綺麗な妹と、醜い姉
「クレハム、お前の婚約相手だ」
帰宅した父は、書類と一緒に机の上に広げた一枚の写真を手に取った。
「綺麗な嬢だろう。ヴァルモア侯爵家の次女、エリル・ダルグ・ヴァルモアだ」
ヴァルモア侯爵家……あの噂の?
「この娘なら、我がハルマイン家にも相応しい」
確かに、綺麗な女性だ。写真からでもわかる淡い薄紅色の髪、 整った鼻筋に、長いまつげ。そして、透き通るような綺麗な肌。
「はい。お受けいたします」
「では、こちらで日取りを決めよう。なに、お前の都合でいい。こちらが指定した日に向こうからーー」
「お待ちください。私が出向きましょう。相手方の都合を聞いていただければ合わせます」
父は渋々、私の頼みを聞いてくれた。
ハルマイン公爵家の嫡男が、わざわざヴァルモア侯爵家に出向くというのがよほど引っ掛かったのだろう。
けれど、どうしてもこの目でみておきたかった。噂のあの人を。
後日、従者の案内でヴァルモア侯爵家にやってきた。同じ国内にしては長閑な街といった印象だ。
「お初にお目にかかります。ヴァルモア侯爵家次女のエリル・ダルグ・ヴァルモアと申します」
ヴァルモア侯爵家の門の前で、綺麗な女性がドレスの裾をつまんで一礼する。
私が来るのを待っていたのだろう。この見た目に加えて気遣いも出来るとは、なんと素晴らしい女性だろうか。
「ハルマイン公爵家のクレハム・ハルマインです。今日はお招きいただき感謝します」
堅苦しい挨拶もそこそこに、私たちは彼女の誘いで園庭を散策することにした。
物腰も柔らかく、お淑やかな女性だ。特に、写真で見たときよりもくっきりとした目が印象的で、高い鼻筋が容姿全体を調和させているような顔立ちだ。
「わたくし、本当に嬉しかったのです。今日、クレハム様がお越しになると聞いて。婚約者に決まったと両親から聞いた日は、なんど姿見の前でドレスを着替えたかわかりませんもの」
「ありがとう。私も嬉しかったよ。こんな綺麗な女性と婚約できるなんてね」
だが、お互いの第一印象から話が両家の挨拶や初顔合せの話題に移ったとき、エリルの様子が突然変わった。
「どうかした?」
「クレハム様はご存知ないでしょうか……。わたくしの、姉のことーー」
「……ああ」
ヴァルモア侯爵家の姉、有名な話だ。
一週間。下手をすれば一ヶ月の大半を屋敷の中で過ごすと聞く、ヴァルモア侯爵家令嬢の長女。
普段から彼女の手足となるのは侍女だろうけれど、どうしても外に出なければならないときは、目元までしっかりと隠れる深いハットに、上は口元まである長い外套を着用するそうだ。まあ、あくまで噂だが。
だが、ヴァルモア侯爵家令嬢の姉妹をこのように形容する者もいる。
『白い妖精と赤い悪魔』
このたび、私がヴァルモア侯爵家に出向いた理由でもある。
「今日は本当に楽しかったです。またお会いできる日を楽しみにしていますわね」
その日は一旦、ヴァルモア侯爵家の門前で別れて帰路につき、後日改めて両家の顔合わせがセッティングされることになった。
「お前も変わり者だな。わざわざこちらから出向きたいだなんて」
「お時間を作っていただき感謝します、父上。それでは、参りましょう」
午前中は、私とエリルの二人を除いた両家の顔合わせが行われた。
「わたくしたちも参りましょう」
その間、私たちは街中を散策するために馬車に乗り込む。
人は多いが、やはり私が住む街と比べて落ち着いた印象がある。主調しすぎない噴水に、街の中央に位置する時計台など、この街の情緒を表している箇所がいくつも目立つ。
特に、あの煉瓦を組み上げた建物の並びは別格だ。街並みを彩る造りは爽快そのもので、まるで街の景観を一段も二段も引き上げているように感じる。
「そろそろ戻ろうか、エリル」
午後も近づき、そろそろヴァルモア侯爵家に戻ろうかという時間になったとき、彼女を見るとなんだか浮かない顔で俯いていた。
私がもう一度声をかけると、エリルは俯いたまま口を開く。
「わたくし……。本当のことを言うと、クレハム様を姉に会わせたくないのです」
「大丈夫さ。君のお姉さんだ、婚約者としてしっかり挨拶はしておかないと」
こんな風に、最初は他愛もなかった。
だがここから、白い妖精の口から、赤い悪魔について語られていくことになる。
「ーーですからわたくし、本当に気持ちが悪くなってしまって。もう一緒にいることすら恥ずかしく、嫌で嫌でたまらないときもありますの」
(これは……)
