキャビンアテンダントと親しくできるのは商社マンの特権でもあるのだが。


事業は順調だったので、私の収入も増えた。

これだけの収入があるのに、なぜ私は商社を辞めないのか。

商社にいればこそ入ってくる情報がある。

もちろん商社は右の物を左に持って行って儲ける商売だ。

しかしそのためにどれだけの情報収集をしていることか。

右の物を欲しくない人に持っていってもお金にはならない。自分では気づいていないけど、あなたは右の物が欲しいはずですと提案して初めて契約をもらえる。この気づいていない人をその気にさせるのが大変なのだ。

そんなアンテナを張るために私は商社にいる。


家内が稼いでくれるので、私はサラリーマンにしては法外な小遣いをもらっている。自分の額面給与の10倍は超えている。まぁ、ざっと月に1000万円はもらっている。それだけ会社が順調だということと、利益を私への給与にして節税対策としている意味合いもある。


私はお堅い資源部にいるが、同じフロアに芸能部がある。時々名の知れた有名人も来る。私は親友に頼んで極力紹介してもらっている。

芸能人に紹介してもらうと言っても、その場かぎりの会釈で終わるのが普通だ。握手をしてくれることすらほとんどない。当然と言えばそれまでだが。


ところが、ある日、ABC36 の小鳩陽花こばはるがやってきた。私は大ファンだ。ピンの仕事のようだ。私は付き人に驚いた。小金持ちが集まっては何が面白い遊びはないか考える結社の仕切り役がこばはるの一行を従えていた。あいつはこのアテンダントの仕事をいくらで手に入れたのだろう。さらに驚いたのはショート丈の白衣の女医だ。彼女とこばはるの接点はどこにあるのだ。なんで彼女がこばはるについてくるのだ。


仕切り役の彼は短い時間で、事のいきさつを説明してくれた。


彼は昔大手芸能プロダクションのやり手マネージャーだったそうだ。こばはるのマネージャーが過労で倒れて、代わりのマネージャーの手配がなかなかつかなかった時に、彼が売り込みにきたらしい。こばはる側としても、彼なら、と信用してスポットで依頼したというわけだ。


じゃああの女医は。

マネージャーが倒れるほどの過密スケジュールが続いているこばはるだ。万が一倒れようものなら経済的損失も大きい。ともかくこばはるが元気でいれるように女医を雇った。


私が本当に聞きたかったのは、なんで彼女を、ということだったのだが、ぐっと抑えて彼の説明で納得した。


私は、今日の仕事終わりは東京なのか、次の仕事に前のりするのか尋ねた。

彼は、こばはるを少しでも休ませたいので前のりだと教えてくれた。今日はクライアントに無理を言って18時位には仕事がはねるそうだ。移動で20時。宿泊するホテルも聞いた。


ここからが私の腕の見せ所だ。私も明日の出張を勝手に前のりすることにした。ちょっと、いやかなり遠回りだがこばはるが泊まる街に行くことにした。

こばはるのホテルから徒歩なら3分以内、タクシーならワンメーター以内の近場で、自由がきいてのんびり出来る夕食処をさがすのだ。

今まで散々遊んできたので、さっと数軒は頭に浮かんだ。しかしこばはるが疲れて寝てしまうかも知れない。結局、寝屋にも使える小部屋のついた割烹の座敷に予約をいれた。客が芸能人であることも伝えたのでよしなに計らってくれるだろう。

彼にはこの店を予約したことをメールで伝えた。彼もよく知っている店だった。問題は何人になるかだ。メイク、ヘアメイク、スタイリスト、ともかく芸能人は大所帯になるものだ。彼からは3人でいいという。疲れ切ったこばはるへの配慮だった。


