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天色の逃亡者  作者: 三柴
3/10

3・海と地

 空き部屋で一晩過ごしたゼオが翌朝目覚めて朝食を済ませると、どうにか1人でも歩けるようになっているのを見て、シーナは彼を連れ出した。しばらく生活するならゼオのものも必要になってくるから、買い足さなければならない。だが、シーナは何よりアークリオを案内したかった。比較的小さな港町だから、一日あれば十分事足りるだろう。

 いいところがいっぱいあるのよ、と言ってシーナは無邪気に笑った。

 まず連れてきたのは魚市場だ。今日獲れたばかりの鮮魚がずらりと並び、威勢のいい声が飛び交う。シーナがゼオの反応を見ようと振り返ると、彼はなんとも微妙な顔をしていた。

「……仲間たちが……」

 ゼオの呟きが聞こえ、シーナはさっと血の気が引いた。大失敗をしてしまったと悟る。

 ゼオは海で生活していたのだし、魚を食用にしていないようだから、ここに並ぶ魚は『仲間』と呼べるほどに近しい存在なのだ。そんな彼らがこうして死へのカウントダウンを刻んでいる姿を見るのは苦しいだろう。

「ご、ごめんなさいっ」

 シーナは謝罪し、ゼオと共に慌てて市場を飛び出した。空気を変えようと、質問を口にする。

「ゼオ達人魚は、魚の言葉が分かったりするの?」

「んー……極稀に生まれる、魔力が異常に高い人魚なら聞けるらしいね」

「ゼオは?」

「僕はそこまでは。弟なら聞けるかもしれないけど」

「かも、って? 分からないの?」

「まだ幼いからね」

 ゼオは少なくとも成人はしているように見えるから、弟とは大分年が離れていることになる。それとも人魚は年の取り方が違うのだろうか。問いかけると、ゼオはさらりと答えた。

 なんでも、人魚は若く美しい盛りの年、つまりは20代くらいの年齢になったら外見の成長が止まるらしい。それでも寿命は普通の人間と同じだから、70歳を過ぎた辺りで一気に老けるのだとか。

 そのような特殊な成長をするのは、人魚が元々人間を魅了して――ずばり言えば、魅了した人間を食らって魔力を取り入れることで生きていたからだという。そのような生き方をするには、確かに美貌が長続きした方がいいということはシーナにも分かった。

(それに、もしかして皆美形とか……?)

 魅力するくらいなのだから、と思う。現にゼオは格好いいから否定はできないだろう。

 そうだとしたら、人魚はゼオのように格好いい人や、美しい女の人ばかりということになる。シーナは想像し、ぞっとした。なんて心臓に悪い世界だ。美形に免疫のないシーナなど、どれだけもつか分からない。

 次に2人が向かったのは雑貨屋である。ここで衣服以外のものを買い足すつもりだ。

 カランという音を立ててドアが開く。馴染みの店主に挨拶をしつつ商品を見ていると、隣からゼオの「シーナ!」という焦ったような声が聞こえた。

「どうしたの?」

「これ、火が出るよ!」

 そう言ってゼオが差し出したのは自動発火魔道具だった。ストライズでは然程珍しいものではないが、ゼオの様子からして海中では珍しいのだろう。海の中で火が燃えるとも考えにくい。

「自動発火魔道具よ。やっぱり海じゃ珍しい?」

「うん、とても。火は使われないから」

「明かりとかはどうしてるの?」

「海ではね、日中海面に当たっていた日差しを溜め、夜の明かりに利用してるんだ。さらにそれを使って海中での『日中』も作り出してる。だから地上とは昼夜が逆転してるんだよ」

 ゼオは夜に逃げ出してきたのに、あの時間に海岸にいたのもそのせいだという。そして、そもそも魔道具自体が珍しいのだとか。

 ストライズにおいて、魔道具は広く普及された存在である。隣国リザークが魔道具大国でもあるためだ。そのリザークからの輸入でほとんどが賄われている。

「この国では――というより地上ではだけど、魔法を使える人は限られてるから、魔力を込めた魔道具が広く使われているの。人魚はどんな魔法を使うの?」

「僕たちはほぼ全員が魔力を持っているんだ。必要な時に必要な魔法を各自が使うよ」

 たとえばね、と言ってゼオは商品の水槽に触れた。中に入っている水に指先を浸すと、無数の水球が空中に浮かび上がる。それらは変幻自在に色や形を変え、空中に輪を描いてくるくると回った。シーナは思わず歓声をあげて、手を叩く。

