表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
見えてしまった世界 ―母の死から始まる霊視録―  作者: あーる


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

1/6

母の死

母子家庭で育った少女・葵は、母の死をきっかけに“霊視の力”に目覚める。

母の魂を救った除霊師・天城結と共に、葵は悪霊たちの未練を浄化していく。

それは同時に、母の死の真相と“見えざる世界”の真実へと繋がっていく――。

放課後の教室には、部活動へ向かう生徒たちの声が遠くに響いていた。

 白羽葵しらはね・あおいは、机に肘をつきながら窓の外を見ていた。沈みかけた夕日が校舎の壁を赤く染めていて、風に乗って吹き抜ける声が、どこか現実感を奪っていく。


 ――今日も、お母さんは帰りが遅いのかな。


 母の白羽美月みづきは、市内の病院で看護師として働いている。夜勤も多く、帰宅が夜遅くなることは珍しくなかった。

 それでも、朝には必ず葵のためにお弁当を作ってくれていたし、夜勤の合間に小さなメモを置いてくれるのがいつもの習慣だった。


 〈今日は夜勤。冷蔵庫にカレーがあるよ。温めて食べてね〉

 そんな文字を見るたび、葵は心の中で「いってきます」と返していた。


 けれど、その日の夜は違った。


 夜の十時を過ぎても、母は帰ってこなかった。

 カレーを温めて食べ終えても、家の明かりは玄関を除いて沈黙していた。

 携帯に電話をかけても、「電源が入っていないか、電波の届かない場所にあるため――」という無機質な声が繰り返されるだけだった。


 葵は、胸の奥に小さな冷たい不安を感じながら、玄関に立ち尽くしていた。

 外は雨が降り出している。傘立てには、母の折りたたみ傘がない。

 出勤したまま、まだ戻っていない。

 ――でも、勤務はとっくに終わっている時間のはずだ。


「……おかしいよね」


 小さく呟いた声は、雨音に溶けていった。

 居ても立ってもいられず、葵は傘を手にして外へ出た。

 母がいつも通っている通勤路。駅前の坂道、商店街の路地裏、公園へと続く小道――。

 街灯が雨粒を照らし、夜の町を白く揺らしていた。


 人の気配はなく、聞こえるのは雨と遠くの車の音だけ。

 制服の裾が濡れても気にせず、葵は何度も名前を呼んだ。


「お母さん……どこにいるの……?」


 携帯のライトを頼りに、足は自然と一本の道へと向かっていた。

 それは、かつて母とよく通った近所の公園――今は再開発のために取り壊され、空き地になっている場所だった。


 雨に濡れたフェンスが鈍く光る。

 立ち入り禁止の札は色褪せ、ロープの隙間からは簡単に入れそうだった。

 胸の奥で、何かが「そこだ」と囁くような感覚がした。

 怖かった。

 それでも、足が止まらなかった。


 ――カシャン。


 金属のフェンスを押し開けると、錆びた音が夜に響いた。

 空き地はぬかるんでいて、足元が泥に沈む。

 薄暗い中、街灯の光が途切れ、代わりに雷光が一瞬だけ辺りを照らした。


 その光の中で――何かが、見えた。


 倒れている人影。

 土に半ば埋もれるようにして、誰かが横たわっている。

 傘を放り出し、葵は駆け寄った。


「お母さんっ!?」


 泥を掻き分け、肩を抱き起こす。

 冷たい。

 あまりにも冷たい。

 頬に触れた指が、その温度のなさに震えた。


 母の顔は静かに閉じられ、唇には薄い紫が滲んでいた。

 首には、深く赤黒い痕が残っている。

 その痕を見た瞬間、葵の喉がきしむように痛んだ。


「やだ……やだ、やだよ……! お母さん、起きてよ……!」


 抱き締める腕が泥に汚れ、雨が顔を打つ。

 呼吸の仕方もわからない。何をすればいいのかも。

 ただ、声を出していないと崩れそうで、泣き叫ぶしかなかった。


 ――そして、その夜を境に、葵の世界は終わった。



 葬儀の日。

 小さな斎場の中で、葵は真っ白な花に囲まれた母の遺影を見つめていた。

 現実感がなかった。

 誰かの夢の中にいるようで、泣くことさえできなかった。


「事故じゃないって……警察が言ってた」


 親戚の誰かが、ひそひそと話している声が聞こえる。

 「首を絞められたらしい」「犯人はまだ捕まっていない」

 そんな断片的な言葉が、ガラス越しに聞こえるように遠く感じた。


 葵の隣で、母の妹――天城結あまぎ・ゆいが静かに頭を下げていた。

 二十代後半に見える若い女性だが、その瞳は異様に深い落ち着きを宿していた。

