6・ラクセウムの塔の姫君と剣の王子
今回は短めです。
シーナ誘拐事件から1日。
いそいそと花瓶の水を変えているゼオを、シーナは呆れたように見つめた。随分ひどい怪我を受けていたはずなのに、ゼオはすっかり完治して動き回っている。曰く、人魚の回復力は人間とは桁違いなのだとか。その日の夜には細かな外傷がほぼ治っていたゼオには驚いたものだ。
気絶した犯人達をきつく縛りあげ、初めに起きた者(額が真っ赤になっていたので、おそらくゼオに頭突きされた男だろう)に問い詰めると、彼らは魔法サーカスの一座だということをあっさりと白状した。人魚という珍しい存在をサーカスに引き入れ、客寄せに使うつもりだったようだ。人魚をいきなり襲うのは危険度が未知だったため、最初にシーナを攫ったらしいが、それがかえって彼らの命取りになったことは言わずもがな。
頼むから警察沙汰は勘弁してくれ、という彼等の要求をゼオはあっさりと飲んだ。その時シーナは憤慨したものだが、よくよく考えてみれば仕方がない。
彼等を警察に突き出したとしたらゼオが人魚ということも言わなければならないし、ただでさえ広がり始めた噂を自ら大々的に広めてしまうという結果になりかねなかった。
突き出さないかわりにと、ゼオが彼等に要求したのはサーカスのチケットであった。もちろんですと彼等が用意したのは特等席だった。今日はこれからそれを見に行く予定である。
「楽しみだなー、地上の魔法」
ゼオは見るからに浮かれた様子で、そわそわと室内を歩きまわっていた。炎使うかなとか、剣はどんな形態かなとか、瞳を輝かせながら呟いている。
今までのゼオの言動から、なんとなく地上に憧れに近い興味を抱いているのはシーナにも分かった。だがそう言えばと思い起こすと、ゼオが地上に『逃げてきた』理由を聞いていないことに気づく。なんとなく聞くことが憚られてそのままにしていたが、興味をもつ理由くらいは聞いてもいいだろうか。
「ねえゼオ、地上に興味があるみたいだけど、きっかけとかってあるの?」
「うん、あるよ」
ゼオはさらりと答えると、動き回っていた足を止めてシーナに向き直った。
「『ラクセウムの塔の姫君と剣の王子』って知ってる?」
ゼオが挙げたのはストライズでも広く知られた童話だった。もちろんシーナも慣れ親しんだものだったので、首を縦に振る。
昔々、ラクセウムの塔に閉じ込められた姫君がいた。険しい山を越えた先のその塔には凶悪な魔物が沢山いて、美しい姫君を助けようと試みた何人もの冒険者や王子が犠牲になった。
所変わってその塔から遠く離れた国で、王のたった1人の後継者である王子が、姫君の夢を見た。
『姫君が私を呼んでいる。行かねばならない』
王子は武勇に優れてどんな武器も使いこなしたが、とりわけ剣技が素晴らしいとのことで『剣の王子』と呼ばれていた。そんな王子を王も国民もとてもとても愛していたので、皆が出立を止めたが、王子はそれらを振り切り旅に出た。
そして王子は見事に姫君を助けだす。
『たった1人の私の姫君。貴女に会うために私は生まれてきたのだろう』
王子は姫君と恋におち、2人仲良く国へ帰って、いつまでも幸せに暮らしたのだった――と、このように締めくくられる物語である。
「昔僕の国に1人の男がやってきてね、彼は地上の人間だった。彼が僕に聞かせてくれる話はどれも聞いたことのない面白いものばかりで、彼がどうやって此処にきたのかなんてまったく考えず、僕はただ物語を聞かせてくれと毎日せがんだんだ。その彼がいなくなる前日、最後に僕に聞かせてくれたのがこの物語だった」
いいかい王子様、これは本当の話だよ――彼はそう言って語ったのだという。
彼のことを思い出しているのだろう、ゼオの視線は柔らかで、どこか遠くに馳せられていた。
「僕はこの2人にとても憧れて、いつか僕もたった1人の姫君を見つけるんだと、武術も魔法もひたすらに励んだ。そんな僕に周囲はこう言った。『そんなことが許されるのは地上だけです。この国では許されません』ってね。地上なら許されるんだ、地上に行けば僕も――って思ったのが、興味をもったきっかけかな」
