5・晴れのち濁流
―――どうしてこんな状態に追い込まれているのか。
シーナは自分の両手両足を縛る縄と、周りにいる大勢の男たちを見て、はあと息を吐いた。何度考えてみても諸悪の根源はある人物に行きつく。
(おじさんってば……!)
衣料品店の店主、である。
* * *
時を遡ること数時間前、シーナは衣料品店シェルナンテを訪れていた。以前ゼオと訪れた店である。店主、ロイザック=シェルナンテに勧められるままに、シーナは手近な椅子に腰かけた。
「嬉しいねぇ、シーナちゃんが1人で来てくれるなんて。今日はどういった用件だい?」
「今日はおじさんに聞きたいことがあってきたの」
「何だい何だい。何でも聞いてくれ」
「どうしてゼオの名前が王子の名前って分かったの?」
ぴしり、まるでその音が聞こえてきそうなくらい、ロイザックは見事に固まった。何でも聞いてくれ、なんて言ったのに、途端にこれである。
「あ、あー……おじさんの超直感ダヨ?」
「……嘘が下手ね」
「嘘じゃナイヨ?」
「おじさん」
じろりとシーナが見上げると、ロイザックはうっと言葉に詰まった。大きく息を吐きがしがしと頭をかく。まいったぜ、と言いながら窓枠にもたれかかった。
「シーナちゃんには敵わねぇなあ。言うが、秘密だぜ?」
ロイザックの言葉にシーナはしっかりと頷いた。
「王様に聞いたことがあったんだよ」
「……王様!?」
「ああ。前にな、あいつが言ってたんだ」
「あ、あいつ!? ちょっ、ちょっとまっておじさん! 何でそんなに親しげなの!?」
「ああ、そこから説明しにゃならんかったな。今の王様が王太子だったころに、お忍びでアークリオに来てたあいつと親しくなってな、それからの腐れ縁だ」
さらりと事も無げに言ってのけたが、シーナからしてみればとんでもないことである。まさかこんなおじさんが―――と言っては失礼かもしれないが、まさか王と知り合いだったとは。
「今もあいつの城にちょくちょく物を届けてるから、そん時聞いたんだ。なんでも、俺たち国民は知らないだけで、うちの王様と人魚の王様は代々交流があるんだとよ。んで、人魚の王太子の名前も知ってたってわけだ」
シーナは最早何に驚いていいやら分からなくなってしまった。
シェルナンテが王室御用達だったこと、人魚の国とストライズが交流を持っていたこと、ゼオが只の王子ではなく王太子であったこと―――色々衝撃的だったが、中でも突っ込むべきところは。
「……おじさんの店から、一体王様に何を売ってるの?」
「もちろん、お忍び用の服だぜ」
がっくり、と効果音がつきそうなくらいシーナは項垂れた。王様は今でもこの町にやってきているのか。
シーナは目にしたことはないが、厳格な為政者として名を馳せている王がこんな港町にまでやってきているとは想像もできない。ましてやロイザックと仲が良いとは。2人そろって真面目な様子で喋っている場面は想像できず、できるのは馬鹿騒ぎをして飲み明かしている様だけだった。シーナの中で何かがガラガラと崩れ落ちる。
「おっと、シーナちゃん、今の話は全部内緒だぜ?」
「……うん、もちろん。聞かせてくれてありがとう」
どの話を漏らしても、国民の衝撃は大きいだろう。信じるか信じないかは別にしても。
「おじさんもゼオのことは秘密にしておいてね」
彼のことも極力ばれないにこしたことはない、そう考えたシーナが言うと、ロイザックはびくりと肩を揺らしてぎこちない笑みを浮かべた。
果てしなく嫌な予感がする。
「……おじさん?」
「ははっ、おうよ、もちろんだぜ。…………これからは気を付けるよ」
もう喋ったんかい、そう心の中で突っ込んで、シーナは無言で立ち上がると店を後にした。
(ああもう、口が軽いんだから……これで町中に広がるのも時間の問題ね)
大きなため息をつきつつ、シーナは家路についた。大きな心配ごとができてしまった。
シーナの周りの人々は人魚が珍しいと思うだけだったが、果たして町民全員がそうかと言えば、答えは否だろう。不気味がる人もいるかもしれないし、悪用を考える人だって出てくるだろう。御伽話の住人だった人魚がこうして目の前に現れれば、欲しがる人は必ずでてくるはずだ。ゼオにも注意しておかねばなるまい。
「もしもしお嬢さん」
「はい?」
不意に背後から声を掛けられ、思考に没頭していたシーナはくるりと振り返った。いつの間にか背後に立っていたのは見知らぬ男で、首を傾げる。
「シーナ嬢ですね?」
「そうですけど……何か?」
シーナが答えると、目前の男がにっこりと笑む。その直後シーナは背後から羽交い絞めにされ、路地裏へと引きずり込まれた。
「ちょっ……」
声を上げる間もなく口を塞がれて薬を嗅がされ、シーナの意識は落ちていった。
* * *
そして、現在に至る。
シーナが周りを見た感じでは、ここは港の数ある倉庫のうちのどれかだろう。積荷が沢山置かれている一角に、10人の男たちに取り囲まれるようにして拉致されている。
時折聞こえてくる会話から、男たちの目的はゼオなのだということも辛うじて理解した。
(どう考えてもおじさんの話が広まったからでしょう……!)
