とくつみしょの秘密 その2
秘密まで、あと少し
「これで最後です」
最後の段ボールを抱えて司が中に入ると、
「っし、俺は軽トラ動かしてくる。すぐ戻るから、座って待ってろ」
柴山が、車のキーを鳴らして走って行く。
辺りを見回し、司は自分のデスクと言われたところに行き椅子に座る。回転するタイプなので、座ったままゆっくりと回転させた。
「ここが、とくつみしょ……僕が、四月から働く場所」
デスクと向き合うところで回転を止め、なんとなく呟いた、そのとき。
「おや、平田くん。無事に着いたんだね」
突然声をかけられたことに、司の心臓が飛び跳ねる。ドキドキしながら振り向くと、積まれた段ボールの間に貫田部長が立っていた。
「ビックリさせてしまったかな?」
「い、いえ……その、おつかれさまです、貫田部長」
司は慌てて立ち上がり、ぺこりと頭を下げる。
「さっき、月曜の部長会議が終わってね。柴山くんは?」
「車を動かしに行かれました」
「寮への案内も、彼に任せてるから。なにかあったら、頼るといい」
「はい」
段ボールの間を縫って、貫田部長は横付けされた大きめのデスクに行き、持っていた書類を置く。
「新入り、行く……あ、部長。会議、おつかれさまです」
戻ってきた柴山が、貫田部長に向かって頭を軽く下げる。
「柴山くんも、おつかれさま。後は頼んだよ」
「はい。新入り、ついてこい。あ、その大事なな段ボール、持ってきていいからな」
言いながら、柴山はさっき貫田部長が入ってきたドアを開ける。
すぐに司はデスクに置いていた段ボールを抱え、柴山の後に続いた。
(寒いっ……!)
ドアを通ると、コートすら貫通するような冷気に包まれる。
電球の明かりがありはするが、それでも薄暗いそこは、コンクリート打ち放しのようだった。
「あのドア通ると、右に上に行ける階段があるんだけどな。その階段下に、もういっこドアがある」
柴山が通ってきたドアを指してから、階段下を指す。
目をこらして見ると、そこにはたしかにドアがあった。よく見かける、グレーのアルミ製。しかし、変わったことにドアノブは木製で。かなり年季が入っているのか、ツヤツヤと光っている。
「で、ここを開けると……」
柴山が開けたドアから、冷たい風と外の光が入ってくる。
「寮に行けるのは、このドアだけだからな」
柴山に促され、司はドアを通る。
「わぁ……」
司の目の前に現れたのは、終わりが見えないほどの広い土地。
木が植えられていたり、草が生えたりと、まるで自然公園のような光景が広がっていた。
ただ、植えられた木々の向こうに見える、縦長の無機質な同じ建物三つだけが、公園でないことを物語っている。
「ビルの裏は、こんなに自然がある場所なんですね」
「自然があるのと無いのじゃ、やっぱり開放感が違うからな」
こっちと言われ、また柴山の後ろをついていく。
一歩、外へ踏み出して違和感に気づき下を見れば、そこは整備された砂の道になっていた。
その道を少しだけまっすぐに歩いて、左へ曲がる。
「この正面にあるのが、俺たちが住む寮だ」
先へと続く、砂の道。その両端に等間隔で植えられた街路樹の先には、キラキラと光る池。その周りには、きちんと刈り込まれた芝生がある。そこから更に奥にあるのが、さっき見えた三つの同じ建物。
今、司たちがいるところから見えているのは建物の側面のようで、一番上にそれぞれ左から「ニ」、「ハ」、「イ」と大きく黒字で書かれている。
(ニハイ……?)
思わず、司が首を傾げると。
「棟はイロハで管理されてる。ただ、ロは外されてるんだ。ろとうに迷うからって理由らしい」
よくわかんないけどな、と付け足して柴山が先を行く。
それについて歩きながら、司は柴山の案内を聞いた。
「新入りが入るのは、ニ棟だ。俺も同じ棟だから、なにかあったら聞きにこい。部屋も二個隣だしな」
芝生を横切り、澄んだ池を横目に一番左端の「ニ棟」へと向かう。
「こっちが正面」
柴山に案内されるまま、「ニ」と書かれた側壁の左側へ周ると、そこには壁一面にズラリとドアが並んでいた。
「ここが、階段に繋がる」
一階、真ん中にあるアーチ状の空洞へ、柴山が入っていく。
その後ろへ続く前に、司は並ぶドア群を見上げた。
(1,2,3……ワンフロアに、7部屋あるんだ)
「新入り、置いてくぞー」
柴山の声に、司は中へ入る。
アーチ状の空洞の中は、両側を壁、奥に螺旋階段があるだけだった。
「ここ、三階建てなんですね」
「だな。俺たちは二階だ。新入りは端の207、その二つ隣の205が俺の部屋。階段上がって、左の奥な」
螺旋階段を二階分上がり、廊下を歩く。突き当たったところで、柴山が止まった。
「鍵、預かってるから。開けるぞ」
「お願いします」
柴山がズボンのポケットから出した鍵には、207と印字された球体の木製キーホルダーが付いている。
「ここは盗みなんてするやついないから、開けっ放しにしとくな。俺、下で台車出してくるから。部屋に荷物置いたら、下りてこいよ」
そう言いながら、鍵を抱えた段ボールの上に置かれる。
