吐露
何か懐かしいことを思い出していた気がする。
そういえばふとした拍子に自分はどうしてこうなったのかを考えることがある。
それは悲観的なのかそれとも楽観的なのか、私には判別がつかない。
先に弁明をすると何か、嫌なことや楽しいこと、突拍子もないことがあったわけでもなく
ただ漠然と日常を謳歌する中でふとした拍子にまるで昔を懐かしむかの如く
「ああ、そんなこともあったな」とまるで過去の出来事を回想するかのごとく頭に浮かぶ。
昔、といってもそこまで昔ではないのかもしれない
世間体に言うところのたかが20数年前のことであり、私が私になったそんな頃
私はあることに気が付いた
それは突拍子もなく、まるで「そういえば昨夜月がきれいだったよ」とでも言わんばかりの
消して見れなかったことを悔やむのではなく、ただ「ああ、そうなんだ」となりそうなそんな軽い思い付きのようなものだった
「私は小学3年生よりも以前の記憶を何一つとして保有していなかったのだ」
それは当時の脳みその容量を考えれば酷く当然のことかと思いつつ、それでもある一定期間の記憶がすべて
まるで本がみっちり詰まった本棚からシリーズ物の1巻から最新刊までを一気に貸し出した状態のまま放置された図書館のような
そんな空虚感があった。
当時は東日本大震災が騒がれていたころだろう。
「ある日突然、今までの生活のすべてが一変したらどうでしょう」と告げてくるキャスターの言葉を反芻しながら考えていた時の出来事だった。
といってもたかが小学3年生だ
数に数えると8年や9年そこらの話。
自分が自我を獲得してから8年や9年たつまで自分の記憶の空白に気が付かなったのかと考えるとあまりにもおかしく
そうか自分は自分であることの認識が薄いのだと結論付けていったんこの話は終わった。
消して悲しかったとか嫌だったとかそういった感情は一切なく
「そうか、自分はそういう人間なのだな」とある種の自己分析を完了した達成感まであった。
とはいえ、冷静に考えてそこまでの記憶の空白となるととても怖いものがある。
何せ去年の自分と今の自分で性格が正反対の可能性があるからだ。
よく考えてみてほしい
仲良くしていた友達がある日を境に急激に人間が変わってしまったら
当然怖いだろう
小学生だ態度にでも出るしもしかするといじめの原因にもなりかねない。
当時毎日読書を行い図書館にある本をすべて読破すると意気込んでいた私にとっては由々しき事態である。
平穏な毎日があってこその読書ライフだ
そう考えた私はひとまず今までの自分を振り返ることにした。
それはもう熟考して三日三晩寝る間も惜しんで考えたが、何も思い浮かばなかった
そもそも忘れたではなく存在しないのだ 思い出せるわけもなかろう。
三日目でそれに気が付いた私は聞き込みという調査の方向へ転換した
まずは友人だ
当時は小学生だそれはもう恋愛ものや占いなどはやりに流行りまくっていた
プロフィール帳もその一種だ
そこで私は占いの項目にあった「私を動物に例えるならどんな動物ですか」「私を一言で表すなら」といったありきたりで私をよく知っていないと答えにくい質問を投げかけてみた
するとどうだろう
それは今の自分からは考えられないような明朗快活といった言葉がぴったりな子供像が浮かび上がった
どこにでもよくいるごく普通の
そうだな
たとえば走り回って泥だらけになって母親に怒られるような
父親にお菓子を買ってと可愛くねだるような
毎日放課後だけではなく休み時間も含めて、時間があればあるだけ外のお天道様の下で堂々と遊び歩いている
そんな明るい子供の印象を私は受けた
対して今の私はどうだろう
毎日学校に来てすることといえばドッジボールではなく図書館に入り浸り読書三昧
私としては今後の人生も本が読めるならば何でもよく毎日読書に明け暮れて隠居した穏やかな余生を送りたいとそう考えるような根暗な引きこもり人間だ
一体どこでどうなったら明朗快活が根暗になるのかまるで正反対ではないか
そしていつかもわからないがある日を境にそんな正反対の人間になってしまった自分とよく同級生として平気な顔をして接することができるなとある種の尊敬のような感情を同級生に抱いたのであった
そんなこんなで私の中にある空白の人生では、私は正反対の人間として生活をしていたわけだがここで疑問が起こる
普通に考えれば百歩譲って同級生が急に変貌しました!!と言われたらまあ同級生だしなとある程度許容はできよう
子供だしそこまで深く考えないだろう、うん