ただ仲が悪いだけの姉妹といったニュアンスとは違うようだ。エリルは、この妹は、明らかに実の姉を『攻撃』している。
姉を蔑み、軽蔑し、嘲り、一歩違えば何か深い闇に陥れるまで感じられるその言動に、どこか不快感を覚えたのは私だけだろうか。
「それでも、せめて挨拶はさせてもらうよ」
そう締めくくって、馬車を降りた。
門をくぐり、扉を開ける。中には、お茶をもてなされた父とエリルの両親だけ。姉はーー
「おかえりなさい。……あら?」
二階から、ゆっくりと静かに降りてくる。
部屋着にしては少し豪華で、夜会に行くには少し寂しいドレスに身を包んだ一人の女性。
「お初にお目にかかります。ヴァルモア侯爵家長女のリリアナ・ダルグ・ヴァルモアと申します。本日はご足労いただき、そして妹との婚約まで、本当に感謝しております」
(これは……)
自分自身で下した判断か。
失礼がないようにと諭されたのか。
小刻みに震える両手は緊張の現れか。
舞い降りたその女性は、深いハットも襟の長い外套も身に付けず、初対面である私と父に素顔を晒した。
きっと、想像もつかないほどの勇気を振り絞ったに違いない。彼女の覚悟に、私も誠心誠意応えなければ。
「初めまして。ハルマイン公爵家のクレハム・ハルマインと申します。貴方のお話は婚約者のエリルから窺っていました。お会いできて光栄です」
目を見て話したかったが、彼女は俯いたまま視線を上げようとしない。それでも彼女なりに精一杯、義理を通そうとしてくれていることは伝わった。
「……」
震えている。そんな彼女の顔は赤くただれていた。
いや、顔だけではない。腕も首も踝も、肌が露出している部分はほぼすべて赤くただれて膨れ上がっていた。
「お、お見苦しくて申し訳ありません……。 それでは、わたくしはこれで失礼させていただきます」
彼女は背筋の張った美しい一礼をし、踵を返す。
一瞬だ。ほんのわずかな時間しか見ることは叶わなかったが、なんと。なんと、美しい女性だろう。
「クレハム様?」
確かに、初めに目がいったのは赤く膨れ上がった彼女の肌だ。そこは認めよう。しかしーー
「……もしかして、姉が原因で……?」
赤くただれ、膨れ上がった肌の隙間から映った彼女の表情。そして甘く、まるで水の上に浮かべられるかのような気分になる柔らかな声。
「クレハム様、お気を確かに!」
それだけじゃない。あんなドレスでは隠しきれない品のある佇まいに、一歩踏み出すごとにほどよく靡く、装飾品すらただの石ころに見えてしまうほどの麗しい金色の長い髪。
本当に、本当に、ただ美しい。
「クレハム様、よろしければ気分直しに園庭にーー」
「いや、結構だ。それよりもエリル、そろそろ支度しておいで。婚約に関する書類は私が目を通しておこう。午後のお茶会、催してくれているのだろう?」
「も、もちろんですわ! ありがとうございます。すぐに支度して参ります!」
正式な婚姻でもないため、記載する書類などたかが知れている。エリルの支度を待つあいだに一通り目を通して、私たちは再び街へと馬車を走らせた。
「先ほどは大変失礼いたしました」
「は?」
「……え?」
「あ、ああ、いや! 大丈夫だよ、気にしていない」
何のことかわからず、思わず素で聞き返してしまった。失礼?支度に時間がかかったことだろうか。
「クレハム様、こちらです!」
お茶会は、ヴァルモア侯爵家御用達の会場で開かれた。
徐々に人が集まり、時間が経過するにつれ、会場は貴族間のちょっとした舞踏会のような雰囲気に包まれはじめる。
「少し涼んでくるよ」
一人、抜け出した。どうにも、姉のリリアナのことが頭から離れないのだ。
可憐だったからという理由だけではなく、なんなのだろう。あの赤く膨れ上がった症状……以前、どこかの論文で読んだ気がするのだが。
しばらく考え込んだあと、会場に戻った。
エリルは知り合いの令嬢たちとお喋りを楽しんでいたので、飲み物を取ってから近くの席へと腰を下ろす。
そのときだった。
私は耳を疑った。何度も首だけを向けて確認もした。エリルだ。エリルの口から、姉の、赤い悪魔の話が止めどなく溢れ出る。
おそらく、私に話たことなど10パーセントにも満たないだろう。その10パーセント未満の愚痴でも、実の姉に対して『攻撃』していると感じたのだ。初見の私が、だ。
親しい友人ともなればこうも忌憚なく言えるものか。くっ……もうやめてくれ。聞くに耐えない。反吐が出そうだ。
(そういうことだったのか……!)
