表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/2

狩りと、命と、ちょっとだけ食事。

 腕の中の兵器から、弾丸が発射され、スコープの先に映る羊の頭部に突き刺さる。

 羊の頭部に赤い花が咲いたような気がしたけど、その花は一瞬で散ってしまった。そして、花の散り際に合わせるように、羊の身体はゆっくりと崩れ落ちる。もこもことした柔らかそうな身体が、ゆっくりと地面にひれ伏していく。

 よく見てみると、羊の毛に、赤い花の残骸がくっついているように見えた。血の雫が、白い毛に付着して、花びらに見えただけなんだけど。

「…………」

 ――命は、簡単に散ってしまう。

 銃一つで、弾丸一発で、意思一つで。

 銃を構えて、スコープで標準を合わせて、引き金を引いて。

 それだけで。

「……アルネブは、お肉を手に入れました」

 昔、故郷で読んだ寓話のような語り口で、今の自分の行動を説明的に呟く。特に意味はなく。

 今日も僕は、何かを殺した。誰かのために、生きるために、食べるために。ただ自然の摂理に従って。

 僕は、立ち上がり、銃――小型ライフルを持つ手をぶら下げた。重いのか軽いのか分からない、小型ライフルの重さで腕が揺れる。命の重さを物理的に体感しているような気がした。この銃の重さが、あの羊の命の重さなのだ。

 でも、もし銃口が僕に向いたら、僕の命の重さも、この銃の重さと同じになってしまうのだろう。重いのか軽いのか分からない程度の重さに。

(……ひょっとしたら、命というのは、理不尽なほど平等なモノなのかも知れない)

 頭や心臓をぶち抜けば誰だって死んでしまうのだから。

 僕は、小型ライフルの銃口を自身のこめかみに、突きつける。そして、引き金に指をそえて、

「パンっ」

 と呟く。

 当たり前の事だけど、銃口から弾丸は発射されなかった。引き金は引かぬまま、ただ戯れに自殺のママゴトをしてみただけだから。

 こめかみから、銃口を遠ざけ、銃を下す。

 だけど、例え真似事でも自殺なんかしたら、彼女――ニハルは良い顔をしないだろう。きっと、無言で、自殺しようとする僕を止めてくる。多分。

 ここに彼女がいなくてよかった。知的で、少し冷たさを感じさせる彼女が、ぐるぐると感情を乱して、理性も感情もかなぐり捨てて泣く姿は、もう見たくない。

 遠い過去の事を引き合いに出して、自分を戒めた。気まぐれな一面を覗かせる僕の神経を。そして、気まぐれな僕を繋げる鎖を手放してしまった危機感のなさを。

 外敵から身を守るための危機感ではなく、誰かと関わりを持つと身につけなきゃいけない危機感が、僕には足りない。

 僕に危機感がないって事は、自分の命に対する関心が薄いって事なんだろうか。

(…………)

「……パンっ」

 何となく、もう一度呟いてみた。

 銃口は自身に向けず、ただ口先だけの自殺を一度だけ。銃声はない。死体は転がらない。

 後に残ったのは、静寂だけだ。

 そこで、ふと思い出した。

(ニハルが待ってるんだった……)

 そうして、僕は撃ち抜いた羊を拾いに行ったのである。



 羊が一匹、羊が二匹。

 昔々、幼い僕らに教えられた、眠れぬ夜のおまじない。

 眠れなかった僕らが、羊を数えていると、いつの間にか眠っていた。ただそれだけの小さな魔法。僕は、子供心にその羊を神聖な生き物として見るようになった。

 だけど、その次の日に、生まれて初めて羊の肉を食べてしまい、それから僕は羊を単なる食料としか見れなくなった。今と同じように。

 羊の肉が、ニハルの手によって切断されている。調理用ナイフの軌道が、鮮やかな線となって視界に残る。残像でも見ているかのように。

 カットした肉の塊。毛は刈り取られ、強化トラック内に放り投げらた。そうして、丸裸になった羊が結果として残った。

 今、ニハルが切断しているのは、その一部だ。残りは冷蔵庫に保管してある。腐ってしまう前に、食べきれるかどうか、少しだけ不安だ。いや、腐らないように、加工はするのだけれど。