20時半を回った頃、こばはるの一行は割烹料理屋に現れた。こばはるは力のない笑みで私に会釈してくれた。本当に疲れているのだ。

割烹の例を無視してどんどん料理を出してもらった。こばはるも少しは箸をつけていた。

しかし余程疲れていたのだろう。こばはるは途中で隣の小部屋で横になった。すぐに例の女医が様子を見に行った。

私は彼の前ではこの女医とは面識がないように振る舞った。しかし私が目で合図をすると彼女は笑って返した。


食事も終わったので、眠り込んだこばはるを私が抱えて、歩いてすぐのホテルに向かった。ホテルのロビーであとは女医に任せた。

彼は私に感謝していた。店の選択は正しかった。

私は、こばはるを背負った感触を味わいつつ、自分のホテルに向かった。本当は同じホテルに泊まりたかったが、会社の規定の宿泊費を超えてしまう。追い金をすると経理処理が面倒だというので、渋々別のホテルをとった。


後日、家内に、接待で例の割烹料理店を使ったこと、仕事の性質上、私のおごりになったので、請求書が来る旨を伝えた。家内は「あ、そう」と言うだけだった。

疲れ切ったこばはるを背負ったくらい、家内にわざわざ言うほどのことでもない。


その後も家内の事業は順調だった。

私は査定が悪くなるのを無視して社内のいろいろな部署に顔を出しては様々な情報を収集した。

そんななかで、フェラーリが1台余っているとの情報があった。インポーターのちょっとした手違いらしい。お客さんに安く売れば信用問題になる。流通の途中でさばいて欲しいとのことだ。458スパイダーの白。内装が赤。典型的な色だ。私は喉から手が出るほど欲しかった。我慢できずに社内のコネを使って、匿名で買うことにした。しかしコネとはいい加減なもので、翌日には私が買うことがばれた。

それからというもの、会社での風当たりが強くなった。

それに私と家内の事業も露呈しつつあった。現地への出張を命じたのは会社なので、当然権利はあるはず・・・など面倒な話が出てきた。


フェラーリの納車の日を待って私は商社を辞めた。しばらくは家内の手伝いでもしようと思った。


ちょうど同じ頃、こばはるの件で一緒だった親友はなんとランボルギーニを買っていた。結社のメンバーには彼も私も馬鹿呼ばわりされた。当然だろう。


しばらくは平和な日が続いた。燃える土の事業も軌道に乗っていた。


そんな矢先、彼から「楽しい遊びを考えたんだけど」との連絡があった。こんな言い方をするときはろくでもない話を持ちかける時だ。

話は唐突だった。「こばはるの後援会長と副会長にならないか」っていう誘いだった。


ABC36 は急成長したあまり一般的な芸能界のシステムに乗っていないところが多い。

リスク分散のためメンバーが多くのプロダクションに散らばっているのはいい。問題はその後の処遇だ。まともに芸能人扱いされているメンバーは極一部だ。もちろん古い芸能界のしきたりを全面肯定するわけではないが、守った方が楽な場合も多い。

そんななかで金銭的に重要なのは後援会だ。ABC36の頃はABC36 として集金できた。しかし、これだけピンの仕事が多く、そろそろ ABC36 卒業では、と噂されるこばはるにはしっかりした後援会が必要だ。今も後援会らしき存在はあるみたいだが、学生に毛が生えたような連中で月に百万円程度の金しか動かせないらしい。


そこに無類のこばはる好きの彼と私が乗り込もうと言うのだ。

問題はいくら出せるか。半端な額では門前払いだ。

私が「月に1千万」と言った。精一杯の金額だった。

彼は、事も無げに「2千万」と言った。私の完敗だった。


「後出しじゃんけんで悪かったな、君が言う額の2倍を言おうと決めていたんだ。しかし高くついたよ。」


月に3千万あれば余程のことがない限り足りないことはないだろう。


我々ふたりはこばはるのマネージャーに会いに行った。金額が大きいので会社の専務も同席していた。

我々から3千万の金額を提示した。当然すぐに快諾されると思ったが先方の様子がおかしい。

おもむろにマネージャーが聞いてきた。


「小鳩陽花の体目当てじゃないですよね。」


我々は完全否定した。少なくとも現時点では。先のことなんで誰にもわかりはしない。

否定を聞いて、我々を公式の後援会に認めてもらえることになった。

出資額から彼が会長で、私が副会長だ。

プロダクション近くのビルの一室を借りて「小鳩陽花後援会」の看板を掲げた。事務の女の子をひとり雇った。元キャバ嬢だがその前は商社に勤めていた良識のあるしっかりした子だ。


