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黒い夏  作者: 相澤 一至
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 僕は大学のキャンパスから急いで駅に向かうと、文字通りちょうど停車中の快速電車に飛び乗った。

平日の早い時間ともあって、ガラガラとまではいかないが、車内は程よくすいていた。

車両の連結部分の3人掛けの席にどかっと腰を下ろす。


ばあちゃんが死ぬ。

僕の頭の中はそのことでいっぱいだった。

悲しいとか心配だとか言う気持ちにもなれず、胸だけが高鳴っているのがわかる。

それは子供の頃にでかい台風が上陸してくる前夜のようであった。

恐ろしい反面、これから何か起こるのでないかという期待に似た興奮だった。

僕は動揺しているのか落ち着いて座っていることができずに立ち上がり、すぐ横にあったドアに寄りかかるようにして見慣れた景色がものすごい速さで流れていくのを眺めていた。

いつもは各駅停車で通っているので、快速電車に乗るのは久しぶりだった。


春の午前中の日差しは強く、いくつもの民家の屋根がきらきらと光っていた。快速ゆえなかなか次の駅に着かないのがもどかしかった。

一刻も早く病院に行きたかった。電車の中でもお構いなしに走り出したい気分だった。

ふと焦点を窓の外から窓の内側に戻すと、眩しいせいかガラスに映った自分の顔が苦笑いのような表情を浮かべているのに気がついた。

嫌な表情だった。


僕はこの年になっても未だに身近な人間の死に直面した事がない。

というのも母方の両親は祖父も祖母もまだ元気でぴんぴんしていたし、父方の祖父(つまり件のばあちゃんの夫)は僕が生まれた年、僕が生まれるよりほんの少し前に亡くなっていた。

だから、ばあちゃんは僕を爺さんの生まれ変わりだと言って、たいそう可愛がってくれた。


僕が高校にあがるまでは、僕たち家族とは別々に暮らしていたのだけれど、割と家が近かったこともあり、僕はばあちゃんの家にたびたび顔をだし、おこずかいをせびりに行っていたのだ。

ばあちゃんの家は2階建ての古い木造建築で、一階の半分が爺さんがやっていた工場になっていた。爺さんがそこで何の作業をしていたのか僕にはわからなかったが、死んでから20年近くもそのままの状態でほおっておかれていた。薄暗い廊下には何に使うのか分からない金属片が青い箱に入れられ、ほこりをかぶって置いてあったのを記憶している。


その家を立て直したのが、今の僕の実家だ。

決して広くない土地に、無理やり三階建てを立ててばあちゃんと同居するように二世帯住宅にしたのだ。

家を建て直すのに大人達にどんなやり取りがあったのかは詳しくは知らないが、それまで家族4人でアパート暮らしをしていた僕達の生活はよくなったように感じられた。外見は西洋風にきれいになったし、電化製品も新しい物になった。

僕の母親は借家住まいから持ち家に変わったのを喜んでいて、少し金持ちぶった言動をするようになった。

それにしてもあのじいさんの工場の残骸はどこにいったのだろうか?

今では外見がすっかり変わってしまっていて、本当に僕が子供の頃遊びに行っていた家がそこにあったのが今でも信じられないくらいだった。

離れて暮らして見ると、そこに住んでいた時には気にもしなかったことが気になったりする。

僕はなんだか少しさびしい気持ちになった。


電車は順調に新宿に着いた。新宿駅は相変わらずすごい人だった。ここは曜日とか時間とか関係なしにいつもすごい人だ。都会育ちの僕でも最近の田舎暮らしになれてしまったのか、人ごみで思うように進めず、乗り換えに手間取ってしまう。急いでいる分よけいに前を歩いている人と呼吸があわず、もたついてしまう。

新宿駅で山の手線に乗り換え、ばあちゃんが入院している病院へ向かう。最寄り駅から病院まではタクシーを使った。タクシーに乗る前に一応母親の携帯に連絡を入れておくのも忘れなかった。