人魚の王子がいる、シーナって女と親しいらしい―――その情報を手に入れた男たちが犯行に及んだというのは想像ができた。人魚の得体がしれないせいか、魔法封じの魔道具の他に、呪い除けの魔道具や塩、銀の武器など、色々なものがこれでもかと配置されている。災い除けの紐を巻いている者もいて、ゼオのことを知っているシーナからしてみればどうにも間抜けだった。
一緒に過ごしている限りゼオに呪いがある様子はないし、もちろん銀の食器も怖がってなどいなかった。もし効果があるとすれば魔力封じの魔道具くらいで、あとはてんで見当違いだろう。
「お嬢さん、目が覚めましたか」
シーナが目覚めたことに気づき、声をかけてきたのは先程町でも声をかけてきた男だった。人の良さそうな笑みを浮かべているのが忌々しい。
「手荒な真似をしてすみません。これも人魚が来るまでの間ですから、辛抱してくださいね」
「ゼオをとらえてどうするつもりよ」
「僕たちの一座に加わってもらうだけですよ」
一座。
それは一体何かと眉を顰めたシーナを見て、男はくすりと笑う。と、倉庫のドアが大きく開け放たれて、薄暗い倉庫に明かりが入ってきた。
「おやおや、ようやく到着ですね」
そこに立っていたのは、ゼオである。
「ゼオ!」
「……シーナを放してもらおうか」
シーナが今までに聞いたことのないくらい低い声でゼオが言う。魔力の無い者でも感じる程にまで膨らんだゼオの魔力に、何人かはじりっと後退した。シーナですらぞくりとするくらい、ゼオの瞳は怒りに燃えていた。
「あなたがこちらに来れば、お嬢さんは解放しますよ」
「シーナの解放が先だ」
「あなたがこちらに来るという保証はないでしょう? でもまあ、仕方ないですね。それだけ怒っているあなたを刺激して、魔法を使われても困りますし。まあこっちにお嬢さんがいる限りできないでしょうけど」
そう言うがいなや、男はシーナを引っ張り上げて抱えた。コツコツと足音を響かせてゼオに近寄ると、ゼオもこちらに歩いてくる。
目の前に対峙し、男はにやりと笑ってシーナをゼオの向こうに投げた。
「きゃあっ」
「シーナ!」
体を強かに打ちつけ、冷たい床を転がる。確実に何ヶ所か擦りむいているだろうし、打ち身もしているだろう。
ゼオはシーナに駆け寄ろうとしたが、男がゼオの腕をとらえて引き倒した。
「あなたは足が弱いことだって知っているんですよ」
あくまでも笑顔のまま、男はゼオの腹部に拳を叩きこむ。ぐっとうめいた彼を見てシーナは息をのんだ。
「縛っておきなさい」
ゼオの右手に魔力封じの魔道具をはめ、男が命じる。命じられ、周りの仲間がじりじりと動き出した。人魚ということで少し慄いていたようだが、拳を受けたきり動かないゼオに安心したのか、空気が緩んだ。男2人がしゃがみ込んでゼオを縛ろうとする。そのうちの一人の頭を掴み、ゼオが反撃に出た。
「ってぇ!!」
全力の頭突きを受け、男の1人がひるむ。その隙にゼオをは立ち上がると、もう一人の肩めがけて拳を振りおろした。痛みに呻き、肩を押さえて男が床に崩れ落ちる。
「立ち上がれないとでも思ったのか?」
ゼオは鋭く相手を睨みつけ、挑発するように笑った。
ぎりっと歯を食いしばり、残りの男たちが一斉にかかってきた。
「ゼオっ!」
立ち上がれて歩ける、といっても、素早く動けるわけではないゼオは、男たちの攻撃が避けれるわけではない。何発も拳を浴びながら、それでも受けた攻撃の分だけ反撃していた。だがどう見ても8対1では分が悪い。
シーナは両手両足を動かし、何とか縄をほどけないかと試みたが無理だった。ボロボロになっていくゼオを見ていることしかできない。涙がにじみつつも、泣くもんかと必死で体をよじり続けた。
その時である。シーナにとっては天の助けのような声が聞こえたのは。
「人魚!!」
そう言って倉庫に駆け込んできたのはキノトだった。大きなバケツに一杯の水をゼオの頭上に向かってぶちまける。ゼオはふっと口の端を上げ、手をかざした。大量の水は地面に落ちず、ゼオの頭上で留まっていた。
「水があればこっちのものだって、知らなかったかい? こんな程度の魔力封じ、効かないよ」
そうこうするうちに水の塊はどんどんと大きくなっていく。ゼオはにこりと笑うと、男たちめがけて一気に水を放出した。バケツ一杯だったはずの水が、今は濁流のようになって男たちを押し流す。全員が全員壁に強かに背中を打ちつけて気を失った。
「おいシーナ! 大丈夫か!」
駆け寄ったキノトがシーナの縄をほどいた途端、彼女はゼオに向かって駆けだした。
「ゼオっ!!」
ゼオは疲れたように笑い、血のにじむ口の端をぐいと拭う。頬も青くなっていて、ところどころ擦り切れていた。
「シーナ、よかった……無事?」
とうとう立っていられなくなったゼオは、床に崩れるように腰をおろした。それでも笑顔を絶やさない彼にシーナの瞳はとうとう決壊した。ぽろぽろと涙をこぼしつつ、ゼオの首に手を回して抱きしめる。
「……あり、がとう…………ごめんね……っ」
ゼオは泣き続けるシーナの背中に両手を回し、彼女の首筋に顔を埋めると、安堵したように息を吐いた。
「もっとかっこよく……助けられればよかったんだけどなあ……」
そんなことを呟く彼に、シーナは首を何度も横に振って、ただただ強く抱きしめた。
今度ばかりはキノトも何も言わず、2人を黙って見つめていた。