ここまで黙って事を進めていたので、家内に報告した。


「随分入れ込んでいるじゃない。やけどしないようにね。」


寛大な家内に感謝するほかはない。


後援会とは結局は財布に過ぎない。

こばはるがプロダクションからはビジネスクラスのチケットをもらった便をファーストクラスに変えたり、スタッフをビジネスクラスにしたり。こばはるを疲れさせないのは当然として、スタッフにも手厚くする。単にこばはるの評判をあげるだけではない。スタッフの中には将来の大物がいる可能性がある。今のうちに恩を売るのは得策だ。


ある日、ふらりとこばはるがひとりで後援会事務所にやってきた。日頃の感謝の気持ちを伝えたいらしい。

私も彼も世間一般の挨拶しか出来ない。どうしても話題は好きなクルマの話になる。


「イタリアのランボルギーニっていう車知ってる?」

「ごめんなさい、知らないです」。

「だよね。じゃあフェラーリは?」

「知ってます。高いんでしょ。」

「乗ってみたくない?」

「そりゃ乗りたいですけど事務所がうるさいから。」

「そこをなんとかしないとね。マネージャーを落とせばいいわけだ。」


しばらく世間話をして、最後に後援会への謝辞を述べてこばはるは去っていった。


「いいね、こばはる。」

「ああ。」

「いいよなぁ、こばはる。」

「ああ。」

「惚れ直すよな、こばはる。」

「そうだね。」

「なんとかしたいな、こばはる。」

「できればな。」


やばい、彼は本気でなんとかする気だ。その前に動く必要がある。でも正攻法ではうまくいかないだろう。やはり奇襲作戦しかない。

ラッキーなことにこばはるの住んでいるマンションには地下駐車場がある。後援会だからこばはるのスケジュールは完璧に把握している。


その日は早めの22時の帰宅予定だった。私はパパラッチされないように1時間ほど前にフェラーリで地下駐車場に入ってこばはるを待った。

22時15分頃にマネージャーが運転するワンボックスがやって来た。彼はこばはるがエレベーターに乗り込むまで見送るのが癖だ。今晩もこばはるがひとりでエレベーターに乗るのを見届けて、車を出した。

