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見えてしまった世界 ―母の死から始まる霊視録―  作者: あーる


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4/6

戻ってきた日常、そして“学校の幽霊”

喰声くいごえの町での初任務を終えて帰宅したのは、夕日が沈みかけた頃だった。

 重たい玄関の扉を開けると、温かい灯りが漏れ、湿った夜気が背中を押し返すように外へ逃げていった。


「ただいま……」


 靴を脱ぎながら呟くと、ふと視界の隅に“見慣れないもの”が映った。


 ――靴箱の上に、熊の木彫り。


 妙に迫力のある顔つきの熊が、こちらをじっと睨んでいる。


「……なにこれ?」


 結さんがこんなものを買うとは思えない。

 値札は付いていないし、埃もかぶっていない。今日置かれたばかりのようだった。


 リビングから足音がして、結が現れる。


「ああ、それ? お姉ちゃんがくれたんだ」


「……お母さんが?」


「うん。民芸品店で買ったんだって。『結はこういうの好きでしょ』って」


 結は少し照れたように笑う。


「へぇ……そうだったんだ」


 葵はそう返しながら、木彫りの熊をそっと撫でた。

 母の選んだものが、こうして家に残っている。

 それだけのことなのに、胸が痛いように温かくなった。


 その夜は、疲れが一気に押し寄せ、布団に入るとすぐに眠ってしまった。



 翌朝。

 雨上がりで冷え込む空気の中、葵は制服に着替えて身支度を整える。


 鏡の中の自分は、数日前とは別人のように見えた。

 母の死。手のひらの悪霊。初めての退治。

 世界の色が大きく変わってしまった。


「……よし」


 髪を整え、鞄を持ったところで、背後から声がする。


「葵」


 振り向くと、キッチンに立つ結が心配そうな目でこちらを見ていた。


「まだ休んでいていいんだぞ。無理に学校行かなくても」


 その声の優しさに胸がじんとする。

 でも、葵は笑顔を作って言った。


「これ以上休んでたら、お母さんに怒られそうだから」


 結は一瞬だけ驚き、そのあと柔らかく微笑んだ。


「……そうね。あなたが決めたなら、それでいい。でも、少しでも具合が悪くなったら帰ってきなさい。あと――幽霊を見たら、すぐに連絡すること」


「うん! じゃあ、行ってきます」


「ええ、いってらっしゃい」


 玄関を出る背中に、結の優しさがずっとついてくる気がした。



 学校に着くと、いつもの教室。

 けれど、空気は以前と違っていた。


 葵が「おはよう」と声をかけると、クラスの生徒たちはぎこちない笑顔で返す。


「……おはよう」


「……白羽さん……おはよう」


 視線が合うとすぐに逸らされ、距離を置かれる。

 優しさからか、好奇心からか、そのどちらとも取れる微妙な空気。


 雑談しているグループの声が、葵の耳に刺さるように届いた。


「……あの子のお母さん、亡くなったんだって」


「ニュースで見たよ。首しめられてたって」


「自殺って噂も聞いたけど……」


「子供おいて死ぬとか……きっつ……」


「かわいそう……どうやって生きてくんだろ」


 ――聞きたくない。


 胸に重たい何かが落ちてきて、葵は席を立った。


 足が勝手に動き、教室を出て階段を駆け上がる。

 息が切れていても、走るのをやめなかった。


 辿り着いたのは――屋上。


 フェンスの前に立つと、風が頬を撫でた。


「……はぁ……」


 葵は深く深呼吸し、空を見上げる。

 涙が出そうになるが、必死で堪えた。

 泣くのは、もっと別の場所でいい。


 もう一度、大きく息を吸ったとき――


「……?」


 隣に、“誰か”がいる気配。


 横目でそっと見る。


 ――軍服。

 ――軍帽。

 ――背の高い、無言の“男”。


「うわぁっ!」


 悲鳴を上げて振り向く。

 だがすでに、そこには誰もいなかった。


 葵の心臓がばくばくと跳ねる。


「ゆ、幽霊……! 結さんに連絡しなきゃ!」


 震える手でスマホを取り出し、メッセージを打とうとした――その時。


 スカートに“違和感”が走った。


「?」


 後ろを振り返ると――


 幼い男の子の幽霊が、ニヤニヤ笑いながら、

 葵のスカートをめくって下着を見ていた。


「ちょ――いやっ!!」


 慌ててスカートを押さえると、子供の幽霊はケラケラ笑い、

 走ってそのまま消えていった。


「な、なにあれ……!」


 頬が熱い。

 怒りより恥ずかしさが勝って、顔が真っ赤になった。


 すぐスマホを操作し、結にメッセージを送る。


【学校に幽霊出た】


 数秒悩んだ末、もう1通追加した。


【子供の幽霊に下着見られた……】


 送ったあと、ものすごく恥ずかしくなったが、もう遅い。


 画面にはすぐに既読が付き――

 結からの返信が返ってくる。


【学校から帰ってきたら作戦会議をする】


 その瞬間、葵は思った。


――この“日常”は、もう元には戻らないんだ。


 けれど、その事実に、ほんの少しだけ安心が混ざっていた。


 葵には、守ってくれる誰かがいる。


 そして――

 彼女自身も、霊を救う道を歩き始めているのだ。


 屋上の風が、少しだけ暖かかった。

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