私はこのとき確信した。『白い妖精と赤い悪魔』この噂を流しているのは、間違いなくこの妹であると。
王都に住む私でさえ聞いたことがあるのだ。どれほどの期間、何人に対して、姉の噂を垂れ流してきたのか。想像するだけで頭がおかしくなりそうだ。
それにもう一つ。エリルは、道中の馬車の中で私に「先ほどは失礼いたしました」と頭を下げた。なんのことか全くわからなかったが、よもや姉のことだったとはな。
(お前の姉は恥を忍んで、ヴァルモア家とお前のために、私や父に素顔を晒して挨拶したのだぞ……!)
怒りでどうにかなりそうだったので、もう一度、グラスを片手に外に出る。
頭を冷やすために、ガラスに映る、顔を赤く染める自分を見つめた。
「……そうか!!」
突然、思い出した。あの症状、今や発症者がいなくなったと記されていたあの症状とそっくりだ。
私は、令嬢たちと盛り上がるエリルのところへ小走りで戻り、婚約に関する書類を一通だけ父に渡し忘れた。そう誤魔化して、急いで会場をあとにした。
園庭で会話を楽しむ両家の目を盗み、そそくさと二階に上がる。
部屋は三つ。おそらく、ここだろう。
「失礼する。妹の婚約者、クレハム・ハルマインだ。姉の君に話がある。どうかこの扉を開けてほしい」
もちろん、一回のノックで応答してくれるとは思っていない。開けてくれるまで、私は何度でも。
「お引き取りください」
扉越しに、あのときの心地好い声が聞こえてきた。いや、今は美しさに浸っているときではない。
「そうはいかない。私は、君に話があって戻ってきたのだ」
「お見苦しい姿なのは先ほどの通りです。クレハム様を不快にさせたくありませんので、どうかお引き取りを」
「私を不快にさせたくない? では君は、これまでの人生、そしてこれからの人生を。そうやってなんでも他人を優先して、自分は『我慢』して生きていくつもりなのか?」
「……大袈裟です。クレハム様とは挨拶のときにお会いしただけ。そんな、なんでも分かっているような言葉をかけないで……」
「大袈裟なものか。それに、わかっていないのは君のほうだ」
私は折れなかった。
「君は挨拶のとき、私に素顔を見せてくれたな。なぜだ」
「……失礼がないように」
「よし。では扉を開けてくれ。ハルマイン公爵家嫡男、クレハム・ハルマインが直々に訪ねてきている。ここで私を無視するのであれば、これ以上の失礼はない」
震えた。開けてもらうためとは言え、こんな脅迫に近いやり方では、こちらが失礼極まりない。
「あとで存分に謝罪する。どうか、この扉を開けてくれないか」
「……ただいま」
扉は開かれた。姉のリリアナだ。
私は部屋に入れてもらい、まずはリリアナの話を聞くことにした。無理やり訪ねてきたのは私の方だというのに、赤い悪魔の話をきっかけに、リリアナはちゃんと私と面と向かって会話をしてくれた。
リリアナは卑屈だった。
傷を抉りそうだったから聞けなかったが、リリアナはおそらく、妹のみならず常に周囲からも蔑まれてきたのだろう。
これは卑屈になってしまうのも仕方ない。そう思えるほどの内容だった。でも、それでも私は、リリアナに前を向いてもらいたかった。
「よく聞いてくれ、リリアナ。君の肌はただの症状であり、君の症状はただの病気だ。君が話してくれたような呪いでもなければ、君は噂されている『赤い悪魔』なんかじゃない」
「……本当に……?」
「ああ。嘘ではない。君は、美しい」
私は一人分の距離を取るリリアナをたぐり寄せ、その華奢な手を両手で包んだ。
「私が君を治してみせる。どうか信じて」
そっと部屋から退散し、園庭を見渡した。
従者を使って、ヴァルモア侯爵家両親になんとか気付かれないように父を呼び出し、妹の、姉に対する行いや自分が見聞きした事の顛末を伝えた。
「ーーでは、婚約を待ってくれと?」
「そうなのですが。やり方を間違えてしまい、解消されると厄介です。どうにか上手く……」
「クレハム、私を信用しろ」
父は私の意図を汲み取り、綺麗に便宜を図ってくれた。
そして、帰路につく馬車の中で、リリアナを救いたいこと。そのために、彼女を自宅へ連れ帰り、自身の部屋や王都の施設で治療したいことを合わせて伝えた。
父は寛大だ。何も言及することなく、無言で頷いてくれた。