私はすぐにこばはるに電話した。


「駐車場で見せたいものがあるんだけど、降りてきてくれないかなぁ。」

「えっ、なんですか。」

「いいから。」

「わかりました。」


やった、奇襲作戦その1成功。


「こっち、こっち、ほら、これがフェラーリ。」

「へぇー、屋根が開くんですね。赤の内装もきれい。」

「ちょっと乗ってみない。」

「あぶない運転しないですか。」

「しない、しない、いつも安全運転。」

「じゃあちょっとだけ。」


奇襲作戦その2成功。


パパラッチが心配なので、助手席のこばはるには毛布をかぶってもらった。これだと例え写真を撮られても写真に価値がない。


さて、こばはるのマンションを出て一番近いランプから首都高に入った。

首都高ではフェラーリサウンド全開で走った。

こばはるはオープンカーの風を楽しんでいるようだった。芸能人に日焼けは厳禁だからオープンカーに乗るには夜しかない。これも私なりの計算だ。

私はこばはるとドライブができるだけで幸せだった。


しかし、例の右コーナーが近づいてきた。ついドリフトさせてしまう。電子制御のおかげでリヤのスリップはすぐに収まり、車線を逸脱することはない。


「なに」。

「いや、ちょっとフェラーリらしい運転をしただけ。」


しばらく走ると短いトンネルがある。私はアクセルに力を入れた。フェラーリサウンドがオープンカーの耳をつんざく。


「すごいのね。」

「イタリアンサウンドだよ。ほかの国の車にはマネできないんだ。」


いつの間にかタメ口になっていた。


そうこうしていると、今度は例の左コーナーがやってきた。同じようにドリフトさせるが、なぜか車の動きがぎくしゃくしている。


「さっきと違うけど、運転下手になったの。」

「運転はもともとあまり上手じゃないけど、これは車の制御が悪いんだと思うよ。今度修理させようと思ってるんだ。」


そろそろ渋滞エリアに入ってきた。携帯の写メでも怖いのでフェラーリのルーフを閉じた。

いい時間になった。こばはるの明日の仕事も早いのでそろそろドライブもお開きにすることにした。

こばはるのマンションの地下駐車場で別れる際にこばはるが言った。


「あなたたちふたり一緒ね。」

「えつ。」

「おととい、同じ手口で会長さんがランボルギーニに乗せてくれたわ。」

「そ、そう。」

「じゃあ、おやすみなさい。今日は楽しかったわ。」


あのイカ野郎。先を越しやがって。

名は体を表すで、私はタコ助と呼ばれている。いろんな女に手を出すかららしい。

そして私のフェラーリは2駆だが彼のランボルギーニは4駆だから足が2本多いイカ野郎が彼の呼び名だ。



その後、私の小遣いがまたちょっと上がった。今から思えばこれがピークだった。


私は商社を辞めているので、家内の事業を手伝うか、後援会副会長としてこばはるの近くにいるかのどちらかだった。


一方、例の女医も来たり来なかったりだった。クリニックを経営していて、休みの日と自分が抜けてもいい日にこばはるを診ているそうだ。

私は彼女のことを多少、いやもっと知っていた。


仕事が早くはねた夜、プロダクションの一室にみんながいた。

その頃には後援会会長と私がこばはるを夜のドライブに連れ出すのは半ば公認となっていた。


「フェラーリのオープンに乗りたい。」

「今、乗れないんだ。」

「なんで。」

「右と左でドリフトの感覚が違っただろ。あれを治すのに手間がかかってね。」

「でも乗れるんでしょ。」

「今後ろの車輪の周りを全部バラしているから走れないんだ。」

「なんだ、つまんない。」

「僕のランボルギーニじゃダメかな。」

「私はオープンに乗りたかったの。」


ここで所用でマネージャーが席を外した。


「こばはるに、いや小鳩陽花さんに頼みがあるんだけど。」


私が話を切り出した。


「私と付き合ってくれないかな。」

「付き合うって歳離れすぎでしょ。」と呆れていた。

「だからその愛人というか。○○は自由にしてくれていいんだ。」


それまで黙って話しを聞いていた女医が発言した。


「ダメよ。愛人なんか池の鯉なんだから。いつもは自由でも手を叩かれたら一目散でご主人のところに行かなきゃ捨てられるのよ。」


彼女がこう言うには理由がある。彼女は学生の頃ある男性の愛人だった。その男性は私の同級生の医学部の准教授だった。確か2年ほど関係が続いたはずだ。その後、彼が教授昇格である地方都市に赴任した時点で関係も自然消滅している。だから愛人の気持ちは人一倍わかるのだ。


こばはるが答えに窮していると、私の携帯が鳴った。こばはるや遊び関係ではなく、事業用の携帯だった。すぐに廊下に出て電話を受けた。家内からだった。


「ちょっと問題が起こっているの。すぐに帰って来れるかしら。」


放任主義の家内がこんな電話をかけてくるとはただごとではない。

こばはるには、


「私は真剣だからよく考えてね。」


と言い残して自宅を目指した。


自宅の一室を改装した事務所では家内が暗い顔をしていた。

私は物流の一部を担当しているだけで、他の事業のすべてを家内に任せていたので、私には話さなかったが、最近、不良率が多いそうだ。土に火がつかないというのだ。土が燃えないと選択性培養土も作れない。ネット動画やビデオで現象が確認できたら返金に応じている。その返金額がついに収入を超えたのだ。