だが親はどうだろう
365日毎日心身を共に過ごしてきた両親がこの変貌に気が付かないわけがない
というかこれで気が付かなかったらそれこそ児童相談所案件だ
とまあこんなことを言いつつ私は特に何もしなかった
同級生に行った捜査まがいのことは子供であった上に何をしても自分の人生に何の影響も与えない赤の他人であって失敗してもリスクがなく楽しく行えると考えての行動であった
しかし両親はどうだろう
それこそ機嫌を損ねれば死んでしまうかもしれない
というのは大げさだが例えばご飯が出なくなるとか例えば虐待を受けるとかそのような方面
いわゆる人生の継続ができなくなると考えたため行動をしなかった
さて、ここで普通に愛されて普通に生きた普通の人間は思うだろ
「なぜ娘が親に対して「自分の過去を知りたい」と聞いただけで人生の継続ができなくなること心配しているのだろう」
と
ありていに言えば、そうだな2026年最新版ではこういう家庭を表すぴったりな言葉がある
「機能不全家族」、「毒親」
そう、私は機能不全家庭で育ったいわゆる愛着障害を持つかわいそうな哀れな人間なのだ
今までの虐待児とどう違うのかといわれるとそれこそ専門家の説明を聞いてくれというのが一番適切ではあるのだがある程度簡素に話すならば
「子供が子供を育てている」そんな状態だったあくまで我が家の話だが
いわゆる「子供の幸せは親の不幸、子供の不幸せは親の幸せ」といった状態だ
私が失敗談をすれば親はにこにこするしバカであればバカであるほど喜ばれた
逆に友達が親とこんなことをしたやどこどこに連れて行ってもらってたというとヒステリーを起こす
、そういや「母親ヒス構文」というのも最近はやった気がするな
あれを現実で行われていたというのが一番適切だろう
つまるところ私にとって両親とは「命のたずなをにぎられた状態でいつそれをどのように扱われるかの基準も存在せず、かといえ実際の私を一個体として認識することもできない。」そんな人間だ
今思えば自分の理想の娘像というものがあり、それを私に押し付けながらその虚像と共に生活をしていたのだろう
年功序列で年齢と役職だけが上がって何の能力もなく責任も取らないそんな人間が日本にはたくさんいる。
それの親バージョンだと思ってほしい。
あの人たちに子供をはぐくむだけの能力はなかった。と思う
とはいえ自分がいま20そこらになって考えるのは、本当にできた人間は子供を育てていないし
私には子供を育てるだけの力はないので誰かを批判することもできないということだ
そんなこんなでこの話は終わりだ
とはいえ過去のことを同級生に聞く過程である程度思い出したこともある
それは自分が過去に同級生にされたことでそれを親にうれしいこと楽しいこととして話をしたのにもかかわらず、親はそれをいじめだと重くとらえてそのせいで同級生からいじめられてしまったということだ
おそらくこれが全部なのだろう
私がどれだけいじめではなかった楽しいことだったと母親に伝えても一切聞く耳を持たずただかわいそうな子として扱われた
私がそれを同級生に伝えても誰も信じてくれなかった
現実として母親が校長室に殴り込みに言っているのだから
誰も私を信じてくれなかったし誰も私に寄り添ってくれなかった
それだけ思い出して、、どうしようもなくただそうなのかと感じた
もしかすると悲しかったのかもしれない
もしかすると悔しかったのかもしれない
もしかすると、
もしかするのかもしれない
けれどそれは過去の私の感情であり、今更それをどうにかできるだけの能力を私は有していない
それはとても悔しいような悲しいような
ただ無力感だけは確かだった
まるでプールに入るために水着に着替えたのに、先に準備運動をさせられているような
まるで大好きなおやつが目の前にあるのに、ずっと待てをされているような
そんな気持ちだ
そんな時に思い出すことがある
夏の朝焼けの中の澄んだ空気のにおいを思い出す。
夏の海ではしゃぐような暑い日差しの中。
私は何を考えていたのだろう
あの時の私はまるで他人のようだった
どれだけ私の過去の話だと自分自身に訴えかけても
まるで滑り落ちていくかのごとく現実味がなく
自分のことであるという実感もなかった
私は誰だろうか
よく考えることがある
過去の私が今の私に侵食されずにずっとあの頃の形を保ったまま心の奥底にいる
そんな気がする。
もう会話もできないあなたへ
今何を考えて何を感じていますか。
私は誰なんでしょうか。