ゼオの言葉にシーナは首をかしげた。『ラクセウムの塔の姫君と剣の王子』の物語は純愛で、国民皆、特に少女たちからはとても好かれている。もしこの国の王子がたった1人の姫君を見つけたなら、王侯貴族はどうか知らないが、シーナは諸手をあげて祝福するだろう。
人魚の世界では、許されないのだろうか。
「あの、人魚の世界では、どうして許されないの? だからゼオは……逃げてきたの?」
意を決して聞いてみたが、ゼオからは曖昧な笑顔が返ってきただけだった。
階下から母の、キノトくんが来たわよ、と呼ばう声により、釈然としないものを抱えながらもこの会話は有耶無耶のままとなって、2人は階下へと降りた。
* * *
魔法サーカス自体はとても素晴らしい出来だった。そのはずなのに、シーナはちっとも集中することができないままだった。先程ゼオから聞いた話が頭から離れない。
自分はゼオのことやレテンベール、人魚の世界についてあまりにも知らない。それでも他の一般市民よりは知っているはずなのに、まだまだ足りなかった。
もっと知りたい。
もっと教えてほしい。
そう思うのは、ゼオのことだからだろうか。
ゼオが地上に『たった1人の姫君』を見つけるために来たのだとしたら、それはすごく辛いことのように思われた。心が痛いと叫んでいる。
「面白かったね」
そう言って笑顔を向けてくれるゼオにも、どこが面白かったのかも言えないまま曖昧に頷くことしかできなかった。そして、いつもならば必ず何かを仕掛けてくるキノトが大人しいことにも気付くことすらできなかった。
「おい、シーナ」
シーナの家の前まで来たとき、今まで黙っていたキノトが言葉を発した。振り向くと、ぐいっと腕を引っ張られる。
「話がある」
いつものように抗議しようとしたシーナだったが、見上げたキノトの瞳がいつになく真剣だったので、助けてくれようとしたゼオに目配せして大人しく彼に従った。ゼオは先に家に入らずこちらを見守っているが、その様を見てキノトは舌打ちすると、ゼオから見えない物陰にシーナを連れ込んだ。
「あいつから離れろ」
開口一番、それである。シーナは目を吊り上げた。
「嫌よ。傍に寄るなとか離れろとか、キノトってそればっかり! 話ってそれだけ? それならもう行くわ」
「聞けって! お前が危ねぇから言ってるんだ!」
キノトは踵を返そうとしたシーナの両手をとらえ、壁に押し付ける。相変わらず力が強かったが、前よりは力加減がされているように思われた。
「あいつのせいでお前は拉致された! この先だって、あいつを狙うやつはきっとわんさかいる! その度に危険に晒されるつもりか?」
「ゼオのせいじゃないわ、あたしが……」
「お前が油断してたせい、とは言わせねぇ」
ぐっ、とキノトの力が強くなる。
「油断してようがしていまいが、男の力には抗えねぇんだよ。今だって抜け出せないくせに」
キノトの真剣な瞳に耐えきれなくなり、シーナは視線をそらした。それでも痛いくらいの強い視線を感じる。
「頼むから、あいつとは離れろ」
「……無理よ、そんなの」
「俺はお前に危険な目に遭ってほしくねぇんだよ」
キノトが絞り出すかのようにそう呟く。苦しげなその声音は、本気でシーナのことを心配していた。いつも乱暴なことばかりしてくれるキノトにこれほどに心配されるなんて、シーナは思ってもいなかった。それだけに、頷けないのは心苦しい。
キノトの言うことも一理あるのだろう。危険に遭いたくなければ身を引くべきだ。
だけど――。
「ごめん……っ」
シーナはぐっと歯を食いしばり、キノトの急所を蹴り上げた。キノトが痛みに呻くのと同時にするりと抜け出し、駆けだす。背後でキノトが名前を呼んでいるのが聞こえたが、追いつかれる前にとシーナは家の中へと駆けこんだ。
戸口の前に立っていたゼオに、視線を向けることはできなかった。




