紙の上のワルツ
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彼女が死んだ。
葬式の帰り、いつの間にか握っていた手がほどけていた。
手から溢れたものはなんだったのだろうか。
* * *
自分の部屋に戻ってきた。
机の上には一通の封筒が置かれていた。
出掛ける前の部屋の中を思い出してみる。
机の上なんて気にしていなかった。
思い出せず眉間に皺を寄せる。
そのまま封筒をつまみ上げると、中を開いた。
カサカサと紙の音だけが部屋に響く。
見覚えのある字。
綺麗ではあるが少し丸文字の可愛らしい彼女の字。
死んだはずの彼女から手紙がやってきた。
(実は忘れていた手紙?)
内容は他愛のないものだった。
彼女は誰に出しているのか分からないようだ。
知らない手紙の貰い主に自分のことを説明していた。
机に肘をついて読んでいた。
今はただ呆然とこの謎の現象に理由をつけようとしている。
彼女の死に加えて、目の前の怪奇現象まで受け入れられそうにない。
丁寧に手紙をしまうとすぐに布団に潜り込んてしまった。
それから毎日、手紙が届いた。
内容は日記のようだった。
どこへ行った、何を食べた、何を考えた。
誰に宛てたのか分からないまま、彼女は自分のことを書いていた。
読んでいるうちに、記憶が勝手に補完されていく。
おそらく次は水族館に行く日だった。
* * *
珍しく帽子を被った彼女の姿を思い出す。
ベレー帽に小さなリュック、Aラインのピーコート。
(可愛いな。あの帽子似合うな)
心の中では、確かにそう思っていた。
だがあの日、口に出せなかった。
「いつもと違うね」としか言えなかった。
二人で選んだはずの水族館は、楽しい場所だったはずなのに、
笑っている声が、どこか作り物のように響いていた。
帰り道、ひとりになってから、ほっと息をついたことまで覚えている。
後になって、喧嘩の最中に言われた。
『あの時も、可愛いのひと言もなかった』
口の中に、苦味が広がった。
* * *
次の日の手紙にも、やっぱり水族館のことが書かれていた。
どれだけ時間をかけて調べたか。
何を一緒に見たかったか。
“楽しみにしていたのに”
そう書いていないのに、そう読めてしまった。
部屋の電気を点け、便箋を前にする。
ペン先が揺れた。
これは本当に彼女のためだろうか。
言えなかった言葉を、今さら安全な距離から並べているだけじゃないのか。
返事が来なくなったら、
この手紙は誰のものになるんだろう。
胸の奥が、少し冷えた。
それでも書いた。
あの日、可愛いと言えなかったこと。
聞けばよかったのに、聞かなかったこと。
本当は、ぬいぐるみをお揃いで買いたかったこと。
ごめんねをいくつも重ねて、手紙を出した。
次の朝、返事が来ていた。
可愛いと言ってもらえなくて、がっかりしたこと。
自分も恥ずかしくて、格好良いと言えなかったこと。
手を繋ぎたかったこと。
それを書けたのは、ちゃんと気持ちを書いてくれたからだと。
胸の奥から、じんわりと温かいものが広がった。
それから、手紙のやりとりは続いた。
謝罪と、感謝と、後悔ばかりだった。
日付だけが増えていく。
内容は、ほとんど変わらないのに。
知らなかった彼女の気持ちを知り、
知らなかった自分の未熟さを知った。
それでも、もう少ししたら彼女は倒れる。
残り少ない日々が、
少しでも楽しい思い出に変わるなら、それでいいと思った。
* * *
彼女からの手紙は、次第に薄くなった。
入院しているはずだと、分かっていた。
あと半年ないことも。
彼女が好きな話を今になって調べて、手紙に書いてみるんだ。
『物知りだね』
『こんな話に付き合ってくれるの嬉しい』
生前彼女から言われたことのない言葉。
今更、胸が熱い。
もっと色んな話をすればよかった。
この先、すぐに彼女は身体を動かすのが困難になっていく。
そしたらこの手紙のやりとりも終わってしまうから。
彼女の照れたような上目遣いも、緊張して胸で息している時も可愛かった。
頬を少し膨らませた顔も可愛くて、からかってしまったけど、本当はもっとありがとうを伝えたかった。
(これは本当に彼女のためなのか?)