こばはるを口説いている場合なんかじゃなかったのだ。


元商社マンの勘を働かせてすぐに私は現地に飛んだ。


当時あれほど意気投合した村長がよそよそしい。

問題が起こったのは村の財政だった。急に現金収入が入ったものだから、村民の生活水準は向上した。しかし収入の増加以上の贅沢をするようになった。村も箱物を建てた。すべて村の銀行、ひいては国の銀行からの借り入れだった。国も燃える土の話を知っていたのでこの村には湯水のように融資した。

そして融資の返済が始まった。今までより稼ぐ必要が生じた。今までは粗悪と判断していた土も商品に混入されるようになった。


さらに拍車をかけたのが、資源の枯渇問題だ。資源自体はもっとあるようだが、安い採掘方法で入手できる土の量に限界がみえてきた。村には新しい採掘機を導入する資金はなかった。この採掘量の低下を隠蔽するためにも粗悪な土でのかさ増しが日常化していた。


私が採掘場横に作った品質検査場は、立ち上げ時には日本人スタッフを呼んで計測器の使い方などを現地の若者に指導し、そして軌道に乗った時点で運営を現地スタッフに任せた。

この状態で数年間はうまくいった。

しかし、品質検査場も現地スタッフの運営なので今回は村の利益優先に協力していた。


私は「もう閉じるしかない」と判断して日本に帰った。


私が持っている採掘権と輸出権の買い取り手がないか、主要な商社をあたったが、どこも実情に気づいているようで、買い手はつかなかった。


もう収入は入ってこない。クレーム費が出て行くだけだ。

いい時もあれば悪い時もある。これが人生だ。


事業のすべてを無理矢理強制的に任した家内にすまない気持ちでいっぱいだった。


私の家内は、一貫校の女子校でそのまま女子大に行って、なんとなくお友達になった牧師さんと話しているうちにネーティブに近い英語を学んで、専門のフランス語を普通に勉強していたら航空会社に合格して国際線専門のキャビンアテンダントになったという、幸せ

を絵で描いたような人だ。


一方の私は地方の三流大学出身のたたき上げだ。勤めていた商社には一発芸で受かったと今でも思っている。入社してからも、旧帝大の連中はニューヨークだロンドンだパリだと世界を動かしている都市への赴任や出張が待っている。それに引き替え、私はアフリカ専門だ。おかげて部族の挨拶のしかたには詳しくなった。


こんな二人に接点などない。そう、なかったはずなのだ。


最初に彼女と会ったのは、私が滅多にないパリ出張の時だ。

スープのサービス中に機体がかなり揺れた。スープを床に落としたキャビンアテンダントがほとんどだった。ところが彼女はスープを落とさなかった。ただ、自分ごと私の膝の上に尻もちをついた。


「も、申し訳ございません。」

「いいですよ。それより怪我はなかったですか。」

「はい、ありがとうございます。本当に申し訳ございませんでした。」


デザートのサーブの時にプレートの下に紙折りが。無礼を謝る文と名前が書いてあった。

こんな珍しいこともあるものだと、そのメモ書きを名刺入れにいれた。


その後はいつものアフリカ出張の連続だ。もう彼女のことは忘れかけていた。

アフリカはその国々の航空会社が飛行機を飛ばすことが多い。日本の航空会社は不定期便しかなく使いにくかった。しかし今回はいつもの航空会社がストなので、ちょっと日にちはずれるが日本の航空会社を使うことにした。

アフリカ上空でそろそろ着陸かという頃になって後ろが騒がしい。見ると例の尻もちの子だ。早速駆けつけると、アフリカ男性が竹製のナイフで彼女を威嚇している。彼女の英語、フランス語、スペイン語では全く通じないようだ。