 喪服の袖から覗く手には数珠のようなものが巻かれている。


 葵が小さい頃に数回だけ会ったことのある人。

 だが、母が彼女の話をする時は、いつもどこか複雑そうだった。

 ――「あの子はね、少し特別な仕事をしているの」

 そう言って、それ以上は語らなかった。


 結は、参列者が去った後、そっと葵に声をかけた。


「葵ちゃん。……無理に泣かなくていい。時間が経てば、涙は勝手に流れるから」


 その優しい声に、葵はやっと唇を震わせた。


「どうして……お母さん、殺されたの……?」


 問いは、風に溶けて消えた。

 結はしばらく黙っていたが、やがて目を閉じて言った。


「まだ、分からない。でも……あの空き地には、何かがいる」


「……何か?」


 結は返事をせず、葵の肩にそっと手を置いた。

 その瞬間、葵の視界の端で――一瞬、白い影が揺れた気がした。

 振り向いても、誰もいない。

 ただ、空気が冷たくなっただけだった。



 日が経つほどに、街の噂は広がっていった。

 「白羽美月殺人事件」

 ニュースで流れたその言葉が、葵の心に何度も突き刺さる。

 「犯人はまだ見つかっていない」

 その報道を聞くたびに、葵の胸には焦燥と恐怖が混ざった。


 学校へ行っても、周囲の視線が痛かった。

 「かわいそうに」「ニュースで見た子だよね」――そんな囁きが背中に刺さる。

 友人たちも気を遣って話しかけてくるが、何を言われても心が動かなかった。


 帰宅後、葵は母の部屋の前で立ち止まった。

 扉を開ける勇気が、なかった。

 でも、開けなければ――もう、二度と会えない気がして。


 ゆっくりとノブを回す。

 淡い香りが流れてきた。洗濯洗剤とハンドクリームの混ざった匂い。

 それだけで、涙が零れそうになった。

 机の上には母の看護記録と、写真立て。

 そこに写る母の笑顔は、永遠に過去のものになってしまった。


 「……お母さん」


 葵は膝をつき、声を殺して泣いた。

 外の風が窓を叩き、カーテンを揺らす。

 それがまるで、誰かが部屋に入ってきたように見えて――

 葵は、無意識に顔を上げた。


 窓の向こうに、誰かが立っている。


 一瞬、心臓が止まった。

 次の瞬間には誰もいなかった。

 ただ、ガラスの曇りの中に、指の跡のようなものが残っている。


 ――五本の指。

 まるで、大きな“手のひら”が、そこに押しつけられたかのように。


 葵は息を詰め、震える指でその跡をなぞった。

 冷たい。

 けれど、確かにそこに“何か”がいた。



 その夜、夢を見た。


 雨の降る空き地。

 あの日と同じ場所で、母が立っていた。

 振り返ったその顔には、涙が流れている。

 けれど口は動かない。

 何かを言おうとしているのに、声が届かない。


 代わりに、後ろから伸びた巨大な手が、母を掴んだ。

 それは人のものではなく、泥と闇でできたような黒い手。

 掌の中央に――ひとつの、赤い“目”があった。


 その目が葵を見た瞬間、夢は破れた。

 息ができず、汗で体が濡れていた。


 目を覚ますと、部屋の隅に立っている影があった。

 窓の方を見つめると、再び曇りガラスに五本の指の跡。

 まるで、何度も何度も外から叩かれているように。


 葵は布団を握り締め、声を殺した。

 「お母さん……?」


 そう呟いた途端――影が、動いた。


 その夜、葵は初めて“見えてしまった”のだ。

 この世の者ではない、何かを。



 翌朝。

 空はどんよりと曇っていた。

 玄関を出た葵の前に、ひとりの女性が立っていた。黒いコートに、白い数珠のような腕輪。

 天城結だった。


「……やっぱり、始まったね」


 結の声は低く、しかしどこか優しさが滲んでいた。

 葵は驚きのあまり言葉を失う。

 結はまっすぐ彼女を見つめ、静かに言った。


「葵ちゃん。あなたには、“視えてしまう”血が流れている。

 あなたのお母さんも……そして、私も」


「視える……?」


「霊だよ。未練を残してこの世に縛られたものたち。

 ――昨夜、あなたは見たはずだ。空き地の“手のひらの悪霊”を」


 その言葉が、葵の心を鋭く貫いた。

 夢ではなかった。あの手、あの目。

 全部――現実だったのだ。


 結は傘を差し出し、静かに言った。


「行こう、葵ちゃん。お姉ちゃん――あなたのお母さんを、ちゃんと救いに行くよ」


 雨がまた、静かに降り出した。

 それはまるで、空が泣いているようだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