 ふと、頭上を見上げる。空は晴れている。太陽の光が目にまぶしい。多分、昼だ。

 その昼に、ニハルが羊の肉を切っている。僕は暇を持て余している。

「アルネブ、働け」

 怒られた。

 とはいえ、何をすればいいのだろう。

「仕事がないんだけど」

 ニハルに、そう反論してみる。事実だ。今やるべき事は、この羊の肉を早めに加工して、保存食にする事だ。そのためには、肉をさばく必要があって、それは彼女の方が上手い。だから、任せているのだけれど、その間、結構暇なのだ。

「太陽電池の調整はしたの?」

 彼女が、僕に何か仕事をしろと、やらなきゃいけない事の一つを挙げる。

「狩りに行く前に、したよ。大丈夫。今日も、ちゃんとバッテリーに充電し続けているよ」

 でも、それはすでにやってしまった事で。

「銃の手入れは?」

「それも、したよ」

「……じゃあ、弾丸作りでもしたら?」

「あの作業は熱いし、前に作りすぎたのが残っているけど?」

 やらなきゃいけない事を続けざまに挙げる、彼女。それを「充分やった」とのように言い返す、僕。

「……働かない事が仕事で良いよ、もう」

 そして、彼女の方が折れた。少し疲れたような表情で。羊肉の解体は続けたままで。

「働いたら、負けだと思っている」

 僕は冗談めかして、故郷にいる知り合い――やる気の無い怠け者だったのに、やる時はやって、ちゃっかり美人なあの人と結婚しちゃった男――の口癖を引用してみる。

 すると、突然、僕の顔面に何かが投げつけられた。回避する事も出来ずに、思わず顔面で受け止める。ブヨブヨな感触だった。鉄っぽい臭いもした。

 何を投げつけたんだろう――なんとなく、想像はできるけど――と思って、僕の顔面で潰れた『それ』を手で取って見てみる。

 ……彼女が解体している、羊の眼球だった。

 ちょっと恐怖に震えながら、彼女の方を見てみる。なんだか、不機嫌な様子である。

「……なんだか、懐かしかったけど、イラッとしたの。ごめんね」

 不機嫌な様子、じゃなくて、本当に不機嫌でした。どことなく怖いです。

「……ごめんなさい」

 彼女に謝りながら、心の中で、このネタは封印する事にした。うん、そうしよう。本当にそうしよう。羊の眼球を顔面に投げつけられるなんてのは、殺傷力が無くても、あんまり受け止めたくはないのだ。

 だって、顔面に血の臭いがこびり付いてしまうからね。

 ……まぁ、今のはしょうがないんだけれど。



 天井からぶら下がっているランプが、ぼんやりと光っている。ぼんやり、と。電気による明かりでも、その光はとてもアヤフヤな感じがして、頼りなく、荷台の中にいても、外側の夜の闇が窓を突き破って、僕らを呑み込んでしまうのではないか、という不安がある。

 そんな不安に包まれながら僕は、そして彼女は、食事をとっている。皿に盛りつけた料理を、スプーンですくって、口に運ぶ。喉がつまった時に、水筒に入った水を飲む。

 羊を解体した時に、余りものになった肉の破片を集めて、野草と一緒に炒めた料理――作るのが簡単で、料理と言えないかもしれないけど――だ。胡椒だとか、そんな洒落たものはないけれど、野生のハーブを乾燥されたものと岩塩は山ほどある。

 まぁ、つまりだ。それなりに美味しい食事をしているわけだ。

「ねぇ、道徳的な話って覚えてる?」

 そんな中、彼女は唐突に話を切り出してきた。

「道徳的な話?」

 僕は思わず、オウム返しで聞き返してしまう。反射的に。

 ……そして、羊を撃ち抜くと、パッと鮮やかな赤い花が咲く、あの光景を連想していた。

「故郷で、『先生』が言った事」

 彼女の口から、『先生』という言葉が出てくると、反射的に故郷での事を少しだけ思い浮かべた。ちょっとだけ優しい場所での記憶。子供だった頃に、いろいろと教えてくれた先生。今も、旦那さんとラブラブイチャイチャしてるんだろうか。ちょっぴり、あちらの境遇にジェラシー。