私は分けて入って、男の言い分を聞いた。これでも耳学問で多少はアフリカの言葉がわかる。

どうも「自分の家はここだからここで下ろせ」といっているみたいだった。私は尻もちの彼女に確認した。


「この町から空港って確か無料の連絡バスが出てますよね。」

「はい、1日2便ですが、出ています。」


私は彼に「ただでバスにのれる、半日待つだけでいい」と伝えた。彼は私と尻もちの子に握手をして席に座った。


私は前方の席に戻った。後を追うように尻もちの子がお礼を言いに来た。

彼女は私に気づかなかった。そこで私は名刺入れから例のメモを渡した。彼女は満面の笑みで私を見てくれた。そしてそのメモの裏に携帯の番号を書いて私に返してくれた。


その後はおきまりのパターンだ。彼女がフライトから帰ってくるたびに会って、私は商社で仕入れたネタで笑わせる。

そして私と彼女は結婚した。


こんな順風満帆で何の苦労も知らないお嬢様が、これからやってくる借金生活に耐えられるだろうか。こうしている今もクレーム費による借金は増えている。

もちろん、真っ先にフェラーリを売却した。最も売り上げが良かった頃に買ったペントハウス付きのマンションも売った。ニューヨークのコンドミニアムも売却した。それでも支払いには全然足りなかった。


私は3畳一間でもいいが、家内をそんな目にあわせるわけにはいかない。男としての最後の意地だ。


もう一度この土にかけてみよう、そう思った。今の自分にはそれしか残されていなかった。幸いにも手元に純度の高い土が数キロある。これを様々な視点で検査実験してみよう。

そこでいろいろな研究所に依頼して試行錯誤したが、残念ながらいい成果は生まれなかった。土もあとわずかだ。


「今日の夕食、レトルトでいいわよね。」

「もちろん、君が作ってくれるものならなんでもいいよ。」


「レトルトって沸かしたお湯が必要だよな。」

「あの土で水が沸かせないかな。」

「水の中じゃ火が消えちゃうでしょ。」


早速やってみた。なんと水中でも火が消えない。無酸素燃焼をしているんだ。でも、だからって商品にはならない。酸素を供給すればエチレン溶接のような強力な火が作れるのだから。

そう諦めつつ、燃えかすとなった土を水槽から取り出して驚いた。異様に堅いのだ。試しに道路のアスファルトに投げつけてみた。道路にキズがついただけだった。

空気中で燃やすと燃えかすは植物の培養土になる。さらさらの土だ。

ところが水中で燃やすと燃えかすはカチカチに硬化する。


水中硬化の現象の調査を研究所に依頼した。

水中での燃焼時に土の酸素が完全に失われ、その間隙に水が入り、その水の酸素も燃焼で失われ、結局水素だけになり周りの物質と結合するらしい。硬度は鉄と同等で真水でも海水でも変わらないそうだ。水中での発熱量は微々たるものらしい。


ここまでわかって、商品に結びつかないなんて。何年商社マンをやってきたんだ。

イライラを鎮めるために研究所の裏の海を眺めた。

ちょうど護岸工事をしていた。大量のセメントが海中に消えていった。


あのセメントって海中で固まるんだよな。まてよ、この土だって海中で鉄になるぞ。

固まらないうちに使わなければならないセメントより、土の方が使いやすい。

水中で形状をしっかり作り込んでから火を付ければ、きれいな鉄の壁が出来る。

お金の臭いがするぞ。


早速家内にこのアイディアを報告した。


「あなたの思うようにやればいいわ。私はついて行くだけだから。」


今回は前の失敗の轍は踏まない。


まず辞めた商社の部長に連絡した。「また目先だけの儲け話か」となかなか聞き入れてくれなかったが、順を追って説明して納得してくれた。私にチャンスを与えてくれた。

商社の関係者の前でデモンストレーションの実験を行った。出席者の感触は上々だった。


次のステップはパイロット試験だ。この商社が請け負っている工事の中でこの工法を試行させてもらうのだ。事業主からすれば大きなリスクになるので商社側は工事費の値引きを条件にすることになる。とても私ひとりでは出来ないステップだ。