 ゼオが指先を離すと、水はちゃぷちゃぷと音を立てて元の水槽の中に戻っていった。

「とまあ、こんな感じで水に関係のある魔法しか使えないんだけどね」

「すごいすごい! 魔法をこんなに近くで見たのは初めて! とってもきれいね!」

「気に入ってもらえたみたいでよかったよ」

「うん、ありがとうっ」

 その後必要品を買い揃えて店を出てからもシーナは感動冷めやらぬ様子であった。キラキラと瞳を輝かせたままの彼女を見て、ゼオはくすくすと笑う。

「そんなによかった?」

「うん!」

「それなら明日にでも、海でもっと色々見せてあげる」

「本当!?」

 ぱっと顔をゼオに向けたシーナに頷く。シーナの笑顔につられたようにゼオも笑顔だ。

 それならば自分も地上の魔法に興味がある様子のゼオに何かできることはないか、とシーナは思考を巡らせた。そして思いつく。『魔法サーカス』なるものがこの町にやってきていることに。

「ゼオ、それなら私はいいところにつれていってあげるね」

「いいところ?」

「『魔法サーカス』っていうところ。ちょうど今この町にきてるの。きっとたくさん生の魔法が見れると思うわ!」

 力説しながら歩くーナを微笑ましく見つめながら、ゼオは相槌を打ちつつ隣を歩いた。と、彼女の肩が誰かにぶつかる。思わずふらついたシーナをゼオはふわりと抱きとめた。間近に感じる体温に、シーナの心臓は一気に脈が跳ね上がる。

「大丈夫?」

「う、うん。ありがとうゼオ」

 赤くなった顔を見られないように顔を背けつつ、シーナは体勢を立て直す。

 支えてもらっただけ、そう分かっているのに先ほどの距離を思い出して顔がほてってきた。

(だ、だって、今までこんなに男の人に優しく接せられたこと、ないから……!)

 シーナの傍にいる男といえばキノトで、当然彼は優しくなかった。いつも意地悪ばかりしてくるキノトしか関わりがない状態で生きてきたので、まるっきり逆のゼオには昨日からドキドキさせられっぱなしだ。隣のゼオはもう普通にしているのに、自分だけこんなにも意識してしまっている。

(ゼオ、女の人に慣れてるなあ……)

 人にぶつかった後、さりげなくシーナを人から庇ってくれているゼオに気づいてそう思ったとき、胸のどこかで感じた痛みに、シーナはまだ気づかなかった。


* * *


 最後に2人が訪れたのは衣料品店だ。店に入ると、父の故知である店主が陽気に声をかけてくる。肉体労働でもしているのかと思うくらい筋骨隆々とした彼とは、シーナも幼い頃から顔見知りだった。

「いらっしゃいシーナちゃん! おや、キノト以外の男と一緒とは珍しい。さっきキノトが来てったのはこのせいかい」

「キノトがきたの?」

「おうよ。シーナちゃんを探してたぜ。おっそろしい顔してたから何かと思ったら、とうとうシーナちゃんに恋人ができたのが原因か? よくキノトが許したもんだなぁ」

「もう、おじさんってば。キノトは関係ないし、ゼオは恋人じゃないわよ」

 まじまじとゼオを見ていた店主は、そりゃ失礼、と舌を出しておどけてみせた。巨躯に似合わぬ仕草にシーナは思わず苦笑いする。

「おじさん、ゼオに服を見繕ってほしいの」

 きっとゼオは地上の衣服のことは分からないだろう。出会いからして全裸だったのだ。一体海中の衣服もどうなっているやら――一瞬シーナは全員全裸の光景を想像してしまい、思わず身震いした。