「アルネブ?」

 彼女が、僕の名前を呼んでいる。どうやら、意識が、先生たちの境遇にジェラシーの方に向いてしまっていたようだ。あのラブラブカップルめ。末永く爆発しろ。

「おーい、アルネブー」

 いけないいけない。あの夫婦の事を考えていると、意識がジェラシーに傾いていく。このままじゃいけないので、『先生』が言った事だけを思い出す。あれはたしか……。

「……たしか、『あなたたちが殺して食べていく命を大切に』じゃなかったっけ?」

 とりあえず、『先生』の言葉を思い出しながら、「ごめんごめん、ちょっと思い出していたんだ」というような苦笑いを浮かべながら、そう返事をする。

「うん、そう」

 なんだか、それで僕のメッセージ(?)は通じたみたいで、話は円滑に再開した。ちょっとだけ、ホッと息を吐く。

「覚えているのね」

「個性的な人だったからね……色々な意味で」

 我ながら、言ってみて、薄い紙に包んだような言い方だと思うけど、実際に個性的な人だから他に言いようがないのだから仕方ない。

「うん」

 僕の言葉を肯定するニハル。何気に、ちょっと酷い人だ。

「そんな『先生』の道徳的な話がどうだって?」

 『あなたたちが殺して食べていく命を大切に』。『先生』は、そういうのを『食育』だと言ってたような気がする。そんな事言ってられないかもね、と寂しそうに付け足していたような気も。

「これまで食べてきたもの、これからも食べるものの命……そういうのに感謝できる?」

 彼女は訊く。どうでもいいはずの事を、大切な事として問いかけるように。

「奪ってきた事に、感謝できる? あなたの命を奪い、食べ、血の肉になってくれてありがとう。……なんて、気持ち悪い事にならない?」

 でも、僕は逆に問いかけ返す。生き物――いや、ここに存在している命というシステムの傲慢さを提示する。

 奪うものと、奪われるもの。その関係に、感謝や懺悔なんてものは必要なんだろうか。

 それは、単に自分を正当化するだけの言い訳でしかないと思う。盲目的になり、鈍化し、生き物としての限界を振り切ってしまわないようにするための。

(……あの羊を撃ってしまった時のように)

 もし僕が、あの羊の側だったとすればどうだろう。撃たれ、殺され、食べられる僕。狩る側に感謝や懺悔を降り注がれ、それで食べられてしまう事を認める事ができるだろうか。

 きっと、死後に意識があるとすれば、ずっと狩る側を呪い続けると思う。

(……全ての生物が、僕と同じ認識で、同じ価値観を持っているとすればだけど)

 そんな風に考えてしまう僕。まるで、自分の周囲の世界を、外側から見つめているみたいに。

「…………」

 僕の言葉で、沈黙する彼女。彼女にも思う事はあったんだろう。でないと、こんな事は問いかけてこない。

 そして、何やら重たい雰囲気になっている事に、今更だけど気が付いた。いつもの僕らしくもない。自覚できないほど、小さく内面が苛立っていたんだろうか。

 彼女の内面に触れる事もしようとせず。

 ……ああ、後ろめたいのかな、僕は。

 自殺の真似事なんかした事に。

(……もう止めよう)

 この話はもう。

 僕は、冗談だ、と言おうとして、

「……っ」

 ニハルが、皿に盛りつけていた料理をガツガツと一気に食べているのを目にしたのだった。

「え、あ、ちょ」

 僕が何やら混乱している間に、彼女は完食。

 皿を床に置いて、手を合わせて、「ごちそうさま」と。

 そして、僕の方を向いて、

「何もしないより、マシ」

 と、そう言った。

 何かが吹っ切れたような、逃避されたような気がした。

(……ああ、でも、ま、いっか)

 僕も、何も考えないようにして、料理を食べる事に集中する。

 そういえば、そうだった。

 世界は、とても広くて残酷だ。

 ――僕らのエゴまみれな価値観なんか、塵に見えてしまうくらいに広いんだって。



 多面的な希望はある。

 でも、同じくらい絶望ってのもあるんだろう。

 いつだって、世界はそんなもんだったそうだから。

 命なんてものは、とても軽いものだろうから。

 たとえば、僕らが肉になったりするかもしれない事だって……ありえなくもないんだ。

 きっと、それも、どうだっていい事になってしまうんだろうけど。


 だけど、僕はどうなってもいいから、ニハルだけは肉にならないでほしいと、願っているんだ……。



 CONTINUED...

続編の公開まで、一年以上経ちました。まだまだ続きます。できれば、長い目で見守っていただければ幸いです。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