東京の近郊でほどよい規模の護岸工事を任せてもらえることになった。

私は事前に現地の村長に連絡をとって「これがあなたの村にとっても最後のチャンスだから良質の土を50トン必ず納期までに送ること」と約束させた。いい土が間に合わなければこの話も水泡と消える。


村長も村の財政を立て直す使命がある。それになによりあの日本の商社マンを裏切った負い目があった。全力で良質の土を集めた。


いよいよパイロット試験の当日だ。50トンの土は間に合った。ひとかけらを手にして火をつけるとメラメラと燃えた。品質は問題ない。


約40トンの土が海中に投入された。その後成形プレス機が土を叩いて一枚の壁を作る。


「セメントみたいに時間に追われないので楽だね。」

「時間かけていいから良い形状の壁が出来るよ。」


作業員からのコメントはいい感触だ。


いよいよ着火の時間だ。部長は着火スイッチを私に押させてくれた。

着火すると水中で無酸素燃焼の連鎖が起こる。微量ながら全体から泡が出た。


数時間後、商社が用意した数名のダイバーが潜った。硬度計を持って。

壁に亀裂や隙間はなく、どの箇所でも鉄なみの硬度だった。

実験は成功だった。


部長が言った。


「今度こそ本物だな。」

「はい、とっても嬉しいです。」

「世界の建築学会を大きく変える発明だな。」

「そんなのはもういいですよ。」

「それよりお願いがあります。可能なら私をもう一度雇って欲しいのですが。」

「おいおい、重役待遇でご帰還か。」

「いえ、昔どおりのアフリカ担当でいいんです。」


そう言い残して私は部長と別れた。


数日後、会社から封書がきた。


「アフリカ支局付 嘱託勤務を命ず」


部長、わかっていたんだ。私の気持ちが。


「勤務先が決まったぞ。あの土が出る鉱山だ。」

「そう、よかったわね。」

「しばらく会えなくなるぞ。」

「どうかしら。」

「えっ。」

「私も行こうかな。」

「おい、馬鹿言うんじゃない。アフリカの中でも僻地だぞ。」

「そもそもアフリカにすら行ったことないだろ。」

「あるわよ、竹ナイフの男。あなたが救ってくれたでしょ。」

「だって、ミッドタウンも表参道ヒルズもヒカリエもないんだぞ。」

「あったら幸せなわけ。私はあなたのそばにいるほうが幸せだわ。」


結局、ふたりで例の村に赴任した。


私は、形骸化した品質検査システムの再構築と、効率的な掘削と搬出の仕組み作りに着手した。村長以下全員が協力的だった。埋蔵量に関しては、調査の結果、今の工法でも当面は問題ないことがわかった。


一方、家内は炊き出しを手伝いながら現地の料理を覚えていた。天性の語学力でこの部族の言葉も短期間でマスターした。

「ここに来れば何か食べられる」と噂を聞きつけて多くの孤児が来るようになった。家内はひとりひとりの孤児の生い立ちを聞きながら暖かい食事を出していた。


私は鉱山の仕事で忙しいので、近くの町までの買い出しは家内の仕事だ。

町には一軒レンタルDVDショップがある。古いものなら時々日本のDVDもある。


夕食の時、


「そうそう、今日ね懐かしいDVDがあったから借りてきたわ。

あなた、ファンのはずよ。」


「えっ。」


DVDは何年か前のABC36のコンサートのものだった。

小鳩陽花こばはるがアップで映っていた。


「ちょうどこの頃だな。」

「なにが。」

「幸せが遠くにしか見えなかったのは。」



私は、地に足をつけて家内とふたりで歩く、今の幸せをかみしめた。




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