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見えてしまった世界 ―母の死から始まる霊視録―  作者: あーる


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2/6

手のひらの悪霊

翌朝。

 空は、まるで昨日の悪夢をそのまま映したように、どんよりと曇っていた。

 雨上がりの湿った空気が、葵の頬を撫でる。


 玄関を出た瞬間、彼女の前に立つ人影があった。

 黒いコートに、白い数珠のような腕輪。凛とした目に、どこか憂いを帯びた表情。


「……やっぱり、始まったね」


 その声は静かだった。

 けれど、心の奥を見透かすような響きがあった。


 葵は一瞬、息を呑む。

 見知らぬ女性。しかし、どこか懐かしさを感じさせる不思議な空気。


「あなたは……」


 問いかけようとした葵の言葉を遮るように、女は名乗った。


天城あまぎ ゆい。霊媒師をしてる。……葵ちゃん、あなたには“視えてしまう”血が流れている」


「……視える?」


「霊だよ。未練を残してこの世に縛られたものたち。

 ――昨夜、あなたは見たはずだ。空き地の“手のひらの悪霊”を」


 その一言が、胸の奥で冷たく突き刺さった。

 夢ではなかった。あの目も、手も、母の顔も。全部、現実だったのだ。


 結は傘を差し出し、静かに言う。


「行こう、葵ちゃん。お姉ちゃん――あなたのお母さんを、救いに行こう」


 雨がまた、静かに降り出した。

 それはまるで、空が泣いているようだった。


 母が亡くなった空き地。

 今では雑草が膝まで伸び、誰も近づこうとしない。

 風が吹くたび、枯草がこすれあって微かな音を立てた。


 葵は足を止め、唇を噛む。

 胸の奥が重く痛む――ここで、母は死んだ。


 膝が崩れ、その場に座り込む。

 土の匂いと、湿った空気。心臓の音だけが、遠くで鳴り響いている。


「……お母さん……」


 呟いた瞬間――視界の端に、母の靴が映った。

 白い靴。泥にまみれ、立っている。


「お母さん……?」


 葵は顔を上げた。


 次の瞬間、息を呑んだ。


 母の身体を支えるように、無数の“手”が絡みついていた。

 細い指が腕を、首を、足を掴み、操り人形のように動かしている。


 その後ろ――巨大な“手のひら”があった。

 人間の胴ほどの大きさ。掌の中央に、血走った“片目”が開いている。


 ぬらり、と動く。

 葵の苦悩に歪む顔を、舐め回すように見つめる。


 声が出ない。

 喉が焼けるように乾いて、悲鳴すら上げられなかった。


 “手のひらの悪霊”は、絡め取った母の体を操る。

 笑っているような、泣いているような――その顔が無理やり動かされ、ぎこちなく微笑む。


「やめて……やめてぇええ!」


 葵の叫びが、雨にかき消された。


 次の瞬間、母の腕がひとりでに上がり、首をかきむしるような仕草をする。

 無数の手が、それを面白がるように引きずり回す。


 その異様な光景に、葵の胃がひっくり返った。

 込み上げる吐き気。地面に手をつき、嘔吐する。


 “哭者”の片目が、ぎょろりとこちらを見た。

 そして――笑った。

 掌の中央に裂けた口のような“傷”が、にたりと歪んだ。


 その時だった。


「――趣味の悪い悪霊だぜ」


 背後から、凛とした声が響く。

 葵が振り向くと、黒いコートの女性――天城結が立っていた。


「私の姉と姪っ子を傷つけたてめぇは、私が地獄に送ってやる」


 風が吹いた。

 結の数珠が鈴のように鳴り、白い光がその腕輪から立ち上る。


 “哭者”が咆哮を上げた。

 無数の手が結に向かって襲いかかる。


 結は一歩も退かない。

 右手に祓符を掴み、空気を裂くように振り抜いた。


「――破ッ!」


 閃光。

 襲いかかる手が次々と焼け落ち、灰となって消える。


 その隙に結は走り出し、母を掴んでいた腕を全て振り払い――抱きしめた。


「……お姉ちゃん」


 優しく、地面に横たえる。

 葵は駆け寄るが、母に触れようとした瞬間――指先がすり抜けた。


「……え……」


 母の身体は、すでに霊体となっていた。

 透明で、淡く、風に揺れる光のように儚い。


「お母さんっ、お願い……行かないで……!」


 葵の叫びは、届かない。

 涙が頬を伝い、地面に落ちて消えた。


 その横で、結は再び“哭者”に向き直る。


「――地獄に還れ」


 次の瞬間、彼女の拳が閃いた。

 悪霊の巨体が揺れる。

 もう一撃。さらに一撃。

 殴るたび、空気が震え、掌の目が恐怖に歪んだ。


 “哭者”は抵抗しようと無数の手を伸ばすが、すべてかわされる。

 そして――最後の拳が、その“目”を貫いた。


 破裂音とともに、黒い霧が吹き上がり、“手のひらの哭者”は悲鳴を上げながら霧散した。


 静寂。

 雨の音だけが、再び戻ってきた。


 結は深く息を吐き、葵に近づいた。

 自分の上着を脱ぎ、そっと葵の肩にかける。


「これで……触れられるようになる」


 温もりが伝わった瞬間、葵の手が母の頬に触れた。

 霊体なのに、確かに温かい。


 母の瞳が開く。

 その目には、涙が浮かんでいた。


「……ごめんね、葵」


 かすれた声。

 でも、確かに届いた。


「ずっと、愛してるよ」


 葵は、声にならない嗚咽を漏らした。

 母の霊は微笑み、結の方を見つめる。


「――娘を、お願い」


 結は涙をこらえながら、頷いた。


「わかったよ、お姉ちゃん」


 その瞬間、母の身体が淡い光に包まれた。

 無数の光の粒が舞い上がり、空へと昇っていく。


 葵の頬をなでる風が、優しかった。

 最後の光が消えた時、彼女の中で何かがぷつりと切れた。


 糸が切れたように、葵の体は倒れた。

 結が抱きとめる。


「……大丈夫。もう、全部終わったから」


 葵の意識は、静かに暗闇に沈んでいった。


 ◇


 ――その夜。

 天城家の古い屋敷の一室で、葵は目を覚ました。

 窓の外には月が浮かび、虫の声がかすかに聞こえる。


 傍らの椅子には、結が座っていた。


「おはよう、葵ちゃん」


「……ここは?」


「私の家。今日から、しばらくここで暮らしてもらう」


 結は微笑むが、その瞳の奥には深い決意が宿っていた。


「これから、あなたと私は――“悪霊退治”をしていくことになる」


 葵は息を呑む。

 理解が追いつかない。けれど、結の言葉には不思議な安心感があった。


「……お母さんを、助けてくれて……ありがとう」


 葵の目から涙がこぼれた。

 結は優しくその頭を撫でた。


「いいんだ。あの人は、私の姉だったからね」


 葵は目を見開いた。

 そう――天城結は、母の妹。つまり、葵にとって“叔母”だった。


 この日を境に、

 霊媒師・天城結と、“視えてしまう”少女・葵の、

 奇妙で過酷な共同生活が始まったのだった。


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