7・決闘と動揺と
前話よりもさらに短めです。
「あの人魚を呼べ」
そう言ってキノトが押し掛けてきたのは、シーナと喧嘩をして別れた翌朝のことだ。シーナは何となく気まずかったが、キノトは昨日のことなど最早覚えていないような様子だった。随分と早い時間だったのでゼオはまだ起きてきていないと告げると、それでもどうしても連れて来いと頑として譲らないので、シーナはゼオの部屋に行くことをしぶしぶ承諾して、彼の部屋に向かった。
「ゼオ、起きてる?」
「起きてるよ、どうぞ」
返答があったので、シーナはほっとしてドアを開ける。と、目に飛び込んできたのは上半身裸のゼオだった。
「きゃー!!!」
思わず悲鳴を上げてドアを勢いよく閉める。バクバクと脈打つ心臓を押さえてドアの前で固まっていると、しばらくしてくすくすと笑いながらゼオがドアを開けた。
「ごめんごめん、着替え中だったんだ」
「そっそれならそうと言ってよもう……」
シーナとしては朝っぱらから一日中の脈拍を使い果たしたような気分だ。何度見てもゼオの半裸は心臓に悪い。
「何度見てもシーナは慣れないんだね」
言われ、カッと顔が赤くなる。視線をそらしつつモゴモゴと口を動かしていると、自分のすぐ近くにゼオの気配を感じた。驚いて横を見ると、近距離にゼオの整った顔がある。
「可愛いなあ」
今度こそシーナは固まった。相変わらずくすくすと笑いつつゼオが用件を聞いてきたので、キノトが外で待っている旨を伝えると、彼はシーナの頭をポンポンと叩いて階下へと降りていく。数秒後、はっと我に返ったシーナはまだ赤いであろう頬をパンと叩いて、彼の後に続いた。
玄関でどうにかゼオに追いついて、彼と一緒にドアをくぐると、険しい顔をしたキノトが仁王立ちをして待っていた。
「こんな早くに何の用だい?」
ゼオが尋ねると、キノトはすっと右手を上げ、びしっと効果音が付きそうなくらいの勢いでゼオを指差した。
「人魚、お前に決闘を申し込む」
「はい?」
「俺が勝ったら海に帰れ。そして2度とシーナに近づくな。俺が負けたらもちろんお前の要求は何でものんでやる」
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
一方的に話を進めるキノトを止めたのはシーナである。
「キノトってば何言ってるの? 決闘だなんて軽々しく言うことじゃない!」
「そんなこと分かってる」
それでも申し込む、とキノトは言う。
ストライズにおいて、決闘とは神聖なものである。正式に申し込む場合は役所に申し出なければならないし、その決闘において負けた者は勝者の要求を絶対にのまなければならないことに加え、何らかの制裁も加わってくる。その制裁も重いものから軽いものまで様々である。
ゼオがそんな仕組みを知るはずもない。軽い気持ちで受けてしまう前に何としてでも止めなければと、シーナは必至だった。しかし心配するまでもなく、ゼオからでたのはさらりとした拒否の言葉だった。
「断る」
「……んだよ、怖気づいたってのか?」
キノトの挑発の言葉にも乗らず、ゼオはシーナに向かってふわりと微笑みかけた後、キノトに向き直った。
「この国の決闘の制度は知らないけど、どっちが勝っても負けてもシーナは喜ばないだろう。僕は彼女の望まないことはしない」
そう言いきったゼオの凛とした横顔に、シーナは胸が大きく脈打った。
キノトは唇を噛みしめてゼオを睨みつける。やがて意を決したようにぐっと体に力を込め、シーナに向き直った。
「……それなら、シーナ、お前に話がある」
「あ、あたし?」
「明日、カグの後刻にいつもの浜辺にこい。絶対だ」
「えっ……う、うん……」
突然の言葉にシーナは戸惑ったが、キノトはそれだけ言うとくるりと踵を返した。すたすたと遠ざかる背中をぽかんと見つめる。改まって話とは、一体何のことだろうか。
少し不安に感じつつも、2人が決闘をしなくて良くなったのならばそれでいいやと、シーナは思うことにした。
* * *
夕方、庭の花に水をやりながらシーナはぼんやりと朝のことを思い返していた。
(ゼオ、かっこよかったなぁ……)
『彼女の望まないことはしない』
そう言った時のゼオを思い出すと、シーナの胸は今でも高鳴る。朝からゼオのことばかり考えてるなあ、と考え、ふと思いついた。
ゼオのことばかり考えているのは、何も今日だけのことではない。彼と出会ってから、シーナの頭の中はほとんどゼオのことでいっぱいだった。ゼオのことばかり考え、ゼオを意識しっぱなしの自分がいる。
(あ、あれ……あれれ……)
そんな自分を認識した途端、急に恥ずかしくなってきた。かあっと頬に熱がのぼる。
(もしかしてあたし、ゼオのこと……)
好き、なのかもしれない。まだ確信はないけれど。
両頬をおさえ、シーナはもじもじと体をよじった。なんだかとても恥ずかしい。この気持ちが恋ならば、これは自分にとっての初恋だ。
ひとしきり身悶えした後、シーナははたと気づく。ゼオの気持はどうだろう。全く分からなかった。
嫌われてはいないと思うけれど、それ以上の気持ちを持ってくれているかは甚だ疑問であった。もし仮に、ゼオが逃げてきた理由が『たった1人の姫君』を探すためだとしたら、とてもじゃないが自分がそんな存在になれるとは思えない。
(もしこれが恋なら、あたしの初恋の行く先は真っ暗?)
想像し、苦しくなった。初恋は実らない、とはどの国の言葉であっただろうか。まさしく自分に当てはまる。
そんなことを考えていると2階で窓が開く音がし、びくりと肩が跳ねた。仰ぎ見ると、窓から顔を出しているのはゼオであった。難しい顔をして手に握った紙を見つめている。
(手紙?)
ゼオが手にしているのはどうもそのように見えた。
声をかけようかと思ったが、深刻な表情で手紙に視線を落としているゼオを見るとどうも声をかけることができず、躊躇している間に彼は大きな溜息をついた。
「……そろそろ、かもな……」
そう呟き、海の方角をじっと見つめた後、ゼオはふいと身を翻して部屋の中に引っ込んだ。窓が閉じられ、シーナからは何も見えなくなる。
彼のその呟きはとても不気味で、シーナにとっては無性に恐ろしい言葉に聞こえた。
カグの後刻は午後6時くらいです。