歩き去っていく柴山の背を見てから、司は玄関に立つ。
「今日から、お世話になります」
一礼してから、中へ入り靴を脱ぐ。
備え付けの洗濯機や、一人用らしい小さなキッチン、別々になっている風呂トイレなど一通り見てから。
玄関口から見えていた、室内のドアを開ける。
真正面にある大きな窓から入る日光が、部屋を照らす。そこには、左側の壁に備え付けられているクローゼット以外、何も無い。
「空っぽ……棚とかは、買い足したほうがいいみたいだ」
段ボールを、部屋の右隅に置く。その蓋を開け、写真を出して写真立てに入れ、段ボールの上に立てた。
「ばあちゃん、新しいとこはこういう感じ。ゆっくり見ててよ」
リュックも下ろして段ボールの側に置き、司は柴山の待つ下へ行くために玄関へ向かった。
「終わっ……たー!」
段ボールに囲まれ、司は床に座りこむ。一方、柴山は大の字に寝転がった。
「柴山先輩、ありがとうございました。おかげで、早く終わりました」
「初めてしたけど、けっこう疲れるのな、引っ越しって。昼前にはあっち出たのに、終わったら昼かぁ」
同時に、柴山の腹が鳴る。
「お昼、なにか買ってきましょうか?」
「事務所に行けばあるんだけどな、弁当が。取りに行くのがなぁ……今すぐは動きたくない」
ごろんと、柴山が壁を向いたとき、インターホンが鳴った。
「僕、出ます」
玄関に向かい、ドアを開ける。開きかけた時点で見えたのは、明るいミルクティー色の長い髪。
「タロ、司くん。お昼、持ってきたわよ~」
完全にドアを開けきる前に、ひょっこりと顔を出したのは天原だった。
「天原先輩」
ドアを開けきると、その隣に黒石もいるのが見えた。
「……飲み物もいるでしょ」
その細い腕に抱えているのは、お茶のペットボトル四本。
「私たちも、お昼まだなの。一緒にいい?」
「はい。まだ段ボールが積まれてますけど」
「いいのよ。お邪魔しまーす」
天原と黒石が玄関へ入ってくる。
司は一足先に奥へ戻り、柴山へ声をかけることにした。
「柴山先輩、天原先輩と黒石先輩がお昼持ってきてくれました」
「やった! さすが先輩!」
柴山が寝た状態から跳ね起きる。
(運動神経、いいんだろうな)
そんなことを司が思ったのもつかの間、背後から、
「あたしもいるんですけど、柴山先輩!」
先に入ってきたらしい、黒石の声が響く。
「お、黒石。俺の焼肉弁当、あるか?」
「無いです。たった今、あたしの物になりました」
「んなことないだろっ」
すぐさま言い合う二人に挟まれ、司がおろおろしていると、
「彩、今日は焼肉弁当二つあるから。司くん、塩サバとしょうが焼きなら、どっちがいい?」
「えっと……塩サバでお願いします」
「はい、塩サバね」
天原が持っているレジ袋から出された、塩サバ弁当を手渡される。
「タロと彩は焼肉。彩、飲み物配って」
「新入りくん、はいお茶」
「ありがとうございます」
柴山はあぐらをかき、天原と黒石は正座で床に座っている。それに倣い、司も床に正座で座る。
「いただきます」
三つの声が重なった後、一斉に弁当のプラスチックの蓋が開く音がする。
「いただきます」
三人に遅れて、司も弁当の蓋を開ける。
蓋が透明なので中身は見えていたが、蓋を開けると焼けたサバの香ばしい匂いが立ち上り、司のお腹が鳴った。
割り箸を割り、一口食べてみる。
「美味しい……」
「でしょ? 仕事のある平日は、こうしてお昼が出るの。リクエストも受け付けてるから、何かあれば言ってみるのもオッケーよ」
隣に座る天原がウインクして、割り箸を割った。
「ごちそうさまでした」
キレイに食べ終わり、四人分のゴミを重ねる。
「やっぱり、牛はサイコー」
「それは俺も同意する」
ゴミが片づき、少しだけ広くなった部屋で足を伸ばして座り直す、柴山と黒石。
そのリラックスした様子に、司は確認したいことを尋ねることにする。
「あの、黒石先輩は鶏肉が苦手なんですか? 以前、唐揚げ弁当は苦手そうな話をされてたので」
すると黒石は天井を見上げた。
「苦手って言うか……なるべく食べたくないのよね。だって、あたし――」
「彩」
何かを言おうとした黒石を、天原の一声が制する。
「司くんには、部長からちゃんと話があるから。その先は、それから……あら、噂をすれば」
天原が玄関の方を見たと同時に、インターホンが鳴った。
「平田くん、いるかなー?」
「部長のお出ましね」
立って、立ってと天原に言われ、司は立ち上がるが。
「あ、でも片づけが……」
「こっちで片づけておくから、大丈夫。部屋の鍵だけ貸してくれる? あとで閉めておくから」
天原に背中を押されるまま、司は玄関へ進む。
「じゃあ……鍵です」
ポケットから出した鍵を天原に渡す。
「大事な話、しっかり聞いてきてね」
司の背中をポンッと軽く叩き、天原は奥へ戻っていく。
(大事な話……)
つばを飲み、司はドアノブを掴んだ。
次回、とくつみしょの秘密が明らかになります。
その3は、8月9日(土)の12:00更新予定です。