バレンタイン
「セイちゃん、今年の発注は十五で確定です」
明日人は大学から帰ると、レジ袋に入ったチョコをリビングのローテーブルに並べた。小箱に入った物や、メッセージ入りキットカット、既製品の詰合せ。大小様々だ。
バレンタインの前や当日は、チョコをたくさん貰う日。
明日人はそれを疑うこともなく、そういう物だと刷り込まれて育っていた。
翌月のホワイトデーは水谷が作って渡すまでが慣例になっている。
「え? 大分減ったなぁ……」
ソファに腰掛けながら、水谷誠司は明日人がもらったチョコレートを眺めた。
「今年は彼女出来たって宣言しちゃったから。全部、友チョコと義理だよ。お返しは、レーズンバターサンドにして」
「あー? マシュマロで良いじゃん」
「マシュマロ飽きた」
贅沢な身分である。大概の菓子は水谷が作れるので、明日人は増長している。と水谷は思った。
「レーズンバターサンドって、割れないようにすんの大変過ぎるだろ」
「あ、そっか。じゃ、マカロンで良いや」
明日人は水谷の隣に座った。
「簡単に言いやがって。十五人分だろ? 一人五個としても、七十五個。二枚ずつで百五十。割れ、欠け無しで作るのは俺なんだぞ? 神経遣うし、かなり、大変なんだからな」
ホワイトデーのお返しは、明日人の評価に関わるので気が抜けない。
製造日、原材料、消費期限までシールでプリントアウトし、風味が落ちないよう脱酸素シートまで入れた。
この完璧主義のせいで、専門店で買った物を渡していると毎年勘違いされる。
「じゃあ、チロルチョコでよくない? その方がセイちゃんも楽でしょ?」
「えー。うーん。……それは、俺が嫌だ」
「なんでさ?」
「明日人のイメージダウンになる」
「イメージダウン? ちょっと見栄っぱり過ぎない? 俺のイメージって、そもそも何?」
「そりゃ、完璧な美少年に決まってる」
水谷は真顔で言った。明日人は呆れた。
「は? ないない。滅茶苦茶ハードル上げないでよ」
「でも、チョコ渡してきた子達はお前に、こう……淡い恋心を抱きながら、ちょっとの勇気を振り絞って手渡している訳だ。お返しが駄菓子って、本命じゃなかったとしても、せめて何か思い出の一つくらいは返しても、良いだろ?」
これは、長年明日人を思い、拗らせてきた水谷の投影である。
明日人にチョコを渡してきた女子の気持ちが理解出来たからこそ、勝手に彼女達へ肩入れしていたのだ。
「でもなぁ。もう、俺に片思いしてる人なんていないよ。セイちゃんいるし」
――いや、黙ってるだけでいる。絶対。明日人が気がついてないだけだ。
「そういや、香坂って、どうしてるんだ?」
「一人先輩? 就職して、とっくに彼女いるよ。――って、年賀状で報告きた」
――チッ。年賀状? 未練がましい小僧め。さっさと、その女と結婚しろ。二度と近づくな。
「懐かしいねー。でもさぁ。今年は手作りチョコ無くなって良かったよ」
「手作りの菓子は、その場で絶対食うなよ?」
「わかってるよ。お腹壊したくないからね」
体調に関わる――という建前で、手作りの食べ物は受け取っても持ち帰らせ、明日人に黙って水谷が中身の確認と破棄をしていた。
大半は安全な物だが、それでも異物の混ざった物や失敗作が必ずある。
ぬいぐるみのようなプレゼントも、盗聴、盗撮機械の有無をチェックしなければならず、バレンタインは――水谷だけが――神経を尖らせる時期でもあった。
「セイちゃんレベルでお菓子作ってくる子、いなかったからなぁ」
何も知らない明日人は呑気だ。
「そりゃ、滅多にいねぇよ」
「セイちゃん。お菓子作り得意なのに、なんでパティシエにならなかったの?」
「え!? し……趣味、だし……考えたことなかったな……」
最初はAIに学習させる為の素材だった。とは言えない。
「それよりさ、セイちゃんが、チョコ貰ってきたことないよね?」
「あー。うちの会社、そういうの無しだからな」
「お婆ちゃん以外から、もらったとこ、見たことないや」
「うるせぇな。じゃあ、来月マカロンで良いんだな?」
今年は怪しい手作りチョコが無い。それを確認出来たので、話を切り上げるつもりだった。
「……やっぱり、レーズンバターサンドにして」
明日人は鞄から、オレンジ色の小さなショッピングバッグを取り出した。
「はい。……買ったのだけど。
セイちゃんへ……本命チョコ」
真っ赤になった明日人から渡されたバッグを見て、水谷は固まった。
「――え。ああ、サンキュ……」
喜びより、驚きの方が大きくて、モゴモゴと返事した。
「開けないの?」
「後で、見る」
心を落ち着けて、開封したかった。
産まれて初めての本命チョコが恥ずかしいのだ。
「あんまり、嬉しくない?」
「え? 嬉しいよ。嬉しいけど、どうしていいのか、わかんねぇ……」
明日人が上目遣いで、水谷を見つめる。
「セイちゃん、大好きだよ?」
予想外の展開に、心臓が跳ね上がった。
――キスしても、良いよな?
大丈夫……だよな?
水谷は恐る恐る明日人を抱き寄せると、ゆっくりと顔を近づけた。