病院のロビーに着くと、母親が下で手持ち無沙汰に待っていた。タクシーで到着する僕を待ってくれていたようだ。

「淳さん」

母親は僕を発見して手を振りながら近づいてきた。

「ばあちゃんは?」

「まだ、大丈夫よ。今は少し落ち着いているみたい。それにしても随分は早かったわね」


「ああ、死にそうだって言うから急いで来たんだ」

「やだ。あたしそんなことは言ってないわよ。死にそうだなんて」

「病室は?」

「こっちよ」

僕は母親と供にエレベーターに乗り、ばあちゃんが入院している病室へ向かった。病院に来るのが久しぶりだった為か、消毒液のにおいがひどく鼻についた。


「お兄ちゃん」

病室に入ると、妹が僕を見て驚いたように声をあげた。

妹と会うのは久しぶりだった。妹は僕より3つ年下だ。今は実家から簿記の専門学校に通っている。

「おう」

僕は久しぶりに会う妹に照れくさかったのか、軽く手を挙げてあいさつをした。

ばあちゃんのいる病室は4人部屋で、ばあちゃんのベットは左手の奥の窓際にあった。部屋自体は4人部屋なのだが、他に入院している人はいないようで、その他の3つのベットは空いたままになっていた。

「早かったな」

窓際に腰掛けた、父親が顔をあげて、僕を見上げるようにしながら言った。スーツ姿のところを見ると、きっと仕事中に突然呼び出されたことが予想できた。

「ああ。で、どうなの?」

僕はベットに近づいて、眼下に横たわるばあちゃんを見ながら言った。

ばあちゃんは酸素吸入のような装置を口に着けて、静かに目を閉じていた。手や胸からはたくさんのコードのような物がつながれている。

「いや。俺も来たばっかりだから、詳しくは分からないけど、心臓と脈が弱っているらしい。今は落ち着いているが、一時は危篤状態だったとか」

「原因は?」

「さあ?もともとは風邪からくる肺炎で入院したんだが、もう年だし、老衰じゃないか」

父親は冷静に他人事のように言った。

僕はばあちゃんを見つめた。ばあちゃんは僕が知っているころより、随分と小さくなっていた。腕や首も大分細くなってしまって、皺が一層浮き彫りになっていた。


「おばあちゃん。お兄ちゃんが来てくれたよ」

妹はベットに寝ているばあちゃんの顔に自分の顔を近づけて、大きな声で言った。ばあちゃんは最近は耳が遠くなっていたので、普段からそうしていたのだ。

するとばあちゃんはうっすらと目を開けた。

反応があるとは思っていなかったのだろう、母親と父親がビックリしてお互いに顔を見合わせた。


「お、おばあちゃん分かる?お兄ちゃんだよ。淳一だよ」

妹も驚いたようで、興奮したようにばあちゃんに話しかける。

ばあちゃんは、目を半開きにして首を少しだけ右に傾けて、僕を見た。

確かに僕と目があった。


「お兄ちゃん。ほら」

妹に促され、僕は入れ替わるようにベットの横に腰を落としてばあちゃんに顔を近づけた。

ばあちゃんは呼吸が苦しいのか、口をパクパクとさせていた。


「…い……ち、さん」

!?

「何か言っているよ。何?何なの、お母さん」

背後から母親が声をかける。

「そのマスクをはずせ」

向かいがの椅子に腰掛けて覗き込んでいる、父親があせって言う。

「いいのかよ」

「かまうもんか。遺言かも知れないんだぞ」

僕は戸惑いながらも、おそるおそる酸素マスクのゴムの部分を緩める。


「きょ…う、…ち。……」

ばあちゃんはもう一度口をパクパクとさせて、何かを言おうとしていた。目の端に涙をためながら全身の力を振り絞るように、口から声にならない音を出した。

僕は思わず、ばあちゃんの手を握った。

「な、何だって?」

父親が妹の顔を見る。

「分からない。」


ばあちゃんは僕の手を一瞬、弱弱しい力ではあったがはっきりと握り返した。そして満足したように首を仰向けの位置に戻し目を閉じた。

その拍子に、ばあちゃんの目の端から涙がするりとこぼれた。


そしてばあちゃんは死んだ。





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