そう疑念が頭を横切る。
彼女からの返信は途切れていた。
それでも書かなくなったら何もかも終わってしまう。
(嫌だ)
身体が強く拒絶する。
最後の季節がやってきた。
自分はありがとうしか伝えられないから。
最後までずっと
ありがとう
ありがとう
ありがとう
これも今日で終わる──。
* * *
次の日は、彼女の命日。
一年前の彼女と繋いだ昨日までの日々。
一年後の未来の俺は今まで彼女から貰った手紙を持って会いに行く。
不思議と会える気がするんだ。
電車を乗り継いで、駅から三十分ほど歩いたところ。
目の前には四角い墓石。
一年前、ほどけた手を思い出す。
あれから彼女との手紙のおかげでいろんなものが手の中に返ってきた気がする。
“彼女のために”と始めた手紙はいつしか自分のためになり、伝えられなかったたくさんの言葉を手紙に綴った。
彼女からも知らない言葉がたくさん返ってきた。それは今ままで知らなかった彼女の想い。
感謝の念を込めて、頭を大きく下げた。
ふと、彼女の気配がした気がして、振り返る。
すると彼女の母親が少し驚いた様子でこちらを見ていた。
「恭介くん? 会えてよかったわ。実はね──」
彼女の母親から分厚い封筒を受け取る。
「いつも手紙をやりとりしてくれてありがとうね。あの子が字を書けなくなってからも毎日届くあなたの手紙にいつも泣いていたのよ。私もずっと感謝を伝えたかったの」
「そんな⋯⋯俺の方こそ救われました」
彼女の母親の姿が見えなくなるまで見送ると、封筒をそっと開ける。
何枚かは前の彼女のように可愛らしい字で書いてあった。
* * *
恭ちゃんへ
今日は久しぶりに調子が良いので、手紙を書きます。
たぶんこれが最後になると思います。
初めて手紙を書いた時、未来の恭ちゃんに届いたと聞いて驚きました。
でもこうしてやり取りするのは一人でできないので楽しかったです。
ワルツって知っていますか?
二人で特有のリズムでするダンスのことです。
ワン、
ツー、
スリー
恭ちゃんのごめんね
私のありがとう
恭ちゃんのありがとう
私のごめんね
恭ちゃんのありがとう
私のありがとう
恭ちゃんのありがとう
私のありがとう
楽しいね
私の苦しい
恭ちゃんのもっと聞くよ
私のありがとう⋯⋯
喧嘩して悲しい夜も伝わらなくて悔しい日もたくさんありました。
それと同じく喧嘩して後悔した日も謝りたい日もたくさんありました。
未来の恭ちゃんと手紙をやりとりできたおかげで、ちゃんと謝ることができました。
そして感謝も伝えることができました。
本当にありがとう。
私は幸せ者です。
いっぱいの苦しいも楽しいも悲しいも嬉しいもたくさん聞いてくれてありがとう。
もし、未来でまた会えるなら残りの手紙をもらってください。
* * *
俺は濡れた指で紙をめくる。
次の紙には蛇の這ったような曲線。
次も手で針金を曲げたようなぎこちない線。
次もその次も──。
でもそれが何かは、分かった。
“彼女のありがとう”だ。
自由のきかない手で。
それも利かないなら口でペンを咥えて。
それでも彼女のありがとうも俺のありがとうとワルツをするように見える。
ありがとう ありがとう
ありがとう ありがとう
ありがとう ありがとう
ありが とう あり がとう
あり が とう あり が とう
あり が と う
あ り が と う
彼女の言葉は俺に溶けた。
その温かさに満たされた。
そして、俺は手をしっかり握ると、一歩踏み出した。
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