「こりゃまた、随分かっこいい兄ちゃんだなぁ。線が細いのが難点だが」

「よろしくお願いします」

 苦笑しつつ、ゼオが一歩前に進み出る。その彼の全身を店主は隈なく目測し始めた。

「んー……何か希望はあるかい?」

「あ、上に希望はないんですけど、できれば下は着脱しやすいものがいいです」

「なんだそりゃ。兄ちゃん、露出癖でもあるのか」

「僕、人魚なんです。まだ着脱は不慣れで」

 その言葉を聞き、店主はバッと顔を上げた。まじまじとゼオの顔を見つめる。

「……こりゃ驚いた。人魚かい」

 ぽつりと呟き、しばし思案する。そして突如閃き、大絶叫した。

「あああああああっ!!」

「なっなに!?」

 突然の悲鳴にシーナとゼオは目を丸くする。店主はゼオの肩を掴み、がくがくと揺すった。

「人魚のゼオ!? ゼオ=レテンベールか!?」

「はっ、はいっ」

「なんてこった! 王子様じゃねぇか!」

「っはあ、まあ……そうですけど」

 店主の問いに、揺さぶられ続けたままゼオが答える。それを聞いてシーナはぽかんと口を開けた。

 王子。

 ゼオが王子。

 今確かに、彼自身が認めた。

「っええええええ!?」

 今度はシーナが絶叫する番だった。

「そっ、そんな、そんなこと一言もっ!」

「でも、聞かれなかったから」

「初対面の人に『あなた王子様ですか?』なんて普通聞かないわ! そりゃあファミリーネームは聞いてなかったけど、でも聞いたところで分からなかっただろうし、ってそうじゃなくてああもう私何言ってるの!」

 混乱して自分でも何を言っているのかさっぱりだが、これだけは分かる。相手が王子様だというのに、自分は今まで何の敬意も払っていなかった。

(ふっ不敬! 不敬すぎる!)

 さっと青ざめて固まったシーナの考えなどお見通しのようで、ゼオは少し不機嫌な顔をして、シーナの額に自分の額をくっつけた。

「こら」

 突然の接近に、シーナは目をこれでもかというほど見開く。

「不敬だとかなんとか考えてるんだろうけど、気にしなくていいから。シーナは知らなかったんだし、僕は敬ってほしかったわけでもない。僕は僕。分かった?」

「でっでも……」

「僕は僕をただの『ゼオ』として接してほしいんだ。逃げてきたって言ったでしょ? シーナにすら余所余所しくされるのは嫌だ」

 まだシーナは思うところがなかったわけじゃないが、息がかかるほど近くにゼオがいるこの状況では、兎にも角にも頷くしかなかった。真っ赤になって何度も首を縦に振るシーナを見てゼオは満足げに微笑んで額を離した。

 シーナはようやく息をすることができるようになり、止まっていた分大きく息を吸い込んだのだった。


* * *


 帰り道、ゼオは隣を歩くシーナの横顔をそっと盗み見た。

 今日一日で、シーナはころころと表情が変わる子なのだと分かった。赤くなったり青くなったり、笑ったり困ったり。見ていて飽きることのないほど。

 そんな彼女に、できることなら王子と知られたくなかった、と思う。

 自分に向けられる屈託のない笑顔が好ましかった。裏に何も隠されていないそれは、今までにゼオが向けられたことのないものであったから。

 ゼオの国、南の海を統べるレテンベール王国は、男女比が3対7と圧倒的に男が少ない。少ない男は大勢の女の取り合いになるのが常だというのに、王族とくれば尚更だった。ゼオのもとには手練手管を尽くしてくる美女ばかりが集まり、誰もかれもが彼の正室や側室の座を狙ってくる環境の中で生きてきた。

 そんなゼオにとって、シーナは『新鮮』の塊であった。

 先ほど、王子とばれた際に説得するため顔を近づけたとき、真っ赤になったシーナを思い出し、ゼオは自然と口が緩む。あの距離で真っ赤になって固まるシーナはとても可愛らしかった。彼の今まで知る女なら、あの距離まで近づけば必ず唇を奪いにくるだろう。

(もっと、ここにいたい)

 ゼオがそう思うのは自然なことだった。ずっとなんて無理なことだとは分かっているけれど、それでも願わずにはいられない。

(どうか少しでも長く……ここに、いられますように)

 ――そう願うことしか、できないから。


 今回、少し説明臭くなってしまいました。

 人魚の世界についてはまた少しずつ明らかにしていきますが、この時点でどうしても分からない! 辻褄あってない! と思うことがありましたら、ご一報くださいませ。

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