そして後日、ハルマイン家従者に連れられてリリアナが我が家にやってきた。私も迎えに行きたかったが、リリアナを連れ出す口実上、お前は屋敷にいてくれないと困る。そう釘を刺された。
こうして、私とリリアナの、治療という名の『前を向く練習の日々』が幕を開ける。
大丈夫。君なら必ず乗り越えられる。
私は、そう信じている。
一年後ーー
リリアナは治療に耐えきった。痛みを伴う治療だったはずなのに、彼女はひたすらに前を向いた。
どうやら痛かったのは心の方だったらしくて、泣きながら、今までの辛かったことを私にだけ打ち明けて、また泣いた。
「リリアナ。私が側にいる」
頭を撫でながら、私は彼女を抱きしめた。
最初は、泣いて泣き止んでの繰り返しだったけれど、少しずつ、泣いたあとの彼女からは笑顔がこぼれるようになった。
嬉しかったのは、私がプレゼントとして贈ったドレスを身につけてくれて、二人で初めて夜会にいったある日のことだ。
彼女は慣れない土地で、父に頼んで少しの期間だけ働いていたことを打ち明けてくれた。
「知らなかった。言ってくれればお金はーー」
「自分で稼いだお金で、貴方に恩返ししたかったのです。受け取ってくだされば、嬉しく思います」
そう言ってハンカチをプレゼントしてくれた。
箱に入った裸のままのプレゼント。包装紙は高価で、お金が足りなかったと。それでも彼女は。
「いつも支えてくれてありがとうございます」
包装紙よりもずっと素敵な言葉で優しく包んでくれた。
私は、人前ということも忘れて、嬉しさのあまり号泣した。
彼女が我が家にやってきてからちょうど一年半が過ぎた頃。私とリリアナの婚約が正式に決定した。
両家家族と、両家に所縁ある貴族や知人のみで開かれることになった婚約式。その会場には、妹のエリルがあのときお茶会で仲良くしていた令嬢たちを連れて盛り上がっていた。
妹エリルとの婚約は無事解消されることになったが、正直、文句の一つでも言われることは覚悟していたつもりだ。だが、ここから見る限り、エリルは令嬢たちと楽しそうに笑っている。
もしかすると、祝福の気持ちで来てくれているのかもしれない。一瞬でも、そう思ってしまった自分が腹立たしい。
「赤い悪魔はどこかしらね! あぁ、早く見たいわ、悪魔の花嫁姿!」
エリルの言葉に、連れの令嬢たちもくすくすとすすり笑っている。エリルに賛同しているとしか見えず、私は拳を固くにぎり締めた。すると横からーー
「素敵なお顔が台無しです。せっかくの婚約式なのですから、どうぞ笑ってください」
にこやかな笑みを浮かべたリリアナが私を嗜めた。こんな笑顔を向けられては怒る気にもなれないな。
よし。いいだろう、エリル。自分の目でしっかりと見るがいい。お前が期待する、赤い悪魔を。
「な……なっ、なんで!? どういうこと!?」
エリルは青ざめた顔のまま尻餅をついた。実の姉であるリリアナを見て、腰を抜かしたのだろう。
リリアナの、赤くただれて膨れ上がった肌はすべてが沈静化し、赤みも綺麗に消え、従来の肌艶を取り戻していた。
容姿そのものに加え、もともと立ち振舞いや所作ですら美しかったのだ。あの外見さえ従来の自分に戻すことが叶えば、この美しさもなんらおかしなことではない。
「そんな……嘘よ、こんなの嘘に決まっているわ……!」
エリルが連れてきた令嬢たちの反応も中々に見応えあるものではあったが、やはり主役には勝てなそうにないな。
主役をその場に残したまま、私は式場の中央に向かった。
「リリアナ」
改めて見た彼女の肌は、透き通るように白く美しい。以前の面影はなく、深い帽子も長い襟もない。
エリルはまだ何か叫んでいる。確か、白い妖精だったか。今の彼女を見ていると、そんな地面をバタバタと這いずり回る妖精などいないと笑ってしまう。
「クレハム様。これからも、どうぞよろしくお願いしますね」
リリアナが私をまっすぐ見つめて微笑みかける。
「わたくしは、あの日のことを一生忘れません」
私もまっすぐ、リリアナを見つめ返した。
「あなたが、わたくしを見つけてくださったこと」
「ああ、私もだよ。リリアナ」
「これから先、何があっても。わたくしはあなたを愛し続けます」
私はまた、人前だというのに泣いた。
「私もだ!」
私は、今日という日をきっと忘れないだろう。
これから先も、この女性の隣にいることだけは、決して手放さないと誓おう。




